第46話 偶然の席
フテイルの来訪期間中のある日。
今日の仕事を全て終え家に帰宅する最中、夜の静まりきった大通りを歩いているときのこと。
デルフは歩いていた足を止め立ち止まる。
(そういえば今日朝飯以外何も食っていなかったな)
御側付きの任の最中は常に集中をしておりあまり気にならなかったが緊張を解いてしまうと思い出したように空腹が襲ってきた。
(久しぶりに寄っていくか)
デルフは酒が飲めるようになってから良く訪れるようになった馴染みの居酒屋に向かう。
馴染みとは言ってもご飯の殆どはナーシャが作ってくれるのでそんなに行く機会がなくたまに目を盗んで出向くぐらいだ。
それでも店の主人とは談話に花を咲かせるほどには仲良くなっている。
デルフは店の前に到着し暖簾をくぐると「らっしゃい」というドスの利いた声が耳に入ってきた。
「おお。兄ちゃんじゃないか。久しぶりだな」
居酒屋の主人とは思えないほどの筋肉が浮き出ている強面で坊主頭の男性がキッチンに立っていた。
デルフを見るなり笑顔を見せるが子どもがみたら泣き出しそうなほど怖い。
口には出さないが居酒屋をやっているのが勿体なく感じてしまう。
「ああ。仕事帰りだからちょっと寄ってみたんだ」
「ちゃんと、姉ちゃんに許可もらってきたのか~?」
デルフは主人からあからさまに目を逸らす。
「ちょっとだけだ。ちょっとだけ」
そう言ってカウンター席に座る。
「ガッハッハッハ。俺は守ってやんね~からな」
「……ガラガラなこの店の救世主にその対応はないだろ」
デルフがニヤリと笑いながら言う。
「うるせ。それで、何にする?」
「値段は気にせずお任せで頼む。ああ、それと量は少なめで」
「あいよ」
デルフは酒の入った湯飲みを少しずつ減らしていく。
しばらく時間が経ち、酔いが程よく身体に回ってきたとき店に人が入ってきた。
「次はここじゃ~!!」
暖簾を勢いよくめくり中に入ってきた人物はつい最近見たことのある長い髭を生やした老人だ。
もう既に酔っ払っており顔は赤くなっており視点が定まっていない。
デルフは目を疑った。
「まさか、フテイル様!?」
「むぅ? なんじゃ? 儂を知っておるのか?」
訝しげな視線でデルフを覗き込む。
そして、もう一人暖簾をくぐって店に入ってきた。
その武士とデルフは目が合う。
「……デルフか。偶然であるな」
長髪は後ろに束ね服装は着物を着用し腰には刀を差している。
タナフォスだ。
「早い再会だったな……」
「真に」
タナフォスは何か思い出したように苦笑している。
「で、なぜこんなところに?」
後ろから「こんなところとはなんだ!」と声が聞こえてくるが無視をする。
店主には悪いが国王が訪れるような店とはとてもじゃないが言えない。
「見ての通り、殿下の付き添いだ」
タナフォスはちらりとフテイルに目を向ける。
それに合わせてデルフも視線を移すといつの間にかフテイルが主人に絡んでいた。
「ここは居酒屋じゃろ? ほれ、酒を早う出すのじゃ」
素面のフテイルを見たことがある分、泥酔の変わり様が酷いことが分かる。
それを見ると少し自分が酔うとどうなるのか興味が出てしまう。
「お連れの人。本当に良いんですか? この人飲み過ぎかもしれませが」
店主はフテイルの催促をやっとのこと受け流してタナフォスに確かめる。
「ええ。構いませぬ。お好きなようにさせてやっていただきたい」
「おいおい。良いのか?」
「二日酔いになることで殿下もこれに懲りてくれると助かるのだが。これで五軒目だ。三軒目までは止めたが……。ふぅ~」
表には出していないがデルフはタナフォスが怒っていることに気が付いた。
「まぁ、タナフォスも座れよ」
タナフォスの苦労を感じ取ったデルフは自分の隣の席をとんとんと叩いて勧める。
「いや、某は務めの最中であるがゆえ……」
タナフォスは困ったような顔をして断ろうとする。
「ハハハ。固いこと言うなよ」
「そうじゃ。そちは固すぎるぞ」
フテイルの言葉もありタナフォスは渋々と席に座った。
「親父さん。こちらにも色々と出してやってくれ。料金は俺持ちだ」
「あいよ」
タナフォスはそれは悪いとか言ってきたがなんとか言いくるめた。
「それでは言葉に甘えておこう」
主人がキッチンにて料理を手際よく作っていく。
肉を焼く匂いが食欲をそそり、デルフの空腹を刺激する。
それが目の前に並べられそれを酒の肴として口に運んでいく
