後編
「よっしゃ。いくぞ」
「はいはい」
深夜になり、2人は現場のビルが立ち並ぶ表通りから、1本外れた裏通りにやって来た。
夜闇に紛れて退散できる様に、2人ともピッタリとした黒色のランニングウェアを身に
彼女達が受けた依頼は、早朝に出勤したっきり家族が失踪し、何の手がかりもなく警察もお手上げ状態のため、その行方を探って欲しい、という複数の家族からのものだった。
数週間に渡る調査の末、防犯カメラ間の死角に当たる、交差点から十数メートル入った所にある、彼女達がいる地点である、直径100メートルほどのエリアが特定された。
「今のところどうだ? 何か感じるか?」
「そうね……、
人払い結界をかけた椿は、あざみに手を引かれながら、そのエリア内を歩いて神隠しの原因となるものを探る。
そのまま、エリアの中間地点まで進んだところで、
「うおっ」
「いるわね……」
彼女達の目の前にある、やや大きめのマンホールの蓋が、ボコン、という重い音を立てた。
直後、その蓋が勢いよくめくれ上がって、その中から深緑色のゲル状触手がいくつも飛び出してきた。
「ちっ」
あざみは瞬時に椿を抱えて、すぐ左にあった高さ15メートルほどのビルの屋上へと跳び乗った。
触手は途中までは追いかけてきたが、自重のせいで地面に落下していった。
ちなみに、あざみの服には身体強化術式が仕込まれていて、身体能力が最大で常人の数百倍ほどになる。
椿のものにも術式が仕込んであるが、彼女のそれは身体と精神の防御に呪力を全振りしていて、身体能力はほとんど素のままになっている。
「ありがと、あざみ」
「当然だろ?」
椿をそっと足から降ろすと、あざみはビルの縁から下をのぞき込んだ。
「なるほど。ああやって
顔をしかめるあざみの視線の先で、触手の群れが、得物を探してウゾウゾと不気味に
「じゃあ、始めましょうか」
「おうよ」
腰に巻いたベルトにいくつかついたポーチから、2人はそれぞれ自分の札を取り出して、魔物の駆除の準備を開始する。
札を左右に2枚ずつ人差し指と中指の指先で挟む椿は、目を閉じると腕を交差させて詠唱し、勢いよく左右に札を
それは光の矢となって四方に飛び、空間を切り取る結界を人払いと同様の広さで張った。
「――ッ」
二重に大規模結界を展開する事で、椿には強い負荷がかかり、それによって引き起こされる頭痛に彼女は顔をしかめた。
「すぐ終わらせるからなっ!」
自分が結界が張れないせいで、椿に無理をさせている事に、強い悔しさをにじませながらそう言うと、あざみは詠唱なしで術を起動し、手にしている札を胸元に貼り付けた。
すると、彼女の全身に神力を帯びた樹木の
その状態で縁に立ったあざみは、触手の出てきたマンホールめがけてダイブする。
落下しながら拳を突き出すと、木がグローブ状になり、彼女それの5倍ほどの大きさになった。
中間まで落下したところで、背中から木の葉混じりのジェットが噴き出し、マンホールの穴へと一直線に突き進む。
触手はもちろん、それを受け止めて応戦しようとするが、触れたところから水気を吸い上げられ、あっけなく砕かれていく。
「そこか!」
そのままあざみはマンホールに突入し、底近くにあったコアを粉砕した。
ジェットを逆噴射して勢いを弱め、彼女は下水の水面近くでホバリング状態になった。
「よし、最速記録――ッ! 椿!?」
何もいないのを確認したところで、椿の呪力が揺らいだのを感じ、あざみはジェット噴射を全開にして、すぐさま屋上へととんぼ返りした。
「う、ぐ……!」
先程あざみが仕留めたものと同じ触手が、椿の身体に絡みついて締め上げていた。
首を締め上げられ、息苦しさに崩れ落ちかかっている彼女は、あざみを見つけると唯一動かせる視線だけで助けを求めてきた。
防御術式は発動してはいるが、それに注がれる椿の呪力を吸い上げているせいで、今にも破られかかっていた。
「オレの椿になにしやがる!」
あざみはそう
「大丈夫か椿!」
樹木の鎧を解除したあざみは、ゆらり、と倒れ込む椿の身体を支え、彼女が身体を床にぶつけるのをすんでのところで防いだ。
しばらく激しく咳き込んだ後、
「……ええ」
脂汗をじっとりと額にかいている椿は、荒い呼吸をしながら答える。
「あの排水口から来たのか?」
「でしょう、ね……。
息はなんとか整ったが、下手すれば死にかねなかった恐怖に震えはじめ、椿は奥歯がカチカチと鳴らす。
