第73話 賢者の霊石の在り処

 今日は店の営業日だったが、どうにも働く気が起きず、結局休みにしてしまった。

 ウルリカの苦しむ姿が頭から離れない。すでに孤児院に連れて帰られたあの子の病は今も徐々に進行している。そして完全に人狼と化して人格が消え去ってしまえば、ウルリカは殺されてしまうのだ。


 居間に座り、刀形態のムラサメを砥いでいる間も、ウルリカのことばかり考えていた。あの子は決して助けてとは言わなかった。自分の非業な運命を受け入れているのか。まだ幼いというのに……。


「リオン、少しいいでしょうか」


 フィオナが眼前に座り、神妙な声音で言った。


「私はウルリカちゃんを助けたい。心からそう強く想っています」

「……そうか」

「残り時間が少ないとはいえ、まだ希望はあります。十日の間、私達の出来る限りのことをやりましょう。決して……決して悔いが残らないように」


 どちらに結果が転ぶにせよ、悔いが残らないように。

 俺達は俺達の出来る限りのことをすればいい。そう妻は俺に伝えている。


 俺はムラサメを鞘に収めて、立ち上がった。


「俺も同じ気持ちだ、フィオナ」

「ならば……!」

「そうだな。家でくよくよしている暇なんてない」


 思わず笑みがこぼれた。それは傍から見れば不敵なものだっただろう。

 そうだ、何をくよくよしているんだ。

 俺は誰かを守るために立ち上がると誓ったのだ。それに、苦しむ少女を放っといて生きられるほど大人じゃない。なにもせずに座っているよりも、足掻こう。またあの陽だまりのような笑顔を見るために。


 ムラサメを腰のベルトに差し、フィオナの手を取った。


「まずは人狼病と賢者の霊石についての情報収集だ」

「村長ならば、なにかを知っているかもしれません」


 頷いた俺は、さっそくクレアさんの屋敷に向かうのであった。


 早足で村の中を突き進み、屋敷に辿り着いた俺とフィオナ。

 屋敷のドアをノックすると、中から顔を見せたのは。


「あれ? リオンくんとフィオナさん?」

「アイネさん?」


 勇者アイネ・ユーティアが蒼色の瞳でこちらを見つめる。

 久しぶりに会った彼女は、やはり綺麗だった。


「また村に来ていたんですね」

「うん。これからは定期的にお母さんに顔を見せようかなと思って」

「どうしてまた急に?」

「……お母さん、もう年でしょ? だから、できるだけ一緒にいてあげたいなって思って」


 アイネさんの言葉に面食らう。胸に痛みが走るような感覚がした。

 クレアさんが……まさか。

 思いも寄らない考えだったが、しかし有り得ない話ではなかった。クレアさんはもう百年以上も生きている。竜人族の寿命が如何ほどかは知り得ないが、百年は明らかに長すぎる年月だろう。


 いつ別れの瞬間が来てもおかしくはない……娘であるアイネさんはそう言っているのだ。


「まあ、湿っぽい話は無しにしようか。今日は何用で?」

「俺達はクレアさんと話がしたくて」

「じゃあ、入って入って。紅茶でも用意するから」


 屋敷に入り、もはや座り慣れたソファに腰を落ち着かせる。

 隣に座ったフィオナは、ぽつりと呟いた。


「村長……あまりそういう気配は見せないから、いつまでも大丈夫なんだろうなって思ってましたけど」

「命あるものには終りが来る。クレアさんだって、不死ではないからな」


 予想外の事実に鼓動が早鐘を打っていたが、アイネさんの淹れてくれた紅茶を飲んでいるうちに落ち着いてきた。

 咳払いをした俺は、姿を見せたクレアさんに向かって言った。


「クレアさんは人狼病についてご存知ですか?」

「ああ、知っておる。その病について尋ねるということは、どうせ孤児院の狼娘にでも会ったのであろう」

「ウルリカが人狼病を患っていることを知っていたんですね」

「あやつが一年ほど前から熱を出して倒れ込むことは知っていた。王都の診療所の診断結果が届くまで、よもや人狼病だとは思いもしなかったがな」


 愚痴るように吐き捨てたクレアさんは紅茶を啜りながら、ちらりとこちらを一瞥した。


「それで、貴様らが求めているのは賢者の霊石だろう?」

「そこまで知っていらっしゃるのなら話は早い。単刀直入に言います。賢者の霊石はどこにあるのでしょうか?」

「我は知らん。だが、やつならば……」


 カップを置いて腕を組んだクレアさんは、天井に視線を向けて思案するように黙り込んだ。しばらく静寂が続き、やがてクレアさんは言葉を発する。


「王都の魔導学院にノアという学者がいる。物知りのやつならば賢者の霊石の在り処も知っておるかもしれん」

「ノア……分かりました。そのノアさんに会ってきます」

「ならば屋敷の前に設置されたポータルを使うといい。王都にある娘の家に繋がっておる」


 クレアさんはあくびをして、目尻に浮かんだ涙の粒を指で拭い取った。


「我は寝る。後は貴様らの好きにしろ」

「そうですね。好きに足掻いてみます。それと……」

「なんだ?」

「いつもありがとうございます。あなたは俺達の自慢の村長です」

「急にどうしたというのだ、気色悪い」


 怪訝な目を向けるクレアさんに、俺は微笑む。

 あと何度、この村長に感謝を届けられるか。

 それは分からないけど……いつか別れの瞬間は必ず訪れる。

 その時まで、ずっと親のように俺達を見守ってくれた村長に伝えよう。

 精一杯のありがとうを。




 

 

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