第35話 囮作戦
騎士団本部内の空気は重い。
それも騎士三人の死に始まり養成学校でのトップクラスにいたラングートの死。
これだけでもこの場にいる騎士たちの恐怖を煽るのに十分だ。
だが、今朝にウェガが持ってきた知らせはさらに騎士たちの心を恐怖に導いた。
それは魔術団長カハミラ・フォーサニヤの暗殺だ。
その手口は今までと同じで殺人鬼の犯行だということが分かっている。
魔術団長までをも殺してしまうその実力を考えてしまうだけでも騎士たちの気分は低迷してしまう。
それはデルフたちも例外ではない。
魔術団長が亡くなったと聞いたときは耳を疑った。
「まさか、あの魔術団長が殺されてしまうとは……」
デルフは昨日の出来事が脳裏に過ぎる。
自分があのとき殺人鬼を捕まえておけばこうはならなかったと自分に対しての苛つきが沸き起こり机を思い切り叩く。
「デルフ君! まだ安静にしていないと駄目だよ!!」
ヴィールは顰め面でデルフに注意する。
あの殺人鬼との戦いではデルフも無傷とは済まなかった。
殺人鬼の最後の攻撃である斬撃を飛ばす魔法をデルフは防ぎ切れたと思っていたが左腕の二の腕を掠めていたのだ。
掠めたとはいえスパッと綺麗に切れていたためその出血は酷くしばらく安静にしろと忠告された。
左腕に巻いた包帯が薄く赤色に滲んできた。
どうやら机を思い切り叩いて傷口が開いたようだ。
「これぐらい大丈夫だ」
強気でデルフがそう言ったがヴィールの目がどす黒くなって睨み付けてきた。
その目を見て恐怖したデルフは目を逸らして黙ることしかできなかった。
「ぬあああ!! なぜあたしは事件を未然に防ぐことができないのだ! これでは正義の味方の名が泣いてしまうではないか!!」
アクルガも悔しそうに叫ぶ。
その叫び声にアリルはびくっと背筋を伸ばして震えている。
「あ、あの。もう追いかけるのは……止めたほうが、いいのかなと……思います。ぼ、僕は皆さんが……死んで欲しくはありません」
「アリルよ。お前の気持ちも分かる。だが、人が死ぬことをこれ以上見逃すなど正義の味方にとってあってはならないことなのだ! わかってくれ」
アクルガの目はいつものように笑ってはいなかった。
それを察したのかアリルは気圧されながら「そ、そうですか……」と細々と呟く。
「なるほど、なるほど! 聞かせてもらったわ!」
突如、見知らぬ声がすぐ横から聞こえてきた。
いや、デルフには非常に、非常に聞き覚えのある声だ。
横を見てみるとそこにナーシャが自然に座っていた。
「ね、姉さん……。なんでここに?」
デルフは驚いて目が丸くなってしまっている。
ナーシャはしてやったりと嬉しそうに笑顔になったがすぐにむすっと顔を膨らませた。
「なんでって、あんた最近あまり帰って来ないじゃない。心配ぐらいするわよ。……と、こ、ろ、で! 何でこんな辛気くさいのよ! やだやだ! ここにいるだけで気分が滅入っちゃうわ」
一人で大袈裟に身振り手振りしているナーシャ。
ノクサリオはそ~っとデルフに近づいて耳打ちをする。
「デルフ。お前、お姉さんいたんだな。めっちゃ美人さんじゃねぇか! なんで早く教えてくれなかったんだ」
「……聞かれなかったからな。それに姉さんと言っても師匠の一人娘だよ」
「ギュライオン副団長の!? 娘さんがいたんだな。知らなかった……」
(知らない? まぁ師匠あまりそういうこと言わなそうだからな)
ナーシャはコホンと咳払いして「私はナーシャ・ギュライオンよ。よろしくね。で、この愚弟の姉よ! いつも弟がお世話になっているようね」と自己紹介した。
アクルガはほうと息を吐き、ヴィールはキラキラとした眼差しでナーシャを見ていた。
ガンテツは相変わらず寡黙を貫いている。
アリルはとデルフは周囲を見渡すと机に顔を隠してチラチラとナーシャの様子を窺っていた。
先程までの重苦しい空気はなくなり断然楽になった。
(すごいな。あの空気を……とてもじゃないが俺にはできないな)
デルフはナーシャのことを改めて凄いと思った。
「ところでさっきの話だけど全容を教えてくれないかしら?」
本来だったら秘密事項なのだが今は猫の手でも借りたい気分なのでデルフは頷いて説明する。
「腑に落ちない点があるわね」
全てを話し終わったあと難しい顔をしてナーシャがそう一言呟いた。
「何のことだ?」
「だって今までは感じ悪い人だけを狙っていたわけでしょ? それが急に魔術団長を狙っただなんて。もしかして魔術団長って感じ悪かったりする?」
