第65話 盤上の探り合い

 

 先の戦いはジャンハイブが撤退したことによりデストリーネの勝利と終わった。

 だが、ハルザードとジャンハイブの両者の傷は重傷でありしばらくの間どちらとも動かずに睨み合いの膠着状態となっている。


 数日後、リュースはハルザードの下に足を運んだ。


 ハルザードが治療中の間、リュースが全体を指揮しており立て直しを簡易的だが終え、その報告に訪れたのだ。

 ただ報告に加えて治療の状況の確認しにきたことも入っている。


 リュースとしては一切の心配はないが。


「ハルザード、怪我の具合はどうだ? ……その様子では問題ないか」


 リュースは目の前の光景を見て言葉が詰まってしまった。


 なぜならハルザードは既に包帯を全て解いて半裸になっており剣を両手で握りしめ素振りしていたからだ。


(あれほどの重傷にもかかわらずどういう頭を……)


 怪我人は安静にしていろと怒鳴ろうとしたがあることに気が付きぐっと抑える。


 顔の腫れも引いておりさらには肩の傷痕も消えていたのだ。

 本当に重傷だったのか疑うほどに。


「ああ、もういつでも大丈夫だ」


 ハルザードは振っていた剣を地面に降ろして笑いながらそう言ってくる。


「……相変わらずその回復速度は化け物染みているな」


 リュースは溜め息交じりにそう呟く。


「俺よりもデルフはどうだったんだ? 軽くはない怪我と聞いたが?」


 リュースは呆れるように息を吐いた。


「義手は壊れたらしいがピンピンしている。お前と同じでもう傷は塞がっており戦闘も十分可能だろう」

「それは朗報だ。隊長が一人でも欠けると士気に関わるからな」

「お前たちを見ていると私の常識がおかしいと考えてしまう。お前の怪我は一月ほど寝込んでもおかしくなかった。デルフの怪我も軽くはないと聞いていたのだが」


 そう言っている間にハルザードは椅子に座る。


「それを言うなら俺よりもお前の方が不思議に感じるぞ」

「ん?」


 急にハルザードは顔を引き締め真っ直ぐリュースに視線を向ける。


「……もう普通に歩くことすら難しいと聞いたぞ」

「ココウマロか?」


 ハルザードは視線を逸らさずにこくりと頷く。


「そうか。確かに家族には言うなとしか言っていなかった。ハルザード、安心しろ。今は薬で症状の全てを抑えている。……頭を騙していると言ったほうが正しいか」


 ハルザードは複雑そうな表情をして首を振る。


「安心? 俺が聞きたいのはそんなことじゃない! ……その薬は寿命を削ると聞いたが本当なのか?」


 その鬼気迫るハルザードの瞳を見てリュースは息を吐きゆっくりと肯定する。


「……その通りだ」

「そ、そこまでする必要が……」


 ハルザードが言葉を言い終わる前に食い気味にリュースは答える。


「これは不治の病。遠からず私は必ず死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ。薬の効力がなければもう私は死ぬまで床に伏しているしかできない。それはもう私にとってしに等しい。ならば私は騎士としての人生をこの戦いに全てを注ぐ。それが私の信念だ」

「そうか」


 リュースの眼差しからその覚悟が伝わったハルザードは一言だけそう言って目を閉じた。


 その様子に気が付いたリュースは急いで付け加える。


「勘違いはしないでくれ。ハルザード、何も死ぬ気で臨むわけではない。デルフは随分とたくましく成長した。だが、まだ教え伝えなければならないことがたくさんある。それまでは死ぬことはできない」


