第54話「友達なんていらない」※美里

 小さい頃の私。一番古い記憶の私。

 いわゆるませた子供だった。


 自分で言うのもあれだけど、頭がよくて、あの頃は何でも一人でできると思ってた。

 だから他人なんてどうでもいい。

 一人でも寂しくなんかない。


 両親からそういう教育をされた訳じゃないのに、物心着いたときにはそんな考えを持ってた。本当に、変な子供だったと思う。


 そんな私に巡ってくる出会い。それは幼稚園に入ってすぐの出来事だった──。


 外で遊ぶ時間になり、園内ではキャピキャピとみんな元気にはしゃいでる。そんな中で私は一人、しゃがみながら花壇の花をただ見つめてた。


 すると突然、真横から可愛い声が私に向けられた。


「はじめまして。ぼくと、おともだちになってください」


 第一印象は女の子みたいな男の子。

 私と一緒で少し変わってそう。でも、私には友達なんていらない。


「えー、やだ」


 私が断ると、男の子は泣きそうな顔をしてた。

 いま思うと本当に酷いことをしたと後悔してるけど、あの頃はそんなこと、微塵も考えてなかった。


 男の子は踵を返すと砂場に向かって歩き出した。

 一人の女の子がうずくまり、二人の男の子が言い争う様相が見てとれる。でも、私には関係ない。


 遠巻きに、ただ眺めてた。


 女の子が顔を上げたとき、笑顔が咲く。

 それはさっきの男の子と、お人形みたいに可愛い女の子。


 少し、ほんの少し、その笑い合っている光景が羨ましく思った。

 友達って、なんだろう。


 それからも男の子は私に話しかけてくるようになった。横峯くんっていうらしい。

 酷いことをしたのに、きっと私が一人だから放って置けなかったんだと思う。

 いつの間にか、私の周りには誰も寄り付かなくなってたから。


「ねぇ、おともだちになろう?」


「やだ、あっち行って」


 一度断ったから意固地になってた。

 絶対、友達なんていらない。


 ──別の日。


「ねぇ、すきなたべものなに?」


「……ラザニア」


「そっかー、おいしいよねー、らざにゃ。たべたことないけど。ぼくははんばーぐがすきだよ」


 質問されてつい喋ってしまった。

 ハッとして口を両手で塞ぐ。

 友達なんて、いらない。


 ──また別の日。


「ねぇ、すきないろなに?」


「……黄色」


「きいろいいよねー。ぴかっとしてて。ぼくはあおがすきだよ」


「うるさい、ばか」


 また喋っちゃった。

 一体なんなのこの男の子。


 ──またまた別の日。


「ねぇ、つるおれる?」


「……折れる」


「ほんと? ここからどうやってやるの?」


「知らない、へたくそ」


 それから何度も何度も、横峯くんはやってきた。

 ただ横峯くんが質問して、私がそれに答えるだけ。

 まるでピッチングマシンのような会話。


 横峯くんだけだった。

 断っても、酷いこと言っちゃっても、私に話しかけてくれたのは。


 まぁ、もういいかな。

 別に、友達じゃない人と喋っちゃダメって決まりないし。


 次第に突き放す言葉は減っていった。

 でも、そこで感じるのは罪悪感。

 今まで投げた言葉の槍は、決して横峯くんを傷つけなかった訳じゃない。


 それに気づいたとき、取り返しのつかないことをしたのではないかという感情が芽生え始めていた。


 *****


 そんな生活が続き、あと数ヶ月で卒園式を迎える頃。

 私は私立の小学校を受験する予定だった。

 横峯くんは公立の小学校。

 これで離れ離れになる。


 寂しくなんかない、寂しくなんか、ない。

 ずっと、そう思い続けていた。


 お母さんとの帰り道。

 いつも通りかかる公立の小学校の前で立ち止まる。

 横峯くんが通う小学校だった。


「ねー、おかーさん」


「なぁに?」


「小学校なんだけどさー」


「うん」


「ここじゃ、ダメ?」


 不意にそんなことを口に出してた。

 わがままなんて言ったの、初めてだったかもしれない。

 お母さんは少し驚いた表情を見せたあと、嬉しそうな顔を見せた。

 思えば、やっと子供らしいことをしたからなんだと思う。


「美里? 『ここじゃダメ?』じゃなくて、ここがいいの?」


「……うん、ここがいー」


「どうして?」


 ──答えが出て来なかった。


 横峯くんが居るから? それはどうして? だって、横峯くんは友達じゃない。二度も私が断ったんだ。

 そうだよ、友達じゃないんだ。

 友達じゃ……。


「美里?」


 ポロポロと、涙が溢れ落ちていた。


 どうして──私は泣いてるの?


