第52話「1ミリおじゃま虫」

 暗闇の中、意識が覚めた。

 まだ眠くてまぶたが開かない。


 頭の中に不思議な映像が流れてくる。

 記憶にないから多分昔見た夢のお話だと思う。もしかしたら今も夢を見てるのかもしれない。


 僕は通学路の橋の下で誰かを待ってる。

 誰を待ってるんだろう。

 それと手に何かを持ってる。どこかで見たような……あれ、どこで見たんだっけ。


 誰か来たみたいだ。あれは……遥だ。

 どうして僕はこんなところで遥を待ってるんだろう。


 モジモジしてる僕とモジモジしてる遥。

 一体僕たちは何をやってるんだろう。


 映像がブレて会話が少し飛んだ。

 遥は顔を真っ赤にしてる。なんか可愛い。


『て……っていうか何? バレンタインのお返しとか、べ……別に要らないんだけど? あれは友達の付き添いで一緒に作っただけで、渡すのは──』


 ──ここで体に違和感があって映像が途切れてしまった。

 布団がもぞもぞしてる……光希ちゃんだ。


 また僕のお布団に潜り込んできたみたい。

 こうなったらいつものあのパターン。

 出て行って欲しかったらハグしてねの謎理論だ。


 仕方なくいつものようにギュッと抱きしめる。“ひゃっ”と、布団の中からこもった声が聞こえた。

 何だかいつもと違う気がする。

 どうしてだろう。


 そんな疑問を抱えつつ、しばらく時間が経つ。

 おかしい、いつもならとっくに出て行くのに。

 僕は重い瞼を開いた時、見慣れない部屋に居ることに気づく。


 そこは少し広めの和室。

 そうだ、僕はひまりのおうちに泊まっていたんだ。


 じゃあどうして、光希ちゃんがひまりのおうちにいるんだろう。


 力を緩めると再び布団がもぞもぞと動き、ピョコンと顔が出てきた。光希ちゃんじゃない……。


 いま何時くらいだろう。

 障子から差し込む光は月明かりから日の光に変わってる。

 お父さんはまだ隣で寝ているから、こそこそ声で会話を始めた。


「何してるの? ひまり」


「ごめんね? パパに気づかれないようにこっそり修くんの寝顔見に来たんだけど、起こしちゃった……」


 ひまりも朝で寝ぼけてるのか、何だか緩みきった顔をしていた。


「私のことは抱き枕だと思って、もう少し寝てていいよ?」


「えぇ……もう眠れないよ……」


 さすがにこの状況でそれは無理がある。

 どうやらひまりは出て行く気配がないようだ。


 そのとき、ひまりが何かに気がついた。

 布団からひまりの小さな手が出てきて、そっと僕の顔に近づく。


「修くん……泣いてるの?」


「え……?」


 僕の頬に暖かい手が添えられ、親指で目尻をすっとなじられる。

 水滴が引き伸ばされ拭われる感触が伝わってきた。


「どうしたんだろう……変な夢でも見てたのかな……覚えてないや」


 ひまりは添えていた手を僕の後頭部に回して優しく抱き寄せてきた。

 体温で温まったお布団と何かで頭が包み込まれる。


 ふわふわで、あったかくて、いい匂い。

 とっても気持ちいい。


 まるで雲の上にいるような、不思議な感覚。

 僕はその温もりを求めるようにひまりの腰に腕を回した。


 優しく頭を撫でられながら、ひまりのなだめるような声が頭上から聞こえて来る。


「私もね? 怖い夢を見た時に、ママにこうしてもらってとっても落ち着いたんだよ」


「うん、すごい落ち着く……」


 ひまりの手が動くたび、ソワソワが耳を通りながら全身を巡る。


 こんなに気持ちよかったら、また眠れそうな気がする。


「私はね? 弱いから……たぶん修くんを護ってあげることはできないと思うの。でもね? 修くんがつらい時は、いつだって、どんな時だって、私がそばにいてあげる……」


「ありがとう、ひまり……」


 とっても優しいひまりの言葉。

 その想いが僕の心にすっと入ってくる。

 伝っていた涙は吸い込まれて消えた。


 僕だってお姉ちゃんみたいに強い人間じゃない。

 でもいつか、ちゃんと大切なものを護れるように強くなりたい。

 お姉ちゃんじゃない、昔誰かに、そうあれと言われたように……。


 そのまましばらく時間が過ぎる。

 すごく落ち着くけど、そろそろ限界が近づく。


 やっぱり少し苦しかった。息がしづらい。

 僕はゆっくりと顔を上げて、空気の通り道を確保する。


 瞳が重なる。

 僕を撫でていた手が止まり、言葉は息を潜めた。

 少し細めた瞼から覗かせる、優しい瞳。

 そこに映ってる僕は、どんな表情をしていたんだろう。


 僕は動いてないのに、徐々に焦点がずれていく。

 微かな吐息が唇を震わせる。肌に伝わる熱気が僕たちの近さを表していた。


 トクントクンと心臓が早鐘を打つような音がどこからともなく聞こえてくる。内からなのか外からなのか、それさえも分からないほどに。

 やがて瞳に映る僕は徐々に消えてゆき──


 バサっ!!


 布団が勢いよくひっぺがされる。

 ひまりのお父さんだった。


「おはよう、修司くん」


「あ、おはようございます、お父さん」


 まだ僕は寝ぼけてるみたい。

 ひまりが一瞬、恐ろしい顔をしたように見えたから……。

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