陰に舞う蝶々

赤魂緋鯉

前編

「あーもう、なんで分かんないかなー!」

「はいはい、帰った帰った。お嬢ちゃん達の遊びに付き合ってるほど、おっちゃん達は暇じゃないの」


 乗り出してカウンター越しにキレる、背の低い少女に見える女性を、道路管理課長の中年男性は適当にあしらう。


「こんの……!」

「帰りましょうあざみ。バカみたいに押し問答したって時間の無駄よ」


 その態度に激怒するあざみと呼ばれた女性に、彼女の背後の柱に寄りかかっていた、白いワンピース姿の背が高い少女がそう呼びかける。


「バカってなんだよ椿つばき!」

「あなたに言ってないわ」


 裾の丈が短めの黒いノースリーブから出るあざみの腕をとり、椿と呼ばれた少女は、喚く彼女を引っ張っていく。


「ふー……、やっと帰った……。休日勤務だってのになんて日だ……」


 相棒に引きずられる様に、なおもぶちぶち言いながら出ていく姿を見送りながら、課長はうんざりした様子で自席にどっかりと座った。


「お疲れさまです」


 深々も良い所なため息を吐く彼に、同じく休日出勤部下の青年が、缶コーヒーと共に労う。


「連中なんと?」

「あー、なんか、トライアスロンコースに近いところの、どっかの道の占用許可くれって」


 心底疲れたような様子で、課長はうちわで自身をあおぎながら、コーヒーをグイッとあおった。


「理由はなんだったんです?」

「安全確保だかなんだか、って曖昧あいまいなやつだったな」

「イタズラですかね?」

「だろうよ。ほら、もう良いから仕事だ仕事」


 空き缶をデスクトップパソコンの脇に置くと、けだるげにパスワードを入れてロックを解除した。


「あーあ! これだからお役所の絡む仕事は面倒なんだよ!」

「ギャーギャー騒ぐと余計に熱くなるわ。止めて」

「すまん」


 役所から出た2人は同じ日傘の下に入りつつ、セミがシャーシャーと盛大にわめきちらす、炎天下の幹線道路を歩く。


 サングラスをかけている椿は白いつば広帽を、あざみは紺の無地の野球帽を被っている。


「仕方ないでしょう? 普段ふだんより余計融通ゆうずう利かないんだから」

「それはまあそうだけど、助け船ぐらい出してくれたって良いだろ」

「意味が無いのに出してどうするのよ」

「けどよ……。これじゃまた……」


 心配した様子で眉を寄せるあざみに、椿は嬉しそうに口の端をほころばせた。


「ま、あざみがちんたらせずに、さっと終わらせれば良いでしょう」

「オイオイ、なんかいつも遅いみてーじゃねーか」

「そう?」


 あざみは内心、ちょっと遅いかもしれない、という自覚はあったので、あんまり強く反論は出来なかった。


 ややあって。


「次は駐車場の変な声の案件だっけか」

「ええ」

「ネズミとかじゃねえのか?」

「いいえ。明らかに声が違うって話よ。下調べで妖力も検知しているし」


 椿の専属ドライバーの運転するセダンに揺られ、2人は次の現場の最終確認を行なう。





「……すまん。オレの手際が悪かったせいだ」

「別に謝らなくても良いのよ」


 しゅん、とした様子で頭を下げるあざみへ、椿は全く気にしていない様子でフォローする。


 変な声の正体は、地下駐車場に大量発生したすねこすりで、あざみが雑に捕まえようとしたせいで、怖がって駐車場中を逃げ回ってしまった。


 ムキになって2時間追い回したが捕まえられず、最終的に椿が式神を使って全部捕まえた。


「で、次はどこだ?」


 すねこすりが封印されたスキットルを、背負っている片掛けバッグに入れ、あざみはそう訊きながら椿の手にあるスマホをのぞき込んだ。


「雪が噴き出す配水管ね。この近くの暗渠あんきょよ」


 そこには地図アプリが表示されていて、その現場の位置にピンが立っていた。


「歩きで行けるな」

「そうね」

「水路ってことは、船がいるか?」

「大丈夫よ。長靴で歩ける深さだから」


