水戸さん、わが学園の歴史を語る
「……カール大帝は文武の才に優れ、度重なる遠征によってその支配域を西ヨーロッパ全土にまで押し拡げました。彼の統治によりフランク王国は栄華を極めたのです。
そして八世紀おわりの冬、大帝はクリスマスのお祝いのためにローマを訪問しました。教皇レオ三世は武勲名高い大帝を丁重に迎え入れました。
聖堂で主に祈りを捧げていた大帝の頭に、教皇はそっと黄金の冠を載せました。教皇は驚く大帝に向かってこういいました。
『お前が皇帝になるんだよ!』
こうしてカールはローマ皇帝となり、西ヨーロッパの統一が果たされました。のちの神聖ローマ帝国へとつながる一大政治勢力が誕生したのです。
大帝は『俺、クリスマスのお祝いに来ただけなのになんでこんなことに……』と思いながらも、最高権威であるローマ教皇に認められることは大変な名誉でしたから、これを受け入れ、西欧世界の繁栄に尽くしました」
歴史同好会副部長・兼水戸班副班長のスピーチが終わると、参加者の拍手がおこった。
静聴していた水戸さんが口を開く。
「少々蛇足がありますが、よくまとまっていると思います。さて、ここからはこの一連の出来事の意義について掘り下げる時間です」
「はい。『表層を追うだけでは物事の本質は理解できない』。班長のモットーですね」
「その通り。ではまず、なぜ教皇が大帝を戴冠させたのか、について」
「強ぐでカッコイイからじゃないですか」下級生がいった。
「たしかに強い。ですがそれだけでは理由として不十分です」
「当時、東のビザンツ帝国と教会との関係は悪化していました」と副班長。「ビザンツ帝国に対抗するための力を教皇は求めていました」
「自力でなんとかすればいいんじゃないですか」
「それは無理です。教皇は最高権威ではありますが、大国に抗う政治力も軍事力も持っていませんから。だから大帝による保護を求めたのでしょう」
「よい答えです」と水戸さん。
「なんだか、お金持ちのお坊ちゃまがガキ大将に自分を守らせてるみたいな感じですね」と下級生。
「おい、余計なこというんじゃない」と副班長。
「そう。政治的実力を持たない権威者と、権威を持たない実力者が結びつくことによって、互いの地位を盤石なものにする。じつはここに、わたくしが中世ヨーロッパを研究テーマに選んだ理由が隠されているのです」
「どういうことです?」
「よく考えてごらんなさい。この両者の関係、何かに似ていると思いませんか?」
水戸さんの問いかけを受け、一同は頭を捻りながら思案する。
やがて、
「……そうか」副班長が口を開いた。「そうだ!似ている!たしかに似ています!」
「なにと似てるんですか?」下級生がぽかんとしながら問うた。
「まったく異なる時代、異なる場所で起きた出来事を掘り下げていくと、思いがけない類似点が見えてくることがある。これが、歴史を学ぶ面白さだと、わたくしは思います」
「いやどーも。俄然、中世ヨーロッパに興味が湧いてきました」と副班長。
「では、この続きは明日おこないます。わからなかったひとは明日までに考えておくように」
「はーい」
水戸さんの部屋は、東寮にある。
東寮の水戸さんについて生徒に尋ねれば、「あの歴女の水戸さんね」という答が返ってくるほど、彼女の歴史好きは有名である。
その興味の範囲は、世界史から国内史、郷土史に至るまで幅が広い。歴史と名のつくものは何でも好きなのだ。
そして最近の興味の対象は、学園史。創立以来長い歴史を持つ秋津洲女子学園の歴史を研究することである。
そんな水戸さんは、班長を務めると同時に、歴史同好会の部長も務めている。
「といっても、同好会の部員、ほとんど班のメンバーと同じなんですけどね」
「だまらっしゃい」
生意気は副班長の言葉に、水戸さんは反論する。
「最近は班以外の部員も徐々に増えているじゃありませんか」
秋津洲女子学園における『班』とは、寮の部屋割りによって組織される少人数のグループだ。一貫校であると同時に全寮制でもある当学園は、初等部から高等部まで幅広い年代の生徒たちが寮で共同生活を送っている。
班の目的のひとつは、年少生徒の指導教育である。年少の生徒は班の先輩の指導を受けながら共同生活のルールを学んだり、勉強のサポートをしてもらったりする。部屋替えは原則として行われないので、班には強い結束が生まれる……というのが創立者の見立てである。
