維新女学園

真言〈まこと〉

春の章

学園を揺るがす大事件

 春の新学期が始まって間もない頃、宇和島は生徒会の呼び出しを受けた。

 呼び出したのは書記長とかいうひとで、東寮にある生徒会執務室に来てほしいとのことだった。

 宇和島は不安と期待の入り混じった心持ちで、執務室を訪れた。というのも、書記長が呼び出しの理由を教えてくれなかったからだ。

 宇和島のような地位の生徒が生徒会に呼ばれるのはたいてい、問題行動を起こしてその追求やら注意を受けるときだ。生徒会運営に協力してほしいなどと頼まれることは、まずあり得ない。

 だが、この数日間の自身の行動を振り返っても、(少なくとも自身の判断基準では)問題行動を起こしたという心当たりはない。いや、ひとつだけ後ろめたいことがあるのだが、問題行動というほどではない。


 執務室に着いた宇和島をわずかに安心させたのは、呼び出されたのが自分ひとりではなかったということだ。

 そうそうたるメンバーが集められている。生徒会は何をするつもりだろうか。

 数日前、黒服を纏った四人組のおじさんが突如、校舎を訪問するという珍事があったことを、宇和島は思い出した。おじさん達は理事会の役員だったということが後で判明したのだが、理事会役員が校舎に来ることは滅多にないため、その目的についてはさまざまな憶測を呼んだ。生徒会による招集がその件と関係しているとしてもおかしくない。


「うわぁ、やっぱりいいな、東寮」


 室内の沈黙に耐えかねて、宇和島は特に意味のない雑談を始めた。

 西寮で生活する宇和島にとっては、目に映るものすべてが羨望の対象だった。建物自体の新しさだけでなく、設備――湾曲した会議室用テーブルや書棚、空調に至るまで、西寮では目にすることのない真新しい物だらけだ。いま座っている椅子にしても、生徒が使うには贅沢としか思えない、アームレストとリクライニングつきの椅子だ。


「この椅子、西寮に持って帰っていい?」

「それはちょっと……困ります」


 気弱な返事をしたのは書記長、この突発的に開かれた集会の主催者だ。


「前から気になっていたんですけど」出席者のひとり、水戸さんが口を開いた。「目、怪我されたんですか」

「これ?お洒落でしょ?ファッショナブルでしょ?」


 宇和島は左目の眼帯を指差しながら答えた。


「ああ、ファッションでしたか」

「いいんですか、あれ」べつの参加者、彦根がいった。確か、茶道部の部長だ。

「眼帯の着用を禁止する校則はありませんので」と書記長。


「ふっ、右目じゃないんですね」


 水戸さんが笑みを浮かべた。眼帯は確かに右目ではないが、それが気になるのだろうか。宇和島にはわからなかった。


「雑談はそのくらいにして、そろそろ本題に入っていただけませんか」


 発したのは薩摩、宇和島とは馴染みの西寮の生徒だ。参加者の中でもひときわ長身で、なんというか、黙って座っているだけでも覇気を発しているようなところがある。


「私達、この会議の目的も聞かされていないのですが」

「会議?これ会議なの?」宇和島がいった。「てっきりお茶会にでも誘われたのかと思ったよ」

「会議、というか、意見交換会とお考えください」と書記長。

「意見って、なんの?」

「あ、順を追って説明しますね。まずは参加者の紹介からさせてください」


 書記長は続ける。


「まず、福井さん。福井さんには今回の意見交換会のセッティングにご尽力いただきました」

「よろしく」


 お嬢様然とした挨拶をする福井。宇和島は彼女とは仲がよいが、福井の交友関係はそれだけに留まらず、東西の寮を問わず幅広い。以前に気になって、「友達何人いるの?」と尋ねたところ、「学園の半分」という答えが返ってきた。さすがに嘘だろう、と宇和島は思った。学園の総生徒数を二で割っても、千を超える数になる。


「それから薩摩さん。学業、スポーツともに秀でていらっしゃいます」

「…………」


 コクリと頭を下げるだけで、無言。薩摩とも部屋が比較的近く長い付き合いなのだが、無駄口を叩くタイプではなく、何を考えているかわからないところがある。


 書記長はさらに紹介を続ける。


「水戸さん。歴女として名高く、歴史同好会の部長も務めていらっしゃいます」

「心外です」水戸さんがムッとしながらいった。「そういう下俗的な呼び方は好きじゃありませんの。せめて歴史愛好家と呼んでいただきたい」

「失礼しました。歴史愛好家の水戸さん」

「はい。よろしく」


「それと彦根さん。茶道部の部長でもいらっしゃいます」

「よろしくお願いします」


 淡々とした口調で彦根は挨拶する。


「水戸さんと彦根さんには日頃から相談役として生徒会運営のお手伝いをしていただいています。その関係で今回もお呼びしました。それから土佐さん。学業に秀でてらっしゃ……って、あれ?」


