第23話 姉にして先生

 

 その日の夜も悪夢に悩まされた。


 二ヶ月経った今でも流石に毎日とまで言わないが気を抜いたときにあの村の出来事が夢の中で忠実に再現される。


 そう簡単に忘れることはできない。


 いや、逆に忘れてはならないことだと心に刻んであるが安眠を取ることができないのは由々しき問題であった。


「ああああああああ!!」


 デルフはまたも絶叫とともに起き上がる。


 酷く汗を掻き呼吸が乱れて早まった鼓動を整えるようと必死に宥める。

 もうこの流れは何回も経験して夢だとは気付いているため周りを確認する動作はなくなった。


 頬を伝っている涙を拭いた後、一息つこうと水を飲もうと部屋を出る。


 水を飲んで少し落ち着くと後ろに近づいてくる気配があった。


 デルフは後ろを振り向くと寝間着姿のナーシャが立っていた。


「デルフ。また悪夢を見たの?」

「あ、ああ。すまない。起こしてしまって」

「それはいいけど……。その夢ってあなたの村で起きたこと?」


 デルフはナーシャの言葉に耳を疑った。


(村のことはまだナーシャには話してはいないはず……)


 しかし、考えてみるとナーシャがそのことを知る方法は一つしかなかった。


「師匠か……」

「ごめんね。だけどお父さんを責めないで。私が気になってお父さんに問い詰めたの」

「仕方ないよ。何回も飛び起きているんだ。普通は気になってしまう。こっちこそ何も言わなくて悪かった」

「デルフ…………。ッ……」


 ナーシャは椅子に座り話そうと口を開くが少し詰まった。


 だが、落ち着こうと息を吐いてから改めて言い直す。


「デルフ。よかったら……よかったらその村のこと、聞かせてくれないかしら? ……嫌だったら無理をしなくていいから」

「師匠に聞いたんじゃないのか?」


 そうデルフが言うとナーシャは顔を横に振る。


「いいえ。そこで何があったかだけしか聞いてないわ。……詳細は私が直接聞くって言ったの」

「そうか」


 デルフは少し迷ったが村のことを話そうと決意する。


 話すことで悪夢から逃れようとすることは甘えなのかもしれない。

 もう誰にも弱さを見せないと誓ったことに反することかもしれない。


 でもなぜかナーシャには話してもいいと思った。


「まずは…………」


 デルフは村に起きたことをありのまま話した。

 ありのままとは言っても説明しているうちに感情的になり自分でも何が何だか分からなくなったがナーシャは口を挟まず静かに聞いてくれた。


 全て言い終わるとデルフの目から一つの雫がこぼれ落ちる。


「すまない」


 デルフは頬に伝っている涙を手で目を隠しながら拭う。


 そのときデルフは身体に包まれる柔らかく暖かい感触を感じた。


 何かと思い目を開けて見るとナーシャがデルフを抱擁していた。


 そのままナーシャは耳に口を近づけて話し始める。


「そんなことがあったのね……。私もね小さい頃にお母さんが死んじゃったの。不治の病にかかっちゃってね。だからと言ってあなたの苦しみが全て分かるとまでは言わないわ。でも親を失う辛さだけは……分かる」


 ナーシャの目からも涙が流れていく。


「大丈夫なんて言わないわ。でも、あなたは一人じゃないのよ。私とお父さんがいる。弟子とはいえ私たちはもう家族よ。辛いことがあれば話してくれると嬉しい。あなたが困っていれば私は本気で力になるわ。絶対に」


 涙を流しているがナーシャの顔は笑顔に満ちていた。


「もう一度言うわ。あなたは一人じゃないのよ。だから一人で抱え込む必要なんかないの。もう私たちは家族なんだから!」


 ナーシャの抱きしめていた手が更に強くなる。


 デルフの手は震え涙が更に零れ落ちていく。


 必死に拭おうとするがいくら拭っても涙は流れ続けていく。


「俺は……一人じゃない……」

「ええ。そうよ。あなたは一人じゃない。あなたに辛いことがあれば私もそれを背負う」


 デルフは黙ってナーシャの言葉を心に浸透させるように聞く。


「それにあなただけが生き残ったことは悪いことじゃないわ。むしろ、あなたの両親はもちろん皆あなただけでも生きてくれたことを喜んでいると思うの。あなたも自分一人で悩むことはもう止めにしなさい」


 デルフは何か心の中で失っていたものが満たされていく感じがした。


 その言葉で何か救われたような気がする。


 だからこの一言を言わずにいられなかった。


「ありがとう。姉さん」


 デルフはにこやかに笑った。

 それはあの悲劇から久しく見せたデルフの心からの笑顔だった。


(俺は、一人じゃない!)