 椿は長いスカートの裾を太股の高さまで持ち上げて、そこにベルトで巻いているポーチから、式札を2枚取り出した。


 ふう、と息を吹きかけた彼女は、それを自身とあざみの足元に飛ばす。


 足の甲に当たると、それから白い煙が吹き出して、あざみのスニーカーと椿の編み上げサンダルが膝下まである長靴になった。


「おい、これ普通のブーツじゃね?」

「そう見える長靴なのよ」

「えー? あっ、マジだ」


 ブーツの表面を触ってみると、確かに革ではなくゴムで出来ていた。


 幹線道路から外れた裏道を歩いて、2人はビルの間にある、黒ずんだコンクリート護岸の暗渠入り口に到着した。


 護岸に刺してあるタイプの表面が錆びた梯子で、2人は川の底へと降りていく。


「あっ」

「うおっ! あっぶねえ椿!」


 あざみの後に降りた椿が、底に生えていた水苔みずごけに足を滑らせ、後ろ向きに転倒しかかった。


「ありがとう、あざみ」

「相変わらずオメーは足元が留守だな全く……」


 腰を落として、がっしりと相棒の腰を抱きとめたあざみは、大きく息を吐きながらぼやく。


「さ、仕事しましょ?」

「おう」


 自分のために色々と気遣ってくれるあざみに、椿は上機嫌そうに鼻を鳴らした。


 札から鬼火を出して照らしながら、流水音が幾重いくえにも反響はんきようする暗渠あんきよに入っていく。


「うおっ。さっむ」

「ああ、あれね」


 時々吹き抜ける、強い風に髪をそよがされながら進み、2人は猛烈な勢いで雪が吹き出すパイプの元に到着した。


 そのパイプの周りには、びっしりと霜が付着していた。


「なんだこりゃ。雪女でも埋まってんのか?」

「これ、どこかとポータルでつながってるようね」

「あ、この前の変な地震でか」

「見た感じその前からね」


 椿が式神で中の様子を確認すると、その先は極地のどこかに出来た氷の穴だった。


「かるーく爆破すればいいか?」

「ええそうね、かなり不安定だから、干渉も気にしなくて良いと思うわ」

「じゃあ、いくぞー」


 あざみは腰のポーチから、椿のものとは違う術式が書かれた札をまるめて、パイプの中に差し込んで術式を起動する。


 結果から言うと、作業自体は滞りなく完了したが、


「すまん……。本当にすまん……」


 いままで流れ込んだ雨水が、ポータルの裏側に圧縮されていて、もの凄い勢いで吹き出して椿をねずみにしてしまった。


「不可抗力よ。仕方が無いわ」


 脚にまとわりつくスカートの裾を持ち上げて、れていない札を2枚抜くと、先程と同じ要領で自分の胸元に貼り付けた。


 すると、瞬時に全身を煙が包み込み、それが晴れたときには、身体も着ていたワンピースも乾いていた。


 1枚目は身体を乾かす術式で、2枚目は服を着替えるそれとなっている。ちなみに2枚目の札は使っても残り、破くと変えた元の服が出現する仕組みだ。


「水が腐って無くて良かったわね」

「……クリーニング代、出しとく」


 椿は全く気にしてはいないが、負い目を感じるあざみは、彼女の手に残った札をすっと引き抜いて、バッグのポケットに入れた。


「あざみ。あなた、毎回取り分から出してるけれど、生活ギリギリでしょう?」


 抜群の呪力の出力量を持っているあざみだが、パワー調整が苦手で、椿が使用する機材を頻繁に「ショート」させてしまう。

 そのせいで、自身の依頼料の取り分が弁償のため、はした金程度になる事も良くある。


「まあ、そうだけど……」

「何が原因で壊れても、経費で落とすわよ?」 

「んなことしなくていい。オレが悪いんだし、そんくらい当然だ」

「前から言ってるけれど、そんなひもじい思いするなら、ウチに住めば良いのに」

「断る。そんなヒモみてえなのは嫌だ、って前から言ってるだろ」


 椿の申し出を拒否し、さっさと帰ろうぜ、と言ったあざみは、ややうつむき加減で出口の方へ歩きだした。


 ややあって。


 クリーニングに服を預け、椿の自宅兼退魔師事務所へと向かう道中、


「……」


