第55話「最後の指折り」※美里
『ごめんねー、今日は予定があるの』
よりによってこのタイミング。
大丈夫だよね、人が多いし。
そんな不安を消し去るように、スマホを置いてからまた鏡を見る。
この行動に他意はないのだと、心の中で何度も自分に言い聞かせた。
ローテーブルを挟んだ向かい側。そこに座っているのは、中学3年生になったばかりの妹のゆず。
ゴールデンウィーク真っ只中だというのに、朝から勉強に励んでいる。
なんでも花高に意地でも合格するのだと、少し前から躍起になっているようだ。
「ねぇねー、どっか行くの?」
「んー」
髪を整えながら、シャーペンを握る妹に空返事をした。
いまはそれどころじゃない。ポニーテールの角度の方が重要だったから。
「ねー、もしかしてお兄ちゃんに会いに行くの?」
「……ちがうよー」
「えー、何いまの間。じゃあ誰とデートするの?」
「そんなんじゃないからー」
「なんか怪しいなー。ま、相手がお兄ちゃんじゃないなら誰でもいーや。ねー、今度いつお兄ちゃん遊びに来るの? ゆず寂しくて死んじゃーう」
ゆずはテーブルに突っ伏し、ご不満の意を表するむくれ顔を向けてきた。ぷっくりと膨らんだほっぺを人差し指で突いてみる。なんとも気の抜けそうな音が鼓膜を微かに揺らした。
「ウサギさんの言葉は分かりませーん」
「ウサギさんは寂しくても死なないよ?」
「つまりゆずはウサギさん以下」
「ウサギさんを馬鹿にしたね? ウサギさんに謝りなさい」
「ウサギさんごめんなさーい」
「ウサギさん代表のゆずが許しまーす」
妹とのいつものくだらない雑談を終えたあと、服装も髪型もお化粧も、いつもと同じようにオシャレをして家を出た。
今日はあの日交わした約束の日。
遥は知らない。誰も知らない。……いや、お姉様は気付いてる。
いつからだろう。約束の日に罪悪感が芽生えたのは。
少しずつ大人になって、心も体も成長して、変わらないと思ってた感情に変化が起き始めたのは。
でも、彼は変わらない。あの日のまま、あの笑顔が私に向けられるのは……。
喧騒の中、一歩、また一歩と彼の元へと足を運ぶ。
いつもその姿を見てるのに、この日だけは、この時だけは、特別な感情が沸き立つのを感じる。
でも、これで最後。
だって、約束はもう、終わるのだから──。
「お待たせー、横峯くん」
「神谷さん、こんにちは」
その声を聞いて、胸の高鳴りは少しだけ落ち着く。どうしてこんなにも優しく感じるんだろう。
横峯くんは空を見上げてから私に微笑んだ。
「晴れてよかったね」
「そうだねー、今年中止だったらどうしようかと思ったよ」
「うん、せっかくのお祭りだからね。じゃあ、行こっか」
毎年神社で行われるお祭り。
人混みの中、私たちは歩き出す。
横峯くんの隣には、私の隣には、遥はいない。今日だけ、二人きりの日。
「あっ」
横峯くんが何かに気づいたのか、突然立ち止まった。
特に周囲で変わった様子はない。訳が分からずに疑問を投げかけてみる。
「どーしたの?」
「はい」
そっと差し出されたのは左手の平。
そこに何か乗ってるのかと思い、覗き込んでみるけど何もない。
困惑の表情が顔に出たのか、それを読み取った横峯くんは、そっと私の右手を握った。
──トクンと、心臓が跳ね上がる。
びっくりした反動からか、呼吸を短く吸い込んでしまい、ちょっと間抜けな声が出た。
これはそう、いつもと違う行動に動揺してるだけ、してる、だけ。
去年はこんなことなかった。確実に
「よ、横峯くん……これは?」
「え? 何が?」
「いや、だって、手……」
「デートの時は手を繋ぐもんじゃないの?」
「で……でーと?」
「うん、デート」
これはデートなのだろうか。
いや、横峯くんは言葉の表面上の意味しか分かってないような気がする。
きっと意識してるのは私だけで、横峯くんは何とも思ってないだろう。
「ねぇ、神谷さん」
「……なーに?」
「ドキドキするね」
少し照れくさそうな顔をした横峯くんの口から、とんでもないセリフが飛び出す。
こっちは心臓が飛び出そうになるよ。やっぱり今日の横峯くんはおかしい。絶対に。
「あ……あはは……そうだね……」
嫌じゃないけど、思わず苦笑いが溢れ出た。
振り解いた方がいいんじゃないか。
こんなところを誰かに見られて、あの三人に知られたら面倒なことになる。
そう思ったけど、拒絶できない自分がいる。
だって、今日が最後の日だから。
今日だけ、そう、今日だけ……。
大鳥居をくぐり境内へと入った私たちは、少し立ち止まりながら祭りの風景を堪能する。
本殿へと続く長い参道では、遠くの方で神輿が上下に揺れる様相が見て取れた。
非日常だけど、いつも見てきたその光景。私の隣には当たり前のように横峯くんがいて、この後起こることは毎年決まってる。
「神谷さん、すごいね!」って、いつもいつも、私に笑顔をくれるんだ。
両端には露店が連なり、多くの人でごった返していた。
横峯くんは右手でお腹を少しさすり、空腹ゲージを確認している。
「お腹減ったね」
「ねー、何から食べる?」
「じゃあ、せーのでね?」
「いーよ?」
「「せーのっ、焼きそば!!」
「あはは、横峯くん。去年と一緒じゃん」
「神谷さんもだよ?」
くつくつと笑いながら、二人してソースの香りを辿ってみる。
お目当ての露店はすぐに見つかり、少しだけ並んでから焼きそばを2つ注文した。
焼き上がりを見つめる間にお金を出そうとしたとき、二人して繋いだ手に注視する。
どちらとも言えない力が働き、繋いでいた手が自然と挙がった。どうしようかという時間が一瞬だけ流れる。
当然、離さなければお金が取り出せない。
そんな私たちの奇怪な行動を見ていた店主が、焼きそばをヘラでかきあげながら一言。
「若いっていいねー。いいモン見れたからカップルの二人には特別に目玉焼き二つ付けちゃうよー」
「あー、あの、カップ──」
「ありがとうございます」
ちょっと、横峯くん? 違うでしょ?
