第29話 合格祝い
家に戻ると既に周囲は暗くなっていた。
帰り際にいろいろと露店を巡っていたせいなので自業自得と言われれば返す言葉もない。
「ただいま」
ドアを開きながらそう言って中に入る。
その声色は疲れが溜まって自然に低い声になってしまっていた。
椅子に座って本を読んでいたナーシャはデルフに視線を向け本に栞を挟まずそのまま閉じて雑に机においてデルフの下まで急いで駆け寄ってきた。
その際に掛けていた眼鏡を取り外し机の上に置く。
「デルフ! どうだった?」
不安そうにそれでもって期待しているような眼差しで訴えかけてきた。
デルフはナーシャを安心させるように落ち着けと掌で制してからゆっくりと頷いて答える。
「ああ。合格したよ」
そのデルフの言葉が身体に響き渡ったのかナーシャは顔を綻ばせデルフに飛びつき両手を肩に回した。
「やっぱり! そうだと思ったわ! どう考えてもデルフが落ちるわけがないもの! 流石、私の弟ね!」
ナーシャは興奮してデルフを抱擁しながら嬉しそうに何度も何度も飛び跳ねる。
その腕には尋常ではない力が入っており飛び跳ねる都度デルフの首が徐々に締め付けられていく。
「ね、姉さん。く……首、絞まってる」
ナーシャの腕を苦しそうにトントンと叩き訴えると気付いたナーシャはするっと腕をほどいた。
「あら? ごめんね。ついつい」
てへっと舌を出して頭を撫でながら謝ってくるナーシャだがその表情には反省の色は微塵も感じられない。
それよりもいまだ収まらない嬉しさの方が勝っていると言える。
「そうかーついにデルフが騎士になるのね~」
ナーシャは顔を上に向けてそう言った。
我慢をしていたのかナーシャの頬に一筋の輝きが伝っている。
そして、デルフに視線を向き直して目を擦りながら口を開いた。
「それじゃデルフ。晩ご飯が出来ているから出すの手伝って。食べながら話を聞かせてちょうだい」
鼻歌交じりにナーシャはリビングに向かっていく。
その光景を見てデルフは微笑み背負っていた鞄と刀を置いてナーシャの手伝いに向かう。
ナーシャが読んでいた本だけしか置いていなかった机の上はあっという間に色とりどりの料理によって埋め尽くされた。
「絶対合格すると思っていたから張り切って作ったわよ!」
そうナーシャは慎ましい胸を自慢げに張って言い放つ。
食卓に着こうとしたときデルフの目の前に小さな物体が上から下に通り過ぎる。
デルフは反射的に首を下げて見てみるとその物体は栗色の毛並みに特徴的な頭にある黒の三本線、そして背後にある綿みたいな大きな尻尾が良く目立つ。
ルーだ。
恐らく二階のデルフの部屋から出てきたであろうルーが眠たそうにふらつきながらもデルフの前に飛び降りてきたのだろう。
着地に失敗してお腹が地面に着いてしまっているので寝ぼけていたのは確かだ。
ルーの姿形は三年前とは変わらずに成長の兆しが全く見られないが滅茶苦茶元気なので大丈夫だろう。
そもそもリスはこれが普通なのだろうか。
「ルー。今起きたのか? 寝坊しすぎだぞ」
デルフはルーの首元を優しく撫でながら言う。
「ルー君にも。はい!」
ナーシャが生野菜と果物が入った容器をルーの目の前にどんと置いた。
「うわっ」
ルーはデルフの腕を振り払いナーシャに一瞥もくれず容器に飛びつき生野菜を頬張っている。
頬袋に生野菜をため込んでいるところを見ると微笑ましくも思う。
ルーが元気よく餌を頬張っているのを見てナーシャはこくこくと気分良さそうに頷く。
「デルフ。私たちも食べましょう」
そして、食事が始まった。
食事の最中、ナーシャはうんと背伸びをしてから前のめりになって聞いてきた。
「それでデルフ、試験はどうだったの?」
「筆記試験は簡単だった。実技試験がやっぱり苦労したな。難関って言われるのも頷ける。ああ、それと師匠に会ったぞ」
それを聞くとナーシャは目を輝かせて聞いてくる。
「えっ? お父さんに会ったの?」
「というか試験官が師匠だった」
「お父さんが試験官だったの!? へー意外ね」
「それとまだしばらく帰ることができないって言っていたぞ」
リュースからの伝言をしっかりとナーシャに伝える。
決して今まで忘れてなどいないと心の中で頷く。