 そこでハルザードは久しぶりに朗らかな笑顔を見せた。


「俺はもう既にウェルムに実力を抜かれている節があるぞ。それは師として誇らしい……が考え方が危うい。……お互い、弟子には苦労をするな」

「全くだ」


 それで話は終わり各隊長に加えクルスィーを呼び会議を行う準備を始めた。


 しばらく各々の到着を待ちその全員が席に着いたことを確認するとリュースは椅子から立ち上がり会議を始める。


「まずは先の戦い、見事勝利を収め我が国の力を見せつけた諸君らの武勇に敬意を示す。ご苦労だった」


 リュースは深々と頭を下げる。


「さて、以前話した策の続きの説明を行うとするがそれはクルスィーに任せるとする」


 そう言ってリュースはクルスィーに目配せをすると椅子に座った。


 代わりにクルスィーが眠そうに瞼を開け閉めしながら立ち上がり説明を始める。


「そうですね〜。作戦は〜いくつか用意しています〜。では、まず一つ目〜。敵さんは〜多分負けて〜焦っていると〜思います〜。ですので〜敵さんが攻めやすいように〜ナンノ砦の警備を〜もの凄く〜甘くしているのです〜」

「ナンノ砦に誘い込むのか?」


 デルフがそう質問をするとクルスィーは口元がへら〜と緩みどや顔を決めていた。

 しかし、相変わらず瞼が今にも閉じそうで締まらないのが残念だ。


「半分間違い〜半分正解です〜。ナンノ砦に攻め始める前に~横から~奇襲を仕掛けるのです〜」

「けどよ〜。そう思惑通りに攻めてくるのか?」


 クライシスが疑問をぶつけるが想定内だったらしくクルスィーにしては間も開けずに説明を始める。


「質問を〜返しますが〜敵さんが〜ナンノ砦を奪うと〜どんな利益があると思います〜」


 その言葉でクライシスは気が付いたようで笑みを浮かべた。


「……なるほどな。挟み撃ちか。こっちは逃げ場と補給場も失い、さらにジャリムも攻めてきているため援軍の望みも薄い。だけどあっちはまだ本国に余力を残している。考えただけでも嫌になるな」


 クライシスのそのえげつないという言葉の意味をデルフは挟み撃ちされたらひとたまりもないという意味と思ったが次のクルスィーの言葉でその本当の意味が分かった。


「高級な餌には〜思わず食いついてしまうものですよ〜」


 悪戯な笑顔を浮かべているような口調でクルスィーはそう言ったがやはり変化しているのは口調だけで表情には何の変化もない。


「よくそんなことが思いつくもんだな。見た目に似合わず心は真っ黒なんじゃねぇか?」

(そうか、クルスィーはだからナンノ砦の警戒を緩めたのか。敵をナンノ砦に誘き寄せるために)


