第1章15話 「必要悪の愛」

あらすじ

ぐさり

―――――


 父親ひとつで育てたひとり娘にしてはかなり良識を備えているというのが、六堂院暦に対するひびきの認識だった。

 子供じみた好奇心と大人じみたたおやかな態度。

 矛盾していて、少し離れがたさを覚えるそんな少女。

 きっと母親に似たのだろう。そう、思っていた。


「カナデくん。私ときみの立場を明らかにしておこうか」


「……はあ」


「私はきみの雇い主で、きみは私の用心棒」


 暗に上下をはっきりさせていることは簡単に理解できた。業界ではそんなことはあたりまえで、明確にしておいた方が互いにいい付き合いができるからだ。


「つまり、きみは私を傷つけられない。そういう契約だ」


 契約・・という言葉に身体がこわばった。

 ひびきにとって契約や約束という言葉は、それほどの重いものだったのだ。


「たとえ、きみの領分を冒しても、きみはこの屋敷の中ではその力の一切をふるうことができないんだ」


 それは違った。決定的に違った。

 母親に似ている?

 そんなことがあるはずがない。母親を知らなくとも、それだけは断言できる。


「おれをまもるのがきみなんだから」


 六堂院清順はそんなことを無邪気な子供のように笑って、告げたのだから。






 矛盾。矛盾。矛盾。

 人間が抱える感情エラー。人が人足りえるには、それを持たなくてはいけないとまでの大事なもの。


 ならばその父娘はいたって普通で、とても人間的だ。

 致命的な感情エラーをかかえ、それでも大切なものを守るために抗う。

 とても人間的な怪物だった。


「――痛い、ですね」


「そうだろう。あいつもそういっていた」


 六堂院清順。

 六堂院暦の父親であり、母親を殺した・・・張本人。


 そんな男が、彩の後ろに立ち、彩の背中に体重をあずけていた。

 ナイフという、わかりやすい凶器を突き刺すために。


「おかしい、なあ。まだ、知らなかったんじゃなかったかな」


「いいや、知っていたとも。娘のことを知らない父親など、父親失格だろう?」


 ならば、どうしてだ。

 一連の行動に理由が紐づかない。


 知られたくないのなら最初から隠しておけばいい。それでおしまいのはずだろう。

 八尋彩を呼んだ理由が最初から殺すことにあったのなら、食事の段階で毒を盛ればよかったし、一度目の魔術行使時に殺せばよかったのだ。


「どう、して」


 痛みが脳をかき回す。

 戻って来たばかりの疲労にナイフで刺されるという状況は、もはや即死と言い換えても良かった。


「暦のために。外に出ることができない暦のトラウマを隠してもらうために、だよ」


 なるほど。そういうことならば、清順の行動は一貫していた。


 ―――娘のために


 すべてはそこに収束する。

 まったく間違いなんかなくて、実に合理的で。

 それは、他者の介入を許さない結論だった。


「ぼく、は」


 力がうまく入らず、見覚えのある銀のテーブルに全体重をあずけた。

 そして、視線をあげるとそこには。


「―――っ!」


 暦がすやすやと眠っていた。

 テーブルの上に腕を枕代わりにして、幸せそうに眠っていた。


「お、まえは!」


「暦に危害を加えようものなら即座に殺す」


「っ!」


 理解不能。

 守るべきものの前で人を殺す。

 その意味が、理由が、主義が彩にはまったく理解できない。


「………」


 意識は薄れ、現実が乖離してゆく。


 死の記憶。

 幾度となく触れてきた。そして、忌避し続けてきた感覚を味わう。


「おい」


 ソプラノの音が響いた。それは本来男性であり、わけあって日の昇るうちはかよわい存在へと格下げされた少女の声。


「……君か。橋渡結くん」


「ああ、その通りだ。何をしている」


「後始末だよ。……カナデくん」


 その一声で、空気は爆ぜた。

 そう錯覚するほどの突進が、無防備な少女へと繰り出された。


 結果は一目瞭然。

 金糸の髪が空を舞い、かよわい少女の肢体が壁に衝突する。


「かはっ!」


「せき、はら!」


「…………………………………ごめん」


 状況はわからず、けれどもこれだけは理解できた。

 八尋彩はようやく死ぬのだ、と。

 六堂院清順の背後から刺され、橋渡結は押さえられ、関原ひびきは助けてくれない。


 だからこれは、仕方がない――


「先輩っ!」



 *   *   *



 そのときの想いを何と口にすればいいのだろう。

 幸路あざねは考える。

 薄れゆく思考の中でそれでも答えを見つけ出そうと。


「ゆき、みち! あざね!」


 はじめて名前を呼んでもらえた。うれしい。

 あれ、なんだっけ?

 どうして先輩は、八尋彩さんは声を荒げているんだっけ?


「あざねくん、ごめんよ」


「そんな、そんな謝罪が! ある、ものか!」


 六堂院さんは悲しそうで、どうしてか謝っていて。

 彩さん……は怒っている。怒鳴っている。


 怒らなくていいのに、悲しまなくていいのに。

 あたしだからよく知っている。感情のコントロールは難しいけれど、身を任せると楽に思えるけれど、結局は疲れることだって。


 でも、たぶん……よく、わからない。

 もう、わからなくなってきた。

 ねむい、な。



 *   *   *



 殺意を振りまき、人を殺す人を見て、恐れなかった少女はきっと普通ではない。

 勇猛果敢。否。無謀にも殺人鬼の前へ躍り出て、不毛なもみ合いの末にナイフは刃先を人体へと向けた。


 ―――ぐざり


 奇跡は起こらない。

 可能性は常に有限で、現在は非常に限定的だから。

 出来事は結局、少女の犠牲で収束する。


「あ、ぐ」


 苦悶の声とともに白のベールがアカイロにぬれていく。黒を基調としたメイド服とはいえ、どす黒い血の色はそれをぬりかえた。

 すぐにあざねの身体はくずれ落ちた。


「……せん、ぱい」


「ゆき、みち!」


 やめかけていた生への執着がぶり返す。

 八尋彩は、幸路あざねの先輩はまだ死んではいけないのだ。


「あざね!」


 はじめて、彼女の名前を叫ぶ。もう遅いと半ば理解しつつもそんな現実は知らないとばかりに。

 そんなふたりを見て、清順は心から謝罪する。いや、憐れみというのが強いだろうか。

 だから、ごめん、と。

 それだけを告げたのだ。


 父親としての矜持。もしくは狂人としての狂気。

 示したものはそんなもので、結局殺人鬼はその場で唯一の勝利者だという現実は変わらない。


 決定する。

 運命は収束する。

 少なくともアウターレコードはそう記録したのだ。


「認めない」


 秒針を刻む音が、心臓の鼓動の代わりに身体をゆらす。

 魔術行使による極度の疲労。出血による体温の低下。

 あらゆる状況が八尋彩に牙をむく。人の大切おもいでに触れ続けた代償とでもいうかのように。


 ご都合主義は罷り通らない。

 だから、反逆の意志を抱いたまま。


「……ぜったい」


 八尋彩の思考は暗転した。

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