第5話 リラルス
目が覚めると辺りは暗くなっており起きたという感覚が全くなくぼーっと呆けていた。
上から巨木の外側に降り注いでいる月明かりのおかげでようやく寝ぼけていた頭が少しずつ冴えてくる。
ようやく寝転んでいたらいつの間にか眠ってしまっていたことを理解した。
(暗いと言うことは結構な時間寝てしまったのか)
地面に委ねていた身体を起こしそのまま座り込む。
何か忘れていると頭に手をやって思い出そうとしているとまだ完全に冴えていない頭が邪魔をしてくる。
物忘れ特有のイライラに悪戦苦闘していると突然横から「ようやく、起きたか」と見知らぬ声が聞こえてきた。
反射的に視線を向けると先程の傷を負っていた女性が目を覚ましていた。
寝ていたときと同じ姿勢で堂々と座っている。
(いや、足を組んでいるから同じではないか)
さっきは寝ていたから気付かなかったが女性の目は黄色の眼球の中心に楕円の黒い瞳がある。
もし睨まれでもすれば背筋が凍り付いてしまいそうなほど鋭く想像しただけで震えてしまう。
蛇の目、いや鷹の目を彷彿とさせる。
「お前が手当てしてくれたらしいのう」
女性は腹部に巻いた少し黒く滲んでいる不格好な包帯を擦りながら言った。
喋り方とは相対的に見た目通り声色は柔らかい。
「まだ、安静にしないといけないよ。気休め程度の治療しかできなかったから」
デルフは内心では動揺しながらも冷静さを振る舞うように努力しながら答える。
(もう意識が戻ったの? まだ当分は寝続けると思っていたけど……)
女性はニヤリと微笑む。
「そうか、そうか。礼を言うぞ。この傷は本当に危なかった。…………ふむ。名が分からぬのは不便じゃな。お前の名は? 私は……そうじゃの。リラルスと名乗っておこうかの」
先に自分の名を言えよと言おうとしたが名乗られてしまった。
まぁそもそも知らない人にそんなことを言う度胸はない。
「デルフ。僕の名前だ」
それを聞いたリラルスは数回頷く。
「ふむ。デルフか。ではデルフ。改めて礼を言うぞ」
リラルスは不敵な笑みを浮かべている。
しかし、どことなく柔らかい表情をするものだ。
いい機会だと思いデルフは最も気になっていた黒い血について尋ねる。
「なぁ、リラルス。失礼だったら謝るけど君の血の色は何で黒色なんだ?」
リラルスは一瞬雰囲気を鋭くしたがデルフが反応したことに気が付きすぐに穏やかになった。
「なぁに簡単なことじゃ。私は……人間ではないからじゃ」
リラルスはさらっと答える。
「なんだよそれ。まさか悪魔だとか言い出すなよ」
「ふむ。それはなかなか的を射ているぞ。実際そう呼ばれたこともあるしのう」
その言葉に嘘はないとデルフは判断する。
(本当に人間じゃなかったのか……)
それ以上聞いてもデルフには理解が出来そうになかったのでひとまず置いておくことにする。
それよりもしっかりと釘を刺しておかなければならない。
「本当に安静にするんだぞ。明日はちゃんとした包帯を持ってくるから」
やはりリラルスに付けた不格好な包帯は見れば見るほど恥ずかしい。
今すぐにも取り替えたい気持ちになる。
包帯から視線を戻すとリラルスは驚くように目を開けポカーンとした表情でこちらを見てくる。
「驚いた。お前はなかなか肝が据わっているようじゃな。私が人間ではないとわかってもあまり驚かないとは。あまつさえ、また明日来ると? ハハハ、愉快なやつじゃ!」
