第66話 蝕まれる身体

 

 ダスク荒野で再びデストリーネとボワールの軍勢がぶつかり怒号と剣戟の音による喧噪に包まれていた。


 お互いの兵力差は互角であるが僅かにボワールが上回っているように見える。


 リュースは後方で馬を止め呆然と前方を眺めていた。

 自然と馬の手綱を握る手が強くなり大きく息を呑んだ。


 頭の中で打開策を駆け巡らせるが一向に纏まらない。


「なぜ、ジャンハイブがいる!? 私たちの考えは間違っていたのか? ジャンハイブがこの場に赴くメリットはないはずだ! ……もともと奇襲などする気などなかった? いや、現に奇襲の部隊は動いている。既にハルザードと戦闘が始まっているはずだ。それに引き返したという連絡もない。ジャンハイブ……一体何が狙いだ!?」


 理屈が通じないジャンハイブの行動にリュースは冷静さを失ってしまっていた。


「副団長。冷静に」


 ココウマロは咳払いをして目を泳がせながら戸惑っているリュースを宥める。

 その声で少しは冷静さを取り戻すことができた。


「……すまない。ココウマロ、予定変更だ。私がジャンハイブを抑えに掛かる」

「拙者ではあの御仁相手では多少の時間稼ぎぐらいでしょうしデルフ殿もまだまだ経験が足りなく心許ない。心苦しいですがそれが妥当でしょうな」

「ココウマロ。やはり歳には勝てないか?」


 リュースの悪戯な問いかけをココウマロは笑い飛ばす。


「日に日に衰える一方です。こればかりは仕方ありません。拙者よりもリュース殿の体調は?」

「生憎だが今は頗る調子がいい」

「それは結構。ですが、お気を付けて」

「ああ。ココウマロ、指揮は任せる」


 そう言ってリュースはデルフの下へと向かう。


「デルフ」


 リュースが呼ぶと先の戦いで義手を失い見た目からも片腕だけとなったデルフが振り返り馬を歩かせる。


「師匠。あいつがジャンハイブ、ですか……」


 前方でジャンハイブが殆ど一人でデストリーネの軍勢を蹴散らしている様子を見て苦笑いしながら尋ねてきた。


「ここから見ているだけで戦うなと身体が警告してきます。しかし、読みが外れましたね」

「ああ、まさかジャンハイブを囮にするとは思いもしなかった。勝つ気がないかと疑ってしまう」


 リュースはデルフが率いる三番隊を見渡すと少し怪訝な顔をする。

 王都に召集したときとあからさまに数が減少している。


 デルフもリュースが言いたいことに気が付いたようで質問する前に答え始めた。


「先の戦いで結果では勝利しましたがこちらも損耗が激しく戦闘に参加できない負傷者が続出しました。動ける者だけ連れてきましたが……この様です」


 大怪我を大した時間もなく完治させ平然としているデルフは別として戦力になるヴィールマリアは両手に大量の切り傷を負ったため戦闘は難しくクルスィーとともに陣で待機しているらしい。


