第30話 村へ報告
家から出てから一度王都に立ち寄って出立したデルフはゆっくりと歩き始めた。
馬に乗って行ってもよかったが家では馬を飼っていないため借りに行かなければならない。
そんな手間があるのなら馬に乗って楽をするのではなく歩いたり走ったりして鍛えようと考えた。
本音を言えば息抜き代わりに旅を楽しみたかっただけだ。
普通に歩いて行けばカルスト村までかなり時間がかかってしまう。
王国最東端の村だったということは伊達ではないだろう。
「ルー。少し走るぞ」
歩いていては遅すぎるなと感じたデルフは走り始めた。
しばらく走った後、日が暮れてきたのでどこで野宿しようかと手頃な場所を探していると目の先に薄らと家屋の影が見えてきた。
「村か?」
村に宿くらいあるだろうとその村で一泊することを考え向かうことにした。
村に入るとそこは人の気配が全くない無人の村だった。
(おかしいな……)
デルフがそう思うのも所々に夕飯の良い匂いや不自然に散らかった物などついさっきまで人がいたような痕跡があったからだ。
疑問に思っているとデルフに向かって小さな声が飛んできた。
「お、おい。兄ちゃん」
振り向いてみると中年の男性が立っていた。
「ここは危ないぞ。兄ちゃんも速く逃げた方がいい」
その男性は囁くような小声で言ってくる。
「何かあったのか?」
そう聞くと男性は早口だったが要点だけは明確に教えてくれた。
「さっきここに槍ボアが迫ってきていたんだ。普通の槍ボアなら俺たちでも倒せるがあれは話が別だ。兄ちゃんも早く逃げな。あんなもの騎士様にしか倒せないぞ」
「数は何匹だ?」
いつの間にか力が入り拳を強く握ってしまったことを男性はもちろん本人であるデルフでさえも気が付いていなかった。
「一匹だけだが……」
「ちょうどいいな。……どこにいるんだ?」
「今はここの奥にいるが、って兄ちゃんどこ行くんだ!!」
デルフはその男性の忠告を無視して村の奥まで進んでいく。
(ちょうどよかった。これであの日にもし戻ったら役に立てるぐらいの実力を手に入れたかどうかが分かる。一匹だけというのも大きい)
なぜなら、そいつ一頭だけに集中できるからだ。
はっきり言ってデルフは負ける気がしなかった。
デルフは今日もらったばかりの刀を握りしめて歩みを進める。
それほど広くはない村だったのですぐに槍ボアの姿を見つけることができた。
槍ボアは地面に散らばっている野菜や果物を漁って食べている。
デルフは立ち止まらず隠れず真っ直ぐに歩いて近づいていく
近づいてくるデルフの気配に気が付いたのか下を向いていた槍ボアは顔をあげてデルフの姿を捕らえた。
身体の表面は岩で覆われており目は充血しているように赤く敵意がバシバシと感じてくる。
(あのときと一緒のような光景だ)
それがデルフの感想だった。
それと同時に蹂躙されていた村の中で何もできなくただ眺めていただけの自分を鮮明に思い出す。
先程の男性に槍ボアがいると聞いたときは勝手ながら自分がカルスト村に戻るための試練に思ってしまった。
(こいつを倒してこそ、その証明になる)
デルフは槍ボアを睨み付けるように観察する。
すると槍ボアは敵意から殺意に変わった視線でデルフを睨み付け鼻息を荒くさせた。
その殺意に呼応して地面に荷物を落として刀を引き抜くとそれが合図となり槍ボアは突進を開始した。
デルフは身体が触れる直前まで引きつけ横に躱す。
そして刀を持っている腕に力を込めるように縮めて解き放つ。
しかし、渾身の力が籠もったデルフの突きは槍ボアの岩の鎧を貫通することはできず弾かれてしまった。
「力押しは無理か……」
自慢の突きが通じなかったのだがデルフに動揺はない。
なぜならデルフは修行の時に戦いにおいて特に大事なことをリュースから教わっていたからに他ならない。
それは三つある。
まずは何があろうと我を忘れずに冷静になること。
次に敵から目を離さないこと。
そして最後に一つが通じなくても新たに通じる方法を模索する柔軟性。
つまり、諦めないということだ。
この三年の修行の間にその考えはデルフの身体に染みこんでいる。
(なんだ!?)
