宇和島の憂鬱(一)

 話は少し遡り、意見交換会の直後のこと。

 宇和島は福井とともに西寮に戻る途上にあった。


「どうしたんです?宇和島さん。そんなに背中を丸くして。いつもより小さく見えますよ」

「もともとちっちゃいんですっ」


 どうやら、鬱屈とした気持ちが姿勢に現れていたようだ。


「いいですか宇和島さん。美しさの基本は姿勢からです。常に背筋を伸ばし、前を見据え、笑顔で相手に接する。それが淑女というものです」

「淑女やないし」

「薩摩さんを御覧なさい。あの威風堂々たる様を。……まあ笑顔はないかもしれませんが、彼女だって生徒会運営に関わる機会は滅多にないのに、あれだけ存在感を発揮できるのは大したものです」

「いやぁ、さっつんと比べられたらぐうの音も出ないわ」


 薩摩が歩けば、すれ違う女子は立ち止まり振り返るという。容姿がどこか中性的なせいもあるだろうが、スポーツ万能、勉学優秀な者がもつオーラが、そうさせるのだろう。


「で、あなたは何をそんなに落ち込んでいるんです」

「なんてゆうか……場違い感というか……」

「場違い?あなたが?」

「だって、集められたメンバー、すごいひとたちばっかりやし。彦根さんや水戸さんは普段から生徒会と関わりがあって部長もやってるし、さっつんは居るだけで存在感あるし……。土佐ねえはおっぱい大きいし」

「おっぱいは関係ないと思います」

「福井ちゃんは顔広いし」

「ひと付き合いでいえば宇和島さんも負けてないじゃないですか。西寮の生徒はもちろん、水戸さんとも付き合いがあるとか」

「付き合いってほどじゃ……。前に、ちょっと歴史同好会を覗きに行ったくらいで……歴史にちょっと興味あったし」

「でも入部はしなかったんですね」

「だってあのひと達ガチなんだもん。ウチはもっと、カジュアルにイケメン武将について語り合う和気あいあいとした部活動を期待していたわけよ」

「フフ、たしかに、水戸さんはそういうタイプではありませんね」

「はぁ……なんか自信なくすわぁ」

「あなたはもっと、自己評価を上げるべきですね」

「ウチは、別に、自己評価低いわけじゃ……」

「でも、高いわけでもない」

「うっ……。だいたい、福井ちゃん、なんでウチのこと呼んだのさ?」

「私は宇和島さんに一目置いてますよ。はっきり自己主張する人ですし、英語の成績もいいですし。それだけでは不十分でしょうか」

「不十分だね」宇和島は切り捨てるようにいった。「『あいつ、で大した特技もないくせに生徒会に口出ししてるぞ』って陰口叩かれるのがオチだよ」

「じゃあ、もし次にまた生徒会に声を掛けられたら、あなたは断るんですか」

「うっ、それは……」


 宇和島は思わず言葉を詰まらせた。


「いいですか、宇和島さん。いま秋津洲女子学園の生徒は大きな岐路に立たされています。ですが生徒会は自分たちの意思をまとめることもままならず、ついに外部の生徒に意見を求めてきた。これが何を意味するかわかりますか」

「……意味?」

「生徒会は機能不全に陥りつつあるということです。数多の生徒がその隙を見て、ああだこうだと自己主張を始めるでしょう。あなたはそのとき、傍観者のままでいられますか」



 あれから数日が経った。

 宇和島の頭の中には、福井の最後の問いかけがずっと残っている。


――あなたはそのとき、傍観者のままでいられますか。

 

 数日間だらだらと考え続けた結果、宇和島の中にはある答えが芽生えつつあった。

 傍観者なんていやだ。

 自分だってこの学園の一員なんだ。

 学園は大きな岐路に立たされている。たとえどちらの道に進むとしても、自分の意見は主張したいし、意思を尊重してほしい。



 隣室の大洲や松山が背中を押してくれたのもあるが、そう思わせた一番の要因は福井だろう。


「ほんと、ひとを乗せるのがうまいんだから」


 誰もいない場所で宇和島は独りごちる。最近気づいたことだが、福井には人たらしな一面がある。

 


 自分も学園の意思決定に参加したい、と決断したのはいいものの、今のままでは簡単ではないだろう。誰からも一目置かれ、存在感を発揮できるように――たとえば薩摩のように――ならなければ、以前の意見交換会の時のように、存在すら忘れられかねない。そのために、具体的に何をすべきか……。

 が、その前に、もうひとつ解決しなければならない問題がある。



「班の標語、ですか……」


 副班長の吉田が面倒くさそうにいった。

 放課後、宇和島の自室でのことである。


「そういえば、まだ提出していませんでしたね」


 そういって、壁に貼られた『考え中』と書かれた紙を見上げる。

 班の標語というのは、各班の行動指針や目標を簡潔な言葉で表現したもので、すべての班長に提出が義務付けられている。たとえば、薩摩の班の標語は『文武両道』。実にわかりやすい。彼女のひととなりを表す言葉といっていいだろう。

 その標語の提出を今日の今日まで先送りにしてきた結果、『まだ提出していないの宇和島さんの班だけ』と書記長に釘を刺されてしまった。二百七十も班があって、提出していないのが自分だけだなんて信じられない。


