第1章04話 「内的記憶」

あらすじ

暦ちゃんと遊ぶことになった

─────


 トン、とその衝撃はやけに軽く感じられた。

 少なくとも彩にとってはノックをするくらいの軽さだったように思えた。


「う」


 呼吸がつまる。

 胸への衝撃がそれを引き起こしたのは一目瞭然。


「ごほっ、ごほっ」


 痰のからんだ咳だった。おかしい、と感じ取ったのはそのときだっただろう。

 赤が混じった痰だった。鉄の味が口に残っている。


「い、たい」


 言葉もつまるが、それよりも自分が目減りしていくのを感じる。

 ドクドク、と自分を巡っていた構成材質が衝撃を受けた地点から流れ落ちていく。


「おれは、おれは、おれはおれはおれは」


 目の前の男のうめきは、彩にとってうるさいだけのものだ。

 ただ、気が狂いそうなのは、その男が自分を手にしているということ。

 それはすでに僕に刺さっているのだから、僕を触るんじゃない、と支離滅裂な考えが繰り返される。

 胸から生えた異物は、彼にとってはすでに「自分」で、それを手にされていることがたまらなく気に入らなかった。

 けれど、それを拒絶する言葉も、態度も許されはしない。


「しんぞうをこわした。はいをきりさいた。くびをかいた。したをきりおとした。くちをさいた。めをつぶした。てあしをへしおった。おれはおれはおれは」


 離せ。僕に触れて良いのは。


「おまえをころしたくなんてなかった。けれど、おれはおれをおさえられなかった。あいつはゆるせない。わかっている。けれど、おまえはそれをのぞまない。わかっている」


 何もわかっていない。何もわかっていない!

 これ以上、僕に──


「だから、すまない」


 ゆっくり異物、ナイフは引き抜かれる。

 痛みはいい。八尋彩が八尋彩としているためには有効な手段だから。

 ただ、自分が自分でなくなっていく感覚は正気を失わせていく。

 どうしてこうなった、と思考がまわるまえに、八尋彩は意識を手放した。



 *   *   *



「マツリ! マツリマツリ、マツリ!」


「大声で呼ばなくとも、ここにおりますよ、彩さま」


 冷や汗で脱水症でも起こしてしまいそうなほど弱々しい姿は、さきほどまで六堂院暦と庭で遊びまわっていたとはとても考えられなかった。


「………」


 寝転がったままマツリの姿を視認すると、彩にのばされた手のひらを掴んだ。


「彩さま、痛いですし、セクハラですよ」


 そんな言葉も耳に入らないのか、彩は目をつむって白い手のひらが赤くなるほど、強く震える両手で握った。


「どうしたのですか。何を見たのですか? わたくしでよければ黙って聞きますよ」


「……いや、強姦されただけだ」


「ダレトクなのでしょうか、それ。彩さまは受けだとしても、見どころは特にないように思うのですけれど」


「たしかに冗談でいったつもりだけれど、少しは真剣に取り合えよ」


「それをしないのがわたくしだと知っているでしょうに」


「そうだね、うん。マツリ、水もらえる?」


 無表情ながらとてつもなく嫌そうなことが長い付き合いの彩にはわかった。


「わたくし、読書中なのですけれど」


「……ですよねー。仮にも従者とか名乗るくせに仕事なんかしませんもんね」


 軽口をたたいているうちに震えが収まったらしい。横たわっていたベッドからスムーズに降りることができた。

 冷や汗を袖口でぬぐって、バックから水筒を取り出し、紙コップに注いだ。


「マツリもいるかい?」


「大丈夫です」


 ごくり、と水をあおった。


「それでいつの間に僕は自室に戻ったんだ?」


「自室というか、借りている部屋ですけれどね。それなら、関原ひびきさまが「うわ、思っていたよりも軽い」といいながら運んだのですよ」


「あいつはなにもん何ですかねー。大の高校生男子を持ち運ぶなよ」


「お姫様抱っこで」


「マジ?」


「マジです」


「マジかー」


 そんな雑談の最中、コンコン、とノックの音が響いた。

 それに彩とマツリは一瞬アイコンタクトを取って。


「どうぞ」


 と、答えた。


「入るわよ」


「お、うわさをすればなんとやらだな」


「ずいぶんなご挨拶ね」


 そんなお固い態度の黒髪美少女は、わきに木刀を携えた関原ひびき、その人だった。


「関ヶ原スタイルにイメチェンしたんだ」


「してないわよ。ただ」


「警戒しているだけ、と続けるんだったら大笑いしてやるぞ。はははっ。心配っご無用! 僕がどんな仕事をしていようと友達を無碍にする男だと? しかも美少女の友達だぞ。傷つける必要すらナッシング」


「でも、あんたは掃除屋なんでしょ」


「後処理専門だけどね。だから、やろうと思えば一発でおまえに負けると思うよ、カナデちゃん」


「私は関原ひびきよ。その呼び方はやめて」






 事態を説明するためには彩が暦と接触して、午前中はインドアゲームをやり、昼食をはさんで、午後に庭でかけっこ、かくれんぼ、ボール遊びと散々遊びつくして、暦が体力切れで眠ってしまった場面から始める必要がある。


