第52話 影の暗躍
満身創痍となったソルヴェルは血で汚れたランスを杖代わりにして森の中まで戻ってきていた。
まさしく敗走の最中だ。
(まさか、敵が軍を分けていたとは……)
そのような知らせは一度も来てはいなかった。
だが、戦場の最中ともなれば連絡が来るのは遅れるのは明白。
もしかすると偵察部隊は敵に見つかり壊滅している可能性もある。
そもそも敵に援軍が来る可能性を見落としていたソルヴェルの完全な落ち度だった。
ソルヴェルが殿を務めることでなんとか荒野から味方の兵を逃がすことに成功した。
だが、そのためソルヴェルの周囲には誰もいなく孤立してしまっている。
迫り来る約三万の敵兵に一人で立ち向かっていったソルヴェルは死を覚悟してその戦いに臨んだ。
むしろ、死ぬつもりでもあった。
(しかし、わからないね……)
だが、どういうわけか突然ボワール軍は陣へと戻っていった。
デストリーネの隊長であるソルヴェルの首を取れるチャンスであったのにもかかわらずだ。
ソルヴェルにはその意図を理解はできなかったがこの機に乗じて撤退を開始した。
乗っていた豪馬は戦争の最中に行方知れずとなってしまったがなんとか歩いてこの森まで戻ることができた。
森に入った理由はまずは近道、そして追っ手が来たとしても他の行路よりは身を隠しやすいと判断したからだ。
ソルヴェルの鎧は何度も敵の攻撃を浴び傷だらけとなってしまっている。
しかし、その中でも目立つのがジャンハイブから受けた攻撃の後だ。
それだけが傷としてではなくへこみとして残っている。
歪んだ鎧が身体に食い込んでジワジワとした痛みを感じるが我慢できる範囲だ。
この鎧がなければ何回死んでいたことか。
ソルヴェルは今まで苦楽を供にしたこの鎧に深く感謝する。
疲労も限界に達しており片足を引きずって地道に一歩一歩進んでいく。
地面を見てみるとたくさんの足跡がありその向きから先に逃げた兵士たちは無事にここまではたどり着くことができたと分かりソルヴェルは軽く安堵した。
(手前の時間稼ぎは無駄ではなかったか。だが、いまいち分からない。あの大軍で進軍すればナンノ砦は指でつつくように簡単に落とせたはずなのにそうはしなかった。……ボワールは一体何を考えている?)
ふとソルヴェルはジャンハイブの姿が脳裏に浮かぶ。
しかし、考えたところで答えを言ってくれるはずもなくただその疑問だけが頭の中に残る。
既に太陽は沈み辺りは暗闇となってしまっている。
ソルヴェルには光源である松明などは持ってはいなく木々から漏れる月の光を頼りにしていた。
ソルヴェルは森の半分まで進んだところでついに限界を超え身体を木に預けて腰を下ろす。
その際に周りに気配を飛ばして伏兵がいないかを確かめる。
先日のような同じ過ちは犯さない。
辺りに気配がないことを確信すると張り詰めていた緊張を解き身体を休める。
その際に右足の状態を確かめる。
足を引きずっていた原因は疲労だけではなく戦いの際に挫いてしまったことも原因の一つだ。
その痛みを無視して歩いてきたためその痛みは頂点を迎えていた。
座っているのにもかかわらず足に感覚はなく触れるだけで激痛が伴う有様だ。
もしかすると折れてしまっている可能性がある。
こればかりは無理をした代償だと割り切るしかない。
残念ながらソルヴェルには回復魔法を使うことはできないため治す手段はない。
しかし、このままではナンノ砦に到着するまでどれほどの時間が掛かるか全く見当もつかない。
そもそも次に立ち上がれる気がしなかった。
(ダメ元でやってみるかね……)
ソルヴェルは自分の足に手を翳して治療班が唱えていた詠唱を記憶の奥底から引っ張り出して詰まりながらも紡いでいく。
詠唱が終わるとソルヴェルの両手から淡い光が灯り負傷した足に注がれていく。
(やればできるものだね)
治療班の効果に比べれば天と地の差はあるがそれでも痛みが多少和らいだ。
少しばかり楽になったソルヴェルは汗を拭い目を瞑る。
しばらく時間が経ち、近くの茂みが突然少し揺れガサッと音を出す。
それが耳に入ると反射的に身体が動きソルヴェルは目を開け片足の膝を地面につけ掴んでいたランスを握りしめ身構える。
その揺れた茂みを睨み付けいつ何が起きても対応ができるように決して目を離さない。
すると、その茂みから白い兎が飛び出してソルヴェルを横切っていく。
その兎からは殺気など特に変わった雰囲気もなく魔物ではないただの動物と判断した。
(……!!)
