西寮の生徒たち(三)
「宇和島よ。ずいぶんと早いお戻りじゃな……いや、お前は確か『お勤め中』の身じゃったか」
萩が帰ってきた。いつもどおりの居丈高な態度だ。
「ウチのこと、からかってるでしょ」
「すまぬ。他意はない。忘れておったのじゃ」
「本当に?」
「まことじゃ」
「学校、どうだった?」
「最近はみな色めきだっておるな。共学化についての根も葉もない噂に振り回されちょる。みな、男子がわが学園の床を踏み鳴らすことがよほど気に食わぬと見える。生徒会へのヘイトも順調に溜まっておるようじゃな」
「なんか嬉しそうだねぇ」
「勘違いするでない。生徒同士がいがみ合ったところで、問題は解決せぬ。ウチはな、いま秘策を練っておるのじゃ」
「秘策?」
「悪いがこれ以上はいえぬ。薩摩の芋女の耳にでも入ったらどうする。いつ出し抜かれるか、知れたものではない」
「相変わらず嫌いなんだねぇ、さっつんのこと」
二人の仲の悪さは筋金入りだ。ともに成績がトップクラスでいつも順位を争っているからとか、互いの性格が気に入らないとか、理由についてはいろいろな憶測が飛び交っているが、確かなことは宇和島にもわからない。
「して、ウチに何用か?」
「あ、そうだ。お萩ちゃん、勉強教えてくんない?」
「その呼び方はやめてくれ」
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「……『
「お萩ちゃん。ウチもお萩ちゃんみたいに賢くてみんなに一目置かれるひとになりたいんよ。だからお願い」
宇和島は両手を合わせて頭を下げた。これはラストチャンスだ。これで駄目なら、自室にこもって一人で勉強する日々を二週間、送ることになる。
「必死に勉強して上位に立って、それでお前は満たされるのか?」
「……満たされるかどうかはわからん」宇和島は自信なく答えた。「でも、やってみたいんよ。やってみたら何かが変わるかもしれん。そこからどんな景色が見えるのか、確かめてみたい」
萩は無言で宇和島の顔を見つめていた。何かを考えているようだ。
やがて、
「よかろう」
萩の返答が聞こえ、宇和島は顔を上げた。
「わが班には優秀な生徒が揃っておるけえな。その中に一人、お前と同じ『お勤め中』の生徒がおる」
「え、そうなの?」
「無断での長時間外出を咎められてな。ちょうど勉強相手を探しておったところじゃ。喜んでそなたの力になってくれるじゃろう」
「やった!……あ、でもその子ってもしかして下級生なんじゃ……」
「いっこ下じゃな」
「いやぁ、後輩に勉強を教わるのはちょっと……」
「侮るなかれ。優秀すぎて既に、高等部の教育課程すべてに習熟しておる。飛び級での進学も考えておるほどじゃ」
「それはすごいね……すごすぎて逆に遠慮したくなってくるよ。……で、その子はいまどこに?」
謹慎中の下級生は萩の部屋におり、宇和島の申し入れを快諾してくれた。
宇和島はこの生徒を『飛び級ちゃん』と呼んでもてなした。
飛び級ちゃんは相手が上級生だろうと遠慮しない性格で、朝九時から十六時まで宇和島の勉強に付き添い、至らぬところにみっちりダメ出しをした。
宇和島にとってはさらに有難いことに、飛び級ちゃんは終業後に帰ってきた他の生徒たちの勉強の面倒まで見てくれた。彼女の各科目への理解の深さは驚嘆すべきレベルであり、飛び級どころか、医者だろうと法曹だろうと何にでもなれるのではと感じるほどだった。
万事が順調に進んでいるかに見えた。
少なくとも宇和島とその班内に関していえば。
この間、学内でちょっとした騒動が起きていたことを知ったのは、数日後のことだった。
「班長、ひどすぎます!」
放課後、自室に戻ってきた吉田が、開口一番にそんなことを叫んだ。
その表情があまりに鬼気迫っていたので、宇和島は思わず萎縮してしまい、
「なんで……ウチ、真面目に勉強しとっただけやのに……」
涙目になった。
「あ、すいません。そうじゃなくて……彦根さんですよ」
「彦根さんがどうかしたの?」
「校則違反を一斉に取締りはじめたんですよ」
「それは仕事熱心なことで」
「ちゃんと聞いてください。違反っていっても、寮の門限に遅れたとか、無断で外泊したとか、そんなレベルですよ」
「違反は違反でしょうよ……他には?」
「あとは、アルバイトですね」
「アルバイトぉ?バイトは禁止のはずじゃ……」
「密かにアルバイトしている生徒がいるんですよ。生徒会は以前からそういう生徒の情報を収集して、リストを作成していたんです」
「リストって……いったい何のために?」
「知りませんよ。でも、彦根さんはそのリストを利用して生徒の取締りを始めたんです」
「ふぅん……で、よっしーはなんでそんなに怒ってるの?」