そのときデルフは槍ボアの僅かな変化に気が付いた。
後ろに大きく飛び退き動きが止まっている槍ボアを目を離さずに警戒を続ける。
すると、槍ボアは纏っている岩の鎧を周りに豪速で吹き飛ばした。
距離を取ったことが功を奏し躱すことを可能にした。
避けるのが難しい岩は刀を当てることで軌道をずらしやり過ごす。
デルフは今が倒す絶好の機会だと思い走り出す。
だが、走っているデルフに突如の背中に悪寒が走った。
走っている足を止めて横に飛ぶとすぐに先程飛んでいった岩が同じ速度で引き返しておりそのまま槍ボアまで戻ってしまった。
何事もなく岩を纏った槍ボアがその場で立っている。
「思っていたよりも速い」
近くで砲弾を受けきることができればすぐさま攻撃を仕掛けることができるだろうがそれだと避けることが極端に難しくなる。
デルフが見つけたかったのは自身が傷を負わずに簡単に倒せる方法だった。
攻撃をすることを止め観察しながらどうすればいいかを考える。
そして答えを発見することができた。
槍ボアの一つの隙間なく見える岩の鎧だがよく見ると頭部の岩と岩との間には僅かな溝があることが分かった。
デルフは全力のスピードで槍ボアに向けて走り始める。
槍ボアもそれと同時に走り出す。
デルフと槍ボアが交差する直前にデルフは宙返りをするように飛び上がる。
槍ボアがデルフの真下を通るときに合わして頭部に突きを放つ。
今回は岩に邪魔されて弾かれることはなかった。
放たれた刀は槍ボアの岩との隙間を針に糸を通すように潜り抜け槍ボアの頭部を深く貫いた。
そしてデルフはすぐに刀を引き抜き宙で一回転した後に静かに着地する。
頭を貫かれた槍ボアはまだ走り続けていたが途中で事切れて倒れてしまった。
その際に走っていた勢いで身体を引きずって転がっていく。
デルフはそれを見届けると刀に付いた血を払うために数回振ったあとに鞘にしまう。
そして、緊張を解き大きく息を吐いた。
(やったか……。そうか)
デルフの左拳に力が入る。
「兄ちゃん! いったい何者だ!? まさか騎士様だったのかい?」
物陰に隠れていた先程の男性が出てきて開口一番に尋ねてきたがどう答えていいのかデルフは一瞬迷う。
一応入団試験は合格したから騎士ともう名乗ってよいのか。
それともまだ正式には入団していないため名乗るべきではないのか。
しかしそんなことこの男性にとっては些細なことだろう。
「まぁ半分合っているな」
「やっぱりそうでしたか」
急に男性の態度が変わり言葉も敬語に変わってしまった。
敬語はやめてくれとデルフは言おうとしたが男性は避難した村人たちを連れてくると言って走って行ってしまった。
しばらく立って戻ってくるとその男性の後ろにはぞろぞろと人を引き連れている。
村人たちはデルフにお礼を言い募り頭を下げてくる。
先程の男性は村長だったらしくお礼にと食事の誘いをしてくれた。
デルフは時間が時間でありその誘いを快く受けることにした。
その夜の食事は宴会になっており村人たちの騒ぎ声でいっぱいだ。
デルフはどこか村のときを思い出して感慨深くなって微笑する。
「へぇ~。兄ちゃん、まだ騎士様じゃなかったのか」
食事の最中、既に酒が回っている村長は辿々しい口調でそう言った。
(誤解が解けてくれて何より。敬語で呼ばれるのはむず痒くて一から説明した甲斐があった)
デルフは注いでもらった酒を呷る。
「それで村長。ここに宿はないか?」
そう言うと村長は顔をしかめた。
「あるにはあるが……」
「何か不味いのか?」
宿にも何か不都合があるのかと思ったがそんな心配は無用だったようだ。
「はっはっは。村の恩人に金などは払ってもらわなくても結構だ。遠慮なく自由に使ってくれ」
村長は赤くなった顔が笑顔になり前が見えているのか分からない虚ろな目でそう言った。
相当酔いが回っているなと引き気味にデルフは頷く。
村長の奥さんが村長を介抱して寝かしていた様を見ると酒を飲むのはほどほどにしておいた方がいいとデルフは心に誓った。
案内された宿屋に入り次の日は早朝に出発することに決めすぐに身体を休める。
予定通り、早朝に起きて準備を済ませた後、すぐに村を発とうとしたが村長ぐらいには出立の挨拶と昨日のお礼をしようと考え家に向かう。
だが、村長は昨日やはり飲み過ぎていたらしくまだ寝込んでいるらしい。
残念に思いながらもデルフは村長の奥さんに言伝を頼み村から出て行く。
その後、走り続けていたがそう昨日みたいに村はなく今日こそ野宿になりそうだ。
日が暮れてきたので木片を拾い並べて火を焚く。
「明日には着くことができそうだな」
隣で木の実を齧っているルーの頭を撫でる。
デルフも村から立ち去る際に村長の奥さんからもらったちょっとした食料に手を付ける。
そして明日もまた朝早くから出立するために時間は早いがデルフは座ったまま眠りについた。
周囲の警戒はルーに任しているので動物が襲ってくる心配は全くない。
朝になると同じようにしばらく歩みを進めてようやく見覚えのある場所まで戻ってきた。
目の奥にはカルスト村の跡がある。
走って近寄ると瓦礫の類いには苔が生えており崩れた家屋は三年も経った今でも形を残しているが少し触れるだけで崩れてしまいそうだ。