リラルスが心の底から笑っているのが見て取れる。
その笑顔を邪魔するようで悪いが「それよりも!絶対に動くなよ?」と念を押しておくのは忘れない。
「安心せよ。こうして普通に話しておるといっても見ての通りこの有様じゃ。動きたくても動かせぬわ。しばらくはここに滞在するつもりじゃ」
まさにその通りだ。
こうして意識を取り戻せていること自体がデルフにとって不思議だ。
「それにしても本当に深い傷だな。なにがあったんだ?言うのが嫌なら言わなくていいんだけど」
「お前は私の命の恩人じゃ。包み隠すことなく話そうじゃないか。そうじゃの~。まず私は大昔に封印されたのじゃ」
「大昔!? ってことは今何歳なんだ?」
そう言ったらもの凄く睨まれたので黙ることにする。
(死んだかと思った…)
リラルスは一回咳払いをしてから言葉を続ける。
「それがなぜか一週間程前に封印が解けたのじゃ。まぁ当然私を危険視している王国はそれに勘づく。騎士を送り込み私を追跡してきたのでやむを得なくそれと戦った。この傷はそのときのものじゃ」
「その騎士をお前は倒したのか?」
「魔力の欠乏、数の不利もあった私は戦略的撤退を行ったのじゃ」
リラルスは知的な雰囲気を醸してそう力説する。
だが、デルフは騙されない。
「つまり、逃げたんだな」
「戦略的撤退じゃ! 逃げるとは全く意味が違うわ! そもそも私が本調子ならあの騎士ども全員蹴散らしてやったものを」
痛いところを突かれたリラルスは必死に弁明するが口数が多いと意地になっているようにしか思えない。
(しかし王国の騎士達から逃げ延びたリラルスはやばいんじゃないか? しかも王国が危険視している? そういえばまだ本調子じゃないとか言っていたな……。それを助けた僕は王国の反逆罪じゃないか?)
考えることが怖くなったデルフは考えるのを止めた。
(まぁばれなければいいか。うん。そうだ。そう思おう)
リラルスの言葉にはまだ続きがあった。
「しかし、中でも私にこの傷を付けた者は別格であった。魔力こそ無かったが私は油断なぞしていなかった。サムグロ王国もあのような強者がいたとは驚いた」
リラルスは腹部に付けた包帯を見てそう言った。
しかし、そのことよりもデルフは疑問に感じることがあった。
「サムグロ王国? そうか封印されていたから知らないんだな。サムグロ王国ならずいぶん前に滅んだぞ」
「なんじゃと? デ、デルフ! 今なんと申した? 滅びたじゃと? サムグロ王国じゃぞ! あの大国が本当に滅びたと言うのか?」
鬼気迫る声で聞いてくるリラルスに戸惑い座ったまま後退りしてしまう。
リラルスも本当に驚いているらしく前のめりになっているが身体に力が入らないためそのまま転んでしまった。
自力じゃ身体を起こすことができないらしくじたばたしており慌ててデルフは大木まで手を貸した。
リラルスは気持ちを落ち着かせるように手を胸に当てる。
「すまぬ。少し取り乱してしまった。それでデルフ、詳しく聞かせて欲しい」
落ち着かせたと言ってもまだ言葉には動揺が含まれている。
デルフは了承の意を込めて頷き説明をする。
「サムグロ王国は四百年前に滅びた。理由は分からないが革命が起きてサムグロ王国が滅び新しく建国されたのが現在のデストリーネ王国になる。僕はここまでしか知らない」
都市に住む市民はしっかりした教育を受けているのでもしかしたら革命の理由を知っているかもしれないが村人であるデルフには最低限の知識しかない。