止めていた息を吐き再び座ろうとしたとき、ふと前に顔を向けるとそこには黒いローブを纏い気味の悪い猫の仮面を付けた人物が立っていた。
身長は男性と女性、どちらでも取れるほどの平均的であり性別もどちらかという判断はつかない。
しかし、それよりも問題なのはその仮面の者から一切の気配が感じられなかったことだ。
ソルヴェルがその人物に気付くことが遅れたのは決して油断していたからではない。
まるで生きた屍のようだった。
なにも感じさせない猫仮面だったがソルヴェルには一つ分かることがあった。
それは決して味方ではないと言うことだ。
敵と断言できないのはソルヴェルを見ているだろう視線には殺気が籠もっていない。
そのことがソルヴェルに一瞬反応を遅らせた。
猫仮面は地面を軽く蹴りソルヴェルとの距離を瞬く間に詰めた。
ソルヴェルは急ぎ盾を構える。
しかし、猫仮面は盾を無視してソルヴェルの足を思い切り踏みつけてきた。
重鎧と大差がないくらいに分厚い足装備がいとも簡単に潰されて鈍い音が広がる。
「ぐっ……」
しかし、それは本命の攻撃前の準備だった。
それが踏み込みとなって猫仮面は右拳を大ぶりで盾に叩き込んできた。
足を踏みつけら固定されたことで逃げることができないソルヴェルは盾に全てを託す。
そして、金属を素手で殴ったとは思えない音が周囲に鳴り響く。
負傷している方の足を踏みつけられてソルヴェルは苦痛に顔が歪んだがそれよりもその拳の威力の方が驚いた。
あのジャンハイブの聖剣の薙ぎよりも強力な一撃がそこにはあった。
もしも、足を踏みつけられ固定されていなかったらどこまで吹き飛んだか分からない。
固定されている足に何か千切れていくような音が身体の中で鳴り響いていく。
足が丸ごと取れてしまっていないことが不思議なくらいの威力だ。
それがただの不良がするような大雑把な一撃によって生み出されていることにソルヴェルは衝撃を隠せなかった。
右足は既に痛みを通り越し回復していた兆しもなくなり感覚すらなくなっている。
(……手前も動くのが精一杯だがそちらもこの盾を素手で殴ったのだ。無事では済むまい。今のうちに攻め込めばまだ勝機はある!)
だが、ソルヴェルの思惑は見事に砕け散る。
(なっ!)
ソルヴェルが目を見開いたその先には後方にいつの間にか退き平然としている猫仮面の姿があった。
さらに相当な深手を負ったと思われる右拳は全くの無傷だ。
皮も擦りむけてはおらずまして痣などできてもいない。
不機嫌そうに自分の拳を見詰めているようだがやはりその感情は汲み取れない。
人形と戦っている気分にソルヴェルはなっていた。
このままでは不味いと悟ったソルヴェルは足を踏み込み走り始める。
何も感じなくなった右足のせいで躓きそうになるがそれでも耐えて走り続ける。
そして、渾身の突きを猫仮面に向けて放つ。
猫仮面は未だに自分の拳を見ている。
(獲った!)
そうソルヴェルが感じたのも無理はない。
現に今更躱そうにも不可能な距離までランスが近づいていたのだ。
だが、ソルヴェルの突きはまさに目前の距離で勢いを完全に無くしてピタリと止まってしまった。
(ど、どういうことだ!?)
