桜散る校門

  ……

  小浜班の生徒。女学運動を先導。過激な言動、未届かつ不適切な掲示。男子転入試験の妨害活動。停学予定。


  ミヤコ様の取り巻き・甲。警告を無視しアルバイトを継続。厳罰を検討。


  ミヤコ様の取り巻き・乙。門限違反の注意二回。繰り返される場合、厳罰を検討。



 処分予定者リストを一瞥したあと、軽いため息をつき、顔を上げた。

 部屋の入口ちかくで、書記長が居心地悪そうに顔を伏せながら立っている。

 彼女と彦根以外に、生徒会執務室に出入りする者はすっかりいなくなっていた。


「校則違反者が絶えません」


 彦根の言葉が、執務室を覆う静寂を割いた。


「学園の風紀が乱れています。その理由を考えたことがありますか」

「……それは、共が――」

「生徒会がたるんでいるからです」

「はぁ……」

「あなた達は、学生自治の重みというものを理解しているのですか。生徒が、自ら決めたルールを自らに課し、それを守ることで秩序を維持し、学園をより良い場所にする。ただ好き勝手に振る舞っていいという意味ではありません。そこを履き違えている生徒が多すぎる。生徒会は生徒の先頭に立ち、彼女たちを啓蒙する立場にあるのです」

「……自覚しています」

「自覚だけでは駄目です。生徒会がリーダーシップを発揮し、難局にある学園の舵取りをしていかなければなりません。私が補佐職に就いたからには、それを実現してみせるつもりです」

「……私も、微力ながらお手伝いさせていただきます」

「いいでしょう。では、西寮の状況を報告してください」

「はい。生徒会の決定を不服とする生徒たちの行動は日を追うごとにエスカレートしています。授業をボイコットし、日がな『自学の間』にこもってボードゲームに興じたり、授業に出席している生徒も放課後に彼女たちに合流し、『自学の間』を占拠しています。その人数は徐々に増え、いまでは二十名近くにのぼります」


 『自学の間』は西寮の北棟最上階にある、生徒の自習、交流を目的とした広大なフリースペースだ。学習のための長机と、さまざまな教材、参考書を収めた書棚があり、さながらミニ図書室のようでもある。

 『自学の間』にはさらに大小さまざまな部屋があり、会議室としても使用できるほか、その中で最も大きな部屋――かつてはレクリエーション室と呼ばれていた――は、いまではミヤコ様の居室となっている。

 書記長は報告を続ける。


「女学派の生徒は『自学の間』を占拠して真面目な生徒の自習を妨害するだけでなく、室内に共学化反対を訴えるスローガンを勝手に貼り出すなどして、明らかに寮の規律を乱しています」

「女学派の生徒がなぜ、『自学の間』に集うか、わかりますか」

「それは……ミヤコ様を心の拠りどころにしているからだと思います」

「そう。連中はミヤコ様を中心とする女学派勢力を築き上げて、生徒会に圧力をかける気でいます。ですが所詮は烏合の衆。だから集まってゲームをやることくらいしかできないんですよ」

「ですが『自学の間』に集う生徒は日に日に増えています。このままでは歯止めが効かなくなるのでは……」

「無論、放置するつもりはありません。誰かひとり、見せしめに退学でもさせれば、彼女たちの振る舞いも変わるでしょう」

「あの、それは……」

「気に入りませんか?」

「いえ……」

「この話はここまでにしましょう。ほかに、話しておくことはありますか」

「はい。今週末に実施される、男子生徒の転入試験が円滑に行われるよう、学園長から協力要請がきています」

「ほかには?」

「……ここに来る途中、ある生徒から、校門に不穏な掲示物が貼られていると連絡がありました」

「なぜ校門に……?また女学派のメッセージですか?」

「おそらくは。確認してきましょうか?」

「いえ、私が行きます。書記長は西寮の巡回をお願いします」


 彦根は立ち上がり、早々に執務室をあとにした。



 校門から校舎に至る石畳の歩道は、桜並木になっている。

 遅咲きの桜はすっかり見頃を過ぎ、吹雪と見紛うような萎れた花びらが、石畳を淡紅色に染め上げていた。

 放課後だが、花見に興じる生徒ももう居ないようだ。

 思えば、今年は一度も花見をしないまま、見頃を過ぎてしまった。学園内でのいまの自分の立場を理解しているから、花見に参加しようものなら他の生徒たちからどんな目で見られるか、容易に想像することができる。


 無人の桜並木にひとり立ち、桜吹雪を浴びる。

 校門へつづく道、といっても、全寮制で校舎と寮が隣接しているこの学園においてはお飾りのようなもので、放課後といえど人の気配はほとんどない。せいぜい職員が出入りに使うくらいで、生徒のほとんどは東西それぞれの寮の門を出入りに使う。


 この場所に立つと、あの日のことを思い出す。

 期待に胸を膨らませながら初めて学園の校門をくぐった日のことを、そのときの胸の高鳴りを、彦根はいまでも思い出すことができた。

 彦根は初等部に入学し、中等部、高等部と進んできた内進組だ。あれからどれほどの月日が経っただろう。

 入学した頃は、学園のすべてが輝いて見えた。増改築を繰り返した結果、迷路のように果ての見えない校舎、新しくて綺麗な東寮、年季があるが由緒と趣を感じさせる西寮。

 名高いお嬢様学校の一員になれたという高揚感で、毎日が充実していた。

 あの頃の気持ちを、どうしても取り戻すことができない。

 あの日々の輝きを、いまの学園から感じ取ることができない。

 この学園は変わってしまったのだろうか?

