第32話 爺と王女

 

 鎧を身に纏った老人は皆の前まで移動すると一回咳払いして話し始めた。


「儂の名前はウェガ・スミドルムじゃ。一応この三番隊の隊長をしておる。取り敢えず、おめでとうと言っておくかの。お主らはこれから騎士団の一員じゃ。じゃが、すぐに任務に就けるとは思わないことじゃな」


 ウェガは甘いというように右手の人差し指を垂直に立てて横に揺らす。


「差し詰め、お主らは騎士見習いと思ってくれれば良い。なーに最初は雑用だがそのうちにしっかりとした任務に就いてもらう。そして、この三番隊の本拠地はの……」


 騎士団の五つの隊はそれぞれ本拠地が違い各地でそれぞれの任務に就いている。

 例えば、五番隊は対ジャリムのデンルーエリ砦を本拠地にしている。


 それでこの三番隊の本拠地は?


 デルフは黙ったままウェガの言葉を待つ。


「ここじゃ」


 にかっと笑いウェガは立てていた人差し指を下に向けた。


「主な任務は王都の巡回じゃ。そのためこの三番隊は対して人数はおらん。お主らは精々五十名程度じゃがお主らの先輩はさらに少ない」


 他の隊に比べると格段に人数が少ないが警備が任務だと思えばこれぐらいの人数で十分ということだろう。


「そして、しばらくお主らにしてもらうのはここの掃除じゃ。まぁ頑張ってくれ。ああ、それと三人一組になっておいてくれ。これからは大体その三人で事にあったってもらうからの。その他で分からないことがあれば他の者に聞くと良い」


 話はそれで終わりウェガは演習場から出て行こうとしたがふとデルフの方を見て立ち止まった。

 そして見定めるようにじろじろと見た後、デルフに近づいてきた。


「お主、名前を何という?」


 ウェガはデルフにそう尋ねた。


「デルフ・カルストです」

「デルフ…………そうか、やはりあの小僧の」


 デルフに心当たりがあったのかウェガは妙に納得したように頷いている。


 対して、デルフは何が何だか分からずに困惑する。


 ウェガはふとデルフの右腕を見て尋ねてくる。


「それは義手か?」

「は、はい。そうですけど」

「ほほう」


 義手だと分かったから何かは分からなかったがウェガは笑みを浮かべる。


「これは姫様に報告することが増えたのう」


 ウェガのその呟きは小声だったのでデルフには聞こえなかった。

 しばらく沈黙が続き耐えかねたデルフが先に口を開く。


「あ、あの?」

「おっと。すまぬすまぬ。邪魔をしたのう。では、お主の働き、期待しておるぞ」


 そう言ってウェガは演習場から出て行った。


「デルフ君、何だったの?」

「いや、俺も分からない……」

「お前凄いな。ウェガさんに一目置かれているなんて。初めてみたよ」


 そう言って近づいてきたのは卒業生の中の一人で頭半分に剃り込みを入れているのが特徴の男だった。


「俺はノクサリオ・グラリオットって言う」

「デルフ・カルストだ」


 ウェガとの会話を聞いていたのかノクサリオは左手を差し出してきたのでその手を握って握手をする。


「それで、あの隊長ってそんなに凄い人物なのか?」


 そうデルフが軽く言うとノクサリオはいやいやと手を振っている。


「凄いってもんじゃないぜ。今は隊長をしているが元騎士団長なんだよ、あの人は。たまーに養成所に来て指導してもらっていたから学生だった人で知らないやつはいねーと思うぜ」

「そんなに凄い人だったのか……」

「なぁデルフ、俺と一緒の組にならねぇか? お前といるとなんだか面白そうだ」


 そう言って気分良くデルフの肩に手を回す。


「別に良いが……」


 デルフはヴィールたちをチラリと見る。


「私はアリルちゃんと一緒にするぅ~~」

「はひぃぃぃぃぃぃ」


 相変わらずアリルはヴィールに抱きしめられて悲鳴を上げている。


「それじゃ。あたしはデルフの組に行くとする」

「自分はここに」


 アクルガはデルフの組に入り、ガンテツはヴィールたちの組に入ることとなった。


「っていうかーデルフ君の右腕って義手だったの!?」


 隠すこともないので右腕を見せるとヴィールは見入っていた。


「ホントだー。なんか硬そう」


 ヴィールはこんこんとノックをするように義手を叩く。


「鉄でできているからな」

「ほう。すると片腕であの副団長殿の試験を合格できたのか」


 本来のこの義手の性能ならば片腕がない欠点を補えたのだがわざわざそこまで言うことでもないだろう。


(ん?)


