第1章14話 「紙一重の狂気」
あらすじ
八尋彩はふたたび暦ちゃんの記憶を垣間見る
―――――
腹部に走る激痛と、狂気に染まった声が脳を揺さぶる。
喪失感と幸福感。せめぎあう感情の理由を、はたしてだれが知るのだろう。
「さて、解体といこう。記憶でさえ僕の内海。自分と他人の境はなく、僕の
「かなり空気にしてくださいましたね、彩さま。わたくし、少し寂しかったのですよ」
「そういうならそういう顔をしていえ」
「社交辞令です」
「知ってた」
一度、垣間見た記憶の中で彩は、刺されたまま横に控えたマツリといつものやり取りをしていた。
「なかなかひとりになれなくてね。まあでも、今回はおまえに頼ることにするよ」
「人にものを頼む態度ではありませんね。土下座でもしてはいかがですか?」
「見て。この状況をよく見て。僕、刺されているんだよ?」
「それがどうか?」
「すみませんでした。天性のサディストでしたね、マツリさんは」
激痛に身がねじ切れそうでも、狂気が鼓膜を揺さぶろうとも彩はいたって自然だった。それは狂気じみていたが、それでも彩は気にしない。
「リョナ系は無理です。オプション外です」
「やめて。そういうのやめて。仕事ですから付き合ってあげてますみたいなの傷つくからやめて」
「はっ。仕事でもこんなご主人さまは願い下げです」
「くっ。うれしいような……泣きそうだなぁ」
ご主人さまなんて冗談でも呼ばなかったマツリにそう呼ばれて、彩は悶えた。まあ、身体からナイフが引き抜かれ、すぐに視界は床からマツリを見上げる形となったが。
「スカートの中をのぞこうとしないでください。殺しますよ」
「物騒すぎ。まあ、殺されかけているわけだけれどね」
まったく冗談ではない。記憶だとはいえ、彩にとっては現実だ。死の苦痛は堪えがたいもののはずなのだ。けれど、それを一切出さずに冗談だけをまくしたてる。
「白? 黒? やっぱり清楚系?」
「過激なものかもしれませんよ?」
「マジか」
これほど悔しいことはない。見えそうなのに、身体は動かず、ただの肉塊に変わり始めている。
「まあ。冗談ですが」
「いや。シュレーディンガーの猫だ。見てみるまではどうなのかわからない」
そこでとある結果が脳裏をよぎった。脳の機能は凍結しかかっていたが、ひらめくいたことをたまらずに口に出す。かすれた声で。
「つまり、はいてないなんて――」
ことも、あるのかもしれない。
そう続けようとして、身体の機能のすべてが停止した。
* * *
お母さま。
大好きなのよ。それは絶対。
お父さまも大好きで、それもそうなの。
「それは、あたりまえだね」
お母さまは優しくて、きれいで、あたたかくて。
お父さまは立派で、かっこよくて、つよくて。
「だからこそ、きみは葛藤したんだ。こよみちゃん」
わたしはアカイロを見た。
何を感じたのか覚えていない、アカイロを。
色って何なの?
アカイロがわたしにはわからない。
だから、お外が怖かった。
「違う。そうじゃない。そうでないことを、他ならぬきみが知っている」
お母さまはいなくなった。
わたしを置いて、お父さまも置いて。
わたしにはお父さまがいる。だから、大丈夫。
お外にでなければ、お外にさえでなければ。
お父さまはわらっているから。
「結末はもう十分。顛末も見えた。そうしてきみは最後の砦となった」
ねえ、お父さま。
わたしはお父さまが大好きなの。
きびしくて、でも優しくて。
そんなお父さまと一緒にいれて、とてもうれしいの。
「無意識すらもねじ伏せて、六堂院暦は錯覚を真実とした。それが最善だったから」
たのしいわ。たのしいわ。
本当にいつもたのしいわ。
わたしを病気だと思ってくる人もいるけれど、そんな人たちと遊ぶのも楽しいわ。
でも、お父さまは心配しているの。
わたしを心配しているの。
どうして?
* * *
狂気の色がアカイロとは限らない。
自然色でさえ狂気に染まる。否、狂気に染める。
六堂院暦のトラウマは、鍵の掛けられた部屋だった。おそらく屋敷のどこかにある小さな物置は鎖で幾重にも巻かれ、南京錠が見えるだけでも五つはかかっている。
夢想の世界では、鍵に意味はない。
空想であっても、記憶であっても。
魔術師、八尋彩にとってはないにも等しいものだ。
だから、鎖は自然にほどけ、錠は役目を終える。
「……緑ね」
ほこりの積もる部屋の真ん中に、ポツンとひとつの人形があった。それは自然色のくまのぬいぐるみ。
手触りのよさそうな、すこしいびつなくまのぬいぐるみだった。
ただ、その記憶の持ち主にはこれはきっとそれだけの話で済むのだろう。彼女は決して壊れていないのだから。
壊れまいと踏みとどまり続けているのだから。
「いつも浮かべる笑顔は、本当に奇跡のようなもの。僕はきみを心から尊敬するよ」
緑?
そんなものはひとつでしかない。
赤、赤、赤赤赤赤赤あかあかあかあかあかあか―――
床も壁も、天上すらもアカイロで。
けれども、本人にはきっとわからないのだろう。
「見えないものが見える六堂院暦は、アカイロだけが見えない」
本来なら六堂院暦は「業界」で暮らすはずの超能力者だ。
それはきっと、八尋彩だけが知っている。そして、六堂院暦はそれを知らない。
千里眼。
はるか彼方までも見渡すその瞳は、けれどその機能を廃棄した。
六堂院暦を
ならば。
ならば、彼女がその光景を見るのは必然なのだろう。
家族を愛しているひとり娘だから、知らずとも第六感とでもいうべき部分が無理やりつなげてしまったのだ。
千里眼。
またの名称を、感覚共有型自立式固有能力。
それは目にだけに留まらず、香りも、音も、はては痛みさえもリンクする。
そして、感覚を共有したものの感情すらも読み取ってしまう。
「僕まがいのことをしたわけだ。そりゃあ、トラウマにもなるさ」
八尋彩は狂っている。それは本人がよく知っていることだ。
すでに数百人分の人生を送って来たのだ。壊れていないはずがない。
すり切れて、疲れ果てて、立ち止まり、終わる。
「まあ、彩さまはマゾの中のマゾですから。納得できますよ」
「ははっ。そうだね。……いや、僕はどちらかというとサドのほうで――」
「聞いていません」
「……さいですか」
三流芝居はここにて閉幕。
母親の死の記憶を持つ少女の謎は解き明かされた。
殺された母親とリンクし、一緒に殺された少女は死ぬことを許されず、取り残されたまま。
最後の部屋には何もない。
「トラウマを隠してほしいね。こりゃあ、無理な話だ。隠してしまえば六堂院暦の生きる意味はなくなってしまう。そして、本当の意味でぬいぐるみになってしまう」
「かわいらしい容姿ですものね」
「そういう意味じゃねぇよ。怖いよ。比喩だよ、比喩」
「なるほど。厨二病乙、ですね」
「やかましいわ」
空想が浮上する。希薄さがなくなり、世界が顔をあらわし始める。
「僕の仕事はようやく決定したね」
と、記憶の最後。
八尋彩はそんな言葉を残すことにした。
―――ぐさり
鈍い音が、背筋を駆けた。
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