第72話 人狼病

 布団の上で荒い息を吐くウルリカ。額から汗を垂らし、苦しげに喘ぐ彼女の頬にエリーゼの手が触れた。


「エリーゼ、ウルリカは大丈夫なのか?」

「……大丈夫とは言い難いわね」

「一体ウルリカの患っている病はなんなんだ?」


 俺の問いに、エリーゼは金色のまつ毛を伏せる。憂うようにウルリカを見つめて、孤児院のシスターはぽつりと応えた。


「これを見て、小鳥さん」


 そう呟いた彼女は、ウルリカの上着をめくり上げる。さらけ出された肌を見て、俺は思わず呻くような声を上げていた。


「これは……獣の体毛か?」


 そうだ。ウルリカの腹部を覆っていたのは、銀色の体毛である。まるで幼き身体を侵食する病巣のように生え伸びているそれを見て、フィオナが目を伏せた。


「人間の身体に獣の体毛……私、この病気を知っているかもしれません」

「本当か?」

「子供の頃に読んだ絵本で、このような症状を発症している女性が出てきたんです。確か、病気の名前は――」


 フィオナは記憶を手繰り寄せるように目を閉じた後、呟く。


「人狼病」

「人狼病……それがウルリカの患っている病なのか?」


 エリーゼに真偽を尋ねると、頷きが返ってくる。


「ええ、そうよ。人狼病。獣人族だけが罹るという、とても珍しい病気。発症すると身体に獣の体毛が生え始め、それはやがて全身を覆っていく」

「……最終的にはどうなるんだ」

「罹患者は人型の獣……人狼になるわ」


 人狼。普段は人間の姿をしているが、満月の夜になると怪物の姿に変化して人を喰らうと伝えられている。この伝承は恐らく人狼病が起源となっているのだろう。


 このまま症状が進めば、ウルリカは全身が体毛で覆われた化け物になってしまう。


「治す術はないのか?」

「分からないわ。わたくしも様々な書物を読んで調べてみたけど、人狼病という表記があっても治す術までは書かれていなかった」


 このまま症状が進んでいくのを見ているだけしかできない。そうエリーゼは言った。

 

「ごめんね……みんな……」


 か細い声を出したウルリカは、自らの体毛を手のひらで撫でる。そして力なく笑う。


「ウルのせいで……みんなに迷惑かけちゃった……」

「迷惑だなんて……私達は決してそんなこと思っていませんよ」


 フィオナの言葉にフェイが頷く。俺も同じ気持ちだった。

 それでもウルリカは首を振り、また笑った。


「みんなには笑っていてほしいのに……ウルがこんなんじゃ、笑えないよね」

「そうだな。お前がこんなに苦しんでいるんだ。笑えるわけがない」


 俺はウルリカの手を取る。小さな手は、ぎゅっと握り返してくれる。

 このままウルリカが人狼になっていくのを見ているだけしかできないのか。

 本当に治す手段はないのか。

 もしかしたらクレアさんなら……何か知っているかもしれない。


 思考を巡らせていると、ふと背後からぺたぺたと足音が聴こえた。


「あの~、みなさん」


 いつの間にか人形態になっていたムラサメが、おずおずと声をかけてくる。

 俺は振り向いてムラサメを見つめた。


「どうした、ムラサメ?」

「ムラサメ、人狼病の治し方知ってますよ?」

「本当か? でも、なんでお前が……」

「ムラサメはこれでも製造されてから数百年経ってますので、色々と物知りなんです」


 えへん、と胸を張るムラサメにフェイが言った。


「はやくおしえて」

「ずばり、人狼病を治す方法はですね――“賢者の霊石”を削った粉を投与することです!」

「けんじゃのれーせき?」


 舌っ足らずに応えるフェイにムラサメは頷いた。


「そうです。賢者の霊石とは、とある研究者が生み出した秘石であり、人狼病の特効薬とされてます」

「そんな石の話は聞いたことないな」

「まあ、生み出されたのは随分と昔ですからね。そのうえ研究者が秘密主義であったために流通はされておらず、文献にもあまり残っていません」

「それを知っているムラサメは何者なんでしょうか……」


 フィオナの言う通りだった。この物知りな妖刀、ただの妖刀ではなさそうだ。

 

「ムラサメの言う話が本当ならば、まだ希望はある」

「だけど小鳥さん、一体誰がその霊石とやらを探しに行くと言うの? それが今も存在しているかすら分からないのに」

「それは……」


 エリーゼの言葉はもっともだった。どこに在るか、本当に在るかどうかも分からない霊石を探すのは冒険家か考古学者でもない限りやらないだろう。


 だけど、そうだとしても。

 ウルリカが助かる道があるのならば。


「……あとどれくらいでウルリカは人狼になる?」

「発症してからだいぶ時間が経っているわ。もって十日というところかしら」


 十日。それがタイムリミット。

 それまでに賢者の霊石を投与しなければ、ウルリカは人狼となってしまう。

 そこでふと、湧いて出た疑問があった。


「エリーゼ、もしウルリカが人狼となってしまった場合……彼女はどうなるんだ」


 エリーゼは黙り込んだ。ちらりとウルリカに視線を向けた後、意を決したように俺に向き直る。


「……人狼となった人間の末路には二種類あるわ。人としての意識が残るか、意識さえも獣となって人を襲い始めるか。もし後者だった場合――」


 再び金色のまつ毛を伏せ、震えた声でエリーゼは言った。


「ウルリカは危険な存在と見なされ……殺害される」




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る