第53話「もう少しだけ」
起きてからスマホを確認する。
メッセージアプリには数件新着が入っていた。
その中にはお母さんからも。
返信もそこそこに、朝の身支度を整えてリビングに向かう。
食卓からは美味しそうな朝の香りが漂い、脳から空腹の指令が送り込まれてお腹からはすぐにエネルギー補給の催促が始まった。
「修くん、いっぱい食べてね?」
「はい、ありがとうございます。ひまりのお母さんのご飯とっても美味しいです」
「……修くん、好き」
「ちょっと、ママ!?」
「僕もお母さん(の料理)好きです」
「修くん!? それ! それは私が作ったやつだからね?」
ひまりは今日も朝から元気だなぁ。
でも少しだけいつもと違うひまり。
家族にだけ見せる安心感みたいなのが伝わってくる。
向かい側にはお父さんがいて、お母さんがいて、隣にはひまりがいて。
何だか食卓を4人で囲ってるその光景はどことなく懐かしくて、安心で、幸せで、でも少しだけ、寂しいような気持ちが込み上げてくる。
そんな温かい家族の様相に気を取られて忘れないように、今朝のことをひまりに伝えとかなくちゃ。
「ねぇ、ひまり、お母さんがね? 今度おうちに遊びに来てねって言ってたよ。あとお姉ちゃんと一緒の部屋でいいなら泊まってってもいいって」
「ほんと!? ねぇパパ、いい?」
「……」
しばらくの沈黙。
その眼光はひまりじゃなくて僕を捕らえていた。
「修司くんは今日何時頃に帰るんだ?」
「ちょっと、パパ?」
「その話は後だ」
ひまりのお父さんが唐突に今日の予定を訊いてくる。
話をはぐらかされたひまりはむくれ顔をしていた。
そんなひまりを横目にリビングの壁掛け時計を確認。短針は8時を指している。
「午後に大切な約束があるので、11時には出ようかと思います」
お父さんは一瞬ひまりと時計を交互に見て、何か考えたあと想定外な提案をしてくる。
「そうか、じゃあ俺と二人で釣りにでもいくか。都会じゃなかなかやる機会がないだろう」
「やってみたいです。でも僕、釣りやったことないんですけど大丈夫ですか?」
「問題ない。じゃあ、そういうことで」
「ねぇパパ、どういうこと?」
「ひまりは他にやりたいことがあるだろ?」
「うん……それはそうだけど……せっかく修くんいるのに……」
「ひまりは学校が始まったら会えるだろ。こんだけ遠いんだ、パパはこれが最後になるかもしれないんだから」
ひまりはお父さんの意見にしぶしぶながら同意した。
それにしてもひまりのやりたいことってなんだったんだろう。
疑問も他所に、朝食を終えてから僕とひまりのお父さんは釣具一式を抱えて湖へと向かった。
*****
休日なこともあり、釣り場にはすでに数名釣り糸を垂れている人が見受けられた。
お父さんからざっくりと道具の説明や注意事項を受けたあと、少しドキドキしながら仕掛けを投げた。
ポチャッと音がなる。
思ったよりもだいぶ手前に着水した。
お父さんみたいに綺麗に飛ばせるようになるにはたくさん練習が必要みたいだ。
「初めてだからな。あまり難しいことは考えなくていい。釣れるといいな」
「はい、ありがとうございます」
そんな下手っぴな僕を見てもお父さんは笑わずに優しく教えてくれた。
釣れるのを待ってる間に湖を堪能する。
本当に素敵なところだ。
「綺麗な湖ですね。何だか眺めてるだけで癒されます」
「それはよかった。ここは辺境の地だからな。あまり娯楽もないがこの景色は自慢だよ」
褒められて嬉しそうなお父さん。
それを見てつい、あの嬉しそうな表情を思い出してしまう。
「やっぱり、ひまりのお父さんですね」
「どういう意味だ?」
「なんか、そっくりです」
「ひまりは妻に似てると言われるんだがな……そんな風に言ってくるのは修司くんだけだよ」
まぁ僕も少し変わってるって言われるから、それもあるのかな。でもそっくりだと思うんだけどなぁ。
「修司くんは俺が怖くないのか?」
コロッと話題を変えたお父さんの突然の質問の意図が分からず、首を傾げてお父さんの顔を見た。
僕の仕草に答えるようにお父さんは話を続ける。