「四百年前というと私が封じ込まれた時に近いか。いや、それよりもデストリーネ……」
リラルスの目に涙が滲みそれを隠すように拭いながらポツリと呟いた。
「そうか、そうかすでに滅んでおったか。私の復讐はすでに終わっていたのじゃな……」
そう小声で言っていたがあまりにも小さすぎてデルフにはなんと言っているかは聞き取れなかった。
リラルスが深く考え込んでいると木の後ろからトコトコと歩いてきたリスがリラルスの太股に乗り頬袋に入れていた木の実を取り出して齧り付いた。
自分の世界に入り込んでいたリラルスはハッと我に返りリスに視線を向ける。
微笑みが混じりながら手をリスの頭の上に置き撫でようとするがリスは頭を振って手を払いのけた。
まるで食事の邪魔をするなと言わんばかりにリラルスを睨み付けてすぐに視線を木の実に戻し食事を再開した。
「ふふふ。そう怒るでないわ」
リラルスはリスを見て気を取り直したのか微笑んでいた。
「ところで、そのリスはなんだ? そいつにここまで案内されたんだ」
「ほう。そうであったか。こやつの名はルーという。聞いて驚け、こやつはリスの見た目をしているが実はリスではない。姿を変えているだけじゃ。本当の姿は全く見せん。私でさえ一度しか見たことがない。こやつは照れ屋なのじゃ」
笑いながらリラルスはそう言うがデルフは全く理解が出来なかった。
「えっ? リスじゃないって? どう見てもリスだけど……。じゃあ一体何なんだ?」
デルフは今も木の実をかじっているルーをまじまじと見詰めてみるがやっぱりリスにしか見えない。
「ふふふ、さらに聞いて驚け! こやつの正体は……ッ。痛ッ、痛い痛い!」
言いかけたリラルスが急に痛みで苦しみだしたようだ。
先程した応急処置はあくまで気休めだ。
いつ傷の状態が悪化するか分からない。
慌ててもう一度手当てをしようとしたがその焦りは杞憂に終わった。
リラルスの痛みの正体は足に乗っているルーがリラルスの足に齧り付いていた。
「お前は本当の人見知りじゃの! 痛いではないか。もう少し怪我人を労るべきじゃ!」
リラルスは目に涙を浮かばせながら必死に言うがルーはプイッと顔を背けた。
そして、リラルスの足に視線を動かしまた齧り付こうと前歯をリラルスに見せつけている。
「わ、わかった! 言わん。言わんからその牙をしまうのじゃ!」
ルーの視線は本当に?というように訝しげにリラルスを見詰めていた。
「デ、デルフよ。こやつは使い魔的な何かと思ってくれたらいい。これ以上聞くのは止してくれ」
「あ、ああ」
今にも涙が零れそうなリラルスを見ると自分がなにかしてしまったのかと罪悪感に襲われこれ以上追求する気にはなれなかった。
それを聞いたルーは安心するようにリラルスの足の上で丸まって目を閉じ眠ろうとしていた。
(しかし、なんだろうか。なにか忘れているような気がする。そもそもなんで僕は森に来たのだろうか)
一回最初から思い出してみることにした。
(確か、朝起きて朝食のときに母さんに槍ボアを狩ってこいと頼まれたんだっけ? なんで頼まれたのだろう? えーと父さんが帰ってくるから今日の晩ご飯のためだったか?)
タラッと冷や汗が顔から流れるのを感じた。
(まずい。今何時だ? 今はもう辺りは真っ暗だ。今から急いで帰っても夕食に……間に合わない?)
