第25話 家出少女(2)
歩き始めようと足を動かしたデルフだったがその足はすぐに止まった。
その原因は目の前にこれまた黒いローブで身を包みフードで顔を隠している男が立っていたからだ。
デルフよりも身体が一回り大きく腰には剣を差してある。
危険な雰囲気が出ていることはそれだけ鈍感でも分かってしまう。
「何か用か?」
デルフは男にそう尋ねると視線はデルフには合わせずに男は口を開く。
「お前には用はない」
この場にこの男以外にいるのはデルフと後ろの少女ぐらいだ。
そのうちデルフが狙いではないとするとつまりそういうことになる。
デルフは首だけ後ろを向き少女に問いかける。
「なぁこいつお前の仲間か?」
「そんなわけないです!」
少女は口を膨らましながら言うがその目は笑っていなかった。
それもそのはず目の前の男は殺気を放っている。
その殺気はデルフに向けられていないのにもかかわらず認識ができるほどだ。
「そこをどけガキ。お前は標的じゃねぇ」
そう言われたデルフだが道を開ける気などさらさらなかった。
後ろの少女は憎たらしかったがその程度で守らない理由にはならない。
そもそも騎士になろうとしている身であるデルフに見捨てるなんて選択肢があるはずがなかった。
それに口では何もしないと言っているが目撃者を生かして返すとは到底思えない。
(戦うしか……ない!)
デルフは無言で腰に差していた木刀を抜き取った。
敵意を察知した男はようやくデルフに視線を向ける。
「後悔するなよ。ガキが……大人しくしていれば楽に死ねたものを」
そう言って男も鞘から剣を抜き取る。
やはり元から殺すつもりだったらしい。
「何をしているのですか! 早く逃げるのです!」
後ろから少女の怒鳴り声が聞こえてくる。
「生憎そうもいかないんだ。あのとき誓った。今度は守る人になるってな!」
大声でデルフは言い放った。
少女は何を言っているか理解はできないだろう。
案の定に少女の顔は呆気にとられていた。
(自分が立てた誓いだ。これを破ってしまったら生かされた意味がなくなる! 俺はもう逃げない!)
それに震えた声に不安げな眼差しを向けられてしまえば引くに引けない。
改めてデルフは相手を観察始め情報を集める。
これは修行の時と違い今回の相手は木刀じゃない。
相手の剣の切っ先がギラリと不気味に光っているのを見るとこれが命をかけた本当の実戦と思い至る。
足が震えているのは緊張からだろう。
(いや、これは恐れか?)
デルフは大きく息を吐くことで落ち着かせる。
相手は剣であり木刀では防ごうとしてはそれごと身体も斬られてしまうことは目に見えている。
デルフは避けることだけに集中することにした。
お互いに睨み合いの硬直状態が続く。
短時間だがデルフには長時間にも感じるほどの緊張感を感じていた。
敵はまだ動かない。
それが意味することは敵は油断をしていないということだ。
デルフを敵の一人と認識している。
(これが命を賭けた戦い……正直、吐きそうだ。だけどやるしかない!!)
勝つか負けるかの確率は負けるが九割を越えるだろう。
そもそも少し前のデルフは剣を全く持たない村人だったのだ。
だからデルフは相手よりも先に動いた。
受け身になれば反撃もできないまま押し切られることを危惧したからだ。
デルフは左手で木刀を握りしめて突っ込んでいく。
男はそれに合わせて剣を振りかぶりって振り下ろす。
(油断していないと思ったが子どもだと思って嘗めているな!)