だが、そんな状態であっても、椿は2つの結界を維持し続けていた。
「オレがいるからには、もう大丈夫だ」
普段の凜とした雰囲気が消え、小さな子どもの様に震える椿を抱きしめ、あざみは彼女の耳元で、大丈夫だ、と優しく繰り返す。
「来てくれなかったら、どうしようって、思って……」
「んなこと、絶対あるわけねぇだろ?」
「うん……」
「よく、頑張ったな」
「ん……」
あざみの背中に手を回し、彼女にすがるように抱きつく内に、椿はなんとか落ち着きを取り戻した。
ややあって。
「さてと、あんな具合に分裂するとなると厄介だな……」
椿から、もう大丈夫、と言われ、その身体をそっと離したあざみは、心底面倒くさそうにそうつぶやき、普段はほぼ使わない、探知系の術式が描かれた札を1枚抜いた。
あざみは探知系の術が非常に苦手で、精度を高めるのに椿の10倍ほど試行回数が必要になる。
「私がやるわ」
詠唱を始める前に、まだ若干震えが残る足で立ち上がり、椿はあざみを手に触れて制した。
「いや、椿は休んでろ。もうこれ以上お前に……」
「探知ぐらいなら大した手間じゃないわ」
あざみも慌てて椿を制止しようとするが、そう言って椿はあざみの札を使い、さっさと術を発動した。
「……」
しばらく目を閉じて、意識を集中させていた椿は、
「どうやら、アレはいないようね。……あと、多分遺品も見つけたわ」
目を開いて、倒れないかどうか気が気でない様子のあざみへ淡々とそう告げた。
「おっ、どこだ?」
「下水管の整備員用通路ね。そこまで奥ではないわよ」
「うげ、また入らねえといけねえのか……」
「頑張りましょう」
「おう……」
すごく渋い顔をするあざみに、椿はいつもどおりの調子でそう言って、その肩に手をポンと乗せた。
胴長を
水路脇の通路を数メートル進んだところで、小さい山になっている犠牲者達のネクタイや眼鏡、といった遺品を発見した。
「新しいのもあるな……」
「そうね。……せめて、送り届けてあげましょう。あざみ」
「だな」
2人はそう言った後1分ほど
*
数日後、
2人は椿の家のリビングにて、同じカウチソファーでくつろぎながら、特に面白いわけでもなさそうに、テレビに映っている、酷暑の中のお祭り騒ぎの様子を眺めていた。
「しっかしまあ、人が何人も消えてるってのに、なんも無かったみたいに回るたぁ、世の中薄情なもんだな」
「そんなものとはいえ、やるせないわね」
自身の膝に頭を乗せるあざみのぼやきに、椿はテレビの電源を消すよう、式神へ念で指示を送りつつ、諦め混じりの声でそう言う。
「オレ達みたいなのがいなくなっても、同じだろうな……」
「どうしたの? 急に感傷的になっちゃって」
「いーや、何となくそう思っただけだ」
あざみはむくりと半身を起こすと、少し椿に寄りかかる様に座り直した。
「まあ実際、そうなのかもしれないわね」
でも、と言いながら、あざみの少し太い指に、自身の細く長い指を絡ませて握りつつ、
「世の巡りから外れた人に価値がない、なんて道理はないでしょう?」
そう答えると、椿は愛おしげな表情で首を傾け、コツン、と相棒の頭に自分のそれをくっつける。
すると、椿の肩に掛かっていた、彼女長く艶やかな黒髪がするりと落ちて、あざみの耳をくすぐった。
「ひゃ――」
「なるほど。あざみ、耳弱いのね」
「ち、違うっつ――、ひゃあっ!」」
必死に否定するあざみは、小悪魔的な微笑みを見せる椿から、耳にそっと息を吹きかけられ、
「ええ? でも顔真っ赤よ?」
身体を思い切り縮こまらせて、その背筋を走るぞわぞわ感に悶える。
「し、仕方ねえだろ! 好きなヤツにんなことされてんだから……」
しかしそれは、嫌がっているというより、言葉通りむしろ期待している様子だった。
「ふふ、可愛い……」
「ひゃあっ!? すまん嘘ついた、そこだめだからぁ、椿ぃ……」
「やーだ」
「ふぁ……っ」
「本当に嫌なら、はね除けて貰えば止めるわよ?」
「う……」
椿に押し倒されたあざみは、そう言われても全くの無抵抗だった。
「じゃあ、同意が取れた、ということで」
「おう……。って、ひ、卑怯だぞつば――、ひあっ」
結局、散々椿に耳をくすぐられ続けられ、彼女が体力切れを起こすまで、延々とあざみは解放されなかった。
陰に舞う蝶々 赤魂緋鯉 @Red_Soul031
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