 この短期間で治ったデルフが異常なのだ。


「私たちの考えが甘かったようだ。デルフ、私は今からジャンハイブの足止めに向かう。お前も付いてきてくれ。お前にはジャンハイブの側近を相手してもらいたい」


 リュースはブエルという名の青年を思い出す。


 ブエルは剣を交えて隊長クラスの実力があるとリュースは判断した。

 さらにあのときハルザードとの戦いを止めにきたということはジャンハイブの側近で今も側に付いている可能性が高い。


「前回は向こうも退却をするつもりだったから本格的な戦闘まで発展しなかったが今度は本気でくるだろう。私はジャンハイブだけで精一杯だ」


 ジャンハイブという怪物を倒すのはほぼ不可能に加えさらに隊長クラスの者までを相手にする余裕をリュースは持ち合わせていない。


「分かりました」

「気をつけろ。いくら側近とは言えあの青年はなかなかの強さだ」


 デルフは頷くと馬を走らせアスフトルに話を付けリュースの後に続いた。


 リュースは馬を走らせ戦場を駆け抜けていく。


 突き抜けていくリュースを狙う敵兵たちはココウマロの采配により派遣された騎士たちが食い止めてくれたおかげで心置きなくジャンハイブだけを相手にできる。


 ジャンハイブも迫り来るリュースに気が付いたようで聖剣を片手で持ち上げて肩の上に乗せた。


「やはりハルザードは向こうに行ったか」

「なるほど、こちらの策は感づかれていたか。しかし、分からない。なぜ、そう言うお前はここにいる?」


 ジャンハイブは口元に笑みを浮かべる。


「何が狙いだ?」


 リュースは馬から降り声色を低くして鋭く言い放つ。


 しかし、ジャンハイブは笑みを絶やすことはなく平然と答える。


「安心しろ。お前たちには関係がない」


 話は終わりだというようにジャンハイブは地面を蹴り瞬く間にリュースの懐に入る。


 リュースの腹部に聖剣を薙ごうとするがその前に聖剣は止まってしまった。


「速いな。そうかお前が副団長……神速か」


 リュースは一瞬で刀を抜いて聖剣が加速し威力が増す前にその動きを阻んでいた。


 いくら威力の高いジャンハイブの攻撃でも始めから高いわけではない。

 そうなる前に対処をすれば力で負けていても防ぐことは十分可能であった。


 しかし、そんなことが可能なのは相手を遙かに越える速度を持っていなければならない。


 リュースのみにできる芸当だ。


「ああ、相手に不足だろうが我慢してくれ」

「よく言う。こんなにも早く止められたのは始めてだ。まったくデストリーネに人材不足はないのか、羨ましいぞ」


 再びジャンハイブは次々と聖剣を振るが刀の動きを正確に操りハルザードの攻撃をいなしていく。


 その最中に横をちらりと見るとデルフがブエルを抑えていた。


 様子からしてデルフのほうが若干だが力量は上手に見える。


「あれなら負けることはないだろう」

「何、余所見をしている!」


 目を離していたのはほんの僅かだったがジャンハイブの攻撃にリュースは一歩出遅れた。


 直前で防いだリュースはその威力に耐えきれず後ろに吹き飛ばされてしまう。

 吹き飛ばされはしたがその途中で軽やかに宙返りし衝撃をいなして地面に着地した。


 透かさずジャンハイブ目掛けて攻撃をしようと地面を蹴ったそのとき。

 突然、リュースの右足が重くなった。


 力がなくなり支え続けることが叶わず右膝を地面に付けると喉の奥から何かがこみ上げてくる。


 リュースは咄嗟に左手を口元に当てると濁流のような血が手に雪崩れ込んできた。

 片手では全てを受け止めることはできず溢れてこぼれ落ちる。


「おいおい。そんなに本気でやってないぞ!?」


 ジャンハイブがその様子に驚きながらそう言った。


「切れたか。もう後先考える余裕はないな……」


 あまりに小声だったためジャンハイブにはそのリュースの呟きは届かなかった。


 リュースは手を拭うと両手で刀を握りしめる。


「!?」


 ジャンハイブが気付いた時には既にリュースはその真横にまで移動していた。


 目が追いついた今も身体が硬直しジャンハイブは動けないでいる。


 そして、リュースが目にも止まらない速度で刀を振るう。


 もうジャンハイブには防ぐための時間は残ってはおらず確実に致命傷を与えることができるとリュースは感じた。


 しかし、そのときジャンハイブの鎧が弾け飛んだ。


 鎧の破片がリュースの顔を掠めてそこから一筋の鮮血が流れる。


 鎧は弾け飛び生身となったはずなのだが刀が直撃した身体から血の一滴も流れてはいなかった。


 そう思ったのも束の間、鱗が大量に生み出されジャンハイブの身体は鱗の鎧に包まれていきリュースの刀を押し戻していく。


 リュースは即座に距離を取る。


「危なかったぞ。一歩遅れていれば今頃あの世行きだ」


 全身を鱗で覆い尽くし刃を通さない身体となったジャンハイブはもし紋章の力を使っていなければを想像して空笑いをする。


 だが、刀が通じなくなったジャンハイブを前にしてもリュースはまだ諦めていない。


(そろそろか)


