第12話「逃」
「まただ」
見下ろした風景に、朱有は呟いた。
天上を目指す太陽の光で、苗が植わった水面が緑色に輝いている。
村人たちが田に出て、作業をしていた。畦道を子供や犬が駆け回っている。歌声や笑い声が切れ切れに耳に届く。いつもの日常だった。
だが。
歓声を上げて勢いよく走っていた子供たちが、突如足を止めた。
遥か前から人がやってきたからだ。
彼らは、慌てて後ろに飛び退った。中には、随分と遠回りになりそうな、通りにくそうな細い畦道に急に進路を変え、その場を離れていく子もいた。
道を譲られた人物は、傍らの子らが目に入っていないかのように、背を丸め、足を引きずりながら歩いていく。
その後姿を、恐る恐る窺っていた子供たちは、やがて顔を合わせ、争うようにその場から駆け出す――何度も見た風景だった。
覚束ない足取りで、あたれば吹っ飛びそうなほど痩身の人物を、皆が怯えたように避けていく。透き通った青空の下、その人物の周りだけがどす黒い、どこか異様な雰囲気を醸し出していた。
従弟の葬儀以来、連日見る光景だ。
上からはっきりと姿形を見ることはできない。
だが、あの右足が異常に内に入り、身体が大きく左に傾く歩き方――あれは、間違いなく
――なんなんだ、一体。
身内の殆どが惨殺されたときもあれだけ平然としていたのに、いくら弟が死んだからって――そんなに仲のいい兄弟でもなかったのに。
歩き方も纏う雰囲気も、まるで死期の迫った重病人を思わせる異様さで、それが日ごと色濃くなっていく。最後に会ったときに見せた酷薄な笑みと、今のこの姿――どうしても重ねることができない。
村人からことごとく避けられた従兄は水田を抜け、まもなく行路神に差し掛かかろうというところ。
朱有は、気づいたら斜面を駆け下りていた。最後は転げ落ちたというのが正しい。
「おい!」
振り返った顔は、まさに従兄だった。
細面の頬はさらにこけ、かさついた薄い唇は青白い。纏う衣装は見たことがあるものなのに、借り物なのかと思うほど、だぶついている。
どろりとした目が、やがて大きく見開かれる。
唇がたちまち震えだした。
漏れてきた意味不明のうめき声。思わず血の気が引く、聞いたこともないような声色に、足が竦む。
だが朱有は、うめき声に言葉が混じっていることに気づいた。かろうじて聞き取れたのは、「違う」「俺は、関係ない」
意味が分からない。それに目の焦点が合っていない――不安が、朱有の足を進ませた。
「大丈夫か?」
だが伸ばしたその手は、思い切り跳ねつけられた。思いがけない拒絶の強さに驚く朱有の目の前で、何か、得体のしれないものを触ってしまったとばかりの形相、春の陽気をずたずたに切り裂く悲鳴。
皆に気づかれる! 朱有は慌てて行路神の傍らに飛び込み、田から身を隠すように身を屈めた。だが。
「俺は、違う。もう勘弁してくれ!」
慌てふためく朱有など目もくれず、喉が潰れるような叫び声をあげ、従兄はその場から遁走した。
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