第38話「心のケガ」

 三人四脚でアンカーを走ることが決まり、次の体育の授業で練習をすることになった。


「修くん、頑張ろうねっ!」


「うん!」


 ひまりが今日も元気よく右隣から声を掛けてくる。僕も笑顔を返した。


「修ちゃん、転んで怪我しないでね?」


「遥もね?」


 遥は左隣から始まる前から僕の心配をしている。

 遥はドジっ子だから僕は少し心配だ。


 とりあえず組む順番を決めよう。


「それでどういう並列で組めばいいのかな?」


「ん? 修くんが真ん中に決まってるよ」


「そうなの?」


「そうだよ、修ちゃん」


 いつの間に話しあったのか、もはや決定事項らしい。

 確かにこの中で一番足が速い僕が真ん中の方が組みやすいのは確かだと思うけど……。


「とりあえず、紐使わないでやってみる?」


「そうだね」


「うん」


 いきなり足を縛ると危ないと思ったから、まずはお互いの歩幅を把握することにした。


 そのままの配置で僕は二人の肩に腕を回して組んだ。右隣にいるひまりは左腕で、左隣にいる遥は右腕で僕の肩に腕を回す。


 二人のサラサラとした髪が腕にかかる。

 密着してるから、前よりも強くふわふわとした香りが鼻をくすぐった。


「遥ちゃん……なんか、ドキドキするねっ」


「そ、そうだね」


 ひまりと遥は初めての三人四脚に少し緊張しているようだった。

 言われてみれば僕も三人四脚なんてやったことない。

 緊張する気持ちは分からなくもなかった。


 肝心なのは最初の一歩。

 まずはそこを合わせるとこから始めよう。


「えっと、じゃあまずは僕が右足を出すから、ひまりと遥は左足ね?」


「「うん」」


 まずは一歩、歩幅を合わせるように踏み込む。二歩、三歩、声を掛けながら調整していく。

 そのままゆっくりとグラウンドを一周。

 特に問題はなさそう。


 慣れたところでいよいよ足を固定してやってみることにした。


「いきなりベルトで縛ると痛いから、ゴムでやろうか」


 輪っか状になったゴムを二人の足に潜らせ、僕の足と固定する。

 少し緩めであそびがあるから、これならズレても痛くない。


「じゃあいくよ! せーの!」


「「「いち、に、いち、に」」」


 二人の歩幅に合わせて、足を繰り出していく。

 呼吸を感じ取り、体が一つになっていく不思議な感覚が支配した。


 僕は合わせてるつもりだけど、もしかしたらひまりが、遥が、僕に合わせてくれているんじゃないかと思えてくる。


 さっきとは比べ物にならない速さでグラウンドを一周した。


「はぁ……はぁ……修くん……少し休憩……」


「わ……わたしも……」


 息は合っても、やっぱり運動部じゃない二人には体力的にキツいみたいだ。

 二人は僕の肩から腕を外し、膝に手を当てながら息を切らしている。


「そうだね。ちょっと休憩しよっか」


 その時、僕はうっかり足を無意識に踏み出そうとしてしまった。


 まだ縛った足を解いてないのに。

 ドジっ子なのは僕も一緒だった。


 体が前のめりになり、地面に向かって引っ張られていく。


「わっ!?」


「修くん!?」


「修ちゃん! 危ない!」


 僕を庇うように二人は地面の前に割って入り、僕の体を受け止めようとする。

 僕はそのまま二人に覆いかぶさるように倒れ込んだ。


 少しだけ体に衝撃が走る。

 両膝は二人の股の間に入り、両肘は二人の頭を包み込むように地面へ打ち付けた。


「いたた……だ……大丈夫? 二人とも……ごめん」


「だ……大丈夫……」


 左側で僕を受け止めた遥は必死だったのか顔が赤いけど、どうやら怪我はないようでよかった。

 ひまりからの返事がない。僕はすぐに問いかける。


「ひまり? 大丈夫?」


「いゃ……」


 誰の声だろう。

 泣き出しそうな、小さな声が聞こえてくる。

 もう一度、僕はその名前を呼ぶ。


「ひまり?」


「いや!!」


 僕はひまりに少しだけ突き返された。

 足がまだ固定されているのと、女の子では覆いかぶさる男の子を跳ね除ける力はない。

 僕の上体は少しだけ後方に浮いたあと、すぐに地面に手をついた。


「ご、ごめんね。すぐに退くから」


「ちが……これは、違うのっ! 修くん! 違うのっ!」


 僕の右胸辺りのジャージを震える両手で握り締め、必死に何かを否定するひまり。

 目は少し潤み、恐怖で怯えているようだった。


 僕には訴えてる意味が分からないけど、とりあえず落ち着かせることにした。


「ひまり、落ち着いて? ね?」


「……うん……ごめん……」


「とりあえず、足解くね?」


 僕は起き上がって足を縛るゴムを解いた。

 その直後、遥がすぐに気がついた。


「あっ、ひまりちゃん。膝……」


 ひまりの右膝の横が少し擦り剥け、血が出ていた。

 どうしよう。

 女の子にケガさせちゃったよ……。


「ひまり、ごめん……僕のせいで……」


「ううん、これくらい大丈夫だよ……」


「ねぇ修ちゃん、先生には私から言っておくから、ひまりちゃんを保健室に連れてってあげて?」


「うん」


 僕はひまりに背を向けて後ろに手を伸ばした。

 早く保健室に連れて行かないと。


「ひまり、乗って?」


「修くん、歩けるよ?」


「ひまりは僕に背負われるの、嫌かな?」


「……ううん、嫌じゃない……」


 ひまりの腕が僕の首に回され、体が預けられる。

 僕はその小さくて軽い体をゆっくりと持ち上げる。落とさないように、大切に。ひまりを保健室へと運んでいく。


「修くん……さっきはごめんね……」


「なんでひまりが謝るの? ケガさせたの僕なのに……」


「修くんは……ケガ……しなかった?」


「してないよ?」


「……心にも?」


「心に? 大丈夫だよ?」


「……なら……いいの……」


 ひまりはそれからすっかり大人しくなってしまった。

 僕の背中にギュッと顔をうずめている。


 ひまりは何に怯えているのか。

 この時の僕はまだ分からなかった。


 あのことを知る、その時までは……。

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