 さらにクルスィーは説明を続ける。


「ですが〜敵さんも馬鹿ではありません。もし〜この策が嵌まり〜ナンノ砦に〜向おうとするとき〜陽動として〜ダスク荒野から再び攻めてくると思います〜」

「つまり、もしダスク荒野に愚直に進軍してきた場合は別働隊としてナンノ砦向かっている可能性が高いと言うことだ」


 リュースがクルスィーの説明を要約した。


「よってそのとき、あの英雄は確実にナンノ砦を落とすためにその別働隊に入っているだろう。そのため奇襲をする隊には二番隊とハルザードに向かってもらう」

「ああ、分かった」

「了解です」


 ハルザードとクライシスが頷く。


「そして、ダスク荒野には三番隊と私が行く」

「ですが〜この策はあからさま過ぎるので〜多分ばれると思います〜。嵌まってくれる〜確率は〜三割ぐらいですかね〜。次に説明するのが〜本命の策に〜なります〜」


 しかし、クルスィーが説明しようとしたとき一人の兵士が会議場に駆け込んできた。


「ボワールがダスク荒野に向けて進軍を開始しました!!」


 デルフたちは驚きで固まってしまったがリュースは平然を装いその兵士に言葉をかける。


「ご苦労。下がれ」


 兵士は頭を下げ会議場から出て行った。


 クルスィーは「あれ〜?」とでも言いたげに首を傾げている。


「驚きました〜。どちらにせよ〜引っかかったようなので〜後はお願いします〜」


 ハルザードとクライシスは行動を開始し急ぎ準備を始め行軍を開始した。


「デルフ。お前も準備しろ。すぐに迎え撃つぞ!!」

「はい!」


 デルフは急いで会議場を後にした。


 一人会議場に残ったリュースは立ち上がる。


「ココウマロ」

「はっ! 側に!」


 リュースがココウマロを呼ぶと即座に背後に現われた。


「一つ。言っておく。もし私が倒れたらデルフに指揮権を譲る。デルフの指図に従ってくれ」

「御意」


 ココウマロは何も質問をせずに頭を下げる。

 言わずとも分かっているのだろう。


 リュースも己の身体の状態は嫌でもよく分かっている。


 今では隊長よりも体力や実力は劣っているだろう。


 だから、強敵であるジャンハイブに自分や経験の浅いデルフよりもクライシスをハルザードの下に付けたのだ。


 足手纏いと自覚しているリュースが戦場に立とうとするのは我が儘であると理解している。


 だが、これだけは譲れなかった。


(私の集大成を今ここで……)


 それにハルザードにも言ったように死ぬつもりなど毛頭ない。


 心なしか拳を握りしめその力が増していく。


 そして、言葉を発する。


「以上だ。我らも出るぞ! 準備は?」

「とうにできております」

「抜け目ないな。行くぞ!」




 ボワールがダスク荒野に侵攻を開始した数日前。


 ジャンハイブは包帯の上から脇腹の傷を擦りながら考えていた。


(まさか俺が本当に傷を負うなんてな)


 傷は殆ど癒えているがまだ動こうとすると少し痛み顔をしかめてしまう。


(傷付いたのはいつ以来か……)


 自分を傷付けることができる強敵の出現に笑みを隠せずにはいられなかったがその笑みも耳障りな怒鳴り声が消し去ってしまう。


「ジャンハイブ!! お前は何をしていたのだ!! よくも私の初陣に泥を塗ってくれたな!!」


 頭から煙が出ているように見えるほど激昂し顔を真っ赤にしているハルメーンが大きく贅沢な身体を揺らしながらどしどしと歩いてきた。

 その道中、側にあった椅子や机をわざわざそこまで行き蹴り倒す。


 机の上に乗っていた食事や地図などが地面に散らばっていく。


 ジャンハイブは特に感情も出さず無表情でそれを眺めていた。


「英雄と呼ばれているからと鼻を高くしよって!! この責任は帰国した後、しかるべき処遇をするからな! 覚悟しておけ!!」


 息を荒くしてハルメーンはジャンハイブに指を突きつける。


 ジャンハイブは顔を少ししかめ僅かだが殺気を飛ばしてしまったがすぐに笑顔になり返答する。

 幸いなことにハルメーンは気が付いていないようだ。


「分かりました。責任は全て私が負います。ですから今は冷静になってください。まだ戦は終わってはおりません」

「なに? まだ終わっていないのか?」

「………え、ええ! まだ終わってはおりません! 次こそはデストリーネに目に物を見せてやりましょう」


 その光景を想像したハルメーンは機嫌が直り威勢良くなった。


「ふぁっふぁっふぁ、そうだ私はまだ負けてはいない! 次こそは父上に報告できる成果を上げてみせるぞ!」


 そのとき、密偵として送り込んでいたブエルが帰ってきた。


 ブエルは一人の世界に入っているハルメーンを一瞥した後、ジャンハイブのすぐ側で跪くと勝手に報告を始めた。


 ジャンハイブとしてはハルメーンが近くにいるので立ち去った後にして欲しかったのだがもう遅い。


「ジャンハイブさん。ナンノ砦が手薄になっています。推測すると俺たちの軍勢を前に兵を残しておく余力がなかったのだろうと思います!! 攻めるなら今でしょう」


 わざとらしく大声で報告するブエルにジャンハイブは少し違和感が生じた。


(ブエル、何を考えている?)


 しかし、それを尋ねる前にハルメーンが口を割り込ませてきた。


「ふぁっふぁっふぁ。なるほどなるほど。ブエルと言ったかお前の言いたいことは分かるぞ。よし、まずはナンノ砦とやらに攻めると言うことだな」


 ジャンハイブはブエルが言っていたことを再度繰り返すハルメーンに苛ついてしまうが表情を崩さないように努力する。


 そのときジャンハイブはブエルが何かを訴えるように自分の瞳を見詰めていることに気が付いた。


(……なんとなくだが分かった。取り敢えず合わせればいいんだな?)