 そのとき紋章の力を発動して勝った気になり油断していたジャンハイブの腹部に衝撃が走る。

 それは先程リュースの刀が触れたところからだった。


「な、なんだ!?」


 一回、二回、三回と連続して衝撃がジャンハイブを襲いその度に地面を引きずりながら後ろに下がって行く。


 そして、衝撃を受けた部分の鱗が僅かに罅入る。


「ぐっ……」


 これが真に神速とリュースがそう呼ばれる由縁の技だ。

 故にこの技の名前も”神速”。


 リュースが魔力を込めた攻撃はそのとき生じた衝撃を高速で繰り返す。


 もともとリュースの攻撃速度は殆どの人には追いつくことはできなかったが加えて神速があることで拍車がかかった。


 リュースの攻撃は速くさらにその衝撃が繰り返されるということは絶え間なく攻撃が押し寄せてくる。


 つまり、衝撃が残っている間に再び刀で攻撃しさらにその衝撃が残っている間に刀で攻撃するさらに……といった攻撃を行うことで敵は攻撃の渦中に常に居続けることになる。


 リュースは休む暇を与えずに攻撃を繰り返す。


 鱗の鎧を過信しているジャンハイブは避けることを止めてしまったことがリュースに幸いし衝撃の牢獄にジャンハイブを閉じ込めてしまった。


「ぐっ! 面倒くさい技だ!」


 その一撃一撃の威力はジャンハイブにとっては低く大して効いているように見えない。

 だが、ジャンハイブも衝撃に囲まれており身動きができていないため今のところ五分と言ったところだ。


 それならばとリュースは振りかぶり全力でジャンハイブの脳天へと振り下ろした。


 一撃目は大して効いていなかったがそれが二回目になるとジャンハイブは顔をしかめる。


「衝撃は防ぐことができないとハルザードから聞いていた。どうだ、脳が揺さぶられる気分は?」


 そう喋っている間もリュースは攻撃の手を緩めない。


 しかし、そこでリュースに誤算が生じた。


「なに?」


 驚いた理由は脳天への衝撃が三回で止まってしまったからだ。

 神速は最大で十回まで衝撃を繰り返すことができる。


 先程込めた魔力は十回分まで込めていたはずだったのに途中で止まってしまった。


(どういうことだ!?)