ソルヴェルには何が起きたか全く理解ができていなかった。
(ま、まさか……)
ソルヴェルは良く目を凝らしてみると猫仮面の前が薄く光っていることに気が付いた。
猫仮面はソルヴェルの攻撃なんて気にはしておらずただ自分の右の拳を見詰めている。
ソルヴェルは一瞬で理解したその光は魔力で作った壁であることに。
「ま、まさか。そんな小さい魔力だけで手前の全力の突きを防いだというのかね……」
ソルヴェルの動揺は凄まじい。
騎士の殆どが強化の魔法を使えるため分かる者なら分かるが強化の魔法は魔力を身体に纏い防御力と攻撃力を含めた身体能力の向上を可能とする魔法だ。
恐らくこの光の壁はその魔法を応用した魔法だと思うがその壁に含まれている魔力量は遙かに小さい。
壁よりも膜と言った方が相応しいだろう。
こんな小さな魔力でソルヴェルの渾身の一撃を防ぐことは普通ならば決してあり得ない。
だが、こうして現に起きているのだから認めざるをえないということが皮肉に覚えてならなかった。
そのあまりもの出来事にソルヴェルは逃げるように距離を取るためにゆっくりと後退る。
だが次の瞬間、光の壁は淡い残り火を残すように薄れ消えてしまった。
だが、その代わりに猫仮面の右拳に光が収束していく。
そして、目にも止まらぬ速度で迫り今回は足を踏むことはなくそのまま拳による一撃を繰り出した。
その速度にソルヴェルは追いつけていなかった。
ただ、眩しい光が目の前に広がるという感覚だ。
そのためその正拳突きを盾で防ぐことができたのは全くの偶然であった。
いや、防いだというのは少し語弊がある。
目の前が真っ白になっていた視界が定まらなくなっていたソルヴェルはようやく気付いた。
自分の構えている盾からその猫仮面の輝いている拳が突き出ていることを。
まさに目の前に未だ光を放っている拳はあった。
もう少し猫仮面の腕が長ければ、しっかりと振り抜いていれば、ソルヴェルの顔に直撃していただろう。
いくら考えても、たらればの話なのだがそれが無数に思い浮かぶ度に自分に死が迫っていたと思い知らされる。
猫仮面はゆっくりと腕を引き抜いていく。
抜き終わった後、ソルヴェルの分厚い盾には拳によって貫通しできた丸い穴があった。
ソルヴェルは信じられなくなり試しにその穴を覗くとやはり向こう側の景色が見える。
完全に敵の拳の威力がソルヴェルの防御力を上回ってしまっている。
盾がこうなってしまうということは鎧でもそうなることが容易に想像できた。
そのことがソルヴェルの精神に深い損傷を与え目の色はすっかり怯えに染まりきってしまった。
今まで敵の攻撃を防いできた堅固な鎧はいまやただの重たい枷となってしまっている。
すぐにでも背中を向けて逃げ出したいソルヴェルだったが負傷した足がそれを許さない。
必死に這いつくばって逃げようとするが猫仮面はゆっくりと歩いて追いかけてくる。
そのときにも猫仮面は全くの感情を感じない。
まるで獲物が逃げているから追いかけているだけと言うように。
もう既に今まで共に死線を潜り抜けていた鎧の信頼など消え失せただの重りとなっている鎧をできるなら今すぐにでも投げ捨ててやりたいとソルヴェルは思っていた。
ソルヴェル自身、戦場にて討たれてしまうのは本望と思っている。
ここで自分は死んでも良いとすら思っていた。
だからこそ殿を務めたのだ。
だが、この猫仮面は全くの感情を出さない。
そこに不気味な雰囲気が生まれる。
猫仮面ではない。
その背後に潜む何かをソルヴェルは死よりも恐ろしく感じていた。
もう既に心が折れてしまったソルヴェルに戦意は無い。
だが、猫仮面は容赦はしない。
ただ作業のように何の躊躇いも無く背中を見せて逃げようとするソルヴェルの両腕を踏みつける。
そのまま猫仮面は両足に力を入れて鎧ごとソルヴェルの両腕を踏み潰す。
骨が砕ける音が空しく響く。
