第32話「奪われたあ〜ん」

「ここかな?」


 お洒落な外観のお店の前で立ち止まる。


 そして繋いでいた手を離した。

 僕の右手は、びしょびしょに汗ばんでいた。


「ご、ごめんね、ひまり。汚いよね……これ使って」


 僕はズボンの左ポケットからハンカチを取り出して渡そうとした。


 するとひまりは肩にかけていたショルダーバッグからハンカチを取り出して、自身の左手を拭った。


 僕のハンカチを使わないから、一瞬怒ってるのかと思った。

 でもそんなことは全くなく、拭いたばかりの左手で僕の右手首を掴んでくる。


「何言ってるの? 修くん、これは私の汗・・・だよ? ごめんね?」


「そんなことないと思うんだけど……」


「そんなことあるのっ」


 譲ろうとしないひまり。

 僕はなされるがまま手を拭われる。

 指先まで1本1本、丁寧に。


 手を繋いでることに気を取られてて気づかなかったけど、ひまりから普段とは違う匂いが漂ってくる。

 柑橘系のいい香りだ。


「いい匂いがする……」


「え?」


「あ、ううん。なんでもないよ」


 口に出てたみたいだ。小声だったから気づかれてないと思うけど、気をつけないと。


 しかしどうしてだろう。

 なんかひまりの口元がピクピクしている。


 拭き終わるとお店のドアに向かう。


 ひまりは疑問を抱いてるようだった。

 お店のドアにはCLOSEDの看板が下げられているからだ。


 事前におばあちゃんから「鍵は開いてるからそのまま入ってきていい」と言われていたから、ノックもせずドアに手をかけた。


「え? 修くん、ここのお店お休みだよ?」


「え〜っと……大丈夫だよ」


 何だか騙して連れて来てしまったようで申し訳ないと思いつつ、パンケーキを食べるという目的自体は間違っていないよねと自分に言い聞かせた。


 カランコロンとドアのベルが鳴り、すぐに厨房からおばさんが出てきた。


「いらっしゃ〜い。あなたが花ちゃんのお孫さんね? 可愛い顔してるわね〜」


「はじめまして、横峯修司です。こっちの女の子は、花菱ひまりさんです」


 ひまりは突然始まった挨拶に困惑しつつ、ペコリと頭を下げた。


「私は珠紀たまきよ。今日はよろしくね。好きな席に座って待っててちょうだいね〜。もうすぐ出来上がるから」


「はい、分かりました」


 僕は店内を見渡し、厨房の近くで外の風景が見える4人席テーブルに腰掛けた。

 席に着いてすぐにひまりから質問が飛んでくる。


「ねぇ修くん、どういうこと?」


「え〜っと……」


 おばあちゃんの内緒ってどこまで守ればいいのか、よく分からなくて言葉に詰まる。

 もうお店に着いちゃったし、さすがに隠し通せないと思いひまりに事情を説明した。


「実はおばあちゃんに──」


 *****


 ひまりは何故かむくれ顔になっていた。


「ひ……ひまり? どうしたの?」


「……なんでもなーい」


 抑揚のない声を発して冷めた目を向けてくる。

 明らかに不機嫌になってるようだった。

 やっぱりちゃんと事情を説明しないで連れてきたのはよくなかったと思い、すぐに謝ることにした。


「ごめんね、ひまり」


「……いいよ。その代わり、いっぱいパンケーキ食べさせてね・・・・・・?」


「うん!」


 ひまりの許しを得たところで珠紀さんがパンケーキを持ってきてくれた。


 ひまりのはふわっふわのホイップクリームが山盛りになっていて、上からイチゴソースがかかっている。


 ひまりの目が輝き出した。

 もう機嫌が直ってそうで僕も一安心だ。


 僕のはひまりのとは違い、フルーツ盛り盛りでケーキが段重ねになっているものだった。

 僕が食べてもちゃんとした感想が書けるだろうか。

 少し不安になりながらも食べ始めた。


「「いただきます」」


 僕たちはパンケーキに食らいつく。


「お……おいひ〜」


「うん、美味しいね」


 ひまりはパンケーキにメロメロになっていた。

 渡された紙にパンケーキの感想を書き込みながら食べ進めていく。

 ひまりは意識を取り戻しながらも、物凄い速さで紙に書き込んでいた。


 僕はこれが美味しかったくらいしか書けなくてどうしようかと思っていると、ひまりに僕の紙を取り上げられてしまった。


「え? どうしたの?」


 僕がその行動に疑問を抱くと同時に、ひまりが餌を待つ雛鳥のように口を開けてきた。


「……ひまり?」


「食べさせて?」


「え?」


「修くん、さっきパンケーキ食べさせてねって訊いたら、うんって言ったよね?」


「えぇ……」


 確かに言ったけど、そういう意味じゃないような気がする。

 僕は困惑しながらもパンケーキにいちごを乗せてフォークですくい、ひまりの口へと運ぶ。


「あ……あ〜」


 僕はいつもおばあちゃんたち・・にやられる立場だから分かるけど、これすごく恥ずかしいと思うんだけど……。


「ん」


 ひまりのぷるぷるとした唇が閉じて、パンケーキが見えなくなる。

 僕はゆっくりとフォークを引き抜いた。


 案の定、ひまりの顔は真っ赤になっていた。


 ひまりが感想を書き込んで紙を返してきたと思ったら、それは僕の紙じゃなかった。


 ひまりが自分のパンケーキをフォークですくって構える。


「今度は修くんの番だよ?」


「ぼ……僕もやるの? というか僕がそっちのパンケーキを食べても大した感想書けないよ?」


「いいのっ」


 僕の口にだんだんと近づけてくる。


「あぁ〜」


 ひまりの甘い声が僕の心をくすぐってくる。

 抗えず受け入れようとしたとき──


「あ〜むっ♡」


「「え!?」」


 ひまりと僕は驚きの声をあげた。

 ひまりが差し出したパンケーキは、僕の背後から突然現れた何者かによって奪われた。


 僕の肩に柔らかい感触とパンケーキとは違う甘い匂いが刺激し、驚きと共に僕の心拍数は跳ね上がった。


「う〜ん、おいし〜。しゅ〜ちゃ〜ん、私というお姉ちゃん・・・・・がいながら、こんなに可愛い子のあ〜んをもらおうとするなんて……浮気はダ・メ・だ・ぞ」


 僕の左耳元で甘い声音で囁き、背後から僕の胸を右人差し指でクリクリとこねくり回し、左手で僕の頭をわしゃわしゃしている。

 全身がゾクゾクしておかしくなりそうだ。


「お、お姉ちゃん!? どうしてここに!?」


 ひまりが見たことのない恐い顔をしていた。

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