「なーんだ。まだ帰ってこないのか」
ナーシャはかくりと肩を落とし残念そうに頭を下げた。
その後、すぐに気を取り直してデルフに視線を向けてくる。
「それでお父さん。どんな試験をしたの?」
実技試験について軽く説明するとナーシャは苦い表情になった。
そして、大きく溜め息を吐き額に手を当てる。
「お父さん……やりすぎ……」
ポロリと零すようにナーシャは呟いた。
「えっ? これが普通じゃないのか?」
そう気軽に聞いてみるとナーシャはくわっと目が見開いた。
「普通なわけないでしょ! 何人合格出来たって!? もう一回言ってみなさい!!」
大声で言い責めるようにぐいぐいと聞いてくるナーシャに狼狽えて身じろぎする。
(なんで俺が責められているんだ……)
しかし、言っても聞かないことはこの三年で身に染みて分かっているのでデルフは素直に答える。
「えーと。俺合わせて四人だったな」
「少ない! 少ない少ない! 少ない! ふぅ~……少ない過ぎるわ!」
自分の内側に言葉を溜めていくように首を振りながらまくしたてる。
一度落ち着いたかのように思えたが最後に言葉を爆発させデルフに指を突きつけ言い放った。
そのとき後ろに束ねていたポニーテイルがふわりと宙に浮きその後ナーシャの肩にすとんと落ちる。
「お父さんの試験って本当に筆記試験意味ないじゃない。内容も酷すぎるわ! お父さんにまともな攻撃を当てられる人なんて騎士の中でも隊長レベルよ。それに十分間戦い抜くことが出来るって言ってもお父さん相手でしょ? そんなの騎士の中にも出来ない人がたくさんいるわよ!」
少し息を切らしながらうつむいて愚痴を言うナーシャ。
「私でも合格出来るかどうか怪しいわ」とまで呟いている。
まくしたてたおかげか少し落ち着きを取り戻したナーシャはゆっくりとデルフに視線を戻した。
「これ聞くとあなたよく合格出来たわね。お父さん相手に十分間戦い抜いただけでも相当なことよ?」
「……俺、当てること出来たぞ」
そう言うとナーシャは目を点にして不思議そうに首を傾げた。
「デルフ、あなた。お父さんに攻撃当てたというの?」
さらに顔を近づけてナーシャは言う。
正直、覇気がありすぎて驚いてしまう。
ナーシャの言葉を肯定するためゆっくりと頷く。
「はぁ~~あなた強くなりすぎよ。まぁ考えてみれば私じゃもう太刀打ちが出来ないほどの実力を持っているから可能性は無きにしも非ずと言ったところね」
そこまで言われると自分は本当に強くなったのではと感じてしまう。
しかし、これで慢心してはいけない。
あのときの出来事を思い出し自分に言い聞かせる。
「それでデルフ。騎士の仕事はいつから始まるの?」
「一週間後の朝に集合って言っていたな」
「まだ一週間あるのね。しばらく休めるじゃない」
しかし、デルフにはこの機会に行きたいところが、いや行かねばならいないところがある。
「行かないといけない場所があるんだ」
ナーシャはその言葉を予想も出来ていなかったらしく目でどこに行くのかと訴えてかけてきた。
デルフは顔を一回うつむいたがすぐに顔を上げできる限りの笑顔を作って答える。
「皆に報告しに行かないと」
自分が出来る精一杯の笑顔を作っているつもりだが顔が引きつっていないかと心配になる。
こう無理にでも笑顔を作ろうとしないと涙が出てきそうになってしまう。
ナーシャも全てを悟ったのか一回頷き口を開く。
「そう……いってらっしゃい。そのときはしっかりと胸を張りなさいよ!」
その言葉にデルフは頷きを返した。
しばらくゆったりとした時間を過ごし部屋に戻ろうとするデルフに声が掛かる。
「ふぅ~叫びすぎて疲れちゃった……。デルフ~。姉さんお風呂に入りたいわ~」
うーんと背伸びをしながらナーシャは猫撫で声を発している。
「勝手に入ればいいだろ。家にあるんだから」
「分かっているでしょ?」
はぁ~と溜め息を吐いてデルフは外に出る。
その光景をナーシャはにまにまと笑って気分良さげに足をばたつかせている。
デルフは家の裏に置いてある大きい円柱の木の桶を転がして適当な位置に持って設置する。
そしてその近くに薪を置いてナーシャを呼びに行く。
「姉さん。火をつけてくれ」
「はいはーい」
家に戻ったついでに肩幅に至る大きな鍋を手に持つ。