 この行き場のなくなった感情をどう処理していいのか分からず、気づいたときにはお母さんの膝に抱きついてた。


 お母さんは黙ったまま、優しく、ただ優しく、私の頭を撫でてくれる。


 どれくらいそうしてたのか分からない。

 しばらくしてから、お母さんの口から私が望んでいる答えが返ってきた。


「じゃあ美里、ここの小学校に行こっか」


「……うん」


 お母さんはそれ以上、理由を聞いてこなかった。


 *****


 それからしばらくの月日が経ち──私は公立の小学校に入学した。


 クラスを見渡してみる。

 横峯くんは一緒のクラスじゃなかった。


 言いようのない、モヤモヤした気持ちが込み上げてくる。そのとき、ぴょこっと、教室の扉の隙間から顔が飛び出してきた。

 辺りを見渡してからこっちにやってくる。

 横峯くんだ。


 私に掛けられる言葉を待っていると、その声はほんの少し外れたところに着地した。


「掛川さん、みーつけた」


「あっ、横峯くん」


 ……会いに来たのは私じゃなかった。

 私の前の席の女の子。

 幼稚園で横峯くんと一緒にいた女の子。


 それはそうだよね。

 だって、私は友達じゃないんだもん……。


「あ、神谷さんだ。こんにちは」


 横峯くんは私に気づいて話しかけてきた。

 どうせ、私はついでだろう。

 ふてくされて無視してた。

 横峯くんは気にする素振りも見せず、いつもみたいに会話のボールを投げてくる。


「ねぇ、神谷さん。お友達できた? 1年生になったーら、1年生になったーら、友達100人でっきるかな。って歌あるでしょ? あれってすごく大変だと思わない?」


 ──馬鹿にしてるのかと思った。

 友達がいない私をからかってるのだと。

 少し強い口調と共に横峯くんを睨んだ。


「友達なんていらない!」


 それでも、横峯くんは微笑みながら優しく言葉を投げ返してくれる。


「神谷さんも99人頑張ろ?」


 何が言いたいの……?

 言葉の意味が分からず、キョトンとする私。横峯くんは当たり前のように、こう答えた。


「だって僕たち、お友達でしょ?」


 ──パッと、目の前が明るくなったように感じた。

 さっきまでのモヤモヤも、嘘のように消えてなくなる。

 ただただ、嬉しかった。


 私はずっと、このときを望んでいて、そしたら今度は素直に認めようって。そう、心のどこかで思ってたんだ。


 そんな素直な気持ちに、このとき初めて気づかされた。


 だから……もうあの頃みたいに拒絶する気持ちはない。


 たぶん、このときの私は分かりやすいくらい感情が顔に出てたんだと思う。


 それを横峯くんは感じ取ってるようだった。


 横峯くんが私の前の女の子に何か耳打ちしたあと、女の子はこちらに振り向いた。


「あ、あの、掛川遥です。お友達になってください」


 横峯くんが優しく見守ってくれている。

 今度は失敗しない。横峯くんが教えてくれたから──。


「……うん、いーよ?」


「やったー! じゃあ、あと98人頑張ろー!」


「それはむりー」


 この日のことは生涯忘れない。

 だって、私に友達がいると気づかせてくれた大切な日。

 そして、私にもう一人、友達ができた思い出の日だから──。


 *****


 それからしばらく経った頃──遥が風邪で学校を休んだ日、横峯くんが私の様子を伺いに教室を訪れた。


「掛川さん居なくて寂しいね」


「……うん。ねぇ、横峯くん。お友達って、学校以外でも遊んだりするの?」


「そうだね。そういう人もいると思うよ」


「でもさー、一緒に遊んでてつまらなかったらそのうち遊びに行かなくなるんでしょ? それで友達じゃなくなるんだ」


 まだ少しだけ、不安な気持ちがあった。

 いつか横峯くんは、私と友達じゃなくなるんじゃないかって。


「じゃあ、約束すればいいんだよ」


「約束?」


「来月さ、神社でお祭りがあるんだよ。これからずっと、二人で毎年お祭りに行こう?」


「ずっとなんて、そんなの絶対できっこない」


「そうかなー。うーん……じゃあ、10回」


「10回?」


「10回ならできそうでしょ?」


「……じゃー、約束破ったら友達辞めるから」


「そしたらごめんなさいするから許してね?」


「なにそれー、やだ」


 二人で交わした初めてのながいながい約束。

 これからこの指を折ってゆき、大きく成長した両手がグーになったその先──それでもまだ、横峯くんは私と友達でいてくれるのかな。


 *****


 あれから今日で10回──最後の約束の日。

 悪天候で中止になった年もあったけど、横峯くんはあの約束をずっと守ってくれた。


 お祭り以外でも横峯くんとはたくさん遊んだけど、二人きりはこのお祭りだけ。

 横峯くんと、遥と過ごして友達が好きになった。二人が大好きになった。

 その中で、横峯くんだけは少し違った大好きになっていく。

 私に大切なものを教えてくれた。笑顔をくれる横峯くんだけは、特別な存在になっていく。


 でも、それは私だけが感じてることじゃない。遥もそうだ。そしてそれは横峯くんも。

 二人をずっと見てきたから分かる。

 大好きだからこそ、分かっちゃう。



 ──僕、神谷さんが好きだよ。



 横峯くん、違うよ。それは……違うんだよ。

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