「それでカウンセラーの八尋彩さん。これからどうするのですか?」


 客間とでも呼べばいいのだろう。テーブルをはさんでソファーがふたつ向かい合う手狭な部屋で集まっていた。彩はもちろん、依頼主の六堂院清順とその護衛である関原ひびきが。


「ええ、メンタル的な面に大きな傷があるようには思えませんし、庭に出ることができているということから外という環境を拒絶しているわけでもない。それにこよみちゃん本人が最初にいっていたように学校で問題があったというのも考えにくいでしょう」


「それでは」


「まあ、のぞいてみるしかないですね。ああ、心配しないでください。もし六堂院さんが知られたくない情報があったとしても漏らしたりしませんので。そういうのは個人情報とかでうるさい世の中ですからね」


 その会話がひびきにはわからないものだったが、そのにおいは知っていた。

 普通の日常には存在しない、特有の香り。


 だから、葛藤した。

 踏み込んでもいいのだろうか、と。

 八尋彩という人物が、こちら側なのか。それだけが彼女の頭を埋め尽くしていた。


「あ、関原。いい忘れていたんだけどさ」


「ん、なに?」


 だから、咄嗟の返答は軽いもので、一年以上も付き合ってきた友人の性格を考慮せず、心構えもしていなかった。

 これでは出会った当初と同じではないか。


「僕はおまえと同じ業界で仕事している、記憶をいじくる魔術師さんだから。以後よろしく」


 いきなりのカミングアウトに、さすがのひびきも声がつまった。


「……………な」


 見透かされていたのかとか、驚きで声がつまったとか、なんでそんな重要なことをぽろっとこぼすのかとか、少しは空気を読めとか、いろいろ、本当にいろいろひびきにもいいたいことがあったが、とりあえず一言。


「八尋、ちょっと死んでくれないかな」


「えー、辛辣」


「先っちょだけでいいんだよ。先っちょだけ、刺してもいい?」


「どこに!? てか、何を!?」


「大丈夫。痛いことには痛いけれど、使う指は人差し指の一本だけにしてあげるから」


「刺さるんですか! まって、そういうのは無理だからノー」


 大丈夫、と繰り返しながら、幽鬼のごとくにじりよるさまは彼女の評判通りではあったが、この場で一番不憫だったのは六堂院清順、その人だろう。

 この場全員の依頼主なはずなのに空気な扱いはさすがに可哀想だった。


「あの、暦はどうなるんですか?」


 ひびきのひとさしを頬の皮一枚でやり過ごした彩は、香水による魔術を使うことをせず、ただまっすぐクライアントの目を見据えた。


「学校にでも、どこにでも。行けるようになります。必ず」


 きっととか、たぶんとか、そんな曖昧な言葉はいらない。

 飾り気なんてない、まっすぐな物言いは、だれよりもひびきに届いた。ああ、これは本物の八尋彩だと。友達として知っているその人だと。






「めずらしく冗談をいわないじゃない」


「まあね。これでもカウンセラーとして雇われているからねー」


 場所は移動して、六堂院暦が就寝している彼女の部屋に、彩とひびきが暗い中顔を合わせていた。

 父親である清順が退室しているのは、彩の魔術の性質上、少人数のほうが良いためだ。

 だから、その部屋にはぐっすりと眠る暦と魔術師の彩、そして暦の護衛としてひびきの三名がいた。


「……どうしてわかったの?」


「何のこと?」


「とぼけないで。こっち側だとわからない人にあんなことをいうはずもないでしょ」


「いや、逆に何でわからないと思ったんだ。親戚だとして今の時期にいるっていうこと自体おかしいし、そんなに仲が良いのかなと思ったけれど、そこまでの仲でもなかったし」


 ひびきは顔中が熱を持つのを感じた。

 よく考えなくとも一年以上経ってのお見舞いというのは親戚としても不自然だ。


「これでも業界は長いからね。だます気がないんだと思っていた。まあ、業界にかかわっていることはあんまりいい印象を与えないから、隠そうとする気持ちは理解できるけど」


 見透かされていたのではなく、自分がわかりやすいだけだった。

 この事実にひびきはようやく気が付いた。


「さて、もういいかな。僕は仕事があるから」


 ベッドへ歩みよる彩の腕をつかみ、引き留めた。


「私はカナデ。業界ではその名で通っている護衛専門の用心棒よ」


「へー。カナデちゃんね。かわいいことこのうえないねー」


「それ以上茶化すならこの腕へし折るから」


「すみませんでした」


「よろしい」


 ぱっと腕は解放され、二歩ほどたたらを踏んだ。


「あとは任せた。魔術師さん」


「了解。もし僕がぶっ倒れてしばらく目を覚まさなかったら、自室の方へ運んどいてほしい」


「自室じゃなくて、借り部屋でしょ」


 大きなベッドに眠る小さな少女の脇に立ち、掃除屋と呼ばれる魔術師は呼吸を整える。

 見つめるのは特別に許されたインナーレコード。


 生命の燐光。

 記憶の飽和。

 知識の変革。


 八尋彩に許された魔術の第一段階。

 すなわち、対象の記憶の追体験。


 生まれ、育ち、好き、嫌い、愛し、殺し、憧れ、妬み、作り、壊し……

 そうやって紡がれてきた人生を、無許可に閲覧する権利。


 それこそが八尋彩という魔術師に与えられた魔術とっけん


 ──記憶の改変とかいうのは、それを終えた後の第二段階以降のことだ。

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