第47話「僕をとめて、僕のそばにいて」

「じゃあさー、全部服脱いで? 四つん這いになってこっちにケツ向けてよ」


 再び拳が振り下げられる。

 もうお題は提示されたと言わんばかりに。


「そしたら今度こそ、完全に止めてあげるよ。あ、助けを呼びに行ってもいいよ? まぁ帰って来た時には、誰の顔だか分からなくなってると思うけど」


 ひまりは震える手でシャツのボタンを外し始めた。

 指ですくいあげていた涙はひまりの手の甲に滴り落ちる。


 このまま止めなかったら、本当に理不尽なお題を遂行してしまう。

 男の子の体重で肺が押し潰されてうまく呼吸ができない中、僕は必死にひまりに訴えかけた。


「ひまり……僕は大丈夫だから……そんなことしたら……ダメだよ……」


「うるせぇーなー、お前は黙ってろよ」


 振り下ろす力がより一層強くなる。

 ひまりがボタンを外す速度は比例するかのように速くなった。


 ひまりの噂話をしてた男の子の1人が、歩きながらジャケットを脱いでひまりの真後ろに周った。

 

 顔が真っ青。

 失敗したら怒られると思ってるような、そんな表情をしてる。


 僕はもう一度ひまりに訴えかける。


「ひまりは僕が護るから、だから、そんなことしちゃ、ダメだよ」


 ひまりの手が止まった。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔がこっちを向いた。


「じゃあ……じゅーくんのことは……誰が護ってぐれるの……?」


 僕のこと……?

 僕はひまりを護りたい。

 でも、同じようにひまりは僕のことを護ろうとしている。


 きっとそういうことじゃ……ダメなのかもしれない。


「護ってよ……私のことを護ってぐれるなら! 自分のことも・・・・・・護っでよっ!!」


 ひまりの悲痛な叫び声が僕の心に打ち付ける。

 僕以外にはきっと、耳をつんざくような不快な音にしか聞こえてないだろう。

 それを証明するかのように、男の子の手が止まった。


 “自分を護ること”


 それはきっと、誰かを護るのと同じくらい大切にしなきゃいけないことなんだと思う。


 だけど、僕は……。


「ごめんね……ひまり……僕は……怖いんだ……」


「ぶっ、ははははは、怖いだってよ。護るとか偉そうなこと言っといて、とんだチキン野郎じゃねーかよ」


 男の子は僕の怖いを違った意味で捉えたみたいだった。

 ひまりにもそう、聞こえたのかな。

 ちゃんと伝わるように言い直した。


「僕は……殺してしまうのが……怖いんだ……」


「は? 何言ってんだコイツ? 殴り過ぎて頭のネジ飛んでっちまったかなー」


 男の子には伝わらなかったみたい。

 ひまりには、届いたかな。


「ねぇ、ひまり……僕のこと、とめてくれる? 僕のそばに、いてくれる?」


 ひまりは右腕でゴシゴシと涙を拭うと、降ろした両拳をギュッと握りこんで僕の瞳を見つめた。


「うん……修くんは私がとめてあげる。修くんのそばには、私がいてあげるっ」


 よかった、ちゃんと届いた。

 ありがとう、ひまり。


 じゃあ……いくよ?──




 どう──? お──ん



 ──ないで? い──よ



 僕──めに死───うなんて、いや──



 全部──悪──だ



 僕が──て来なけれ──かっ──だ



 ──すれば、お───は──なかった──



 ──だ、もしか──ら僕が──ばお──んは返って──くれる



 僕──てどうなっても───だよ




 “自分を────”なんてしな──いいんだ




 僕が──ばいい──



 な──どう──まだ──てるの?



