第12話 捕食者(1)

 

 デルフたちは村から避難しようと南へ向けて歩みを進めていた。

 

「デルフ! なぁに、大丈夫だ! 槍ボアごときにグドルさんが負けるなんてあり得ないぞ!」

 

 列の最後尾で歩いていると突然カリーナに励まされた。

 どうやら自分が気付かないうちに暗い顔になっていたようだ。

 

「うん。父さんだから心配はないと思うんだけど」

「さっきからどうしたんだ? そんな深刻そうな顔して」

 

 そのカリーナの言葉と同時に前列が騒がしくなってきた。

 

「なんだ? なにかあったのか?」

「取り敢えず前に行くぞ!」

 

 カリーナが猛スピードで駆けていく。

 

「おい、カリーナ! 待てって」

 

 すぐ近くにいるサスティーに少し行ってくると言い残してデルフはカリーナを追っていく。

 

 前列に近づいていくに連れて騒がしい声が悲鳴だとわかった。

 

 南門に向かっていた人たちが引き返してくる。

 

 引き返す人と何が起きているか理解できずに前に進む人が衝突して思うように進めない。

 

 混雑した道をかき分け最前列に行くと村長の姿をようやく見つけた。

 カリーナもすでに着いており村長の隣にいた。

 

「村長! カリーナ! 何があったんだ?」

 

 デルフは二人の元へ駆けていくが二人ともデルフの言葉に対して無言であった。

 

 それどころか視線は南門の先に向けられていた。

 デルフも南門をジッと凝視してみる。

 

 最初はただ砂埃が舞っているだけに見えた。

 

 それだけではなく砂埃が舞うと同時に雑踏の音も広がっている。


 そして、デルフは気が付いたそれらの元凶に。  


 槍ボアの群れが南にも迫っていたのだ。

 

 しかし、その槍ボアの姿が異様に変わっていることにもデルフは気付いた。

 

「槍ボアなのか? いや、そうじゃない! なぜ南にもいるんだ?」

「デルフ! 考えている暇はないぞ! 私が抑えるから後ろのことは任せたぞ!」

 

 カリーナがそう言い残し槍ボアの群れに飛び込んでいく。

 

 任せるとは恐らく違う門から逃げろと言うことだろうとデルフは解釈する。

 

 デルフは急いで村長とともに後ろの混雑をまとめに行く。

 

 だが、すでにまとめに入っている人物がいた。

 

 フランドとシュレンだ。

 

(普段は威張り垂らしているフランド達だがいざってときは頼りになるな)


 すると、フランドもデルフに気が付いたようで近づいてくる。

 

「おい! デルフ! いったい前で何が起こっているんだ!?」

 

 まだ何が起こっているか把握していないフランドが焦った表情で聞いてくる。

 

 デルフは手短に説明する。

 

「おいおい。どうなっているんだ? 北も南も動物に襲われるなんてよ。そしたらなにか? 東と西も来るんじゃないだろうな?」

 

 不吉なことを言うなとデルフは思ったがフランドの言葉にも一理ある。

 

 しかし今は逃げることが優先しなければならないので話を打ち切ろうとした。

 

「それは分からないよ。そんなのもし来たら動物たちは統制が取れて……」

 

 デルフは自分が言おうとした言葉に何か引っかかりを感じた。

 それでフランドのことを忘れて考え込んでしまう。

 

「お、おい。どうしたんだ?」


 デルフが引っかかりを感じた言葉、それは統制だ。 


「統制? まさか、いや、あり得る。僕は何を勘違いしていたんだ。挑戦の森から動物がいなくなったんじゃない! あの嫌な予感が消えたと言うことはつまり移動したんだ!」

 

 しかしとデルフはさらに物思いに耽る。

 

「槍ボアは他の動物に比べて知能が極端に低い。僕が倒すときに仕掛けた簡単な罠に引っかかるほどだ。そんな動物が統制を取れるとは思えない。槍ボアの変化についてはまだ分からないが統制する動物がいることは確かだ……」

「おい! さっきからブツブツなに言ってんだよ!」

 

 怒鳴り声が横から聞こえるがデルフはそれどころじゃない。

 

「いや、統率者がいなくても槍ボアは変化で知能が増加したと言うことも考えられる……」

「おい!」

 

 フランドに胸ぐらを掴まれたことでハッと気付き辺りを見回す。

 自分の世界に入ってしまっていたことにようやく気が付いた。

 

 しかし、デルフが考えたことが合っているとなると統制できることができる動物は捕食者ぐらいだろう。

 

 もしかすると既に村の近くにいるかもしれない。

 