 ブエルの意図を朧気にだが汲み取ったジャンハイブは口裏を合わせる。


「王子。良き案が一つございます。ただ奇襲を行うと敵に気付かれる恐れがあります。ダスク荒野へともう一度侵攻することで目眩ましをしてその間に王子は砦を攻め落とすでどうでしょう?」


 上機嫌になっているハルメーンにはもう砦を落としたときのことしか頭になく二つ返事で頷いた。


「ふぁっふぁっふぁ。全てお前に任せる! 良きに計らえ。それよりも私は急ぎ準備を」


 そう言ってハルメーンは意気揚々に小走りで自軍に引き返していった。


 ハルメーンの姿が見えなくなったことを確認するとジャンハイブはブエルに話しかける。


「ブエル。これって……」

「はい。ジャンハイブさんが思っているとおり恐らく罠でしょう」

「やはりそうか。お前がいなければ気が付かなかったぞ」


 ジャンハイブはブエルの観察眼を素直に賞賛する。


「しかし、なぜ相談もなしにあの豚に聞かせたんだ?」

「理由は二つあります。一つはまた王子に聞かせるのは面倒だったのもありますが特に怒りに燃えている今ならば何も考えずに乗ってくれると思ったからです」

「二つ目は?」

「ジャンハイブさん。あなたの我が儘を防ぐためです」


 ジャンハイブは想像外のことを言われて目を丸くする。


「俺が我が儘?」

「はい。身に覚えがないとは言わせませんよ。つい先日あの戦いの中で我を忘れていたじゃないですか」

「いや、それとどう話が繋がるんだ?」

「敵の目線になって考えてください。ナンノ砦を俺らボワールが取ると挟み撃ちが完成します。すると敵は俺たちがナンノ砦を本気で落としにくると考えるはずです。俺たちの最大の戦力はジャンハイブさんあなたです」


 その言葉でようやく理解したジャンハイブは答え合わせをするように言葉を並べていく。


「そうか、つまりナンノ砦を奇襲する我が軍にぶつけてくるのは騎士団長ハルザードか」

「その通りです。つまり俺の言いたいことは分かりますね?これを利用しない手はありません」

「ふっ。なるほどな。ブエル考えたな。これなら俺たちの計画どおりに事が運べるわけだ。別に俺たちは勝とうとはしていないからな」

「はい、ですからお願いしますよ?」

「お前の懸念は深く理解した。だが、もう少し俺を信じてくれ」


 ブエルは大袈裟に溜め息を吐いた。


「ジャンハイブさん、それは無理がありますよ」


 ブエルはじーっと責めるようにジャンハイブを見詰める。


「やけに真っ直ぐに言うじゃないか」

「あっ。スイマセン」


 棒読みで謝るブエルにジャンハイブは笑みを零す。


「まぁ仕方ないな。あんな無様を見せてしまえば。だがな、俺は計画のために奮闘している。今の俺の最優先事項は計画だ。そのためならば自分の欲は押さえ込んでみせようじゃないか」


 聖剣の柄を握りしめジャンハイブはそう答える。


「頼みますよ」

「しかし、負けっぱなしというのも癪だ。デストリーネにも少しは痛い目にあってもらおうか。この戦い、痛み分けで手を打とうとしよう」

「そうですね。この戦いでデストリーネが勢いづくことが懸念していましたのでそれは良い案かもしれません」


 ブエルは思考を駆け巡らせて深く頷く。


「ハルザードほどではないと思うが少なからず強者はいるだろう。楽しみだ。行くとしようかブエル!!」


 ハルザードは馬に乗るとブエルが急いで止める。


「早い! 早すぎます! もう少し待ってからです!」

「いかんいかん。少しはやってしまった」


 数日後、ボワールの軍勢がダスク荒野に侵攻を開始した。

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