「いや、少なくとも俺たちが会ったときはそんな感じはしなかったな。まぁ不思議な人ではあったが」
ヴィールたちもデルフと同じ感想だったようでコクコクと頷いてくれている。
「むむむ」とナーシャは考え込んだ。
「そんな難しく考える必要はないのではないか。悪人にとってカハミラ殿は非常に危険な人物。それを狙うのは極々普通というものであろう。しかし暗殺とは卑怯者らしく嫌らしい手を使う」
それを聞いてナーシャはまた深く考え込んだ。
「姉さん。何を考えているんだ?」
「んー。なんか引っかかることがあってね。あと、ちょっとで出てきそうなん……」
そこまで言ったナーシャだったが途中で言葉を止めて目を見開く。
「なるほどね」
ナーシャは誰にも届かない声量でそうポツリと呟きすぐに笑顔に戻った。
「いや~わからないわ。だけどその内にぱっと思い浮かぶかもしれないわね。今日は考えながら帰るとするわ。そろそろルー君にご飯をあげなくちゃならないし」
最近、ルーは家で留守番をしている。
夜の巡回が増えたのでデルフはともかくルーまで付き合う必要もないので置いてきているのだ。
了承も取らずに置いてきているので帰ったら怒られそうなのだが。
「分かった」
行き詰まったデルフはさらに頭が重くなる。
自分を狙ってくれれば楽なのだがそんなにうまくはいかない。
しかし、デルフを倒しきれなかったことは殺人鬼にしても誤算であり警戒が強くなるだろうと予測できた。
それがデルフにとっては非常にやりにくい。
「デルフ。今日は絶対帰ってきなさいよ。お姉さん、食卓一人は寂しいわ」
仰々しく泣くふりをしてナーシャは帰って行った。
(姉さん、目が笑っていなかったな。もしかして何か思いついていたのか?)
今日は帰って話を聞いた方が良いだろう
そしてナーシャの言葉を重く受け止めたヴィールがぷんぷんと怒っていた。
微かだが頭から湯気が出ているような気までするほどだ。
「お姉さんを泣かせるなんていけないよ! デルフ君!」
「えっ。あれを真に受けたのか……」
その後、しばらくかんかんに怒っているヴィールに絞られた。
ナーシャに言われたとおり今日は家に帰ることにした。
殺人鬼の巡回も手詰まりなので一回休息を取った方が良いと考えたことも理由の一つだ。
ドアを開けると食卓にはすでに晩ご飯が並んでおりナーシャは椅子に座っていた。
「帰ったわね。冷めないうちに食べなさい」
鼻歌交じりにデルフの顔を見た後、ナーシャは食事を始めた。
食べ終わるとデルフは気になっていたことを聞いてみる。
「姉さん。もしかして何か分かったのか?」
「どうして、そう思うの?」
「いや、何となくなんだが」
ナーシャがクスリと笑う。
「いや~やっぱり私の弟ね。…………だけど、覚悟して聞いた方が良いわ」
ナーシャの纏っている空気の色が一変した。
デルフは踏ん切りをつけてゆっくりと頷く。
「それじゃ今から確認するけど……不良たちが殺されたのはともかくとして問題は殺された騎士も少なからず素行が悪かったのでしょ?」
「ああ。そうだな」
「それで不良たちが殺されてから一ヶ月はなにも起きなかったと……かなり慎重だとは思わない?」
「もったいぶらずに早く教えてくれ」
そしてナーシャはこの事件の核心の部分に触れる。
デルフはそのナーシャの告白を聞いて耳を疑った。
「も、もう一回! 言ってくれ」
「騎士が動くのと合わせて身を潜める。魔術団長も絡んでいることも知っている。こんなこと騎士団にいる人しか不可能だわ。それも三番隊の中にね。デルフも薄々気付いていたんじゃないの?」
「そんなわけ……」
デルフは真っ向から否定をしようとしたができなかった。
そうナーシャが言うようにデルフもそうだとは感じていた。
ラングートを狙ったのだって一人で行動をすることを知っていたからだろう。
そうでないとすると新たに組の編成が終わりその巡回の初日にラングートを狙うことができた理由が説明つかない。
もしかするとラングートを狙ったのは偶然かもしれない。
だが、とてもじゃないがデルフは偶然とは思えなかった。
断言できる。
殺人鬼は騎士の動きを把握している。
それを可能とするのはもはやそうでしかないだろう。
しかし、信じたくない自分がどこかにいてデルフはその可能性を知らずのうちに頭から消していた。
だけどもう認めるしかない。
これだけの状況証拠が揃っているのだ。
(殺人鬼は騎士……それも三番隊の中にいる!)