 土佐が……いない。


「土佐ねえも呼んでたんだ」と宇和島。

「変ですね。ちゃんと声をかけたはずなんですが……」


 書記長が困惑していたちょうどそのとき、ドアが開く音が聞こえた。


「ごめんなさーい。もう始まってるかしら?」


 土佐が現れた。宇和島とは部屋も近く、気心の知れた仲だ。成績優秀な姉御肌だが、ご覧のように遅刻癖があるのが玉に瑕だ。


「また妹と喧嘩ですか」薩摩が尋ねた。

「薩摩さーん。余計な詮索をしているとブーメラン返ってきますよー」

「ははーん。さては図星だな」宇和島が茶化すようにいった。

「二人とも、からかうのはあとにしてください」と福井。


 土佐には妹がいてしかも同室なのだが、その仲は非常に悪い、というのは西寮の皆が知るところだ。


「それでは――」書記長がいった。「全員揃いましたので、さっそく本題に――」


――ちょっと待て。ひとり忘れてるぞ。


 そう自己主張するように、宇和島は自分で自分を指さす。


「あ、失礼しました。宇和島さんです」

「よろしく!」


 右手を挙げて元気よく挨拶する。が。


――なんだ、名前だけか。


 と内心は落胆している。

 だが考えてみればそれも仕方ない。彦根や水戸さんのように何かの部長をやっているわけではないし、薩摩のようにスポーツ万能でもない。そもそもなぜ、こんなそうそうたるメンバーが集う会に自分が呼ばれたのか、それがわからない。


「それでは本題に入ります。先日、理事会の方がお見えになりまして、重要な話があるので生徒会長に会いたいとおっしゃいました」

「生徒会長……って、東寮だっけ?」


 宇和島が尋ねる。生徒会長の顔を思い出そうとしてみるが、どういうわけか思い出せない。


「はい。ですが、会長は体調を崩していて長期欠席していらっしゃいます。おまけに副会長は短期留学で不在なので、いまは私が代理で生徒会の執務を行っています」

「そりゃ、大変だねえ」

「お気遣いありがとうございます。そういうわけで、その日も私が代理として応対しました」

「それで、重要な話って?」

「それは……」


 書記長は一瞬ためらうように顔を伏せたが、やがて引き締めた表情を参加者に向けた。


「学園の……男女共学化に関する話です」


 その言葉のあと、執務室にしばらくの静寂が流れる。


「あぁ、共学化ねぇ……」沈黙を割いたのは、宇和島だった。「共学化!?」


 事の重大さに気づいたのか、参加者の表情が変わる。土佐、福井、水戸さんなどは口を開けて書記長を見つめている。彦根はクールな反応で、事実を噛みしめるように目を閉じている。薩摩は……眉ひとつ動いていない。


「はい、共学化です。みなさん、近隣のタイヘイ学園が廃校になったのは記憶に新しいと思います」

「タイヘイ学園……あそこは確か男子校でしたよね」尋ねたのは、福井だ。

「はい。大きな学園でしたので、地域に与えるインパクトが大きく、地域全体で定員不足が起こっているそうです」

「つまり、男子生徒の受け皿が必要になったと」薩摩が察したようにいった。

「その通りです。地域の要請に応える形で、理事会は共学化の検討をはじめたそうです」

「たしかに重要な話ですね。ですがこれは……理事会では決められない」

「そうです。生徒の自主自立の精神を育むため、学園の運営、取り決めは生徒の自治により決すべし。それが創立者のヤマト先生が掲げた理念ですから。私たち生徒が、自分たちの意思を示す必要があります。共学化を受け入れるのか、拒否するのか――」


 宇和島はごくり、と息を呑む。


「というわけで、まず生徒会役員、各委員長さんを集めて意見交換会を開きました。……ですが意見が紛糾してどうにもまとまらず。……いやそもそも私がまとめ役を務めることに無理があったのかもしれませんが」