振り下ろされた剣の軌跡を目ではっきりと捉えている。
そもそも元から避けるつもりのデルフは男が振りかぶる前から避ける動作に移行していた。
そのため難なく避ける事ができた。
「はああああ!!」
デルフは空振りして体制を崩した男の腹部を木刀で思い切り突く。
「ぐぅ……」
男は呻き声をあげゆっくりと後ろに後退る。
だが、ローブの下に防具を着けているらしく怯んではいるが効いている様子はなかった。
「なかなかやるじゃねか。ガキだと思って油断したぜ。もう遊びはなしだ!」
男からさらに強まった気迫がデルフに伝わってくる。
デルフは恐怖する自分の心に反発して足を一歩前に出す。
そして、男を強く睨み付ける。
男は素早く走り出しその動きはまだ対応できる程度のスピードだったがそれでも十分に速い。
デルフに向けて振り下ろした剣には相当の力と速度を兼ね揃えている。
目では追うことはできるが体が追い付けていない。
そのため剣の動きに遅れて僅かに掠ってしまう。
攻撃を返そうにも既に男には一切の油断など消え失せてしまい隙があるはずなかった。
避けるだけで精一杯だ。
デルフが危惧していた受け身になってしまっている。
だが、速いとは言っても本気を出したナーシャよりは断然遅い。
問題は木刀で攻撃をいなすことが不可能なことにある。
躱すことしかできないデルフが相手の剣に身体が次第に追いつかなくなるのは自明の理だ。
先の一撃で勝負を付ける事ができなかったことは大きかった。
何回も避け続けているデルフに疲労が顔に出てくる。
思うように動かなくなってきた身体を無理やりにも動かせる。
だがそれでも言うことが聞かなくなった身体は一瞬であったが停止してしまった。
その隙を男が見逃すはずがなく剣がデルフの腹部を深く抉っていく。
「ぐあっ!! はぁはぁ……」
デルフは根気で痛みに耐え後ろに飛び下がる。
「今までよく耐えたな。ガキにしてはなかなか頑張った。だがその傷ではもう死ぬのも時間の問題だ。敬意を表してすぐ楽にしてやる」
「待ってください!!」
後ろにいた少女は満身創痍のデルフの姿に耐えられなくなり叫んだ。
その少女に男は一瞥をくれる。
「お前は黙ってそこにいろ。お前は生け捕りという命令だ。しかし暴れられても困る。こいつは見せしめだ」
少女はその男の言葉を聞いて懐から何かを取り出し自分の首に当てた。
「その人を見逃してくれなければ私は自害します」
それはナイフだった。
小さな果物ナイフだったがそれでも刃物だ。
ゼロ距離で使えば人の命を奪うのは容易い。
ナイフは少女の首に食い込み血が滲んでいる。
手は震えておりいつその弾みで自分の首を切り裂くかは自身にも分からないだろう。
流石にそれを見た男は動揺が目で分かるほど現われて動きが止まった。
「馬鹿な真似はするな!!」
その言葉を言ったのは男ではなくデルフだった。
少女は驚き狼狽えつつもデルフに怒鳴りつける。
「何を言っているのですか!! あなたこのままでは死んでしまいますよ!!」
「見ておけ。そんなくだらない真似をしなくても俺が勝つ!」
「っ……!!」
デルフの気迫に少女は力が抜け持っていたナイフを地面に落とした。
「へ、へへ……まさかお前が止めてくれるとはな。助かったぜ」
「はぁはぁ……何安心しているんだ? ……俺は今お前を倒すと言ったんだ。覚悟しろよ。雑魚が!」
そのデルフの言葉は一瞬にして機嫌が良くなっていた男の頭に血を上らせた。
「雑魚……だと? 生意気な口を叩くな!! ガキが!!」
男はデルフとの距離を瞬く間に詰め寄り剣でデルフの身体をさらに蝕み続ける。
腹部の深手の痛みせいで視界がぼやけてきたデルフはこれ以上は持たないと判断し一か八かの賭に出ることにした。
その瞬間、男の剣がデルフの木刀の刀身を真っ二つにした。
「ははは!! 調子に乗ったのが悪かったな! あの世で後悔するがいい!!」
怒号を上げながら男は迫りきて剣を振りかぶり突っ立っているデルフの首に正確に狙いを定め振り下ろした。
男は完全に取ったと信じて疑わなかった。
しかし、デルフは男にとって予想外の行動に出た。
男の剣がデルフの首に迫った時デルフは剣の軌道上に義手である右腕を上げた。
デルフが右腕を捨てたと狙い通り男はそう考えたようで剣の勢いを止めずに振り下ろす。
男は首にしか眼中になくデルフの右腕が冷たい色をしていることに気が付いていなかった。
冷静な状態ならば気づけただろうが今は激昂しているためデルフの首を取ることしか考えていない。
無論、そのためにわざとデルフは挑発したのだ。
そして、男の剣が右腕と交差して金属のぶつかり合う甲高い音が辺りに鳴り響く。
首を跳ねたと確信した男は剣が途中で止まっていたことに酷く動揺しており一瞬だったが怯んでしまった。
その隙を突きデルフは重たい右腕を動かして剣を弾き大きく振りかぶって足を踏み込ませ腰を入れる。
そして、男の顔に向けて最大限に力を込めた鉄の拳を解き放つ。
「があっ……」
デルフは思い切り男の顔にめり込んだ拳を振り抜き後方へ吹っ飛ばす。
吹っ飛ばされた男は地面に衝突した後、数回転がって倒れた。
