ホルン
かわいいというより綺麗と言った方が合っているかもしれない。どの民族ともつかない顔立ちで、肌は雪みたいに白く、静電バレッタでシャツの裾に留められたブルネットの長い髪は信じられないくらいツヤツヤしていた。
髪型や服装は地球圏の流行とは一線を画していて、赤いチェックのシャツにジーンズ、黒い安全靴という格好だけど、それが妙に保守的な印象を与えた。僕はジャケットの襟を整えるふりをして息を飲むのを隠した。悪いけどCAのお姉さんより断然タイプだった。ただ幸いなことに僕ももう綺麗な女の子を前にしていちいちどぎまぎするような年頃は過ぎていた。
「お出迎えありがとう。オハラです」僕は適当な間合いで挨拶した。
「私はケイト。ケイト・フリブール。ええと、ヒロ……」と彼女はウェルカムボードをひっくり返して僕の名前を読み上げようとした。
「ヒロマサ・オハラ。親しい人間にはユウで通ってる」
「じゃあ、ユウ。よろしくね」
僕らは握手をした。
フリブール。
友人とは違う名字だ、と思った。でも遠い親戚だし、考えてみれば違って当然だ。顔だって全然似てない。
「これから三時間くらいのフライトになるけど、買い物とかトイレは平気?」彼女は訊いた。
「大丈夫。済ませてきたよ」
「それなら行きましょ」
ケイトは「エア・パーキング」の案内標識に従って泳いでいく。標識のアイコンはセスナみたいな典型的な飛行機の平面形を模していた。
「そうか、飛行機なのか」
「ん?」ケイトは泳ぎながらくるりと背面になって案内板を見上げた。「ああ、パーキングね。車だと思った?」
「思ったというか、特に考えてなかった」
「誰も車でこんなところまで来れないわよ」
「空港には重力区画って全然ない?」
「ない。全然ない」
ロビーから準与圧の回転ドアと風除室のガラス戸一枚抜けると外だった。真空に対して何重の備えを課せられる普通の宇宙港ではありえない。外気はやや冷たく、少し春の花のような匂いがした。
それから減圧でツーンと来たので口を開けて耳抜きをした。携帯電話の高度計を開いてみると表示はだいたい三七〇〇メートル。ブリッジやロビーは減圧を感じなかったから一気圧に保っていたはずだ。少し薄いのか。
エントランスはジャングルジムのような取り付き用の手摺に囲われていた。周囲は平滑なコンクリートの内殻。放射状に伸びた手摺に沿って小さなスポットが並び、そこに様々な種類の小さな飛行機がアンカーを打ちつけて駐機していた。
エントランスの手摺に足を引っかけて右手を見ると、驚いたことにウェル107が機首をこちらに向けているのが見えた。間には何の遮蔽もない。それに加えて上を見ると貨物船の船首がこちら側まで達していた。全長二キロ近いリベレーション級輸送船だ。港湾そのものは五キロくらいの長さがあるが、乗員区画をボーディングブリッジに合わせようとするとこれだけ奥まで入らなければいけないのだろう。外航船と飛行機が並んでいる光景というのはとても奇妙だった。本来出会うはずのないものだ。
つまりエア・パーキングは港湾と同一の円筒形の中にあって、出入りは両端で区別されているが、空間としては共用だった。
「強風の時は間にスクリーンを張って風を弱めるんだけど、基本的には素通しなのよ」ケイトは手摺に掴まって飛び出しかけた慣性を止めた。
「風?」
「時々六十メートルくらいの風が吹くのよ。風速六十メートル。変な曇り方をすると結構気圧が偏るから」
「そうか、地表の摩擦がないから天体から離れると風速がすごく速くなるんだ」
「惑星間だと速いところで風速二百メートルくらいになるかな」
「そいつは……すごいな」
「地球の大気とは違うのよね」ケイトは改めて内殻を蹴った。「あれが私の飛行機。ついてきて」
僕もケイトに合わせて内殻を蹴った。手摺沿いにコンクリートの上を滑るように泳いでいく。