「というわけで、考えるの手伝うておくれよ」

「標語を考えるのは班長の仕事でしょう」

「こういうの考えるの苦手なんだよ」

「班長がいつも大事にしていることを簡単な言葉で表現すればいいんですよ。何かないんですか」

「うーん……『何事もほどほどに』?」

「標語としてどうなんですか、それ」

「もっと目標志向のほうがいいと思います」机に向かって勉強していた他の班員も吉田副班長に同調する。

「じゃあ……『みんな仲良く』?」

「あまりかっこよくないですね」

「『喧嘩ご法度』!」

「言い換えただけですよね」

「あーもう!」


 思わず苛立ってしまい、宇和島は大の字になって床に寝そべる。


「みんながそうやって文句ばっかりいうからまとまらないんじゃん」


 吉田は一年後輩なのだが、どうも班長に対する敬意が足りないような気がする。他の班員もしかり。これも人徳が足りないせいだろうか。

 ちなみに、宇和島の班の人数は四人。寮の部屋は西寮、東寮のいずれも部屋の大きさがバラバラで、それにより人数も異なるのだが、宇和島班は平均よりやや少ない人数といえる。


「あーもう、やめだやめ」

「あ、また逃げた」

「標語なんて後、後。それよりももっと大事な問題があるんだよ」

「まだ何かあるんですか」

「実は……」


 宇和島は、先日の意見交換会での出来事やその後の福井とのやりとり、そこから得た決意について班員に語って聞かせた。


「……つまり、意見交換会で相手にされなかったのが悔しいので発言力を高めるためになんとかしたいということですね」

「もうちょっとオブラートに包んでくれないかなぁ」


 吉田のいっていることは、だいたい当たっているけれども。


「そうですねぇ……」

「おっ、考えてくれる気になった?」

「班長、なにか特技とかありますか?」

「あるよ」


 そういって、宇和島は自分の机に置かれたある物を指さした。


「ボトルシップを常人の二倍の早さで組み立てられるよ」

「……地味ですね」

「いや、地味かもしれんけど、すごいじゃろ?」

「たしかにすごいですけど、それで会議での発言力は上がりませんよ」

「だよねぇ」


 宇和島はすっと肩を落とす。


「なんかこう、みんなの尊敬を簡単に集める方法ないかなぁ」

「甘いです、班長」吉田が声を張り上げた。「みかん大福並みに甘い」

「ええ?」

「いいですか、班長。なんで薩摩さんがあれほど生徒達から一目置かれているか、考えたことありますか」

「またさっつんを引き合いに……スポーツ万能で頭いいからでしょ」

「じゃあ、薩摩さんは最初からスポーツ万能で頭がよかったと思いますか」

「それは……」

「彼女は類稀な努力家です。毎朝六時に起きて学園の敷地をジョギング一周、朝食は短時間で済ませて授業の予習をし、放課後は必ず復習する。夕食もやはり短時間で済ませて夜は自室で筋トレ。毎日がこのサイクルの繰り返しです」

「でも部活はやってないんでしょ」

「彼女は特定の部活には所属しないフリーランサーです。いろいろな運動部に顔を出しては部員にアドバイスしたり、時には補強要員として大会に参加したりしています。普通の生徒がそんなことしても一笑に付されるだけですが、薩摩さんにはそれができる。なぜなら――」

「わかった。わかったから」熱弁を振るう吉田を宇和島は遮った。「さっつんがどれだけ狂気じみてるか、よくわかったよ」

「私がいいたかったのは、尊敬されるには相応の努力が必要だということです。班長に薩摩さんの真似ができるとは思っていません」

「わかってらっしゃる」

「でも、何かヒントは得られるんじゃないですか」

「……運動はあまり得意では……」

「だったらもう、やるべきことは決まったようなものですね」

「……いっぱい勉強してテストでいい点取る」


 吉田は無言で頷いた。


「でも、ただのガリ勉って思われないかなぁ」

「あるいはそうかも知れませんね。でも、生徒会は秀才の集まりです。彼女達を出し抜いて上位に立てば、班長への視線も変わるんじゃないですか」


 心の中に、石火のような光が明滅するのを宇和島は感じていた。この際、深く考えるのはやめよう。努力が報われるかどうかをあれこれ考えるのは大人のすることだ。後先を考えないがむしゃらな熱情こそが、青春というやつではないか。

 

 宇和島は立ち上がり、吉田をはじめとする班員たちに目を向けた。


「わたしは今日より勉学に励み、来月の中間考査で五位以内を目指します!」


 室内から歓声が沸き上がる。


「大きく出ましたね、班長」吉田が関心しながらいった。

「どうせならみんなで目指そうよ!」

「え?私達もですか」

「そ。みんなそれぞれの学年で上位を目指すの。『西寮に宇和島あり』っていうのを、みんなに見せつけてやろうよ」

「面白そうですね。私も頑張ってみようと思います」他の班員も同調してくれた。


 宇和島と吉田は高等部。残りの二人は中等部で、それぞれ学年が違うから、競合することはない。悪くない目標だ。


 この瞬間、同学年の成績上位者たちは皆、宇和島のライバルとなった。薩摩はいわずもがな、萩や福井、彦根といった才女たちとも肩を並べなくてはならない。いつも自室で甘酒ばかり呑んでいる土佐も、油断ならない成績優秀者だ。

 宇和島の挑戦が、この日から始まった。

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