「はぁはぁ。魔力はないが羅刹一打だ……」
カリーナの技を借りたが元々くれてやるとか言っていたことだし文句は言わないで欲しい。
全てを出し尽くしたデルフはその場に倒れ込む。
意識も朧気になってきておりいつ気を失ってもおかしくなかった。
デルフは身体に力を入れてみるが一遍たりとも動かないことを確認した。
それよりも力が入らない。
これ以上の戦闘は不可能でありそもそも命の危険さえあった。
(頼むから立ち上がらないでくれよ……)
だが、その祈りも儚く散る。
男はゆっくりと起き上がってきた。
立ち上がるとフードが完全に脱げて顔がはっきりと露わになった。
殴られた箇所が大きく腫れあがり骨が砕けてしまっているのがわかる。
口から血が零れており片目も赤く充血していた。
その他にも剣で斬られたような跡が数多くあるがそれはデルフが付けたものではない。
「やってくれたな! ガキが!!」
男は剣を持つことを忘れ怒りのままに殴りかかろうと走り出した。
デルフにはもう避ける力どころか立つ力さえも残っていなく為されるがままにされる未来が近づいてくる。
ただ倒れながらも男を睨みつける目だけは緩めることはしない。
すると男は走り出した足がゆっくりと遅くなっていった。
しまいには止まって立ち尽くしていた。
男の顔から冷や汗が湧き出ており目には恐怖の色があった。
「な、なんだお前。そ、その殺気は!? ひっ……」
震えた声でそう言った後、男は腰が竦み動けなくなった身体を必死に動かして一目散に逃げて行った。
デルフは何が起きたか訳が分からなかったがその理由はすぐに出てきた。
ルーがポケットの中から出てきてデルフの顔の横に立っていたのだ。
「そうか。お前が助けてくれたのか……」
あの捕食者さえも近づけさせないルーが放つ殺気ならば怯えてしまうのも当然だ。
戦いの緊張が解け戻った痛みによって意識がなくなりそうになったときデルフに声を掛ける者がいた。
「大丈夫……ですか?」
戦いを後ろで見ていた少女が倒れているデルフにてとてと近寄ってきた。
付けていたフードは脱げておりまだ子供っぽさが残っているが将来には美女になるだろう綺麗に整っている肌白い顔を露わにしていた。
白い長髪が揺らめいており朧気な目で見ると雪が降っていると勘違いしてしまいそうになる。
「ああ、もちろんーー」
「嘘つかないでください」
少女は泣きそうな顔でそう言うと徐にデルフの深く損傷した腹部に手を翳した。
すると少女の手が淡い緑の光を放ち腹部を包み込む。
(何をしているんだ?)
デルフはぎこちない動きで首を動かし傷口を見てみるとみるみるうちに傷が塞がっていくのが目に映った。
まだ少女は手を翳していたが自身に襲っていた痛みが急に消え失せむくりと起き上がり地面に腰を下ろす。
「驚いた……これが治癒魔法か。ナーシャが言っていた効力と桁違いだ」
「本当にあなたは馬鹿です。あなたに天才と言ってしまった私は恥ずかしいです。私なんてさっさと逃げてしまえばよかったのに……」
「そんなわけにはいかなさいさ。よし治ったな」
デルフは立ち上がろうとしたが少女に止められる。
「まだです! 全く治っていません。じっとしていてください!」
デルフは渋々立ち上がろうとした身体を再び地面に落とす。
だが、そのときデルフの脳裏に何か忘れているのではないかという不安が過ぎった。
「なぁ、思ったんだけど今時間どれくらいだ?」
「えーと。もうお昼過ぎになるでしょうか?」
デルフはナーシャと勉強していたときよりも戦闘の時よりも早く頭は計算を始めた。
そして、導き出したデルフの表情は青くなっていた。
「や、やばい。早く行かないと!!」
「何回も言わせないで下さい! まだです! 深い傷は塞ぎましたが他の傷はまだです!」
「それで十分だ。ナ―シャを怒らせた方がもっと怪我をしてしまう! ほら早く!」
デルフは立ち上がり少女の手を引っ張って裏道から大通りに出た。
「ここまで来たらもうさっきの奴が襲ってくる心配はないだろう。まぁあの怯えようでは来そうにもないか」
なにやら少女は頬を赤らめながら引っ張ってきた手を擦っている。
(焦って強く引っ張ってしまったのか……注意しないとな。まだ小さな少女なんだ)
デルフの中では女性は強い者しかいない事になっていたためかよわい少女になれていなかった。
「そうですね……。本当に大丈夫ですか?」
ようやく顔をあげた少女は上目遣いでデルフに尋ねてくる。
「ああ、大丈夫だ。お前も早く家に帰るんだぞ。親が心配してしまうからな。じゃあな」
そう言ってデルフは走り出すが少し進んだ先で止まり引き返す。
なんだろうと少女は首を傾げているがデルフにはやり残したことがあった。
「ああそうだった。忘れてたよ」
そう言ってデルフは少女の前に立ち軽く頭を小突く。
「痛ッ!!」
何が何だか分かっていない少女は小突かれた頭を手で擦りながら涙目でデルフを眺める。
「もう二度とあんなことするなよ」
少女は涙ぐみながら数回こくこくと頷く。
デルフはそれを確認すると笑顔を見せてから走り去っていく。
(そういえば名前聞いていなかったな。いや、それよりも早く帰らないと!!)