 早く──よ、早──んでよ



 さ──と



























 ──死ねばいいのに


「修くんっ! 修くんっ! もう、いいよっ! ありがとっ! だからっ、ねっ」


 ひまりの声が聞こえた。

 後ろから僕に抱きついてる。


 気がついたら、僕は男の子を血祭りに上げていた。


「うぃ……ぼう……がめべ……」


 ひまりがちゃんと止めてくれたから、まだ死んでないみたい。


 首を締め上げてるから、言葉にならない音を発している。

 僕が左手の力を緩めると地面に崩れ落ち、喉元を抑えてゲホゲホと鳴いていた。


 僕の手にケガはないみたい。

 その代わり靴には血がベットリついてる。


 ひまりの噂話をしてた男の子二人は僕を殴ってきた男の子に一切加勢することもなく、ただ傍観していた。


 そして僕を見る目が恐怖に染まっている。


 男の子は鼻血と涙と血混じりのヨダレを垂れ流しながら、どこかに電話をし始めた。


 前歯が折れてるみたいだから、なにを話してるのかよく聞き取れない。


 通話が終わって、すぐに誰かがやって来る。


「パバ……ごいつに殴られだ……げいざつ、呼んで……」


 現れたのは、スーツ姿の50代くらいの男の人。

 僕はこの人を知ってる、ポスターで見た顔。

 このフェスの協賛企業、映画会社の社長さんだ。

 いまの会話からして、僕が殴った男の子のお父さんみたいだ。


 僕もちょっとやり過ぎちゃったかもしれない。

 過剰防衛で罪に問われることも覚悟した。


 とりあえず僕はすぐに事情を説明して謝ることにした。


「ごめんなさい。僕と、僕の大切な、とっても大切なお友達がそこにいる男の子に傷つけられました。だから僕は、護るために傷つけてしまいました」


 社長さんは男の子に目を向けると、男の子は無言で目線をそらした。

 僕が言ったことが一方的な言い分じゃないことがすぐに伝わった。


 社長さんは僕の右手・・に一瞬視線を送ると、少し強張った様子で質問してきた。


「……失礼ですが、お名前をお伺いしても?」


「横峯修司です」


 崩れ落ちるような土下座だった。

 突然のことで僕だけじゃない、みんな困惑してた。


「うちの馬鹿息子が……誠に申し訳ございません……お許しください……」


「だ、だにやっでんだよ! ぞんな馬鹿な貧乏人にあだまざげるなんで」


「馬鹿はお前だ! お前は何も分かってない! 一体自分が何をしたのかを!」


 もの凄い剣幕で怒鳴られ、男の子は呆然としている。

 まるで平伏すかのように、僕に許しを請う。


「どうか、どうか、伏してお願い申し上げます。何でも言うことをお聞きします。馬鹿息子には厳重な罰を与えます。このことは、どうか、どうかご内密・・・に……」


 こんなこと、誰かに言いふらすつもりなんて始めからない。

 でも、何でも言うことを聞いてくれるみたいだからダメ元でお願いしてみた。


「それじゃあ……映画って、まだ観れますか?」


「……はい?」


「映画、観れなかったんです。最終上映も終わっちゃいましたし……やっぱり、ダメですか?」


 このまま今日が終わったら、きっとひまりは僕と約束した映画が観れなかったことを後悔してしまう。


 社長さんはとんでもないお願い事をされると身構えてたからなのか、僕のそんなお願いに顔を上げて拍子抜けした表情を見せた。


「……かしこまりました。貸切でVIP席と屋台のスイーツを全てご用意させていただきます」


 それからもう一つ、お願い事をすることにした。


「あと……出来ればいまは・・・罰を与えるのは止めてもらえませんか?」


「……なぜですか?」


「きっといまの息子さんは、罰を与えても反省しないと思うんです。そんな状態で罰を与えたら、それは怨みとなってひまりに返ってきてしまうような気がするんです。僕はもう……ひまりが悲しい思いをするのは嫌なんです」


 それに、ひまりはあんな酷いことされたのに男の子のことを“普通のお友達”として否定することはしなかった。

 もしかしたら、好意を抱かせたことに今も罪悪感を抱えてるのかもしれない。


 そんな男の子に罰を与えたとなれば、優しいひまりの心の重みになってしまうような気がした。


「だから息子さんが“これから”どうするべきなのか、一緒に考えてあげてください。もしも息子さんが反省できるようになって、自分で罰を受け入れるようならその時はお願いします」


「情けない限りです……息子と同じ年頃の男の子にご教示頂くとは……私の教育が至らないばかりに、誠に申し訳ございません!」


 社長さんは再び頭を地面に擦りつけた。


「ねぇ、ひまり。これで許すことになっちゃうかもしれないけど……いいかな?」


 僕は訊く必要のない質問をひまりにした。

 だって、ひまりは誰かに復讐しようとする女の子じゃないのを、僕は知ってる。


 きっと罰を与えるのは、ひまりの役目じゃない。


「うんっ!」


 やっと咲いた。

 僕が見たかった、可愛い笑顔。


 一応念のため、男の子には動画はニセモノだってちゃんと周りに訂正して削除させるように伝えといた。


 ひまりを夜のオカズにしてた男の子にも言おうとしたら「動画は消したのでもう持ってません」と震える手でスマホを差し出してきた。

 一体いつ消したんだろう。


『タップして通話に戻る 06:32:45』

 画面上部に表示されてる。

 電話切り忘れてるのかな。


 わざわざ差し出して来たんだし、嘘はついてなさそうだから確認せずに男の子にスマホを返した。


 軽く事情を聞いた社長さんはひまりの家に謝罪に行くと言い出したけど、ひまりはそれを断った。

 お父さんとお母さんに余計な心配を掛けたくないらしい。


『もう私に関わらないでください』

 それがひまりのお願いだった。


 社長さんは「後処理はこちらでやりますので、ここでお待ち下さい」と言い、電話をしながら男の子を連れて去って行った。

 多分病院に行ったんだと思う。


 噂をしてた男の子たちはいつの間にかいなくなってた。

 ひまりに訊いたら「あの男の子たち誰だっけ?」って疑問に思ってた。


 そのあとはスタッフさんに案内され、ひまりと映画を観た。


 野外の大きな会場、大きなスクリーンの前には僕とひまりの二人きり。

 この革張りの大きなリクライニングチェア、一体どこから持ってきたんだろう。


 あと着替えが何故か用意されてた。

 靴のサイズなんて一言も言ってないのに、僕の足とピッタリだった。

 大きな会社の社長さんぐらいになると、そんな目測もできるようになるんだ。


「凄い……お菓子がいっぱい……凄い……修くん……凄いよぉ……」


 ひまりは目の前のテーブルにずらっと並べられた山盛りのスイーツに、映画そっちのけで夢中になってた。


 とってもとっても、幸せそうだ。



 ──スマホが震える、メッセージが1件。


『甘いわね』


 一体どういう意味・・・・・・だろう。

 でも確かにこのスイーツは、僕にはちょっと甘かった。

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