もうひとつは連帯責任――生徒が問題行動を起こした場合に、同じ班の生徒も責任を負うというものである。特に班長は強い責任を持ち、班の生徒の行動に目を配り、彼女たちが品行方正な学園生活を送るようにきちんと指導しなければならない。
水戸さんの班に話を戻そう。
部屋の壁に掲げられた班の標語は『温故知新』。歴史に学び、これからの人生に活かそうという水戸さんの思いが込められている。
「今日は新入生もいるので、改めてこの学園の歴史についておさらいしてみたいと思う」
「よろしくおねがいします!」
新入生が元気よく挨拶する。
「その昔、まだ学園の寮がひとつしか無かった頃、わが学園は圧倒的力を持ったひとりの生徒によって統率されていた。『クイーン』と称されたその生徒は圧倒的なカリスマ性と美貌によって生徒から敬愛され、学園生活で生じるさまざまな問題を華麗に解決していった」
「素敵」
「どんなひとだったんだろう」聞き入っていた下級生から感嘆の声が上がる。
「あるとき、学園は大きな転機を迎える。理事会による学園の拡大策。それは新たな寮、校舎を建設し、定員を大幅に増やすというものでした。そして完成した新寮は東寮、従来の寮は西寮と呼ばれるようになった。それ以来、生徒の数はどんどん増えていくことになる。ここで問題。生徒の数が増えると何が起こると思いますか?」
「うーん……いろいろ大変になるど思います」
「たとえば?」
「そうですねぇ……学園祭とかのイベントの規模も大ぎぐなるし、生徒が増えれば問題を起ごす生徒も増えると思います」
「よい観点です。それはつまり、学園が大きくなるほどクイーンの背負う重責もより大きくなるということ。そこで生まれたのが、クイーンに代わって実務を担当する組織――いまの生徒会です。かの組織が生まれたのは、寮がふたつに分かれたことでクイーンの指導力が及びにくくなったという側面もあるが……ここで注意しなければならないのは、クイーンと生徒会の関係です。生徒会は、クイーンから実務を委任された組織である、という事実を忘れてはなりません。その証として、いまでも生徒会長の任命はクイーンが行うしきたりとなっています」
「そうだったんですね」
「知りませんでした」生徒から再び感嘆の声。
「だがいつしかこの関係は忘れ去られ、生徒会はあたかも生徒の代表機関であるかのように権勢を振るうようになった。ゆえに、生徒会は基本に立ち返らなければならない。生徒会が実務を為せるのはクイーンからの信頼があってこそだということを思い出さなければならないのです」
「じゃあもし、ミヤゴ様にこどわりなく――」
「ミヤコ様」
「……ミヤコ様にことわりなく、生徒会が共学化を受げ入れたらどうなりますか」
「共学化は学園の今後を左右する重要な決定です。そんなことをすれば、両者の信頼関係は完全に崩壊するでしょうね」
「ところで、班長は共学化には反対なんですよね?」
「いかにも」
「もし、ミヤコ様が共学化をお許しになったら、そのときはどうするおつもりですか」
「む……」
生意気な質問を、と水戸さんは思ったが、それを口に出すわけにはいかない。ここは班長、そして歴史同好会部長としての威厳を示さなければならない。
「そのときは、ミヤコ様の御意思に沿うつもりです」
「いやどーも、勉強になりました」
『講義』に区切りがつくと、水戸さんは机に置いてあった冊子を手に取り、生徒たちに見せた。
「というわけで、先輩の代から受け継いだ『大学園史』の編纂もついに完成のときを迎えた」
「おお、ついに!」
冊子の表紙には『(栄光の)大学園史』と印字されている。先輩から受け継いだ『大学園史』という小冊子に、(栄光の)という吹き出しを付け加えたのは水戸さん自身だ。
「これを、歴史同好会の活動成果として、こんどの学芸会で配布しようと思う。部数は五十部」
「五十、ですかぁ」副班長が不満そうにいった。「うちの生徒数を考えれば、もっと攻めてもいいんじゃないですか?」
「そうですよ」他の生徒が同調する。「これは班長の魂のこもった作品じゃないですか。もっど大勢に読んでほしいですよ。なあみんな」
「そうですよ」「もっとたくさん配りましょう」他の生徒たちも次々と同意する。いったん熱情に駆られると簡単には止まらないのが、水戸さんの班の気質だ。
「ふふ……わかったわかった。部数は百に変更します。この冊子を手に取った生徒たちの反応が楽しみです」
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