井戸から水を汲んで鍋に入れていく。
流石に鍋一杯に水を入れると片手では持ち上げることができないので半分ぐらい入れて薪の前にいるナーシャの下に戻る。
ナーシャはデルフが近くまできたことを確認すると薪に手を翳して言葉を放つ。
「火!!」
その言葉とともに掌から小さな火種がポツリと薪の上に落ちた。
それが徐々に燃え移っていき火が燃え盛っていく。
「これでいいかしら?」
「あ、ああ。前から思っていたんだけど……その魔法の名前、もうちょっと考えた方がいいんじゃないか?」
「えー。だって火だもん」
(名前を考えるのが面倒くさいのは分かっている。だが、それでも火って……。まぁ口を酸っぱくして言うことでもないし姉さんがそれで良いというなら良いのだろう)
「それじゃできたら言ってね」
そう言ってナーシャは家に戻って行く。
デルフは水が入った鍋を焚き火の上に置いて丁度良い温度になったら桶の中に入れてまた水を汲む。
これを繰り返してお湯が溜まるまで続ける。
「姉さん。できたよー」
デルフは大声で呼ぶとナーシャは家から出てきた。
髪は下ろしており身体にはタオルを巻き付けているだけだ。
「待ってたわ~~」
最初から上機嫌なナーシャは出来上がった風呂を見つけるとさらに目を輝かせる。
そして、走り出し飛び上がってそのまま桶の中に足から潜っていった。
「ちょ、姉さん……」
ばっしゃーん!!
溜まったお湯が大きく跳ねる。
デルフが支えていなかったらそのまま桶ごと倒れてしまっていただろう。
その代わりに水しぶきによってデルフはずぶ濡れになってしまったが嬉しそうにしているナーシャを見ると文句を言う気も失せてしまう。
ナーシャは時々こんなふうに家の中ではなく外での風呂を楽しみにしている。
王都の外ということもあり人は滅多に訪れないため人目を憚られずに堪能できるこの場所ならではの楽しみということだ。
(まぁ用意するのは俺なんだけど……。おっと、文句は言わない文句は言わない)
「それじゃ姉さん。終わったら言ってくれ。湯冷めする前には上がれよ」
「わかったぁぁ~~」
そう言うと愉悦を帯びた声が返ってきた。
「ふぅ~極楽~。夜空が綺麗だわ~。こんなの普段は目も向けないのに見てみると綺麗って……案外本当の美しいものって目には映らないものなのかもね。ふふふ」
「そうかもな」
デルフは口元に笑みを浮かべて家に戻ろうとした。
「きゃぁぁ!!」
しかしその足運びはナーシャの悲鳴で止まってしまった。
「どうした? 姉さん」
「そこ! なんか動いたわ」
ナーシャが指を差したのは真っ正面にある茂みの中だ。
まさか、こんな場所に人がいるはずもない。
しかし、調べないとナーシャの気は収まらないだろうと考えてその茂みを調べようと歩いて行く。
「遅い!」
そう言ってナーシャは桶から飛び出してその茂みの場所に踵落としを繰り出した。
強化の魔法もかかっていることもありその茂みは軽く吹っ飛び地面には小さな穴ができていた。
「誰もいないわね……」
そう言うナーシャだがその茂みがあったところのすぐ横の茂みから小さな物体が飛び出してデルフに飛びついた。
「あれ? ルーじゃないか。何でまたこんなところに」
飛びついてきたのは顔を青ざめて怯えているルーだった。
頬袋をいっぱいに膨らませていることから木の実を取っていたのだろう。
「なんだ。お前ご飯足りなかったのか?」
デルフはあやすようにルーを撫でる。
「なんだ~。ルー君だったのね。ごめんね。あははは」
「ところで、姉さん」
「何よ?」
「丸見えだけどいいのか……」
ナーシャは自分の姿を足から確認して自分が素っ裸であることに気が付いた。
「あっ……」
一瞬ナーシャは恥じらいの顔を見せたがすぐに戻した。
「べ、別に見られても減るものじゃないし。それに弟に見られても別に何も感じないわ!」
どことなく顔が引きつって身体もぷるぷると揺れているが気にしないでおこう。
「そ、そうか」
デルフはなぜか自分の中で警鐘の音が響いているのでこの場は退散しようとするが肩を誰かが掴んだ。
いや、一択しかない。
「ちょっとどこに行くのかしら? あら? あんた濡れているわね」
(それはお前のせいだろ!!)
