生徒会長補佐

 新たな目標に向かって動き始めたのも束の間、宇和島は再び生徒会に呼ばれた。きっと、共学化に関する議論の続きだろう。

 とはいえ、別に宇和島の努力が実を結んだわけでも、宇和島が生徒会から重宝されているわけでもない。その証拠に、集められたメンバーは前回とまったく同じだ。唯一、書記長が部屋にいない点を除けば。

 前回、書記長が座っていた椅子にいま腰を下ろしているのは、彦根だ。


「このたび、生徒会長補佐に就任しました、彦根です。よろしくお願いします」


 澄ました顔で、彦根が会合の幕を開いた。


「生徒会長補佐……それが新ポストの名前ですか」福井が尋ねた。

「はい」

「なんか取ってつけたような名前だね」宇和島が思わず本音を漏らす。

「副会長との違いがわかりません」と土佐。

「補佐、という肩書ですが、生徒会長と同等の権限が与えられますので、そのおつもりで」

「質問」薩摩が口を開いた。「この人事はどのようなプロセスで決定されたのでしょうか」

「生徒会長直々の指名です。役員人事は生徒会長の指名により決定されますので」


 彦根は澄まし顔の上にかすかに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「もう少し詳しく知りたいのですが」

「その必要はありません」


 彦根の切り捨てるような態度に、薩摩はむっとした。


(いったいどんな手を使ったのかしら)

(さあ……)


 宇和島は隣席の土佐とひそひそ話をする。

 参加者の訝るような目線が彦根に向けられている。生徒会活動の不透明感を日頃から感じているせいだろう。まだ一言も発していない水戸さんに至っては、訝るというより明らかな怒りと敵愾心に満ちた表情を彦根に向けている。無理もない。共学化の是非で意見が対立している上に、副会長を担ぎ上げようという目論見も破綻したのだから。

 生徒会執務室の空気は明らかに悪化していた。


「あ、そういえば、書記長は今どちらに?」


 福井が尋ねた。少しでも空気を良くしようという気遣いが感じられる。


「書記長は西寮に出向いています」彦根が答えた。「ミヤコ様に共学化のお許しをいただくために、説得にあたっています。まあ、この会議が終わるまでには戻ってくるでしょう。それでは、共学化検討タスクフォースの第二回ミーティングを開催します」

「いつの間にそんなチームが……」土佐が思わずこぼす。

「なんかカッコいい」と宇和島。

「このミーティングの目的は、男女共学化が当学園に与える影響を予測し、事前に対策を立てることで、男子生徒の受け入れ体制を万全にすることです。たとえば校則について――」

「ちょっと待ってください」


 無言を貫き通していた水戸さんが、ようやく口を開いた。


「ミヤコ様のお許しを得ていない段階で共学化の検討を始めるのは時期尚早だと思います」

「私はこのメンバーの意思を尊重しているだけです。賛成多数で共学化の検討を進める、というのが前回の結論だったはずです」

「反対派の意見は聞く価値もないとおっしゃりたいの?」


 彦根と水戸さんが睨み合う。一触即発の空気が再び部屋を覆う。


「まあまあ、水戸さん。お気持はわかりますが、これは共学化を想定した話し合いと考えてはどうでしょうか。あくまで想定ですから、もし共学化が実現しなかったとしても、ここで話し合ったことは無駄にはならないと思います」


 福井がなだめると、水戸さんはしばらく考える素振りを見せたあと、前のめりになっていた姿勢を改めた。


「好きになさい。わたくしは聞くだけにします」


 水戸さんがいうと、参加者一同は安堵した。


「それでは改めて」彦根がいった。「校則を読み直してみたところ、頭髪や服装の規定など、女子しか考慮されていない項目がいくつかあることに気づきました。これらを含め、見直しが必要そうな項目を洗い出した結果、合計十一箇所に及ぶことがわかりました。我々のタスクのひとつは、これらの校則に対する改定案を考え、提示することです」

「え?そこまでウチらでやらないといけないの?」宇和島が尋ねた。

「校則の改定は生徒会で改定案を決議し、職員会の審査を経たあと、最終的に学園長が裁可します。これも学生自治の一貫です」

「なんか学生自治って響きは素敵なんだけど、面倒ごとを押し付けられてるだけな気がしてきた」

「生徒の自主自立、ですよ宇和島さん」福井がいった。「これもいい勉強です。一緒に考えましょう」


「見直しが必要なのは明文化されたルールだけではありません」彦根は続ける。「明文化されていない習慣についても見直しが必要です。例えばトイレ」

「トイレ?」

「校舎の男子トイレを使用する女子があとを絶ちませんが、改めさせないと、うちの学園が恥をかくことになります」

「うちの学校、男子トイレなんてあったっけ?」

「校舎自体は共学を想定して建てられていますので」

「私は使ったことありません」と土佐。

「……更衣室も同様です。現在、男子更衣室は物置同然の扱いになっていますが、これも――」


 ガチャ、とドアを開ける音が室内に響き、彦根の話を遮った。

 ドアの前に立っていたのは、書記長だった。


「書記長。お疲れさまでした」


 彦根がいうが、書記長の返事はない。

 ただ呆然と空を見つめている。その顔は留年でも告げられたかのように青ざめていた。


「どうしたん」宇和島の問いかけにも反応しない。

「西寮に行っていたのでしょう?ミヤコ様の返答は?」

 

