第39話「歪なホクロ」

 ひまりを背負って校舎に向かう。

 途中にある水道で汚れを落とし、窓側の扉から保健室に入った。


「あれ? 先生がいない……」


 トイレに行ってるのかな?

 保健室の先生は不在だった。


 靴を脱いで靴下のまま上がりこみ、ひまりを椅子に座らせて戻ってくるのを待つことにした。


「ひまり、痛い?」


「ううん、大丈夫」


「でも消毒したらしみるかもね」


「うん……じゃあ……修くんがやって?」


「勝手にやって怒られないかな?」


「大丈夫、そしたら怒られるのは私だから」


「それは僕が嫌だよ……」


 消毒して絆創膏を貼るくらいなら僕にも何とかなるかなと思って、やってみることにした。

 もちろん、先生に怒られるなら僕一人だけだ。

 自分の手を洗って消毒したあと、コットンをひまりの傷口の下に当てながら、消毒液を吹きかけた。


「痛くない?」


「うん……ちょっとしみるけど我慢できる……」


 そうは言ってるけど、膝に置いてる両手がギュッと固く握られてる。

 やっぱり痛いの苦手みたい。


「傷跡、残らないといいんだけど……」


「修くんは心配性だね。これくらい大丈夫だよ」


「ダメだよ、女の子なんだから」


「修くんは、傷跡がある女の子は嫌い?」


「そんなことで嫌ったりしないよ」


「じゃあ、いいや」


「何が?」


「なんでもなーい」


 コットンで傷口をポンポンと軽く叩く。

 アルコールで薄まった血がガーゼに少し付着した。


 絆創膏のビニールを剥がして傷口を覆うように貼る。

 ひまりの膝には少し大きめのホクロがあり、絆創膏の端っこで少しだけ隠れるような形になってしまった。


「ごめん、貼る位置が悪くてホクロが変な形になっちゃった」


「ふふっ、何それ」


 もうちょっと大きめの絆創膏を貼ればよかったかな。

 でも、ひまりが少し笑ったからこれでよかったのかもしれない。


「ねぇ……修くんは、何も訊かないの?」


「ケガしたときのこと?」


「うん」


 突然取り乱したひまり、気を落としたひまり。

 僕の知らない、ひまりの姿。


 もちろん僕は知りたい。

 でも、一番大切なことはひまりの気持ちだ。


「ひまりは僕に話して楽になる? 苦しくなる?」


「……わかんない」


「じゃあ、今は何も話さない方がいいよ。もしもひまりが話して楽になるって分かったら、いつでも話を聞くよ」


「うん、ありがと……」


 人には知って欲しいこと、知って欲しくないこと、いろいろあると思う。

 僕の病気のこともそうだ。


 ひまりの中で、その答えはまだ見つかってないように思う。

 だから僕はそれを待つことにした。


 だけど、この質問だけは今することにした。


「ねぇ、ひまり?」


「なに?」


「ひまりが悩んでることで、僕にいま、できることある?」


「……うん」


「教えて?」


 ひまりは不安な顔で僕を見つめてきた。


「……嫌いに……嫌いにならないで?」


 僕はその言葉を口にする。

 ひまりの目をしっかりと見て、ひまりに伝わるように、はっきりと口にした。


「ならないよ? 絶対に」


 僕は右手の小指をひまりの前に差し出した。

 それが何を意味してるのか、もはや言う必要はなかった。

 ひまりも何も聞かず、僕の指をそっと取った。


 ガラガラガラッ


「あっ……」


 そのタイミングで保健室の先生が戻ってきた。

 先生の目の前には、向かいあって小指を組んでいる男女が二人。見ちゃいけないものを見てしまったような様子で、先生はしばらくフリーズしていた。


 *****


 朝起きていつものルーティンから一階に降りると、誰も座ってないはずの席に見慣れた後ろ姿があった。


「おはよう、お姉ちゃん。今日は学校早くないんだね」


「おはよう、修。食べながらでいいからちょっといいかしら」


「うん……」


 何だろう。

 朝から改まって話なんて。

 昨日の夜も話したのに、まだ何かあるのかな。


 僕が降りてくるのを把握してたのか、お茶碗にはホカホカのご飯がよそわれていた。


 お姉ちゃんは飲み物を飲みながら、僕の対面に腰掛けている。


「いただきます」


 ご飯を口に運びながら、お姉ちゃんと会話を始めた。


「修、明日から休みね」


「うん、そうだね」


 明日からゴールデンウィーク。長期休みに入る前だった。

 どうやらお姉ちゃんの話は休みの過ごし方についてのようだ。


「なにか他に予定は?」


「ううん、いまのところはないけど……」


「そう、ならここに行って来なさい」


 そう言って差し出してきたのは、一枚のビラと二枚の食べ放題チケットだった。


「なに? これ……スイーツフェスティバル?」


「この間試食した珠紀さんが出店してるわ」


「この間オープンしたばっかだよね? もうこんなイベントに出るんだ」


「宣伝も重要なのよ」


「そうなんだ。でも……ちょっと遠いね」


 開催地は数県跨いだところにある場所。

 僕のお小遣いでは、片道の交通費だけでお財布のHPが0になってしまいそうだ。


「交通費は出すわ」


「チケットが2枚あるけど……?」


「ひまりを誘いなさい」


「うん、一緒に行ってくれるか分からないけど、ひまりの交通費も出してくれるの?」


必要なら・・・・出すわ」


 ひまりの予定は空いてるかな。

 また連れて行くと約束したし、ひまりの好きな甘いものがいっぱいだから喜んでくれるといいな。


 そのあとお姉ちゃんと雑談して、食べ終わったから食器を片付けようとした時だった。


「修、目に……」


「目に? 目やに付いてる?」


 一階に降りる前に顔を洗ったのに、取り損ねたかな。

 両手の中指を使って目頭を擦ってみた。


「……何でもないわ」


「え? うん……」


 擦った指を見たけど、目やには付いてなかった。

 お姉ちゃんも朝でぼーっとしてたんだ。

 どうやら見間違いだったみたい。


 SSRお姉ちゃんを見た。

 何かいいことあるといいな。


「先に出るわね」


「うん、いってらっしゃい」


 そうしてお姉ちゃんは一足先に家を出て行った。テーブルにある食器を片付ける。


 ほのかに漂うコーヒーの香りがした。

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