「これじゃ風邪を引いてしまうわ♪ あんたも遠慮せずに入りなさい!!」
そうやってナーシャはデルフを持ち上げて桶の中に放り投げた。
デルフは何が起きたか分からず宙を舞っている間に立っているルーの姿が目に入った。
(あれ? さっきまで……)
ルーはいち早く自身の危険に気が付いて地面に降りていたのだ。
そして、桶にデルフがすっぽりと入り大きな水しぶきを打ち上げる。
その後にナーシャも続いて桶に潜っていく。
(くそ! やっぱり気にしているじゃないか!!)
お湯で顔が隠れているためその言葉はナーシャには届かない。
「あはは。やっぱりお風呂は楽しいわね!!」
やっぱりそんな笑顔を見せられると文句を言う気が失せてしまう。
(ああ、俺って笑顔に弱いらしい……)
次の日の朝、早起きをして部屋の中で準備を始めた。
鞄を持ち右腰に修行用の刃のない刀を差して部屋を出る。
そして、既に用意されてあった朝食を取る。
(姉さん、いないな……)
ルーを呼ぶと二階からさっと走ってきて飛びついてきた。
そしてデルフの懐の中に潜り込んだ。
朝から元気だなと思って懐に入ったルーを見てみると仰向けになり寝る準備に入っていた。
それを見て少し呆れを顔に出してしまう。
「さて、そろそろ行くか。えーと姉さんは……」
出掛ける旨を伝えようと辺りを見渡すがナーシャはやはり見当たらなかった。
朝からどこかに出掛けたのかと思っていたら外から勢いよく扉が開く。
そこに視線を向けると扉に身を任せて息を切らしているナーシャが家の中に入ってきた。
ナーシャはうつむいたまま右手で汗を拭いすぐに顔を上げ家の中を見回すように首を回しデルフの姿を見つけると安心したように落ち着きを取り戻した。
「よかった~。間に合ったわ」
「姉さん。どこに行っていたんだ?」
そう尋ねるとナーシャは左手に持っていたものをデルフに差し出した。
それは布の袋に包まれている細長いものだった。
受け取って持ってみるとそれが何かは持った感触ですぐに分かった。
袋から取り出すとそれは臙脂(えんじ)色(いろ)に染まった光沢のある鞘に収まった刀であった。
黒色の柄を持ち鞘から抜いてみると修行用なんかではなくしっかりと刃が付いている。
だがそんなことよりもその波打っている波紋がデルフになんとも言えない感動を与えてきた。
「こ、これは?」
ナーシャに聞いてみると微笑みながら「合格祝いよ」と返してきた。
「俺の刀……」
「前から作ってもらっていたのよ。あなたなら絶対合格出来ると思っていたから! お父さんの刀もこれと同じ鍛冶場で作られたのよ」
この国で刀を使う者は限りなく少ないため必然的に刀を作っている鍛冶場も少ない。
あるにはあるが特注をしないといけないらしい。
まじまじと刀を見詰めて更に言葉に出来ないような高揚感が湧き上がるのを感じた。
「付けてみてよ」
ナーシャに言われたように右腰に差してある修行用の刀を取ってその代わりに今もらった刀を差してみる。
「うん! 似合っているわ」
嬉しそうに笑顔になるナーシャ。
そんな顔を見てしまえばデルフも思わず笑みを零してしまう。
「それじゃそろそろ行ってくるよ」
「気をつけて行ってらっしゃい。間に合うように帰ってくるのよ」
ナーシャのその言葉に頷きを返してデルフは家を出た。
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