 そうなるとこの村で倒せる可能性があるのはグドルだけだ。

 

(それに槍ボアの変化も気になる。僕のことは置いといて普通の槍ボアなら僕は難しいがカリーナは余裕としてフランドも簡単に勝てるだろう)

 

 しかしあの変化した槍ボアがどれだけの強さかは未知数である以上真っ向から戦うのは得策じゃない。

 

(早く逃げるべきだ)


 考えた結果、結局この結論に至った。

 

 カリーナは大丈夫だろうかと顔を向けるがカリーナだから心配はないと自分に言い聞かせて逃げるための行動を急いで開始する。

 

 だが決断が少し遅かった。

 

 そのとき、聞き覚えのある声で悲鳴が轟いた。

 

 デルフはその声の方に振り向いた。

 その光景に目を疑い絶句した。

 

 シュレンの腹から何かが飛び出したのだ。

 

「フランド……。こ、これ何?」

 

 シュレンは何が起こったか分からずに困惑している。

 

 それは槍ボアの岩が纏ってある鼻だった。

 シュレンの背中には興奮している槍ボアが密着していた。 


「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 シュレンは自分の腹部を触り手に着いた血を見て恐怖に耐えきれず叫んだ。

 

 槍ボアはシュレンを刺した一頭だけではなく東だけでなく西からも群れが広がってくる。

 

 まとまりかけていた村人達は悲鳴を上げながら散逸して逃げ出してしまう。

 

 槍ボアの群れは容赦なく村人達を襲い掛かる。

 

 武器を持たない人たちはどうにか避けようとするが数の暴力で槍ボアの餌食となって串刺しにされていく。

 

 戦える大人たちは殆どグドルが報告に来たときに北門に向かっていった。

 

 今この場で戦える人は微々たるものでそれにデルフは含まれていない。

 

 悲鳴、絶叫が鳴り止まない。

 

 立ち竦んでいるデルフは耳を塞ぎたくなる。

 

 この悲惨な光景に果たして耐えられるのだろうか。

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだ。

 

 まとまりがなくなった村人たちを再度まとめることは不可能になった。

 

 そもそも全て手遅れなのだ。


 逃げ場なんて何処にもない。


 それに自分では何も出来ないことは分かっている。

 

 デルフは呆けてただただ眺めることしか出来ない。

 

「貴様らぁぁ!! よくもシュレンを!!!!」

 

 フランドは怒号を上げて剣を引き抜き槍ボアに立ち向かっていく。

 その怒号がきっかけで現実に引き戻されそれでも自分に何が出来るのかを考えてみる。

 

(どうすればいい。何をすれば! 僕に何が出来る?)


 しかし、考えは収拾つかずに突っ立ったままであった。

 

 槍ボアの突進により家は所々破壊され中には崩壊している家もある。

 聖火台が倒され中にあった火種が辺りに飛び散り家が燃え上がる。

 その家が次の火種となり刻々と他の家を蝕んでいく。

 

 月明かりと火によって夜と思えない明るさとなったが光景はまさに地獄だ。

 

 そのとき北門の方向から煙のせいで姿は見えなかったがこちらに向かってくる影は見えた。

 

「と、父さん?」

 

 北からここに向かってくるのならグドルしかいない。

 グドルならこの槍ボアでも勝てるはずだ。

 決してグドルが負けるはずがないとデルフはそう信じていた。

 

 しかし、近づくにつれその影は大きくなっていく。

 明らかに人の大きさを超えた影だ。

 

(父さんじゃ……ない!)


 いったいその影から何が出てくるのか。

 

 ドシドシとした足音が耳に入ってくる。


 そして、煙の中から姿を見せたのは大きい黒い猿だった。

 

「やっぱり……父さんじゃなかった。いや、こいつだけが逃げてきた可能性がある! 落ち着け……」

 

 心の中ではもう分かっている。

 それでも明確な根拠がない限り信じるわけにはいかない。

 

「キィィィィィィ!!」

 

 黒猿が跳躍し一瞬にしてデルフに接近する。

 

 そして宙に浮いたまま持っていた大剣をデルフに目掛けて叩きつける。

 

 デルフはその動きを目で追いかけるのが精一杯だった。

 

 しっかりと目では大剣の動きは追うことは出来ている。


 しかし、身体が動かない。

 

 目前まで大剣が迫ったときデルフは横から何かに突き飛ばされた。

 

「ぼさっとするな! デルフ! 間一髪だったぞ!」

 

 その衝撃で少し頭がぼんやりとしていたがすぐに正気を取り戻す。

 