それから、タナフォスとデルフはお互いの昔話に花を咲かせた。
といってもデルフが話したのは王都に来てからの出来事の話だ。
思い出したくないとは少し違う。
あの悲劇は今でも自分の中で生き続けている。
だが、こんな話は酒の席では不向きでありとてもじゃないが相手に気を遣わせてしまう。
逆にタナフォスの話は昔はどうしようもない悪ガキだったという話だった。
今のタナフォスからは想像するのも難しいが大人と子ども境目の差は大きいのだろう。
一年前の自分すらもデルフは子どもだったな~などと振り返ることもあるぐらいだ。
ふとタナフォスの横を見てみると酔い潰れてしまったフテイルが突っ伏している。
何やら寝言を呟いているが聞き取れないほどの小声だ。
「しかし、なぜここに? 酒なら王城にもあるだろうに」
「殿下が城下街を回りたいと仰せられてな。王城ではハイル陛下に迷惑がかからないように気を張られているのだ。それともう一つ理由があるのだが」
その理由についてデルフが尋ねようとしたときフテイルの寝言が少し大きくなりデルフの耳に入ってくる。
「エレメア~。いったいどこにおるのだ…………。儂が悪かった……」
フテイルは顔が歪み悲痛な声を漏らした。
タナフォスはいつもの飄々とした態度からあまり変わっていないがどこか哀愁が漂っている。
(これって聞いてはいけない雰囲気だよな? だけど、気になるしな……)
そう迷っていたデルフだったがそれについて尋ねる前にタナフォスが言葉を紡いだ。
「一つ、尋ねてもよいか?」
「あ、ああ」
「殿下の声が聞こえたと思うが、エレメアという人物について聞いたことはないか?」
デルフは頭の中に探りを入れてみるが酔っているため考えが定まらず聞いたことがあるような、ないようなと記憶が曖昧になっていた。
曖昧な答えを返してタナフォスに変に期待されるのも困るので否定しておくことにする。
「いや、ないな」
「そうか……」
「一体誰なんだ? そのエレメアって?」
一拍置いてタナフォスはフテイルを横に見てから話し始める。
「殿下のご息女だ」
「フテイル様の?」
タナフォスはゆっくりと肯く。
「エレメア様は昔に家を出られそのまま行方知れずとなってしまった。王がこの国に来た目的はエレメア様の所在を探すためでもあった」
そこでデルフに疑問が浮かんだ。
「王女なのだろ? 護衛とかいなかったのか?」
「そのとき某はまだ童であった故、詳しくは知らぬが御側付きはいたと聞いている。しかし、その御側付きも行方をくらましたらしい」
「その御側付きが怪しいんじゃないか」
「当然の問いかけだ。だが、その者は殿下の信任厚き者。それゆえ殿下は心配ないと仰せになったらしい。某が知るのはその程度だ」
デルフはふと頭の中で引っかかる点があり恐る恐る聞いて見る。
「なぁ、お前が子どもっていうことはいったい何年の前の話なんだ? その王女様が家出したのって」
「ふむ。二十……年程前になるか」
「に、二十……。探すの、遅くないか?」
それはタナフォスも感じていたようで肯くがその表情は少し儚げであった。
「それは恐らく、殿下も次の世継ぎを焦っておいでなのだろう。殿下はもう若くはない。いつ旅立たれるか分からぬ。……その前にお会いになりたいのであろうな」
デルフも心中を察しそれ以上は何も尋ねなかった。
「タナフォス、お前盃が乾いているぞ」
「いや、某はもう」
そう言うタナフォスを押し切って盃に酒を満たす。
「その量で文句を言うとは本来ならこっちで飲んでもらうところだ」
デルフは自分が持っている湯飲みを見せつける。
「そなた、悪酔いしているな」
デルフはそのタナフォスの言葉にむっとする。
(酔っているとはなんだ、人聞きの悪い)
デルフは頭に思い浮かべたことをそのまま言葉にする。
「俺は酔ってないぞ!」
「酔っている者は皆そう言う」
タナフォスも盃を思い切り呷り酒を飲み干す。
「ところで、貴公に一つ頼んでもいいか」
「なんだ?」
「短時間でもいい。殿下にこの街での案内役を貴公に頼みたい。殿下がこの王都を散策したいと仰ったのだが某にここの土地勘はなくてな。そこで頼ることができる知人を考えた。そこで貴公を思い出したわけだ。当然、某も同行する」
デルフはそれを聞いてゲラゲラと笑う。
「なんだ! そんなことか! いいぞいいぞ。そんなことどれくらいでもしてやる」
