フライト・イン
「戦争でも始めようってつもりなのか」
「リエーレにはもう利権なんかないわ。でも、そうね。現場は隣。フランス軍が旧空港をブランバックに行く後方基地に使ってるだけ」
「光速送電網か」
「そう」
「そうか、リエーレとブランバックは隣の星系になるんだ」
「知らなかった?」
「というか、結びつかなかった。なんと言うか、知識同士が」
リエーレとブランバックが実際何光年くらい離れているのか、僕は把握していなかったし、計算することもできなかった。とにかく両方とも地球から見て銀河系の反対側にある星系だった。
中性子星ブランバックは周りに手頃なアステロイドベルトを纏っていた。これを足場と資源にすればダイソンスフィアを建設できる、という計画がスタートしたのが十年ほど前だ。最初は全く平和利用だったのだが、発電・送電設備がエネルギー兵器に転用できるという評論が席巻した後、手を引く国とむしろ増資する国に二分して足の引っ張り合いが始まった。それが紛争の発端だ。
僕とケイトはしばらく世間話のようにその話題を論った。二人の知識レベルは同程度だった。近場だからってたくさん情報が入ってくるわけじゃないということなのか、情報があってもケイトが興味を持っていないだけなのか、たぶんどちらかだった。僕も特にブランバック紛争について調べたことはない。
ケイトはルートを指定してホルンに飛行を任せていた。三時間くらい操縦桿にもスロットルレバーにも触らなかった。
「少し眠りたいから、何か警報が鳴って私が起きなかったらシートを蹴飛ばしてね」とあくびをしながら言う、そんな具合だった。
僕は時計を見た。GMTでは午後十時を回っていた。銀河の向こう岸まで来てグリニッジなんて滑稽なものだ。こんなに明るいのに。
こんなに明るいのに?
いや、リエーレには太陽が二つある。方位はほぼ正反対、その上空域は自転なんかしていない。
リエーレには夜がないのだ。
リエーレの標準時ってGMTに合わせてある? そう訊こうと思ったけど、ケイトがもう眠っているみたいに思えたのでそっとしておくことにした。
それから僕はリエーレの夜に思いを馳せた。この空が夕焼けに覆われたら綺麗だろうな、とか、動物たちはいつどこで眠るのだろう、とか、植物たちは延々と光合成を続けるのだろうか、とか。
そしていつの間にか時間が過ぎていた。
ケイトはアラームが鳴るまでもなく目を覚ましていた。彼女はしばらく黙って針路や風向きの確認をしていた。
話したくないのかな、と僕は思った。
前方右手に船のシルエットが見えてくる。全体として紡錘形で舳先が細長く、センサーマストの前後に砲塔があり、その周りをVLSのハッチが埋め尽くしている。
戦闘艦だ。全長一キロほど。僕の知らないタイプなのでかなり古い艦だろう。でもホルンと同じようによく手入れされていて、宇宙に溶け込む濃紺の塗装も真新しかった。
「フライト・イン。今日の宿。なかなか物騒なところでしょ?」
「宿?」
「古い船を居抜きみたいにして使ってるの。この立地だと下手にアステロイド引っ張ってくるより安上がりだから」
「そういうことか」
つまりあれはもう軍艦ではないのだ。でも見かけはおそらく往年の姿そのもの。きっと几帳面な経営者なのだろう。しかしこんなに人通りの少ないところで商売になるのだろうか。ジェット気流は空域のハイウェイのようなものなのだろうけど、ここまで他の飛行機は一機も見かけなかった。単に僕の見落としなのか?
考えているうちにケイトはアプローチに入っていた。艦尾に二百メートルくらいの飛行甲板があって、旋回でスピードを殺して後ろから近づき、相対高度十メートル、時速五十キロほどでアンカーを打った。甲板を引き寄せる。他の飛行機かいないので簡単な着艦だった。
荷物を担いで甲板前端のドアから中に入る。シャッターの一部についたドアだったようで、中は広い格納庫になっていた。
「いらっしゃいませ、お客様。ボーデン級三番艦、キームへようこそ」
左手に壁付きのディスプレイがあって、そのスピーカーから女性の声が聞こえた。画面には様々な言語で今の言葉が映し出されていた。
「どうも、こんにちは」僕は答えた。「遠隔?」
「いいえ、私はキームです。お客様たちは今しがた私の中に入られたところです」
ケイトは笑った。
女の子の声で「私の中に入る」なんて言われたら変な気分になるじゃないか。
でも、そうか、そういうことだ。この宿はAIがやっているのだ。だからお客が少なくてもいいのだ。
「この船は無人ってことだね」
「はい。お客様たちは百二十一日ぶりのお客様です」
「キーム、士官室をお願い。二部屋ね」
「艦長室はいかがですか、お客様のお客様?」
「だめ。もう、すぐそうやってふんだくろうとする」
「司令官室とセットなら三割引にしますよ」
「そんなに違うの?」僕は訊いた。
「艦長室は士官室四部屋分、司令室は五部屋分」とケイトが答える。
「それなら下士官室や兵室は安そうだ」
「どっこいベッドが多いから部屋代は同じなの」
「ほー、なるほど」
格納庫というかエントランスは煌々と灯りがついていたけど、一歩通路に入ると常夜灯の赤い光だけで薄暗かった。艦内というのは昼夜がわかりにくいからもともとこういう工夫をしているものだ。何もかも赤黒くて、まるで地獄の入り口みたいだった。
部屋の場所はキームが声で案内してくれた。そこら中のスピーカーを渡ってその声が追いかけてくるのは少し変な感じだった。軍艦のAIは本来こんなにおしゃべりなものではないのだ。
僕は通路から部屋の中を覗いた。幸い個室の中は昼白色の灯りがついた。部屋の中まで赤色だったら魘されていたかもしれない。指物は二段ベッドの下の段を書きもの机に置き換えたものとクローゼット、それにテレビ、冷蔵庫など。家電はホテルに改装する時足したものだろう。バスルームは隣の部屋を潰して広げたらしい。壁紙なども見かけのいいものに変えられていた。ベッドには体を固定しておくためのベルトがついていたけど、設え自体は重力を意識したものだった。そういえば通路も手摺と梯子がある割に平面的な構造だった。つまり急に竪穴にぶち当たったりしなかったということだ。
ケイトは間に一部屋空けて隣だった。構造は変わらない。軽く手を振って分かれる。
僕は靴を脱いで天井に足を突っ張って布団に体を押し付けてみた。埃のひとかけもない。靴下も汚れない。とにかく清潔という点においては生粋のホテルにも劣らないだろう。
そうしているうちに意外なことにあくびが出た。自分で感じるよりずっと眠いみたいだ。
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