 書記長は自嘲気味に声を細める。頭は良さそうだし、事務的作業はそつなくこなしそうだが、リーダーシップを発揮して皆をまとめるタイプには見えない。


「それで、各部屋の班長さんに意見を求めてはどうかと考えたのですが、……皆さん、いま班の数っていくつあるかご存じですか」

「うーん……百くらい?」宇和島が思いつきで答える。

「全部でおよそ二百七十あります」

「二百七十?そんなにあったっけ?」

「はい。さすがに多すぎるので、その中でも聡明と名高い班長さんにまず集まってもらって、意見を訊くことにしました」

「ソウメイ……?」


 予想外の言葉が出てきて、宇和島は思わず声を上げる。


「ますますわからんのだけど、なんでわたし、ここに呼ばれたのさ?ほかにもっと適任がいると思うんだけどなぁ……仙台のオヤビンとか」

「人選は、福井さんにお願いしました」

「福井ちゃん?」思わぬ答えが返ってきて、視線を福井に向ける。「どゆこと?」

「フフ」と微笑むだけで、福井は答えない。


 短い沈黙のあと。


「私は共学化に賛成です」


 最初に意見を述べたのは、薩摩だった。


「男女が同じ学び舎で切磋琢磨する。これからの社会で活躍するには必要不可欠なことだと思います」

「ご意見ありがとうございます」と書記長。


「ちょっと待って。ひとつ大事なことを忘れてない?」発したのは、土佐だった。「寮はどうするの?うちの学園は全寮制でしょう?まさか寮に男子を入れるつもり?」

「寮は男子禁制です。そこは共学化後も変わりません。ですので男子生徒は当面、自宅通学ということになります」

「待ってください」水戸さんが口を開いた。「全寮制は我が学園の伝統です。それをやすやすと変えるというのは賛同しかねます」

「そうよ」土佐が同調する。「だいたい、女子が全寮制で男子が自宅通学なんて不公平じゃない」

「その点についてはご安心ください」書記長は答える。「共学化を受け入れた暁には、自治体から補助金が出るそうです。理事会はそれを利用して新寮を建設することも考えているそうです。ですので、自宅通学は新寮が完成するまでの一時的な措置とお考えください」

「そういうことなら……前向きに考えてもいいかも」

「では土佐さんも賛成、ということでよろしいですか」

「どちらかというと賛成……なような」

「はっきりしませんね」薩摩が口を挟む。

「そんな簡単に決められるわけないでしょ」

「彦根さんはどう思われますか」


 書記長が次に発言を求めたのは、彦根だった。


「共学化……とても魅力的だと思います」

「魅力的、ねえ」水戸さんが訝るようにいった。「なんだか他人事みたいないい方ですね。あなた自身はどう思っているのですか」

「私の考えより、どちらが学園に利するか、の方が重要じゃないですか」

「なんですって?」

「まず補助金の存在は大きい。新寮の建設だけでなく、老朽化が進む西寮の改築もできるかもしれない。それに……これは最も重要なことかもしれませんが……このまま女学を続けたとしても、この学園の発展は見込めない」

「どういうことですか?」書記長が尋ねる。

「単純なことです。生徒数が年々減少しているでしょう?私達が入学した頃は……まだほんの子供でしたが……東西どちらの寮もほぼ満員だったと記憶しています。それが今では、西寮に空室が出始めている」

「たしかに、そうですね」


 福井が同調した。

 宇和島も話の流れに乗っかりたいが、彼女たちとは入学時期が違うので、ただ同調するわけにもいかない。

 彦根は続ける。


「ですがそれはうちの学園に限った話ではない。どの学校も生徒の獲得に躍起になっている。いわば学校同士の競争です」

「つまり共学化も、その競争に勝つための方策だと」福井が尋ねる。

「そうです」

「競争ですか。くだらない」


 不機嫌そうに発言したのは、水戸さんだった。


「わたくしは共学化に反対です」


 室内にどよめきが起こる。


「いいですか。我が学園は創立以来ずっと女学であり続けてきました。それを生徒が減っているから、などという理由で簡単に変えるつもりなのですか。伝統を何だと思っているんです?秋津洲あきつしま女子学園はこれからも女学であるべきです」


 感情に流されるままに熱弁を振るう水戸さんに、一同は固唾を呑む。彼女はさらに続ける。


「だいたい共学化なんて、ミヤコ様がお許しになるはずがない」


 参加者の視線が一斉に水戸さんに向けられた。


「ミヤコ様か……」


 ミヤコ様。

 西寮の最上階に住まう、学園の全生徒の頂点に立つお方。西寮のクイーンとも呼ばれる。


「これは学園の今後を左右する極めて重要な議題です。我々だけで決められることじゃない。共学化を受け入れるのであれば、ミヤコ様のお許しを得るのが筋というものでしょう?」

