第1章13話 「空想の発露」

あらすじ

ひびきと結は仲直りをしました

─────


 世界というものはひとつではない。

 これは並行世界の実在とか、そういう類の話ではなく、いうなれば価値観の多様性を再確認するための表現だ。


 たとえば、六堂院暦には見えないものが見えたりするのだ。

 たとえば、関原ひびきには触れられないものがさわれたりするのだ。

 たとえば、八尋彩にはないものがあってあるものがないのだ。


 そういう違い。そういう解釈の差異。世界。

 人がそれぞれ見る世界は多岐にわたり、もしかしたら有限ではないのかもしれない。人類以上にある価値観の違いは、見える世界を確実に変えてしまうのだ。

 とにもかくにも、そういうことを知っておくのが大事なのだ。


「と、僕は思うんだ」


「鼻血を垂らしながらいうセリフではないわね」


 もはや狂気じみているとすら思える友人の発言に、まとも枠代表のひびきは悩まし気なため息をついた。それはもう、ふかーく。


「価値観はひとつじゃない。価値は変動する。差別によって人間はカテゴライズを行い、人間へと昇華する」


「つまり?」


「美少女メイドは最高です」


 しみじみと思いを吐きだす姿は到底、精神を傷付けているようには見えないし、なんなら魔術師とすら思えないだろう。いいとこキモオタ。最低でもへんたいふしんしゃさんだろう。