デルフは答えを迷いなく導き出した。
しかし、絞れたからと言って誰かまでは分かったわけではない。
ナーシャのあの様子からして分かったのだろうと尋ねてみる。
「それで殺人鬼は一体誰なんだ?」
「そこまで分からないわよ」
少し落胆したがついさっき知ったばかりのナーシャにそこまで分かるはずがない。
むしろ犯人が騎士であるとすぐに看破したことを褒めるべきだ。
「でも良い作戦はあるわよ」
「作戦?」
ナーシャは嬉しそうにフッフッフと自慢げに笑っている。
「何のために私がわざと分かりかけているような素振りを見せたと思っているの?」
デルフは何となくナーシャの考えていることが分かった。
だが、良い思いはしない。
「姉さん、まさか?」
「そのまさかよ。私が囮になるわ。多分、今頃殺人鬼さんは私を狙おうと隙を窺っているころじゃないかしら」
確かにおびき寄せることができるならいくらでも策を立てることができる。
しかし、デルフはそれに納得がいくはずがなかった。
「ね、姉さんが囮をやらなくても……俺がすればいいじゃないか」
「馬鹿ね。デルフじゃ無理よ。既に警戒されているあなたよりも私の方が確実だわ」
返す言葉を思いつかないデルフはそれでも食い下がる。
「でも……」
そんなデルフにナーシャは近づいてデルフの肩にぽんと優しく手を置く。
「大丈夫よ。いくらデルフの方が強くなったって言っても私だって十分強いんだから。大船に乗った気でいなさい。それにデルフはすぐ来てくれるでしょ?」
「そ、それはずるいぞ」
それを言われると否定することができずデルフは苦笑いする。
(しかし、その通りだ。俺が守り抜けば良い。そのために強さを求めたのだから)
デルフは心の憂いを跳ね飛ばし自分の役割を自覚する。
それは目に表れていたらしくナーシャは微笑んだ。
「納得してくれたようで何よりだわ。それじゃ明日、本部に行ってそれとな~く私の明日の行動をほのめかしといて。明日の夜に王都の噴水の前にいるってね」
やはりナーシャに囮とはと思ったがなんとか飲み込んでデルフは不承不承に納得する。
(姉さんが作ってくれたチャンスだ。必ず成し遂げないと!)
「ふふ、まだデルフの役に立てるなんて思わなかったわ。姉さん、頑張るわよ!」
意気揚々に張り切っているナーシャ。
そんなナーシャを微笑みながら見ているデルフは後ろから忍び寄る小さな影に気が付かなかった。
「痛ッ!!」
デルフは痛みがするところを反射的に見てみるとルーが足に齧り付いていた。
言うまでもなく怒っている。
この怒りは置いていったことではなく俺も混ぜろとでも言いたいのだろう。
しかし、デルフとしてはこの件は初任務であり自分の力で終わらしたかった。
「ルー! ハハハ。ごめんって。だけど今回は俺に任せてくれ。いつまでもお前の力を借りるわけにはいかないからな」
そう言うとルーの噛む力が強くなった。
「痛い痛い!!」
そしてルーはすぐに顎を開いて噛むことを止めデルフの目を見詰めている。
デルフはその意味を何となく理解した。
「力みすぎだって言いたいのか。ああ、分かっているよ」
「ルー君なりのアドバイスね」
デルフはルーを軽く撫でて微笑みを返す。
「それじゃ今日はもう休むとするよ」
「ええ。おやすみなさい」
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