 さっきまでデルフがいた場所には剣が地面に叩きつけられていた。

 

 そのすぐ近くにカリーナの姿があった。

 

 南から来た槍ボアの群れは?と思ったがそんなことどうでもいい。

 

 カリーナが無事だった。

 今はそれで十分だった。

 

 やっぱり凄いなカリーナはと驚いたが流石のカリーナでも無傷とはいかなかったらしい。

 

 カリーナの服は埃まみれになり所々裂けてしまっている。

 巫女の純白の服装を汚すように赤く滲んでいる部分もあった。

 

「おい! デ、デルフ! あの大剣って……」

 

 明らかに普段のカリーナではあり得ないような動揺を含んだ声になっている。

 

 怪訝に思いながらもデルフは黒猿が持っている大剣を凝視する。

 

「あ、の大剣は、父さんの……」

 

 デルフの頭は真っ白になった。

 

 あの大剣は確かにグドルの大剣であった。

 

 グドルの大剣を北から来た黒猿が持っている。

 

(分かっていた! 分かっていたんだ! だけど……だけど! 信じないようにしていた。できるだけ理由を作り出して。しかしもう目の前に答えは出てしまった。こうなってしまったらもうそうなるじゃないか!!!!)

 

 デルフは心の奥から湧き上がってくる何か分からない気持ちに支配されていく。

 

 そしてふらふらと歩いて行く。

 しかし徐々に速度を上げ黒猿に目掛けて走り出した。

 

 その最中にデルフはこの気持ちは殺意、怒りだと気が付いたが制御できるはずもなく暴走を続ける。

 

「待て! デルフ!」

 

 カリーナの制止する声に耳を貸さずデルフは走り続ける。

 

「くそ! くそがぁぁ!!」

 

 いつも冷静で外に感情を全く出さないデルフだったが我を忘れるほど気が動転して声を荒げていた。

 ここまで感情が昂ったのは初めてのことだった。

 

 デルフは黒猿の下に迫ると剣を引き抜き斬りかかった。

 が、デルフの全力の振りは空しく宙を切り黒猿はいとも簡単に避けていた。

 

 黒猿は通り過ぎようとするデルフに大剣を振り上げそのまま振り下ろす。

 剣の腹での攻撃だったが直撃すればデルフに命はないだろう。

 

 自分の怒りの一撃を避けられたことにようやく気付いたデルフは迫ってくる大剣には気が付いていなかった。

 

 大剣が少しずつデルフに迫ってくる。

 

 だが、大剣が当たる寸前でデルフを突き飛ばしカリーナが入れ替わるようにデルフがいた位置に立った。

 それだけではなく両腕を交差して上に突き出した。

 

 カリーナは焦りと怒りを合わせたような表情となっている。

 

 そして、大剣とカリーナの交差した両腕がぶつかった。

 

 ぶつかった衝撃で辺りの空気が揺れているように感じる。

 

 デルフはカリーナを見ると黒猿の大剣をカリーナの両腕が力で負けることなくしっかりと止めていた。

 

 デルフは唖然としたがよく見るとカリーナの両腕が淡い光を放っていた。

 

「そうか、カリーナは魔力で防いだのか」

 

 簡単にデルフはそう言ったが魔力を盾にして攻撃を防ぐなどはっきり言って出鱈目だ。


 カリーナは両腕にさらに力を入れ大剣を押し返す。

 

 その力に対抗できずに黒猿が体勢を崩した。

 

 隙だと感じたカリーナは両腕に纏っていた光が全て右の拳に収束されていく。

 

 そして、黒猿の顔に向けて振りかぶる。

 

「羅刹一……」

 

 カリーナとデルフは知らなかった。

 

 黒猿が使った剣技は鏖殺回転切りというグドルが使っていた剣技であることを。

 この技の特徴は二段攻撃でありたとえ体勢を崩したとしても技は続けることが可能である。

 

 カリーナの拳が黒猿に向かっている最中にデルフは黒猿の動きの変化に気付いた。

 

 だが、カリーナに注意するように言う前に黒猿が体勢を崩したまま回転した。

 もちろんだが持っている大剣とともに。

 

 カリーナはいち早く大剣の刃が迫ってきていることを察知した。

 

 今放っている拳の軌道を修正させ大剣にぶつけようとするが…………間に合わない!

 

 大剣は無防備なカリーナに直撃した。

 

 カリーナはその勢いで吹っ飛んでいく。

 

 そして、家屋に衝突しその後すぐに家屋はバラバラに崩れ去りカリーナは瓦礫の山の下敷きになってしまった。

 

 デルフはそれをただ眺めることしか出来なかった。

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