 そのことがデルフの体を駆け巡り身に染みていく。



 

 朝になると昨日言っていた通りリュースに稽古を付けてもらった。


 ナーシャほど厳しくはなく悪いところを指摘されそれを修正する繰り返しだ。


 修行とは反復練習ということが最近になってようやく分かった。


 少しだけ取り組んでできなければすぐに放り投げたあの頃が恥ずかしく感じる。


 そして、昼からは屋内でナーシャがデルフに座学を行う予定になっていた。


 主に学ぶことは国の情勢や現在に解明されている魔力について、そして普通に勉強だ。


 ナーシャ曰く馬鹿に騎士は務まらないらしい。


「まずは主な大国から話すとするわ」

「頼む。ナーシャ」


 デルフがそう言うとナーシャはいたずらな笑顔になった。


「デルフ……私のこと姉さんと呼んでくれないのね」


 デルフは深夜のことを思い出すと恥ずかしくなり顔が真っ赤になってしまう。


「い、いいから話を続けてくれ」


 デルフは言葉が詰まりながらも話を変えようとする。


「まぁ、いいわ。いつか普通に呼んでくれるのを心待ちにしているわね」


 ナーシャが冗談めいた顔で笑いながら言う。


 そしてナーシャの授業が始まった。


 まずこの大陸には五つの大国があるとのことだ。東にジャリム、南東にボワール、南にシュールミット、西にノムゲイル、そして北にデストリーネがある。

 これらが主な大国だ。


 その他に小国も複数あるらしいが殆どがこれら大国の属国となっているらしい。


 取り敢えずはこれらの大国を特に敵対関係があるジャリムは頭の中に入れておけとのことだ。


 ジャリムとの敵対関係があることは知っていた。

 父であるグドルが対ジャリムの砦の兵として働いていたので話は聞いたことがあるからだ。


 しかし、聞いてみるとジャリムとは敵対関係にあるものの今は休戦中のようだ。

 それでもいつ休戦協定が破棄されるかわからないため砦では警戒は欠かさないようにしているらしい。


 次にデストリーネ王国のすぐ西側にある小国のフテイルも覚えておけとのことだ。

 フテイルは小国ではあるがデストリーネの属国ではなく友好関係を結んでいる珍しい国だ。


 そのため関係でも距離としても最も身近な国と言える。


 フテイルは小国でありながらも大国に負けない国力を持っているのだが領土の広さだけで小国と定められているらしい。


 後の説明は追々に話すらしくまずは今言ったことを頭に入れといてとナーシャがそう言って国についての話が終わった。


「さーて、次は魔力についてね」

「なぁ。魔力の話は別にいいんじゃないか? 俺は魔力がないし」


 デルフがそう言うとナーシャに頭を小突かれた。


「馬鹿ね。あなたは使えないかもしれないけど相手は使ってくるのよ? 現に私だって使うもの」


 デルフも考えてみるとそれもそうだなと納得しナーシャに話をするよう促した。


「まず空気中に漂っているある物質を人に備わっている身体の組織が変化させたものが魔力よ。動物にはこの組織がないから魔力を持っていないわ」

「なるほど、動物が魔力を持たないのはそういうことだったのか」

「それでその物質は魔素まそやあまり使われないけど魔源まげん、主にそう呼ばれているわ。私たちの国では魔素が主流ね。私の予想だとあなたに魔力がないのは魔素を変化させる組織が働いていないかもしれないわね。ここまではいい?」