「娘が家に男の友達を連れてきたことが何度かあるんだがね、分かるんだよ、俺を見ただけで顔が引きつってるのが。修司くんだけだったよ、俺の顔を見ても怖がらなかったのは。親の俺が言うのもなんだが、娘の容姿は整ってるからな……男が娘に寄ってくる度に思うんだよ。こいつは
だからお父さんは男の子のお友達をおうちに入れなかったのか。
でも、お父さんの話は僕には腑に落ちない。
それはひまりと一緒にいたらそんな考えには普通ならないのだから。
「それはおかしいですよね?」
「何がだ?」
「だって、ひまりのお父さんですよ? あんないい子のお父さんが悪い人な訳がないじゃないですか」
「……ふっ、はっはっはっはっは! ほんと面白いなー君は」
突然豪快に笑い出すお父さん。
初めてちゃんと笑った顔を見た。優しい、素敵な笑顔。
やっぱり、ひまりにそっくりだよ。
*****
初めての釣りを堪能してひまりのおうちに戻る。1匹しか釣れなかったけど、とても楽しい時間を過ごした。
あれから少しずつお父さんの表情も柔らかくなって口数も増えたように感じる。
そろそろ帰宅の時間も差し迫り、荷物をまとめて出立の準備を整えた。
玄関ではお父さんとお母さんがお見送りしてくれた。
「修くん、よかったらまた来てね? いつでも待ってるから」
「はい、お母さん。美味しいご飯ありがとうございました」
「修司くん、また今度釣りしような」
「はい、とっても楽しみです」
「私は修くんを駅までお見送りしてくるね」
「気をつけてな」
玄関が閉まる僅かな時間、僕は二人に手を振った。ドアが閉まる少し前、ひまりを呼び止めるお父さんの声が聞こえた。
一泊だけだぞと。
*****
駅までの道中、僕とひまりは手を繋いで歩いて行く。
もう改札は目の前。その温もりは束の間で、お別れの名残惜しさへと変わる。
「修くん、本当に楽しかった。それと、いろいろありがとね?」
「僕も楽しかったよ。ありがとう」
「修くん、これ帰りの新幹線で食べて?」
ひまりは風呂敷に包まれたお弁当箱を僕に渡してきた。
「ひまりが作ってくれたの? ありがとう、嬉しい。お弁当箱は洗って学校に持ってくね」
「ううん、取りに行く。修くんのおうちに。だからそれまで修くんが預かっててね?」
「そっか、分かったよ。それじゃ、また学校でね」
「うんっ、修くん、またね」
ひまりは笑顔で手を振りながら僕を見送る。
僕も同じように手を振って背を向けたとき、ほんの少しだけ、寂しそうな表情が視界の端に見えたような気がした。
一歩、改札を抜けようと歩み出した瞬間、ドスっと背中に衝撃が走った。
再びの温もりと、見覚えのある腕。
後ろから僕を引き止めたのは、いまお別れしたばかりの女の子。
「ひまり?」
「まだ電車来てないから、もう少しだけ……」
田舎の駅なこともあってなのか、それとも時間帯だったのか、他の利用客は来なかった。
僕たちはそのまま動かずに電車を待つ。
あったかい、柔らかい、ドキドキする。
こうしてるみたいに、ひまりはとっても距離感が近い。
それはすごく嬉しいことなんだって、改めて感じさせられた。
この不思議な時間の終了を告げるかのように、電車到着のアナウンスが鳴り響く。
「ねぇ修くん、振り向かないでね?」
「どうして?」
「なんでも。それじゃあ、ね?」
「……うん」
ひまりは力を緩めて僕を解放した。
僕は言われた通り、振り向かずに改札を抜けて電車へと乗り込む。
背中にはさっきの余韻がずっと残ってる。
振り向けばまだそこに、ひまりがいるかのように……。
新幹線に乗り継いだあとに早速お弁当を広げた。
僕のために一生懸命作ってくれたお弁当。
美味しそう……というかあのお姉ちゃんが褒めるくらいだ。まずい訳がない。米粒一つ残さずあっという間に平らげた。
『お弁当、とっても美味しかったよ。特に卵焼きが凄かった……本当にありがとう!』
メッセージで感謝を伝えるとすぐに既読が付いてスタンプが返ってきた。
可愛いウサギのキャラクターがすごく喜んでる。
静まった車内のなか、僕は一人笑顔になる。
ひまりが喜ぶと、僕も嬉しいんだ。
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