潰された鎧の隙間から赤い液体が漏れ出て地面を濡らす。
「あ……がぁぁ……!!」
地面と一体化しそうな程に踏み潰された両腕を見て完全に恐怖に負けてしまったソルヴェルは絶叫にならない絶叫をあげてしまう。
ソルヴェルの両手を何度も踏みつけ固定したことを確かめるとさらに猫仮面は左手で肩を押さえソルヴェルを動けないようにする。
そして、まるで瓦割りをするかのように右腕を振り上げ先程と同じように光を収束させていく。
ソルヴェルの視線は地面に向いていたがその光の重圧を感じて理解した。
今から自分は死ぬのだと。
そこからの時間は長かった。
ソルヴェルは頭の中を駆け巡る走馬灯を眺めていく。
そして、その腕は走馬灯を見終えることなくソルヴェルの背中へと軽く降ろされた。
ソルヴェルの鎧を貫き背中を貫き地面までへと到達する。
ソルヴェルは薄れていく意識の中、薄く茂みを掻き分けて出てきた一つ一つの言葉に覇気が籠もっている男の声が聞こえてきた。
「一号。そこまでだ」
さらに、淡泊であっさりとしている声の者が出てきて最初の男に話しかけ二人は話し始める。
ただその二人目の男の声にソルヴェルは聞き覚えがあった。
だが、思い出すための考える気力はもうなくただ浮遊感に襲われていた。
「ふぇ〜。まさかここまで強いなんて思わなかったですよ! まさかあのソルヴェルさんをここまで一方的に倒してしまうなんて……。いや〜考えただけでも恐ろしいですね。味方で良かったぁ〜」
「なにせやっとの成功作だからね。この程度のこと、してもらわないと困るよ」
「魔物というものを作り出してそれを成功と呼ばないのは陛下ぐらいっすよ」
「あんなもの余が作ろうとしたものではないよ。偶然生まれたものさ。だが、それによって僕が目指す未来への近道にはなったかな」
「まぁこうして呼び出された以上、最後まで付き合いますよ」
「さて、そろそろ俺は戻るとするよ」
「この戦争に乗じて事を進めないのですか?」
「まだ、機は熟していないよ。それにまだ僕の準備もできていないしね。しかし前よりは荷が軽いよ。忌々しいジョーカーが滅んでくれてね」
「ははは、あれの相手だけは二度と御免です」
そう言った後、ソルヴェルは意識が朦朧の中、視線を向けられたのを感じた。
「それでソルヴェルさんはどうします?」
「それは俺が持って行くよ。依り代にする予定さ。隊長ほどの実力なら耐えることができると思うんだよね」
「先輩を呼んでくださいよ。あの面倒くさい性格が恋しくなってしまいましてね」
「そうかい? どのみちいつかは皆を呼び戻すつもりだよ」
陛下と呼ばれている男はソルヴェルに近づきその重い身体を片手で持ち上げ簡単に肩に担いだ。
「ああ、それと陛下」
「なんだ?」
「一人称バラバラっすよ?」
それを聞いてその陛下と呼ばれている一人目の男は気まずそうにした。
「やっぱり気付いてなかったですか……」
「あー。まだ昔の癖がでてしまっているね。んーと。ゴホゴホ。こうかな? それじゃ僕は先に行くね。一号、君もおいで。っていうかこれ君が持っていてくれ」
その男はソルヴェルを一号と呼ばれる猫仮面へと投げる。
その際にソルヴェルは陛下と呼ばれてはいないほうの男の顔が目に入った。
それはソルヴェルがよく知っている人物の顔だった。
「ク、ライ……シス?」
その声は非常に小さく掠れてしまっていたため二人は気付いていない。
だが、その人物の顔を見たとしてもソルヴェルは何も思わなかった。
今から散りゆく自分にとっては何も関係の無いこと。
ソルヴェルは脱力する身体に身を任せて全てを諦めてしまっている。
そして歩行する振動の中、担がれているソルヴェルの目は色褪せ完全に光が無くなってしまった。
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