「もしお許しを得なかった場合、どうなりますか」問うたのは、書記長だ。

「少なくとも、表向きは何の問題はないでしょう」彦根が答える。「生徒の代表機関はあくまで生徒会ですから」

「ですが、学内に禍根を生むことになるでしょう」薩摩がいった。「西寮にはミヤコ様を慕う生徒が多い。彼女達は、自分達が蔑ろにされたと感じるでしょうね。もちろん、東寮にもそういう生徒はいるみたいですが」


 そういいながら、薩摩は水戸さんに目を向ける。


「あの、よろしいですか」口を開いたのは福井だった。「私も共学化に賛成なのですが、水戸さんのいうことももっともだと思います。ここで出た意見をまとめた上で、ミヤコ様にお許しをいただくのはどうでしょう」

「そうですね。それがいいと思います」書記長は答える。「では、この場は賛成多数ということで――」


――おい、またひとり忘れてるぞ。


 拗ねたくなる気持ちを抑えながら、宇和島はジェスチャーを使って無言の自己アピールを続ける。


「あ、すみません、宇和島さん。ご意見ありますか」

「わたしも共学化に賛成!」

「その理由は」

「男子がいた方がいろいろ面白そうだからです!」

「わかりました。ご意見ありがとうございます」

「えー、それだけー?」宇和島は落胆する。「そこはもうちょっと掘り下げたほういいと思うんだけどなー」


 結果的に、水戸さんのみが共学反対を表明。それ以外は賛成となった。


「私の方で意見を整理して、ミヤコ様のお許しを得るための準備を進めたいと思います」


 書記長がそういって意見交換会を締め括ろうとしたとき。


「書記長。大丈夫ですか」薩摩がいった。

「はい?」

「学園はいま大きな転機を迎えています。共学化を受け入れるとなれば、校則の見直しや、さまざまな準備が必要になる。生徒会は忙しくなるでしょう。そのとき、会長も副会長も不在というのは、その……書記長の負担が大きいのではないかと」

「お気遣いは嬉しいのですが……これも仕事ですので」

「私に提案があります。ここは副会長に舵取りをお願いするのはどうでしょう」

「それは……生徒会長を交代するということでしょうか」

「いいねぇ」宇和島がいった。「副会長の噂は聞いたことあるよ。すごく賢いんでしょう?」

「まあ、留学するくらいですからね」土佐も同調する。福井は無言でうん、うんと頷いている。


「彼女のことはよく知っています」水戸さんがいった。「うちの班の生徒でしたから。とても優秀な子です。彼女が統率してくれるのなら心強い」


「待ってください」彦根が口を挟む。「副会長は留学中です。どうやって生徒会を指揮するんです?まさか予定を繰り上げて帰国させようというのですか」

「副会長に事情を話せばわかってもらえるでしょう。いまは非常事態ですから」

「会長に辞任の意思がない限り、いまの体制を維持すべきです。私達だけでも対処できます」

「でも、会長、ずっと休んでるんでしょ?」宇和島がいった。「生徒会長が長期欠席っていうのはちょっと……ねぇ」

「それは、会長への不信任と受け取ってよろしいですか」


 彦根の鋭い眼光が宇和島に向けられる。


「不信任ってそんな……物騒ないい方せんでも……」


 その視線に圧倒されて、宇和島は思わず目をそむける。


「生徒会長が職責を果たせないのなら、それも視野にいれるべきでしょう」と薩摩。

「さっつん、そんないけずないい方しなくても……」宇和島は焦りながらいった。


「私は、いまの会長に頑張ってほしいと思っています」書記長がいった。「そこで提案なのですが、新たな役員ポストを設けるのはどうでしょう。副会長もいずれ戻って来るでしょうし、それまでのピンチヒッターということで」


 水戸さんは明らかに不服そうな顔をしていたが、反論はしなかった。宇和島も自分の意見を反故にされたわけだが、もともと人事話にそれほど興味があったわけではないので、何もいわなかった。

 最終的に、この集会で決まったことはふたつ。

 共学化の受け入れについて、ミヤコ様の許しを得ること。

 生徒会長の代行を担う、新たな役員ポストを設けること。


「宇和島さん、ちょっとよろしいですか」


 集会が終わって部屋を出ようとしたとき、書記長に呼び止められた。思わずギクッと身体をこわばらせる。


「班の標語、提出していないの、宇和島さんの班だけです。なる早で提出をお願いしますね」


 痛いところを突かれた。


「へ、へい」


 苦笑いを浮かべながら返事をし、部屋を出た。

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