 さらに続けていた攻撃さえも衝撃が続かなくなっていた。


 ジャンハイブが何かしたのかと過ぎったがジャンハイブも急に絶え間なく続いた攻撃が消えたことに不思議そうな顔をしている。


「まさか……」


 そのときジャンハイブの拳がリュースの鎧を突き抜け鳩尾に食い込む。


「ぐぁっ!!」


 肺に溜っていた空気の全てを押し出され殴り飛ばされる。


 地面に転がっていきようやく止まるとその痛みからか息を吸い込むことがなかなかできなかった。


 混乱した頭をなんとか冷静にさせやっと息を吸い込みリュースは立ち上がる。


「はぁはぁ……。やはり神はいないようだ。最後の戦いを満足行くまでさせてくれないとは……」


 意識すると身体の力が抜け立つことさえも精一杯であった。


「身体の全てが重く感じる……。だが、まだ身体は動く」


 口から血が流れるがそれが病気によるものかジャンハイブの攻撃によるものなのかもう分からない。


 リュースは刀を握りしめ地面を蹴る。


 一直線にジャンハイブに向かっていき全力で刀を振り下ろす。


 だが、リュースの刀は聖剣で防御し防がれたのではなく身体で受けて防いだのでもなく手で掴まれていた。


 リュースは目を見開き唖然として狼狽えてしまう。


 それが信じることができないという気持ちと現実が衝突しあった結果、不安となり刀を持っている手は震えてしまっていた。


 攻撃を受け止めたジャンハイブも反撃をすることなく驚いて目を白黒させている。


「お前、巫山戯ふざけているのか?」


 ジャンハイブの声は怒りからか失望からか分からないが震えている。


 リュースは刀を掴んでいる手を振り払った後、刀を連続で振る。

 しかし、全て手で受け止められ衝撃も繰り返すことはなかった。


「くそ!! 思うように動かない!」


 息切れが激しくなったリュースにジャンハイブは聖剣を斜めに振り下ろした。


 直前で防ぐことに成功し透かさず後ろに飛び退くことで距離を取るが着地が上手くいかず片膝をつく。


 吐血が続いているせいで出血量は酷くさらには負傷もあるせいでだんだんと視界がぼやけてきた。


「……どうやらお前はなにやら枷を持っているらしいな。興が削がれた」


 ジャンハイブは冷めた視線でリュースを眺めた後、視線を変えた。


 リュースもジャンハイブの視線を追う。

 その先はデルフとブエルが戦っていた場所だった。


 あちらの戦いは既に決着がついておりデルフは胸に手を当てたまま息を切らしている。


 そして、その前にはブエルが横たわっていた。


 身体は思うように動かないのかブエルは痙攣している。

 だが、まだ意識はあるらしくデルフを強く睨み付けていた。


「ほぉ〜う。ブエルが負けるなんて珍しい。お前よりは楽しめそうだ」


 そう言ってジャンハイブはリュースには興味をなくし放っておきデルフに向けて剣を大きく振りかぶりながら地を蹴った。


(あの大ぶりならばデルフは容易く躱せるだろう。それよりもなんと情けないことか)


 リュースはもう余力は残されておらず手が震え足が震え鼓動の度に血が口から溢れてくる。


 ただその光景を見ることしかできない。


 自分の非力さにリュースは唇を噛む。


 そのときリュースはデルフの異変に気が付いた。


(デルフ! なぜ、動かない!!)


 いつものデルフならば視線を向けられただけでも気が付くはずだ。

 それが敵意や殺気なら尚更だ。


 リュースは叫ぼうとしたが喉に残っている血のせいで声が掠れてデルフまで届かない。


(胸を押さえている? まさか、今の戦いで負傷したのか?)


 身体に力を入れるが嘲笑うようにすぐ抜けてしまう。


(頼む!! あと、一度だけでいい。私に! 私に力を貸してくれ! ……頼む。エレメア)


 そのとき身体がふっと軽くなったように感じた。


 ただの精神論なのかもしれない。

 だが、そんなことはどうでもいい。


 動くことが出来る。

 それだけが重要だった。


 リュースは持っていた刀を捨て足に全力を込めて蹴った。


 その速度はまさに神速。


 デルフの前にして既に聖剣を振り下ろしているジャンハイブを追い抜いてその間に割り込み手を広げる。


 ジャンハイブの手はもう止まらない。


 そしてリュースは聖剣をその身に浴びた。


 リュースの鎧は右肩から左腰にかけて引き裂かれそこから血が噴き出すがリュースは笑っている。


 デルフはもちろんジャンハイブさえも唖然としている。


 この場の一瞬、リュースだけが冷静だった。


「私は……神速のリュースだ!!」


 リュースは痛みを無視して拳を握りしめ勢いよくジャンハイブの頬に放つ。


 ジャンハイブの鱗でリュースの拳は裂け血が噴き出すがその威力は桁外れでジャンハイブの防御力を持ってしても防ぎきることは不可能だった。


 何歩も後退りジャンハイブが地面に倒れそうになる。

 しかし、そのとき十連続も衝撃が頬を原点として続き倒れかけていたジャンハイブは吹き飛ばされていった。


 それを見届けたリュースは息を吐き全て出し尽くした満足感に浸りながら静かに倒れた。


 デルフが呆然と信じられないような眼差しでリュースを見下ろしている。


(間に合ったか……。エレメア、感謝する。お前のおかげで大切なものが守れた。だが、もう少しもう少しだけ待ってくれ。私はまだ死ぬわけには……)


 そこでリュースの意識が途切れた。


 夢の中、リュースは自分の人生を振り返るように昔のことを思い出した。

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