「兄ちゃん。少しだけと言っていなかったか?」
心配そうに店主がそんなことをポツリと呟いたがそんなこともうデルフには届かない。
今のデルフには自分に都合の良いことしか耳に入らないのだ。
「そんな安請け合いしてもいいのか? 某としても無理にと言うつもりはないが……」
「もちろんだ」
「そうか、感謝する」
しかし、後日にはこのことは忘れてしまいフテイルとタナフォスが尋ねてきたときは戸惑ってしまうデルフだった。
その後、デルフは後のことを考えずに飲み過ぎてしまい視界がぼやけてきていた。
タナフォスは呆れて苦笑いしている。
そのとき、殺気にも近い重々しい気迫がこの居酒屋に迫ってきていた。
デルフは尋常ではない悪寒に襲われ咄嗟に扉に顔を向ける。
すると、暖簾が自ら避けるように動きそこから顔を見せたのはナーシャだった。
「ね、姉さん? なんで……」
呂律が回らなくなってしまうほど酔ってしまったデルフはみっともない声を上げて鬼の形相となったナーシャを視線が定まらない目で見る。
その後ろからはいつの間にかいなくなっていた店主が続いていた。
店主は空笑いしながら酔っ払いに分かりやすくゆっくりと説明してくれる。
「あー。兄ちゃん一人で帰るのが難しそうだから呼んできたんだ」
「いつの間に!?」
「そっちの兄ちゃんは気付いていたがな。っていうか兄ちゃんに言ったぞ?」
デルフは自身に迫る危機を抜け出すために必死に考えるが酒が邪魔をする。
(聞いてないぞ……!)
そうしているのもつかの間、じりじりと鬼の形相から一転して笑顔になったナーシャが近づいてくる。
表情は笑っているのだが一気に酔いが覚めてしまうほどの不気味さが宿っていた。
「デルフ……」
冷ややかな声がデルフに突き刺さる。
「は、はい」
「ねぇ、今日は早く帰って来ると言ったよね?」
「えっ? は、早くとは言って……」
ナーシャの凍えるような視線がデルフの口を止める。
「私、ご飯作っていたのよ? あなたの帰りに合わせて……。もう、ご飯冷めちゃった……」
デルフは何も言い返せず床に正座する。
明確な敗北が見えているのに反抗できるはずがない。
剣の腕ではデルフはナーシャより確かに強くなった。
だが、上下関係はそう簡単に変わるものではない。
いや、デルフとナーシャの上下関係はもう不変である。
それを肯定するようにデルフの身体は最初から屈服という選択をしてしまった。
「それだけならいいの。だって仕事でしょ? 予定とか変わることもあるし」
そこでナーシャの目つきが変わった。
獲物を捕らえたような目だ。
「それでいったい、ここで何しているのかしら? 仕事だと言って私を笑わしてくれるの? ふふふふ」
命の危機を察したデルフは周りに助けを乞おうと視線を送る。
だが、フテイルはまだ突っ伏している。
店主はこっそりと何も言わず奥に逃げ去ってしまいこの場にもういない。
タナフォスは我関せずと言うように酒を啜っている。
というかもう目を合わせようともしない。
(終わった……)
せめて、少し弁明をしようと口を開く。
だが……
「ね、姉さん。は、話を…………」
「問答無用!!」
ナーシャはデルフの首下に素早く手刀を食らわした。
デルフの目の色は褪せて身体が脱力していく。
酔いも重なり意識が混濁しその場に倒れ込んだ。
「さて、よいしょ」
倒れたデルフを負ぶさり先程と打って変わり笑みを見せる。
「お騒がせしました。お代はここに置いておきますね~」
「ま、毎度」
戻ってきた店主は言葉が詰まりながらも捻りだした声を出す。
直接、この気迫に晒されたわけではないにしろ怒れるナーシャに恐怖したのだろう。
「そちらの方も」
「某にとっても有意義な時間であった。目を覚ましたとき、感謝を伝えていただくと有り難い」
ナーシャは肯き微笑みを返す。
「そちらのお爺さんは寝ているわね。では」
ナーシャは一礼をして店の外に出て行く。
そのときガバッとフテイルは起き上がりその後ろ姿を見ていた。
「お、おお。エレメア……。こんなところに……」
タナフォスも少し酔いが回っておりそのフテイルの声は届かなかった。
フテイルは今も揺れ動く暖簾を見て涙を潤ませた。
だが、それもすぐに力尽き再び机に突っ伏して寝てしまった。
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