デルフは走りながら少女の名前を聞き忘れたことを思い出したがナ―シャの怒りの恐怖に上書きされてしまった。
「初めてです。私にここまで自然に接してくれるなんて」
そう言う少女はくすりと笑い頬は仄かに赤みをさしていた
今も尚あの少年が小突いた自分の頭を撫でている。
自分の正体を知らない者などこの王都にはいない。
だからわざわざフードをして裏道を通って家出をしていたのだ。
(まさかこの王都に私を狙う輩がいたとは。盲点でした……ダメですね。ん?)
少女は顔をあげると露店が建ち並ぶ光景に息を呑む。
どこからか鼻腔をくすぐるいい匂いが少女の空腹を増強させる。
(しょうがないですね! 潔く表でこの露店を楽しみましょう!)
その時、後ろから老年の騎士が走ってきていた。
「探しましたぞ。フレイシア様」
「げぇ! 今度は本当に追手ですか!!」
「さぁ帰りますぞ! ハイル陛下がどれほど心配なさっていたことか」
「お父様のことなんて知りません! お父様もお兄様も仕事、仕事ばかりじゃないですか。って離しなさーーい!!」
老年の騎士に首根っこ掴まれて引きずられていくフレイシア。
「ところで、爺」
「何を言っても逃がしませぬぞ」
しかし、その心配は無用だった。
今のフレイシアの顔は先程と比較できないほど聡明になっていた。
「もう逃げません。ところで先程怪しい輩がいましたのでそちらにも追手を送ってください。その方は顔を大きく膨らませて重症です。私だけ捕まるなんて腹立たしいです」
違った。
ただの八つ当たりだったようだ。
フレイシアは顔を真っ赤にして口を膨らます。
「ほう。その者に何かされたのですかな?」
不敵な笑みを浮かべながら老年の騎士がフレイシアに尋ねる。
「私の身柄を狙われました」
そのフレイシアの言葉を聞き老年の騎士の空気が変わった。
今さっきまで笑っていたのが嘘のような豹変ぶりだ。
口調まで変化はしなかったがそれに含んでいる殺気は隠しきれてはいない。
「なるほどなるほど。そうなれば他の者には任せておけんせぬな。フレイシア様を送り届けた後、この爺が参りましょうぞ」
「それなら早く行ってください。私なら一人で大丈夫です」
「申しました通り送り届けてからですぞ♪ 楽しみですな~。フレイシア様の命を狙うとはどのような者か……。いやいやそれよりもまずは帰りますぞ!」
「爺、自分だけ楽しそうに……ずるいです」
「フレイシア様もこのお出かけの際中に何か面白いことはなかったのですかな?」
楽しそうに老年の騎士がそう聞いてくるとフレイシアはさっき助けてくれた少年を思い出した。
「爺、先程不思議な人に出会いました」
「ほう。それはこの爺めも気になりますな。ところでフレイシア様? 少し顔が赤くなっているようですが?」
「う、うるさいです! とにかく歩きながら話します! ほら行きますよ!!」
「ほうほう。フレイシア様ももうそんなお年ですか。感慨深いですな~」
老年の騎士はハンカチを取り出しそれで大袈裟に涙を拭う。
「も、もう! 話しますよ! まずは……」
「どうしました?」
「いえ、名前を聞くのを忘れました」
「はっはっは。まぁ王都にいるということはまた出会う機会もありましょう」
老年の騎士は少し落ち込んでいるフレイシアを励ました。
「それもそうですね。次に出会うときが楽しみです」
その後、老年の騎士に出会った少年について話を始めた。
話しているときのフレイシアの顔は笑顔に満ちておりとても楽しそうに話していた。
それはフレイシアが見せた久しぶりの笑顔だった。
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