「あの、先輩。あんまり、見ないでください」


 もじもじ、てれてれ。

 頬を赤く染めて、メイド服に身を包んでいるのは一般人代表にして行動がときどき非一般人な美少女、幸路あざねだった。

 シンプルな経緯によって、八尋彩の恋人となった少女である。

 まあ、告白という段階においての話で、それ以前の経緯は複雑怪奇なのだが。


「彩られた花をめでないのはもったいないだろう。つまり、そういうことだ」


「どういうことですか、もう」


「似合っているよ」


「先輩」


 という風に、交際二日目にしてかなり糖度高めであった。ブラックのはずのコーヒーがやけに甘いと感じるひびきだった。


「今日一日、幸路くんには給仕としてはたらいてもらう。その服は仕様だ。あきらめたまえ」


「……聞いていないみたいですけれどね」


 この屋敷の主、六堂院清順をひびきはすこし哀れに思った。自分の雇い主ではあるが、今までの影の薄さは折り紙付きだろう。


「かまわないさ」


 と、優雅にカップを傾ける姿は、かつて見知った時分よりも衰えてはいたが、やはり彼も貴族の一角なのだと理解させられた。貴族という枠が撤廃された現代だとしても。

 にしても、と厄介この上ないカップルは朝からうるさい。物理的にも精神的にも。

 さらにいえば護衛としてこの場を動けないことも災いしていた。


「あの、彩さん。そちらの方はどなたなの?」


 と、いい知れない甘さに辟易していたこの場の人と救ったのは、六堂院のひとり娘こと暦だった。


「あ。……あたしは、本日給仕を担わせていただきます、幸路あざねと申します」


 ぎこちないながらもバイトなどで経験していたのだろうか、堅苦しい自己紹介を告げた。


「あざねさんというのね。よろしくおねがいしますわ」


「こ、こちらこそ。よろしくおねがいします」


 ぺこり。互いに頭を下げ合って、にこやかに笑った。


「そして、そちらの方は?」


 と、小さな少女の視線は見慣れぬ容姿の少女へと移った。ひびきの隣に座る、金糸の髪と外国の顔立ちをした少女へと。


「俺は──」


 言葉がつまる。脇腹に指が差し込まれ、物理的につまらされたのだ。

 それをなした犯人は、涼しい顔でコーヒーをすすっていた。


「わたしは、結といいます」


「ゆいさんね。よろしくおねがいします」


「こちらこそ」


 偽名すらも隠した方がいいだろうという判断で、むすぶゆいと名乗ることにした。

 自然、彩の視線は結を捉える。が、なんとなく把握したのか、一切勘づいていないのか視線を外した。きっと、前者なのだろうと結は判断した。

 まあ、当の本人は勘づきはしながらもまた美少女が増えたということに喜びをかみしめていたのだが、それは本人の中だけのことでいいだろう。


「あの、」


「ん? なんだ?」


「よろしければ、いっしょに、その」


 もじもじ。てれてれ。

 次にそれを始めたのは暦で、結は容易に察することができた。外見で判断すれば、暦と今の結はたいして違いがなく、事情を知っている彼もしくは彼女はすぐに返答した。


「いいぞ。……ではなく、いいよ。いっしょにあそぼう」


「本当に?」


「もちろん」


「では彩さんも、ひびきさんもどうかしら?」


「私は仕事があるので遠慮しておきます。それに八尋ひとりで私の分も務まりますよ」


「まあ、残念。わたし、ひびきさんともごいっしょしたかったのだけれど」


「暦。無理をいうものではないよ。ひびきくんには私から仕事を頼んでいる。昨日の思い出だけで勘弁してもらえないかな」


「お父さま、ごめんなさい。わたし、わがままを」


「いいんだよ。ほら、朝食を食べ終えたことだし、庭ででも遊んで来たらどうかな」


 その一言で、朝食の場は解散となり、グループは三つふたつに分かれた。

 ひとつは、八尋彩、六堂院暦、橋渡結によるおあそび連合。

 ひとつは、六堂院清順、関原ひびき、幸路あざね他給仕たちによるおしごと連邦。


 どちらにも花があり、そして棘があり。

 影もまた、あるのだった。






 暦は聞きたがりやだった。知らないことを知りたいし、一緒に談笑したい。そういうお年頃で、交流を持つのが嫌いではなかった。

 ひきこもりにあるまじき社交性は、なんだか歪だった。

 そんな彼女は彩とあざねの関係を根掘り葉掘り聞きだし、結にもそういう話題を振って、談笑して、お菓子を食べて、身体を動かして。

 そうしてようやく、今朝の話題へと、「好き」ということについて再度、彩へ問うた。


「僕も一日。いや、半日程度考えてみて、なんとなくならわかった気がするよ」


「本当かしら。また意味のわからないことをふわふわと語るのではなくて?」


「そうかもしれない。けれど、僕はそういうのも好きなんだよ」


 昼食を終え、一行はゆっくりとした空気にくつろぎを覚える。

 今朝の話を知らない結は、うたたねをしているようだった。


「好きとは多様性であり、差別によるカテゴライズで生じたものであり、またそうでないものだ。好きに理屈はなく法則すらない。ただひとつだけいえることがある」


 まったくもってわからない言葉が羅列したが、その後の言葉はわかりやすかった。


「なにかしら?」


「好きは必要だということ。あたりまえに組み込まれないといけないことなんだよ」


 ……まあ、続いた言葉はよくわからなかったが。


「結局、どういうことなの?」


「こよみちゃん。きみが聞きたいのは好きの条件なのかな? どうすれば好きになっていいか。何をすれば好きになれるか。そういうことかい?」


「んー? すこし、ちがうわ」


「そうだよね。じゃあ、そうだな。好きとは何なのか。具体的にいえば、それを好きになってもいいのか、ということなんじゃないかな?」


「………」


 はじめて、暦の言葉がつまった。にこやかな笑みははぎとられ、明らかな動揺が現れた。


「こよみちゃん。僕はきみを知ることがお仕事なんだ。きみに悩みはない。そうかもしれない。いや、きっとそうなんだろうね。今は」


「……わたしは」


「真実はいらない。夢想でいい。空想だってかまわない。意味なんて最初からみんな知らないし、知った気でいるだけ。だから、僕の言葉は軽いんだ。耳を通り抜けていくだろう? 重さがないみたいにさ」


 花の香りが鼻腔をくすぐる。

 心地よい日差し、かすかな疲労。そして、意識を惑わす花の香り。

 それは動揺があっても防げない。否、動揺したからこそ、精神的な疲労があったからこそ効果が如実にあらわれる。


「それは夢ではない。思い出ですらない。死の記憶なんて、死人じゃなきゃ持てないからさ。だからそれは間違いだ」


 魔術師は知る。世の中の異常性を。

 だれもが気付いていながら無意識的に避けている問題にすら、魔術師は進んで近づいて行くのだ。


「おおかたは知っている。だから邪魔はしないでくれよ、殺し屋さん」


「俺は何もする気はない。ただ、わかっているな?」


「もちろん。だけれど、順序がある。そうだろう?」


「ああ、その通りだ。胸クソ悪い物語を読むのはおまえくらいだろうがな」


「なんだ。知っているんですか」


「知らん。俺はそういうものなだけだ」


 暦の意識の間際に、ともだちの声が通り抜けていく。

 とどめたくてもとどまらない。

 そういう類の、思い出が。


「僕は、耐性がありますから」


「そんなもの。路傍の石と同じだろう」


 悲劇。そんな言葉はいったいどちらが呟いたのか。

 それを知る由もなく、また忘れる・・・ことは悲しいことではないのかもしれない。

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