前方に見えるのはエンテ型のプロペラ機だった。周りに止まっているのはほとんどEAS(ユーロ・エア・スペース)・ハミングバードやロス・ニムファなど小さな主翼と推力偏向装置を備えた小型のレジャー用ジェット機だったが、ケイトの飛行機はそれらより遥かに大きく、全長に匹敵する翼長を有していた。小さなレドームの直後に見晴らしのよさそうなコクピットがあり、キャノピーの後端から全遊動式の前翼が生え、細長くやや縦長の胴体は全長の半分ほどのところで下部が主翼の前縁になり、プロペラ径に合わせたかなりきついデルタ翼の内翼(ほとんどストレーキといってもいいくらいだ)から細長いほぼ直線テーパー翼の外翼が伸びている。エアインテークは厚い内翼の上面にあり、胴体後端のエンジンで三翅の二重反転プロペラを駆動するらしい。尖ったスピナーだが内翼と外翼の境目から斜めに突き出した垂直尾翼の方が後ろに伸びている。ランディングギアは前輪式で、前脚はコクピットの真下、主脚は内翼と外翼の境目にあるフェアリングから突き出し、アンカーワイヤーもそれぞれのギアハッチから伸びていた。塗装は全体が制空迷彩のような薄いブルーグレイで、主翼と胴体側面には黒い文字で登録番号が大きく描かれていた。
「初めて見る飛行機だ」
荷物が重いせいか僕の方が前に出てしまったのでケイトは僕の手首を掴んで押し戻した。彼女は先に行って機体の側面、キャノピーの下のあたりに足をついてスピードを殺した。
「ここ。ここに足ついて。変なところに力かけると外板がへこんじゃうから」
僕は軽くコンクリートを蹴ってコースを合わせ、ケイトが場所を開けたところにちょうど着地した。
「お見事」ケイトはそう言って機体の下に潜り、アクセスパネルを操作してハッチを開いた。ハッチというか、中折れの両開きドアだ。それがものすごく長くて、十五メートルくらいある全長の半分近い長さだった。
機内灯が点いたので覗き込んでみると、タンデム配列の座席が五つ吊るされていた。決してヤワな造りじゃないが、床が開いてしまうのだから吊るされているという他なかった。機体が細くて通路を設ける幅も高さもないのでこういう構造になってしまったのだろう。両舷には気休めのような丸い窓がついていた。
「ホルンって言うの。もともと雷撃機でね、爆弾槽をそのまま客席にしてるから、これで精一杯。どこでもいいから座席に荷物乗せて。コクピットは狭いから荷物が入らないの」
僕がボストンバッグをシートに載せるとケイトはシートベルトでそれを縛った。慣れた手つきだった。
「雷撃機?」
「といっても魚雷なんか使わないの。ミサイルだけど、でも対艦攻撃のためだけに開発されたから雷撃機なんだって。おじいちゃんが言ってた。もう七十年ものだよ。軍がスクラップにするのをタダ同然でもらってきて、手直しして。うちは貧乏だから、ああいう便利なのは買えないのよ」
ケイトは話しながら爆弾槽を閉めてクラムシェルタイプのキャノピーを開け、枠を頼りに前席に滑り込んだ。僕も続いて後席に入る。コクピットはタンデム二座だった。
「でもね、この子にもいいところはあるのよ。あの辺のジェット機より断然速く飛べるの。それって結構得意でしょ?」
ケイトはキャノピーを閉める前に座面に膝立ちしてヘッドレスト越しに僕を見下ろした。「酸素マスク、つけ方わかる?」
僕は後席を見回した。左のアームレストのフックに漏斗と蛇腹が引っ掛かっていた。
「これ?」
「そう」
「わかる。これなら一人でつけられるよ」
「オーケー」ケイトはくるりと座席に収まってキャノピーのスイッチを切り替えた。「早くつけた方がいいよ。高山病にかかるから」
キャノピーが閉まって少し中が見やすくなった。後席に操縦装置はなく、多目的ディスプレイと無線機や電子戦装備のスイッチ類がびっしり並んでいた。
「ほんとに軍用機だ」僕は呟いた。「ホルンって角のこと?」
「そうだけど、厳密に言うと山の頂のことよ。この子のメーカーではね、雷撃機に山にまつわる名前をつける伝統を守ってたんだって」
メーカー? と思ってコンソールを見回すと左下の隅に「皇国海軍工廠」と刻まれた古い銘板を見つけた。
