第33話「隠し味のスパイス」

「あ〜、しゅーちゃんがワックスつけてる〜。しゅーちゃんのでべちゃべちゃになっちゃった〜」


 突然何者かに奪われたあ〜ん。

 姉と名乗るこの人物を僕はよく知っていた。

 すぐに反応したのはひまりだった。


「修くんとどういう関係ですか? 部長・・


 部長というのは料理研究部のことだ。

 そう言えばこの間、家庭科室に行ったときはいなかった気がする。

 その人物はひまりの反応を楽しむかのように、イタズラな笑みを浮かべて答えた。


「しゅーちゃんとの関係? そうだな〜、一緒にお風呂に入ったり〜、お○ん○んをゴシゴシしたり〜、一緒のお布団でおねんねする関係だよ〜」


 ひまりがギョッとした顔で見てくる。

 確かに言ってることは間違ってないけど、いろいろと語弊がある。


 子供の頃に僕がお風呂に入っているときに乱入してきたり、背中を洗ってあげるとしつこく言われて仕方なくお願いすると、前のほうを無理やり洗ってきたり、寝ているところに忍び込んで来たりという話なんだけど……。


「あとは〜きゅっ!」


光希みつき、いい加減にしなさい」


 首根っこを掴み、お姉ちゃんを僕から引き剥がしたのは本物の・・・お姉ちゃんだった。


 光希ちゃんはお姉ちゃんの親友で、小さい頃からよくおうちに遊びに来たりお泊りしている。

 一人っ子で弟が欲しかったらしく、僕を弟のように接して来るけど愛情表現がちょっとおかしい。

 あとお姉ちゃんって言わないと面倒臭い。


「やーん、あいちゃん。しゅーちゃんの独り占めはダメだよー」


「はぁ……ごめんなさいね、花菱さん。この子の言ってることは気にしなくていいから」


「は……はい。あの、ひまりで大丈夫です。生徒会長さん」


「そう、私も愛香でいいわよ」


 事情を訊くとやっぱりお姉ちゃんもおばあちゃんに頼まれたらしく、光希ちゃんを連れて一足先にお店に着いていたようだった。

 さっきまで厨房で料理の具体的な改善点について話し合っていたとのこと。


「それでパンケーキはどんな感じかしら?」


「はいっ、とっても美味しいです! ただ少し気になるところがありました」


「見せてもらってもいいかしら」


 ひまりは僕のところにある感想を書いたひまりの紙をお姉ちゃんに渡した。

 お姉ちゃんがそれに目を通す。


「ひまり……あなた……」


 何を言われるのか。その一瞬、ひまりは固唾を呑んでいた。


「なかなかやるわね。微妙な甘みの加減や食感に対しての具体的な改善方法もよく書けてるわ。普段から料理をしていることと、確かな舌を持っていないとここまでは至らないでしょうね」


「あ、ありがとうございます……」


「ひまり……凄い……」


「わー、ひまちゃんすごーい」


 お姉ちゃんが褒めるレベルってだけでどれだけ凄いことなのか、僕と光希ちゃんにはよく分かっていた。

 やっぱりひまりを連れて来たのは正解だったみたいだ。


「どうかしら、よかったら厨房に入って一緒に作ってみない?」


「え!? いいんですか!?」


「珠紀さん、問題ないわよね?」


「ええ、もちろん」


 そうしてひまりはお姉ちゃんたちと厨房に入っていった。

 ひまりの楽しそうな声が聞こえてきて、僕も嬉しい気持ちになった。


 テーブルの向かいにある僕の紙を確認する。そこには女の子らしい可愛い字で、妙なことが書かれているのに気がついた。


『ちょっと照れ臭そうに、あーんと言いながら差し出されたいちごが乗ったパンケーキは、とっても甘酸っぱくて美味しかったです。もしかすると隠し味のスパイスは”カンセツシュークン“でしょうか。この隠し味は隠さないでふんだんに入れると、より良い仕上りになることでしょう。ひとまずは、このパンケーキのリピートを所望しょもうします』


 料理が得意じゃない僕はそのスパイスが何なのかよくわからなかったけど、たった一口で隠し味まで見抜いちゃうなんて、ひまりはやっぱり凄いと思った。


 そのあとはひまりたちが作ったパンケーキをみんなでワイワイと食べた。


 ただ光希ちゃん……僕もうお腹いっぱいだからフォーク差し出して来ないで……ひまり……何だか目が怖いよ……。


 終盤ではお姉ちゃんが事業計画書に目を通して原価率がどうのこうの、損益分岐点がどうのこうの、客単価が、レイアウトが、マーケティングが、いろいろアドバイスしててもはや試食会じゃなくてコンサルの打ち合わせみたいになっていた。


 僕にはこのお店が繁盛する未来しか見えなかった。


 *****


「ひまり、今日はありがとう」


 僕たちはお店を出て歩き出す。


「うん、とっても楽しかったよ! こちらこそありがとっ!」


 ひまりがニコッと満面の笑みを浮かべた。

 そう思ったら何か忘れていたことを思い出したようで、立ち止まるとその表情はころっと変わる。


「あ!? 修くん!」


「え!? なに!?」


「パンケーキ全然食べさせて・・・・・もらってないよ」


 そういえばあの一口だけだった。

 さすがにお姉ちゃんたちの前であーんはできないからだ。


「具体的にどれくらいやればいいの?」


「いっぱい」


「答えになってないよひまり……」


「だからね……また連れてってね?」


「うん」


 ひまりが左手の小指を差し出してくる。

 どうやら指切りげんまんで約束をしたいらしい。

 僕も左手の小指を差し出して組もうとしたら、ひまりがおかしな指摘をしてくる。


「そっちじゃないよ? 右手の小指」


「え? こっち?」


 言われた通り右手の小指を出したけど、これじゃ組み方がおかしいよ?


 ひまりは元気な声で定番の文言を口にする。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーますっ」


 すると最後のセリフは言わず、小指を組んだまま歩き出した。

 こちらに首を傾げて告げてくる。


「今日はバイバイするまで……指切らないから……ね?」


「……うん」


 僕たちは小指だけを繋いで帰り道を歩く。


 僕の心臓の鼓動は速くなっていた。

 それは行きに手を繋いだときよりもずっとずっと、僕の胸を打ち続けていた。

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