「なんでって……フェアじゃないからですよ。彦根さん、女学派の生徒だけを狙い撃ちにしているんです」
「女学派?」
「共学反対派の生徒をいまではそう呼んでいるんです。反対派の活動を力で封じ込めようとしているのは明白です」
「よっしーさぁ……」
「はい?」
「その怒りを、ウチが謹慎受けたときにもぶつけて欲しかったなー」
「…………はぁ」
「いや、『はぁ』じゃなくてさ」
怒りで興奮気味だった吉田に、少し冷静さが戻ったようだ。
宇和島は机上の瓶入りみかんジュースをコップに注いで、吉田に手渡した。
「これでも飲んで落ち着きな」
「どうも……。はぁ、この学園、どうなっちゃうんでしょうか」
「どうって……共学化はもう決まったようなもんでしょ。男子が来れば、そのうちみんな慣れるって」
「それじゃあ女学派が納得しませんよ。女学派はいまや団結しようとしています。あるひとを祭り上げて、女学派のリーダーに仕立て上げようとしているんです。誰だかわかりますか?」
「…………誰?」
「ミヤコ様です。共学化には一貫して反対の立場ですから。そして、そのミヤコ様から水戸さんに対して、密命が下ったそうです」
「密命?」
「内容はわかりませんが、水戸さんといえば生徒会の相談役。ミヤコ様も生徒会のやり方に相当の不満を抱いているんでしょう。密命の噂を聞きつけた彦根さんは激おこだったみたいで、それが今回の一斉取締りの発端になったとか」
学園内の状況は宇和島が想像していた以上に混沌としているようだった。このまま放っておけば、学園が真っ二つに分裂しかねない。
とはいったものの……。
「いまのウチにとってはもっと大事なことがあるんじゃ。中間考査が迫ってる。ようやく学年五位以内が視野に入ってきたとこなんよ。いま、学内政治にうつつを抜かす暇はない」
「班長はどこまでいっても班長ですね。話す相手を間違えました。勉強、がんばってください」
吉田は苦笑しながら自席につき、自らも授業の復習を始めた。
学園は混沌としているが、結局のところ、自分がやるべきことをやるだけだ。
『今はまだその時ではない』という薩摩の言葉を、宇和島は思い出していた。
それから数日後の休日。
自室で勉強中の宇和島に、ある訪問者がやってきた。
「のどかな春でございます」
戸からこちらを覗き込んでいる生徒の袖に、一本の小さな木の枝が挿さっていた。枝には、幾片もの綺麗なソメイヨシノの花がついている。
「まっつん……」
松山はニコニコしながら戸口に立ち、宇和島を見つめていた。
「桜、咲いてたんだ」
「やだ、気づいてなかったん?」
秋津洲女子学園の桜は遅い。一週間も寮の中で過ごし、窓から見える中庭には梅の木しかなかったので、桜のことなどすっかり忘れていた。
「今日はみんなでお花見してるんよ。宇和島ちゃんも行かん?」
「いや、遠慮しとく」
「そういうと思った。みんなで話してたんよ。宇和島ちゃんたち、お花見もできんで可哀想やねって」
「……よけいなお世話じゃ。ウチはいま、大きな目標に向かって爆走中なんですよ」
「そんなふうに気張ってると、ガス欠で動けなくなっちゃいますよー」
松山は部屋に入ってきて宇和島の机に小さなインク瓶を置くと、そこに桜の枝を挿した。
「これ……ウチのために?」
「綺麗でしょう?『うかれける 人や初瀬の 山桜』」
「なにそれ……でも、ほんと、綺麗やねえ」
ペンを持つ力が緩み、宇和島はすっかり桜枝に目を奪われていた。
思えばこの一週間、ずっと気を張り詰めたままで、こんなふうにリラックスした気持ちになったのは久しぶりだった。
「なぁ、いま、思ったんじゃけど、ウチって、このちっぽけな桜枝みたいやな」
「うそ……宇和島ちゃんが詩人みたいになってる」
「大きな木の隅っこで一生懸命に咲こうとしとる。けど、こんなふうに手折られても、きっと誰も気づきもせんのじゃろうな……」
「……みーんな一緒よ」
「……え?」
「みんな一緒。みんなちっぽけで、取るに足らん存在よ。けど、みんなが集まると、大きな木になる。花を咲かせられる。みんなひとりじゃ何もできんけん、支え合って生きてるんよ」
松山の言葉には、ひとに対する達観ともいうべき彼女の価値観が込められていた。同年代の他の子と比べて、老成されている感じがする。文学ばかり読み耽っていると、こんな感じになるのだろうか。
なんだか、心が少し軽くなったような気がする。
「まっつん……だんだん」
松山は枝を手折る危険まで冒して宇和島を励ましに来てくれた。陰で文学にしか興味ないとかいってごめんなさい。
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