 あざみは反省しきり、といった様子で、一言も発さずにずっと窓の外を見ていた。


 椿の自宅に到着すると、もうすっかり日没間近になっていた。


 それは白を基調とした、シンプルなデザインの豪邸で、郊外の丘の上をまるごと使ったやたら広い敷地に建っている。


 対魔結界の張られた、白塗りの強固な塀についた門をくぐると、端から端まで規則的な植え込みと、門から玄関へ続くレンガ舗装の道が縦に走る、広大な前庭が広がる。


 ちなみにその植え込みと左右にある噴水は、自立式対魔兵器のカモフラージュになっている。


 左右に車用のスロープが設けられた玄関に、横付けして2人が降りると、セダンは正面から見て建物の右側にある、建物に合わせたデザインのガレージへと向かっていった。


 車が数台止められる広さのそれは、遠隔操作でシャッターが遠隔で開く様になっている。


 水族館ばりに大きな窓が街を見下ろす方向についた、テニスコート二面ほどの広さがある、1・2階吹き抜けのリビングで、あざみは窓際の角でスツールに座っていた。


 浴室でシャワーを浴びてきた椿は、バスローブ姿で中央のカウチソファーに腰掛けた。


「あざみ、そんなところでねてないで、こっちに来なさいな」


 浮かない顔して、部屋の隅の窓際で外を見ているあざみを見かねてそう促す。


「……ここで良い」

「私、別に今日の事は気にしてないわよ?」


 それでも動かないので、椿の方からあざみの目の前に来て、愛おしげにうっすらと微笑みかける。


「椿が良くても、オレが納得いかねえんだよっ」


 恥ずかしさ半分、といった様子で、あざみは顔を赤らめつつ、上目遣いでそう椿に言う。


「本当にその辺は律儀なんだから」


 そんな意固地になっている、あざみの頭を椿はそっと撫でる。


「その扱い止めろよ。とっくにオレ酒飲める年なんだぞ」


 こっぱずかしい、と抗議はするあざみだが、その細腕をはね除けようとはしない。


「じゃあ、いい加減手ぇ出しなさいよ。これじゃ生殺しじゃない」

「バカ言うな。椿が成人するまで絶対やんねえよ」

「なんだ、つまんないの」


 あざみの頭から手を離した椿は、不満げに唇少しとがらせて、あざみの額にキスをした。


「じゃ、ちょっと仮眠するわね」


 彼女の元から離れ、真ん中のカウチに戻った椿はだらりと横になる。


 その際、自身の突拍子もない行動によって、目をかっ開いて固っている、あざみを誘うように、椿は流し目で彼女を見た。


「……。んなところで寝てると風邪引くぞ」

「じゃあ、あなたの素肌で暖めてちょうだい」

「はいはい。さっさと着替えろ」


 あざみはそれを無視して、廊下に出るドアの脇に控えている、メイド型の椿の式神に、彼女の寝間着を取ってくるように指示した。


「別に全裸で良いのに……」

「うるせえ。何回言っても絶対やらねえからな」


 憮然ぶぜんとした様子で着替えた椿を、あざみは軽々とお姫様抱っこし、カウチの後ろの壁にある、金属の踏み板と枠に、手すりの下がガラス張りで出来た階段を昇る。


 2階の廊下を中程まで進むと、彼女の寝室につながる、1番突き当たりのドアが式神によって開けられた。


 そこは洗練されたデザインの、天蓋付きのクイーンサイズベッド以外は、電気スタンドしか無く、モノトーンで非常に殺風景な部屋だった。


「ねえあざみ、一緒に寝ない?」

「それはいいが、そのままの意味でとるぞ」

「ちぇっ」


 式神が布団をめくったマットレスに椿を寝かせたあざみは、しつこい彼女を適当にあしらいながら、その隣に背を向けて寝転がる。


 式神が布団をかけると、椿はあざみの小さな身体を抱きながら、すぐに小さな寝息を立て始めた。


「寝付きの良さは本当かわんねえな……」


 椿の体温と身体の柔らかさを背中で感じながら、少し目を細めてつぶやいたあざみも、まもなく眠りについた。

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