 義手を見詰めていたデルフは顔をしかめた。


(一瞬、動いたかのように見えたが気のせいだよな……)


 少し訝しげに義手を見てから向き直るとアクルガの何気なく呟いた一言がアリル以外に驚きを与えていた。


「副団長ってあのリュースさんか? いやいや、普通は隊長がするものだろ?」


 ノクサリオは信じられないのか自分を納得させるようにそう言っている。


「ああ、そう言えば師匠が言っていたな。あの隊長がすっぽかしたから代わりに私がすることになったって」

「……確かにウェガさんならあり得るか」


 それで納得するのもどうかと思うがとデルフは苦笑いする。


「それにしても良く合格したな。あの副団長の試験に合格するなんて………………って師匠!?」


 そのノクサリオの大声で周囲に届いてしまって騒がしくなってきた。


「えっ? 本当に副団長の弟子なのか?」

「あ、ああ」


 ヴィールたちもそれを聞いて驚いている。


 デルフは不味いことを言ってしまったのかと少々焦り無理矢理、話を変える。


「そ、それじゃ言われたとおり掃除をしに行くぞ!」


 逃げるようにデルフが演習場から出て行こうと歩き始めるとそれに釣られて全員が動き始めた。

 先輩騎士に掃除道具の場所を教えてもらいそれぞれの持ち場を決めて掃除を開始した。


 組に分かれたといえど六人で同じ場所を掃除している。

 それもそのはずこの部屋は筆記試験を受けた講義室であり途轍もなく広いため六人でも少ないぐらいだ。


「なにこれ! まだ終わらないの!?」


 ヴィールが終わりの見えない掃除に堪らず叫ぶ。

 無理もないかれこれ半日は掃除をしているが一向に終わる気配がしない。


 騎士団の総本部だけあって広さは異常であり先輩の話だとこの人数だとこのペースで隅々まで掃除をするとなると一ヶ月は掛かるとのことだ。


「なんか思っていた騎士と違う……」

「ハッハッハ。正義の味方はこんな地味な仕事でも完璧にこなすもの!!」


 そう言ってアクルガはてきぱきと手を動かしている。

 いったいその元気の源はどこから来ているのか質問をしてみたくもなる。


 新入団員はこの掃除から始まると先輩が言っていた。

 先輩から早く終わらしてくれないと警備するものが少ないから俺たちの休みがないと愚痴を笑いながら言われたが目は笑っていなかった。


 辛いのは俺たちだけではないと言い聞かせて掃除に励んだ。


 そうして初日の騎士生活はこれで終わった。

 というよりもこれから掃除生活が始まる。


 そう考えるとデルフは肩が重くなるのを感じた。




 演習場から出たウェガは最初は歩いていたが次第に速度が上がっていき遂には走り始めた。


「姫様~~~~~!!」


 ウェガは城門を立ち止まることなく走り抜け城の中に入っていく。


 衛兵はいるがウェガのその行動を咎める者などいない。


 最初のうちは誰もが注意をしていたのだが一向に守ろうとする気配がなく全員が諦めてしまったのだ。


 ウェガは走りに走り、ある部屋の目の前まで近づくと立ち止まった。

 自分が着ている鎧に付着している砂埃などを落として身嗜みを整えてから丁寧に扉を数回叩く。


 ちなみにその扉の前にも近衛兵がいたがウェガの顔を見るとすぐに横に退いた。


「姫様。儂です」

「お入りなさい」


 ウェガが扉を開き中に入ると華麗なドレスを身に纏った少女が紅茶を啜りながら開いている窓の遠くを見ていた。


 白く透き通った髪は微かに揺れその様は幻想的な美しさを感じさせる。


 この少女こそフレイシア・ワーフ・デストリーネ、デストリーネ王国の王女である。


 その側には侍女が命令を出されるのを待ち部屋の隅で静かに佇んでいる。


 フレイシアは色のない瞳をウェガに向ける。


「何かあったのですか?」


 冷ややかな視線を向けるのと反対にウェガは目を輝かせて報告する。


「姫様。朗報ですぞ!」

「それで何があったのですか? 騒々しいですよ」


 如何にも冷静でその言葉一つ一つが洗練されたかのような声で尋ねてくる。


 まさに一国の姫に相応しい雰囲気を醸している。