 いや、きっとこの春入学してきた初等部の生徒たちも、あの頃の自分と同じ高揚感でいっぱいなのだろう。

 変わったのは、自分の立場だ。

 初等部の頃は、寮の先輩のいいつけを守るだけでよかった。たまに嫌な先輩もいたが、みな優しくて、自分は守られているという感覚さえあった。

 いまや立場は変わり、自分が生徒を指導しなければならない。

 卒業していった先輩たちがいまの自分を見たら、なんというだろうか。

 きっと褒めてはくれないだろう。

 それはわかっている。

 就任当時はまだ自信があった。

 自分なら山積された学園の課題を解決できるという、根拠のない自負があった。

 だが就任してすぐに、たとえ指導者的立場にいても、物事は思い通りに進まないという事実を突きつけられた。

 そして、いったん歯車が狂い出すと、それをもとに戻すのは容易ではないということも。



 『不穏な掲示物』は、石造りの校門の内側に、ひっそりと貼られていた。


   生徒会の独善を糾弾する!


 という見出しに始まり、恨みつらみが書き連ねられている。

 しかし、内容のわりに体裁があまりに地味だ。サイズも配布プリント程度の大きさだし、全体的に文字も小さい。

 そもそも人の往来の少ない校門にこんな物を貼ったところで、誰の目にも止まらないではないか。


 掲示物を剥がし、裏面を確認する。

 そこにはペンによる殴り書きで


   バ~~~カ


 と記されていた。


 誰かの足音が聞こえ、彦根は顔を上げた。

 校門の外から生徒が三人、こちらに近づいてくる。

 真ん中の生徒は天狗の面で、両脇の二人は赤いマフラーとマスクで、それぞれ顔を隠している。顔を隠す、と言い切るには、両脇の二人は少々お粗末かも知れないが。

 天狗は高等部の制服を、残りの二人は中等部の制服を着ているが、班章を付けていない。

 班章は生徒の所属班を明示するためのワッペン大の紋章で、学内では見える位置に身につけることが義務となっている。


 なるほど。掲示物はただの餌で、目的は彦根自身というわけか。


「あなた達、どこの班ですか」


 声を張り上げ、三人組に問うが、返事はない。


「班章を外すのは校則違反ですよ」


 警告に対しても、相手は動揺する素振りを見せない。

 天狗は代わりに、右手に持った木刀を軽く振って、こちらを威嚇してさえいる。

 端から捨て身の覚悟ということだろう。


「いいでしょう。停学か退学、どちらがご所望ですか」


 相手がそのつもりなら、自分も相応の覚悟をもって臨むとしよう。


 彦根はすぐには仕掛けない。相手が先に仕掛けるのを待っている。

 護身術の心得はある。

 刀を持った敵に対する最善の護身術は、「全力で逃げること」だ。

 だが、相手が木刀なら、ほかにも対処のしようはある。


 天狗が駆け寄ってきた。

 木刀を大きく振りかぶり、こちらに向かって振り下ろしてくる。

 単純な動きだ。

 左右にかわしながら、相手との間合いを測る。

 二撃、三撃と、単純な攻撃が繰り返される。

 今だ。

 彦根は天狗の懐に飛び込み、相手の右肩に向かって両腕を素早く突き出した。

 左腕で相手の右肘を、右腕で相手の右肩を押さえつけ、回転させながら素早く地に伏せる。

 これだけで相手の動きを封じることが可能だ。

 木刀を奪い、柄で天狗のうなじを突いた。天狗ダウン。


 次に仕掛けてきたのは、マスクだ。

 木刀の倍近い長さの単純な形状の棒を両手に持ち、振り回している。棒術使いか。

 最初の攻撃は、右側面をめがけた中段打ち。

 彦根はそれを木刀で受ける。

 続いて反対側への下段打ち。

 これをジャンプで避けると同時に、木刀を振りかぶった。

 着地の勢いを乗せ、マスクの右肩へ木刀を振り下ろした。

「ゲフッ」と声を上げたマスクは棒を落とし、地に倒れた。


 情けない連中だ。

 不満を解消する方法を見出だせずに暴力に訴えたかと思えば、それさえまともに果たせていないではないか。

 だが、あとひとり残っている。油断は禁物だ。

 彦根は顔を上げた。残るひとり、マフラーが視界から消えた。


 背後から素早い足音が聞こえる。

 反射的に振り返ろうとするが、すでに遅かった。

 視界が突如、真っ暗になった。

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