 彦根が催促すると、書記長は我に返ったように視線を室内の一同に向けた。


「ミヤコ様のお許し……得られませんでした……」


 室内がざわついた。

 彦根が勢いよく立ち上がる。いつもは冷静だが、今回ばかりは戸惑いを隠せていない。


「共学化反対、ということですか」

「はい……完全拒絶です……」

「意見交換会の内容はちゃんと伝えたのですか?共学化の利点は大きいと……」

「お伝えしましたが、考えは変わらぬ、の一点張りで……」

「反対の理由は?」

「教えていただけませんでした」


 参加者一同の顔に、戸惑いと落胆の思いが浮かび上がっている。

 ただひとり、勝ち誇ったような笑みを浮かべている水戸さんを除いてだが。


「フッ、だからいったじゃありませんか。共学化など言語道断。ミヤコ様がお認めになるはずがないと」

「随分とミヤコ様について知った風なことをおっしゃいますね」と薩摩。「そこまでいうなら、ミヤコ様が反対される理由もお分かりなんでしょうね」

「もちろん、分かりますとも」水戸さんは強気にいった。「女学がわれらが学園の伝統だからです。生徒をリードする立場として、伝統は守らなければなりません」


 共学化検討タスクフォースなる彦根が立ち上げた臨時組織は、早くも解散ムードが漂い始めていた。

 しかし、宇和島としてはそれはまずい。

 せっかく生徒会に関与し、みずからの存在をアピールするチャンスを得たのに、最重要議題が消えてしまっては、足がかりを失ってしまう。


「あ、そういえば」あることを思いつき、宇和島は口を開いた。「共学化について生徒の意見を募集してたでしょ?意見箱、置いてあるの見たことある」

「あ、そうです!」書記長がいった。少し元気が戻ったようだ。「より広く生徒の意見を集めようと思いまして、東西の各寮に目安箱を設置したんです。せっかくだから開けてみませんか?ミヤコ様への説得材料も見つかるかもしれませんし」

「そうですね。お願いします」


 彦根が同意すると、書記長はせわしなく出ていった。書記長の仕事というのはどうやら雑用のようだ。


 しばらくすると、目安箱と書かれた二つの木箱を抱えて戻ってきた。

 彦根がテーブルの上で箱をひっくり返し、中身を広げる。

 一同が立ち上がり、意見用紙に注目する。その中の一枚を、宇和島は拾い上げる。


『門限が早い』


「……なにこれ」

「気を取り直していきましょう。ちゃんと共学化に関する意見もありますから」


 書記長は何枚かの意見用紙をピックアップして広げてみせた。


『共学化反対』

『伝統を守れ』

『生徒会を男子に乗っ取られる』

『生徒会は理事会に媚を売ろうとしている!』

『共学、ダメ、ゼッタイ』


「なんですか、これは」彦根が唖然としながらいった。「反対意見ばかりじゃないですか」


 彦根がいった通り、意見書の大半は反対意見で占められていた。


「あ、開けてびっくり目安箱ー」

「書記長、落ち着いてください」


 錯乱めいたことを口にする書記長を、福井がなだめる。


「気に入りませんね」薩摩がいった。

「何がです?」

「この『生徒会を男子に乗っ取られる』という意見ですよ。こういう敗北主義的な考えだから、いつまで経っても男性優位のままなんです」

「むしろ男子は肩身の狭い思いをするんじゃ……」宇和島が茶化すようにいった。


「もういいです」彦根がしびれを切らしたようにいった。「私が説得材料を用意します。書記長は日を改めて説得にあたってください」


「無駄な努力ですね」余裕の笑みを浮かべながら、水戸さんがいった。「もはや生徒の意思は決したも同然です。諦めたらどうです?」


 彦根と水戸さんが睨み合う。

 結局、この日のミーティングはこれで解散となった。


 共学賛成派は完全に劣勢に立たされたといっていい状況だった。

 このまま共学化問題は立ち消えとなり、皆、いつもの平穏で単調な学園生活に戻るのだろう。宇和島は落胆しながらそんなことを考えていた。


 その見通しが甘いことに気づいたのは、それから数日後のことだった。

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