「姫様が探していたと思わしき人物を発見しました」


 その言葉でフレイシアの反応は劇的だった。

 色褪せていた瞳に色が戻る。


「本当ですか!?」


 驚きのせいで先程までの美しさと裏腹に荒っぽさが目立ってしまっている。

 せっかく作り出していた雰囲気が台無しになった。


「あっ……コホン! それは本当のことですか?」


 侍女の目線を気にして佇まいをすぐさま正すが高揚までは抑えきれず口調が早い。


まことでございますぞ。騎士になって私の隊に本日入団しました」

「そ、それなら早くここに呼んでください! はぁ~どれほど心待ちにしていたことでしょか」


 しかし、ウェガの答えはフレイシアの思っていたものとは違った。


「それはなりません」


 フレイシアは当然疑問の表情を浮かべる。


「なぜですか?」

「かの者はまだ騎士の見習いの身、姫様にお会いになるには些か無理があります」

「せっかく見つけたのに会うことはできないと言うのですか!」


 フレイシアの顔はご立腹で今にも怒りを爆発させそうだった。

 しかし、その顔でさえも容姿は崩れていなくこれはこれで美しく見えてしまう。


「いやいや、そうは申しておりません」


 ウェガはフレイシアを必死に宥める。


「なら! どうすればいいのですか!」

「姫様にできることは、かの者を信じることです」

「信じること?」


 ウェガが言ったことを理解できずに首を傾げる。


「はい。かの者が何か功績を立てたとき姫様自らが称賛するという名目でお呼びになれば良いのです。例えその功績が微々たるものでも構いません。とにかく功績があれば上の者は文句を言えないでしょう」


 ウェガがにやりと笑って言う。


「なるほど。なるほど。ですがその功績を立てるまではお預けですね。いったいいつになることやら……」

「そこまで時は掛からぬでしょう。あの小僧の弟子ならばすぐにでも功績を掴み取るでしょうな」

「そうですか。爺がそこまで認めた方なのですね。やはり私の目に狂いはなかったということでしょうか! それもそのはず私を助けてくれたお方なのですから!」

「流石、姫様でございます」


 フォッフォッフォとウェガは笑う。


「ところで爺、上の者が文句を言うなどと言いましたが他にも理由があるのでしょう?」

「はて? 何のことやら?」


 すっとぼけたウェガだがその顔には不気味な笑顔になっている。

 そして小声で「相応しいかどうか見定めといったところかのう」と呟いた。


「それでは、そのときを心待ちにして待ってみようとしましょう。正直に言いますともう待つのは疲れたのですが……」


 フレイシアは苦笑いでそう言う。


「では、姫様。儂はちと所用がありますのでしばらく失礼させていただきます」

「爺に用事? 珍しいですね」


 そうフレイシアが聞くとウェガは目を泳がせる。


「あの小僧め。本当に責任を儂に全てなすりつけよって…………」


 その呟きはフレイシアに届かなく「何か言いましたか?」と聞くとウェガは何でもないと答えた。


「では、これで」


 ウェガは一礼し部屋から出ようとしたときフレイシアが声を掛けた。


「爺、それともう一つ。彼の名前はなんと言いましたか?」

「確か……デルフ・カルストと言いましたかな」

「そうですか」


 そしてウェガは部屋から出て行った。


「デルフ……カルスト。デルフですか」


 フレイシアは自分の心に浸透させていくように何度も言葉で繰り返す。


「今は名前が知ることができただけで満足。ということにしておきますか。はぁ~会うことができる日が待ち遠しいです!」


 側に控えている侍女は顔を上げると満面の笑みのフレイシアを見て驚いた。


 なぜなら幼少以来からフレイシアのそのような笑顔は見せなかったからだ。


 侍女もまたそのフレイシアの笑顔を見て宝石を見ているかのようにうっとりとし涙を零す。


「デルフですか……」


 そのフレイシアの声は漏らすような声だったが部屋の中を木霊しているように感じるほど心が籠もっていた。

 

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