 デルフは言われたことを頭でまとめながら頷く。


「それで次は魔力を行使して使用できるのが魔法、魔術。これも様々な呼び方があるわ。魔法の中にも種類があって詠唱型、筆記型、そして無詠唱型の三つに分かれているの」


 また新しい言葉が出てきたためデルフは必死に覚えようと頭に詰め込む。


「詠唱型はその名前の通り魔力を言葉に込めて魔法を行使する。筆記型は詠唱型とは違い魔力を文字に込めて魔法を行使することよ」


 筆記型は封印魔法を筆頭に罠形の魔法に用いられることが多いらしい。


 とてもじゃないが戦闘の最中に使うことはほぼ不可能だろう。


 詠唱型は一言一句間違えずに詠唱するためどの魔法を使ったかが分かってしまうため戦闘には不向きで使っている人は珍しい。

 中には自分で魔法を作るものがいるがそれは稀であるらしい。


 そこでもう一つの無詠唱型の出番というわけだ。


 無詠唱型は名前で分かるとおり言葉で詠唱する必要はなく頭の中で呪文を唱えることで魔法を行使する。


 もちろん口に出す必要はないが口に出すことによって想像しやすくなるためその魔法の名前を口にする者もいる。


 安易に名前を言うのではなく自分だけの名前を付けてどんな魔法を使っているか分かり辛く工夫をすることも可能とのことだ。


 例えるならカリーナの羅刹一打などがそうだ。

 聞いてみるとやはりそんな名前の魔法はなく強化の魔法の応用だろうとナーシャは言っていた。


 こう見てみると無詠唱型が一番扱いやすく感じるがもちろん欠点は存在する。

 威力や効果だけ吟味すると大きく変わってくる。


 騎士が主に使う魔法は強化の魔法だが無詠唱型だとないよりマシ程度だということだ。

 ただ想像が完全であるならば本来の効果が望めるらしい。


 熟練度によって効果が左右するのが魔法と覚えておけば簡単だろう。


(そうなるとカリーナのあの技ってほぼ無詠唱だよな? やっぱりカリーナの強さは出鱈目だったのか)


 改めてデルフはそう確信した。


 そして、デルフがナーシャの説明の中で気になったのは特に希有な魔法である治癒魔法についてだ。


 それならこの無くなった右手を治せるのではと思ったが流石にそこまで便利な代物ではなく止血や軽い傷を治せるだけの代物だそうだ。


「魔法って便利だけど融通が利かないのが難点だわ」


 それがナーシャの魔法についての感想だった。


「そんな無詠唱型だけどその中にも例外があるのよ。デルフは何かわかるんじゃないかしら?」


 言われたとおりデルフは心当たりがあった。


「紋章のことか?」

「正解よ。あれはその紋章に魔力を流し込むだけで行使できるのよ。これを一部では紋章術と呼ばれているわ。紋章で有名なのは南東のボワール王国にいる英雄ジャンハイブね。その英雄がいるだけで他国はボワール王国との戦争を躊躇っているという噂よ。まぁそれでも戦おうとする国はあるのだけど、まぁそれは話が逸れるから今は置いておくわ。紋章には一つの魔法しか入っていないというけど考えてみると魔力を入れるだけで使えるなんてそんなの卑怯よね」

「その英雄の紋章の魔法は何なんだ?」

「それは情報が流れてきてないのよね。だから、わからないわ。昔話なら紋章の魔法の中に攻撃を無効化するものがあったという噂だけど。それが本当かどうかもわからないわ」


 その言葉にデルフは疑問を感じた。


「紋章の魔法って同じ魔法が宿ることがあるのか?」

「うん。そうよ。紋章に宿る魔法は固定らしいわ。いろんな学者達が調査した結果、昔の本から英雄と呼ばれた人たちが似たような魔法を使っているらしいの。ただ本当に同じ紋章を持っていたのかは分からないけどね。それにこの世界に紋章持ちが何人いるのかも不明だし」

「攻撃が効かなくなる魔法か。もしかしたら俺の右手のやつがそうだったのかもしれないな。そんな魔法が使えれば敵なしだろ」


 今となっては確認することはできない話なのだが。

 いや、そもそも魔力が無いデルフにとっては確認のしようがない。


「次は知っていると思うのだけれどそんな魔法を使うために必要な魔力を発見したとされているのが大魔道士ケイドフィーアと呼ばれる人物よ。聞いたことあるでしょ?」


 ナーシャの言う通り聞いたことがあった。


(確か子どもの頃に母さんがよく聞かしてくれた昔話の本の中の一つに出てくる魔法の生みの親とされる人だったな)


 しかし、その昔話はとてもハッピーエンドとは言えない結末だったとデルフは思い出す。


「この話って大魔道士と呼ばれていたが後にその力に狂ってしまい暴れた後に捕らえられて処刑された話だったな」

「ええ、そうよ。大魔道士から一転して最悪の魔女と呼ばれた人の話。凄い人も力に溺れてしまうって事ね。まぁ色んな諸説があってこの人の子どもが死んじゃったから我を忘れたというお話もあるわ」


 その後、夕方になるまでナーシャによる授業が続いた。


「さぁてこれぐらいかしらね」

「これで終わりなのか? 思っていたよりも少ないんだな」

「何言っているのよ? 今日したのは基礎を教えただけに過ぎないわ。まぁ安心しなさい。基礎さえできれば後は勘でなんとかなるわ」

「そ、そういうものなのか?」


 そうナーシャに聞くとナーシャはもちろん!とでも言うように笑顔を返してきた。

 その笑顔が少しデルフに不安を与えてくる。


(自分でも勉強していこうかな……)


 そして、ナーシャは勢いよく立ち上がり大きく伸びをする。


「今日はおしまい! 晩ご飯の用意をしなくちゃ」

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