もう門の場所がどこかは見当もつかなく荒れておりあれ以来誰も近寄っていないことが目に取るように分かる。
デルフは中に入り足早に目的の場所まで移動する。
村の中央は雑草が生い茂っておりその中にいくつもの墓標が並んでいる。
デルフはその並んでいる墓標の特定の場所の前に移動するとへたりと座り込んだ。
「母さん、父さん。カリーナもただいま」
デルフはしばらく無言で墓標を見詰めていた。
そして、口を開く。
「早いものでもう三年経ったよ。まだ父さんたちがつい昨日まで生きていたように感じてしまう」
デルフは泣きそうになる顔を叩き思いついたように背負っていた鞄の中から王都に寄った際に買って置いた酒瓶と盃を取り出す。
「一度やってみたかったんだ」
デルフは盃に入れた酒を一気に飲み干す。
そして父さんと母さんとカリーナの墓に瓶を傾けて空になるまで酒を流す。
「それで今日来たのは報告があるからなんだ。俺、やっと騎士になれるんだ。師匠の下で修行を始めて三年ついに……」
デルフは自身の硬くなった左手を見ながら言う。
「あと、俺に姉さんができたんだよ。厳しいけど優しくてさ……。あのときにはこんなことになるなんて考えもつかなかったよ……」
その後もデルフによる報告は続いた。
端から見ればただの独り言に見えるだろうがデルフにとっては会話している気になっていた。
話しているうちにまるで父さんたちが目の前にいて相槌を打ってくれているような気がしていたのだ。
それがデルフの心を満たされていく。
自己満足かも知れないが自分が強くなることであのとき何もできなかった自分の贖罪になった気もしていた。
思いつく限りの報告を終えるとデルフは墓周りの掃除を始めた。
ある程度綺麗になるとデルフはもう一度墓の前まで戻っていく。
「それじゃ。もう行くよ。また……」
そう言ってデルフはカルスト村を後にする。
カルスト村を出てまだそう時間が経っていない帰路の途中に後ろから馬が走ってくる音が聞こえた。
振り返ると馬に乗って見た目だけで位の高さを感じさせる派手な服を着ているウェルムだった。
ウェルムもデルフに気付き馬を止まらせる。
「ウェルム? なんでここに?」
「任務の途中だよ。君もどうしてここまで?」
「まぁ墓参りってとこかな」
しかし、ウェルムは魔術団副団長で殆どが王都での任務のはず。
なのでこうして外に出ているのは珍しかった。
激務こそ同じではあるが外を駆け回っている騎士団の副団長のリュースとはその点で正反対だ。
そのことについて聞いて見るとウェルムは目で分かるほどうんざりした顔になった。
「団長は人使いが荒いのさ。魔物についての生態を調べたいから実験体を取って来いってね」
ウェルムが来た道の方向を見て頭で辿ってみると挑戦の森に繋がっていることが分かった。
「だから挑戦の森に行っていたのか」
すると、ウェルムは驚いた表情でデルフを見た。
「驚いた。よくわかったね。でもダメだあそこは。見たこともない動物ばかりだし。強すぎるし。命が惜しいから逃げてきたよ」
ウェルムはそう言うが服装は何も乱れていなく全くそんな風には見えない。
長い付き合いによってウェルムの性格がある程度分かった。
ウェルムは自分のことは謙遜して自分以外のことは大袈裟に言う。
あまりウェルムの言うことを鵜呑みにしては痛い目に会うので話半分に聞いておくのが丁度良い。
「あ~このまま帰ると団長に小言をしつこく言われてしまう」
ウェルムは頭を抱えて苛む。
「お前も副団長なんだから部下に命じたらいいんじゃないか?」
「いやそれもそうなんだけどさ。魔物で一番弱いのは槍ボアなのだけどそれでさえも倒すことができるのは団長か僕だけなんだ。騎士団と違って魔術団は戦いが苦手な人たちが多いから必然と言えば必然なんだけどね」
意気消沈してウェルムはそう言う。
あれから魔物は各地で発生しているがその種類は次第に増えてきている。
その中でも槍ボアが一番弱いのだがそれでも安全に倒すには騎士数人がかりではないと難しい。
しかし、ウェルムなら簡単に倒すことは可能だろう。
魔術団団長がウェルムに命じたのも肯ける。
むしろウェルムにしか選択肢がなかったのだろう。
なにか手伝えることはないかと考えると昨日槍ボアを倒したことを思い出した。
「ああそう言えば昨日ある村で槍ボアを倒したぞ。もしかしたらまだ残っているかもしれないが」
すると暗かった表情は一転して目に輝きが戻り聞いてきた。
「そ、それはどこ!?」
デルフはウェルムにその村の場所を言うと礼を言ってから猛ダッシュで馬を急がせて行った。
(大変そうだな……)
デルフも気を取り直して家に向かって歩き始める。
「ただいま~」
そう言ってデルフは家の中に入るとナーシャは食事の用意をしていた。
「あら、お帰りなさい。思ったより早かったわね。ちゃんと挨拶してきた?」
「ああ」
「そ・れ・と! 私のことちゃんと言ってくれた?」
ナーシャは人差し指をピンと立てて笑顔でデルフの目を見詰める。
それにデルフは笑顔で返しこう言う。
「もちろん!」
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