参道から少し外れたところには特設ベンチが設置されていて、座りながら食事ができる場所がある。
運良く座れる場所が見つかり、二人でそこに腰掛けた。
少しだけゆっくりできる。そう思っていたのに、また去年とは違う現象が起こる。
なんか、近いような。
肩が密着するくらい、横峯くんが詰めてくる。
顔がほてるように、体温がふつふつと上がる感覚に満たされる。
本当に……今日の横峯くんはなんなの。
……このグイグイくる感じ、なんとなく想像がついた。
これはひまりの影響なんじゃないか。
買った焼きそばを横峯くんから受け取り、輪ゴムを解いて蓋を開けた。ソースの香りがムワッと辺りに広がる。
去年のとは違い、二つの目玉焼きが容器いっぱいに覆い尽くしていて、麺がほとんど見えない状態だった。
「得しちゃったね」
「うん、でも横峯くん。嘘はいけないよー嘘は。私たちはカップルじゃないでしょ?」
「どうして?」
「……ん?」
何を言ってるのかな。
横峯くんは人差し指を立てると、さも当たり前のようにこう答えた。
「カップルって、“一緒に来てる”って意味でしょ?」
「……うん、あのー、うん」
デートといい、カップルといい、何だか意味合いを少し誤解してるところがある。
一瞬迷ったあとに指摘しようか思案していると、横峯くんから違う話題が飛び交ったことでその機会を失った。
「あ、ねぇ神谷さん。白神の映画観た?」
白神といえば、大手制作会社が手掛ける超人気アニメ映画のこと。社会現象にまでなったから、観てない人のほうが少数だと思う。
「うん、シリーズは全部観たよー」
「最新作観たんだけど、すごく面白かったよ」
「最新作? もうやってたんだっけ?」
「あれ? まだやってないんだった」
「なになにー? 夢で見たって話?」
「うーんと、夢で見たというより夢のような話」
「あはは、なにそれー」
たまーに出る横峯くんのおかしな話。
映画の話から本の話へ。
本の話から動画投稿サイトの可愛い猫の話へ。
猫の話からいま話題の音楽の話へ。
何気ない、穏やかな時間は滞りなく続く。
ずっと、このままずっと……。
そんな願いが頭の中から溢れる前に、私は食べ進める箸を止め、横峯くんに向き合う。
この時間もあと少しで終わりだ。
きっと言わなきゃ、このまま終わらないんだと思う。でも……終わらせなきゃいけない。
私たちはもう、あの頃とは違うから……。
「横峯くん、もう約束終わりだね」
「うん、そうだね。もう10回だもんね」
「だから……もう今日で最後だよ」
横峯くんも箸を置いた。
視線が合う。澄み切った瞳。私の大好きな瞳。
もう、こんな間近で見れることはこの先ないんだろうな。
「どうして?」
「どーしてって……もう約束が終わりだからだよ?」
「じゃあ、はい」
横峯くんの小指が差し出される。
「また約束すればいいでしょ?」
──考えてもみなかった。
今日で終わりだと思ってた。
約束の延長。そんな提案が横峯くんから提示された。
右手の小指が動きそうになる。
咄嗟にそれを左手で押さえつけた。
そんなことはできない。もう私たちも大人になる。
子供の頃とは違う。いつまでも昔のままじゃない。その約束は意味が違ってくる。
私は溜まっていた何かを吐き出すように……ずっとずっと、抱え続けた想いを横峯くんにぶつけた。
「ねー、横峯くん。こういうことは本来、好きな女の子とするものなの。ここで言う好きっていうのはね? その人のことを“目で追っちゃったり”、その人のことを“無意識に考えちゃったり”って意味ね? 横峯くんに恋人ができたらね? もうこういうこと、出来なくなっちゃうの。だから……今日で終わり」
……言っちゃった。もう……終わりだね。
横峯くんは差し出していた指を引っ込めた。
空を見上げて、考えごとをしている。
横峯くんが考えているのは、遥だろうか。それとも……もしかすると、ひまりだろうか。
もう、気づいてるから大丈夫だよ。
そこに私という選択肢はないのだから──。
しばらくの沈黙のあと、何かを結論付けたのか、横峯くんが口を開いた。
「そっか、じゃあ──」
また、あの瞳が私を捕らえる。
喧騒は吸い込まれるかのように消え、横峯くんの声だけが──私の中に響き渡った。
「僕、神谷さんが好きだよ」
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