「ブルーホーン、リクエスト・イグニッション」ケイトはヘッドセットをつけ、機体の電源を入れて無線をつないだ。
ブルーホーン。それが彼女とこの飛行機のコールサインらしい。
僕も慌ててヘッドセットを探したがタワー(管制塔)の返答を聞き逃した。ただ許可は下りたようだ。ケイトはスロットルを押してスタータースイッチを入れた。圧搾空気がエンジン内に吹き込んで強制的に点火する。僕は音を聞いてジェットエンジンだと判断した。ターボプロップ。プロペラはついているがレシプロではない。
普通ならイグニッション――つまりエンジン始動にタワーの許可は不要だが、それは軍やエアラインといった専門家が取り仕切る空港の話であって、一般人がうろつくこの場所ではプロペラの回転やジェットブラストも凶器になりうるということなのだろう。ちなみに管制塔はエントランスの一画にあってビル三階分くらい内殻から突き出していた。
エンジンの回転が安定してバッテリーに余力ができたところで酸素供給機が作動、マスクに少し消毒臭い空気が押し寄せてきた。この呼吸を押さえつけられるような感覚は何度やっても心地のいいものではない。
「ブルーホーン、チェックイン。リクエスト・テイクオフ」再びケイト。滑走路がないのでタキシングは不要だ。
「ネガティブ。ウェイト・ニムファ235」管制塔から返答。他の機体の離陸を待てと言っている。周りを見回すとエントランスを挟んだ向こう側でスポットの範囲を示す輪に仕込まれた赤いライトが点滅していた。周りにいる人間に注意を促すためのものだ。そのスポットにいる紺色のロス・ニムファの下から陽炎がぶわっと広がり、すぐさま機体が軽く浮き上がった。相対高度5メートルほどで姿勢の安定を取ってアンカーを引き抜き、ワイヤーを巻き取る。車輪は固定式なので出しっぱなしだ。インテークと主翼の下についた四ヶ所の排気口を下方から後方に偏向してゆっくり加速していく。
「そういえばリエーレの大気の大部分には重力がかかっていないわけだね」僕は言った。
「いまさら?」ケイトは半分だけ振り向く。キャノピーを閉めていればエンジン音はさほどコクピットに入ってこないし、前席と後席で空間が分かれているわけでもない。地声で会話が可能だった。
「ニムファですら揚力が有り余ってる。翼なんかない方が抵抗が少なくていいんじゃないだろうか」
「速く飛ぶだけならね。でもホルンはたぶんリエーレじゃなくて地球の環境に合わせて作られたのよ」
「僕にもそう思えるな。ただ、理想を言えば、さ」
「あら、リエーレでも旋回には翼があった方がいいのよ。スラスターでくるっと回ってもいいけど、ベクトルを曲げようと思ったら運動エネルギーがついてこないでしょ」
「まるで空戦でもするみたいな言い方――」
「ブルーホーン、テイクオフ」タワーが割って入った。
「コピー」ケイトはそう言ってスロットルを押し上げた。一度機首側が沈み込んで、そのあと仰角三十度ほどの姿勢になった。一度前側のワイヤーにテンションをかけて前脚のダンパーを沈み込ませたあと、ワイヤーをリリースしてダンパーの反動で機首上げしたらしい。後方のワイヤーも緩めて斜めに上昇し、やはり五メートルほど浮き上がったところでアンカーを解いて進空した。
なぜこんな込み入った手順で離陸するのか?
どう考えたって姿勢制御用のスラスターを装備していないせいだ。ホルンは低重力・無重力環境での運用を前提とした飛行機ではない。コロニーの軸付近にある無重力空域での運用を視野に入れたニムファやハミングバードとは違う。アンカーだって後付けのものだろう。全く不自由なく離陸できたように思えるのだとすれば、それは単にケイトが手慣れすぎているからだ。
「ブルーホーン、エアボーン」彼女は何食わぬ顔で吹き込んだあと、いかにも邪魔そうにマイクのアームを跳ね上げた。
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