不幸中の幸いとして槍ボアはカリーナが母さんに渡してくれているだろうから晩ご飯を作れないという事態にはなっていないだろう。
兎にも角にも急いで帰らないといけない。
しかし、リラルス一人をここに置いていくのは気が引けた。
「リラルス。今日はもう帰るけど、その傷だしよければ僕の家に来ないか?」
デルフはそう言うとリラルスは考えるように目を瞑った。
「ふむ。せっかくじゃがやめておくとしよう。追っ手が来たらデルフの村に迷惑も掛かるであろうからな」
その言葉にデルフは納得する。
「それもそうだな。じゃあ、今日は帰るとするよ。明日は今日よりはまだマシな手当てするから安静にしといてよ」
デルフは立って指をリラルスに向け早口でそう言った。
「お前が心配性だということがよーくわかったわ。安心せよ。私も少し眠るとしよう。私としても早く治さねば不便でたまらん。そうそう私のことは他言無用で頼むぞ? 今追っ手が来ると為す術がないからの」
鞄を背負い直したデルフはそれに頷きその場を後にした。
デルフを見送ったリラルスはポツリと呟いた。
「なかなか面白いやつじゃ。見た目では性格は気弱そうに見えたが案外肝の据わったやつじゃのう」
ルーはデルフが去ってから目を覚まし起きていた。
小さな呟きだったがルーにはしっかりと聞こえておりリラルスを凝視している。
「ほう。お前もそう思うか。まぁしかしじゃな。サムグロがすでに滅びていたのは思いもしなかった。……それにしてもあの騎士は強かったのう」
腹部の最も深い傷を包帯越しに撫でながら言う。
リラルスは今の自分の怪我の容態を調べてみた。
先程から手はしっかり動く。
しかし、それがやっとである。
試しに足を動かそうとしてみるが力がうまく入らなく足が震えるだけだった。
立つなんて万が一にもできそうにない。
残っていた魔力は逃げるときに使いきってしまい今では完全に空となってしまった。
回復した魔力もすぐに怪我の治療に当てているので実質無いに等しい。
やはり、全快までには時間が十分に必要だという結論にたどり着いた。
「ふむ。全快したらしたで何をしようかのう。先も言ったがサムグロは滅びているのじゃし。復讐はもう果たすことはできんじゃろう」
目を瞑り考える素振りを見せる。
ルーは毛繕いを始めていたが考えるように寝転んだ。
しばらく俯いていたリラルスは突如思い切り頭を上げひらめいたぞと言った。
リラルスは少し溜めてから口を開く。
「やはり旅じゃな」
ルーがなぜ?と聞くように首を傾げる。
「私が閉じ込められてから長い月日が経ったのじゃぞ。私の育った時代と今の時代。何が変わったか気になるではないか」
またもルーが意味がわからないと言うように先程より深く首を傾げる。
「ふんッ。ロマンがわからぬやつじゃのう」
リラルスは口を尖らせて言う。
ハッとリラルスはデルフのことを思い出した。
「そうじゃ、そうじゃ。あやつを旅に誘うかの。面白そうじゃ。それにあやつには治療してもらった恩返しをしないとじゃな」
ルーは呆れたような目でリラルスを見詰める。
「ハハハ。そう拗ねるでない。見たところこの辺りに獣がおらぬな。大方、お前がこの木を中心に茂みまで殺気を放っておったのじゃろう。警戒して獣どもが近づかぬのも道理というわけじゃ」
リラルスは納得したようにフムフムと頷く。
「お前も苦労かけたようじゃ。礼を言うぞ」
リラルスはルーの頭を撫でる。
先程は嫌がっていたが今は礼を言われて嬉しいのかなんとも言えない表情でされるがままになっている。
「ところで、恩返しとはなにをすればいいのじゃ?」
ルーに尋ねるが「知らない」と考える素振りのない表情でジーっとリラルスを見つめる。
「うッ。そのような目でこちらを見るでないわ。ど、どうせお前もわからぬであろう。興味ないというような顔でごまかしても無駄じゃ」
焦ったように言うリラルスに対して余裕な態度を崩さないルー。
「そ、そうじゃ。明日デルフに直接聞けばいい話ではないか。何も悩む必要無いではないか」
ルーは「えー」という表情でリラルスを見る。
その目線をリラルスは顔を背けて無視した。
大きく伸びをした後「寝る」と言い目をつぶった。
ルーも同じくリラルスの太股の上で寝転び目を瞑った。
「ああそうじゃ」
目を瞑ったリラルスだったが思い出すように起きルーに告げる。
「ルー。デルフが獣どもに襲われないように辺りに殺気をばらまいてくれないかの」
言い終わるとリラルスは眠りについた。
リラルスの言葉で目を開けていたルーは面倒くさそうにしていたが文句の凝視をすることなくリラルスの太股から立ち上がる。
そして飛び降りて地面に降りリラルスの下から歩いて行った。
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