第23話「粛正②」※士道
カメラの画角を確認するため、小さな画面に映る二人の姿を見る。
一人は道着越しにも分かるほど抜群のスタイルで格闘技とはまさに無縁、白い花が咲いているかのように立つ美しい女。
一人は鍛えられた肉体で威圧感を放ち、あらゆるものを寄せ付けない空気を纏いながら、相手を睨みつける男。
まさに正反対と呼ぶに
その光景は異様だった。
そしてすぐに異変が起こる。
試合が始まったのに、道場内は物音一つ聞こえてこない。
耳に入ってくるのは自身の息遣いのみ。
おかしい。
普通の試合であったなら間合いをはかっているということも考えられるが、ハンデをもらっている姉さんが動かないのは時間を無駄に浪費し、どんどん不利になっていくのは明らかだった。
それなのに姉さんは構えたまま動かない。
道場に掛けられたアナログ時計を見る。
秒針が10回ほど振れたところで、不審に思った渋谷が口を開いた。
「どうした? かかってこないのか?」
姉さんは“それはこっちのセリフだ”と言わんばかりの呆れ顔で渋谷の問いに返した。
「何を言っているのかしら。
渋谷の血管が切れる音が聞こえたような気がした。
踏み込みながら「そんなもんいらねぇよ!」という怒号と共に一気に間合いを詰め、渋谷が右の突きを繰り出す。
「あらそう」
そう言って姉さんが繰り出された鋭い突きを左手でいとも
そこから流れるように体を右に傾け、姉さんの左脚がしなやかに持ち上がる。
左の上段蹴りが繰り出されるであろう予備動作。
避けるにしては間合いを詰め過ぎている。
危険を察知した渋谷は右手を引き戻してガードの体勢に入ろうとした。
ガードは間に合う。
格闘技をやっている者なら誰もがそう判断したであろうその時──姉さんの足は振り切れていた。
それは振るったムチの先端が遅れて急速に加速したかのようだった。
パンッ!!
皮膚と皮膚が打ち付け合う鈍い音が鳴り響く。
その響きは姉さんの足先が渋谷の顎を通過したあとの余韻だった。
女王のムチと呼ぶに相応しいその一振りは脳を揺らし、渋谷の意識を一瞬にして調教する。
鋭い眼光はすぐ様失われ、マットに背中を打ち付けるように倒れ込んだ。
ポトッと音がして何かが転がってきた。
それは渋谷が付けていたマウスピースだった。
礼をして坂本先生が試合の終了を告げる。
この結末に驚愕していたのは俺だけだった。
坂本先生はまるで結果が分かっていたかのように、驚きの仕草や表情は一切ない。
渋谷は決して手を抜いていた訳じゃない。
姉さんの動作からガードに転じるまでの反応速度も悪くなかった。
だが、渋谷は間に合わなかった。
俺だったら間に合ったか?
考えるまでもなかった。
ガキの頃から空手をやってきて、こんな華麗な一撃を生で見たことは一度もない。
今すぐにでもカメラを止めて、もう一度さっきのシーンを確認したいという衝動に駆られた。
その時、俺は片手で持っていたビデオカメラが震えているのに気が付いた。
ブレないように両手で必死に抑えようとする。
しかし試合はもう終わっているから意味がない。
時間にして20秒くらいだっただろうか。
そして姉さんが倒れた渋谷に近付き、右手を伸ばした時──
「師範! も……もう勘弁してやって下さい!」
唐突にそう叫んだのは坂本先生だった。
倒れた渋谷に追撃すると思って止めに入ったのだろう。
そしてこの時、二人の関係性がはっきりと分かった。
あの職員室での違和感はこういうことだったのか。
「何もしないわよ。あと学校でその名で呼ばないで」
「は……はい……すみま……すまん」
姉さんは渋谷の懐に手を差し込んで退学届を抜き取り、ビリビリと破きながらゴミを見るような目で言い放つ。
「大したことないのね。これならまだ修の方がいい動きするわよ」
踵を返した姉さんは俺の方に歩きながら破いた紙を懐にしまい、一枚の小さなメモ用紙を取り出して俺に渡して来た。
「吉田くん、今日は付き合ってくれてありがとう。あなたがもっと高みを目指したいなら、ここに来なさい」
「は……はい」
引き換えるように持っていたビデオカメラを渡すと、姉さんは坂本先生に指示を出した。
「保健室の先生を呼んでくるわ。呼吸を常に確認して動かさないように。異変が起きたり5分経っても意識が戻らないようなら、すぐに救急車を呼びなさい。責任は私が取る。あとは任せるわ」
そうして姉さんは去って行った。
坂本先生と渋谷の容体を確認する。
外傷は全くなかった。
呼吸もしっかりしている。
意識だけが狩られ、ただ失神しているだけ。
直に目を覚ますだろう。
ただし目を覚ました時、渋谷はどう思うだろうか。
自尊心の塊のようなこの男が、自分の最も得意とする分野で、格下だと勝手に決めつけた女に、ハンデを付けられ、それを断り、一撃でやられ、大したことないと言われ、その瞬間を映像として記録されているという事実。
それを受け止めることが出来るだろうか。
この時、俺は気づいた。
渋谷は潰されたのだ。
“プライドを”
改めて姉さんに戦慄すると共に、姉さんの心配をしていた自分は馬鹿だったのだと気付いた。
今になって思えば、坂本先生は姉さんではなく渋谷の心配をしていただけだけだったのだ。
俺はその場に座り込み、横になっている渋谷が目覚めるまでの1分間、ただジッと見つめていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちなみに……渋谷の嘘の真相
中学2年の2月14日のバレンタインデー。
男子全員がソワソワと足が地に着かない中、渋谷は計画を実行するために修司と会話を始めた。
「修司は誰かにチョコ貰ったか?」
「う……ううん、まだ……その……貰ってないよ」
分かりやすい奴だな。
ソワソワし過ぎだろ。
「そっか。家に帰ったら姉ちゃんとかに貰えたりするのか?」
「うん、多分」
「へぇ〜。お前の姉ちゃんって親父とかにもチョコあげたりするのか? ほら、これぐらいの年頃って反抗期でパパ嫌いっていうのあるだろ?」
「あ……その、うちお父さん居ないんだよね」
知ってるけどな。
ここで俺はあのワードを強調して言う。
「あ〜、そっかそっかわりぃ。お前の
「そのツンデレってなぁに?」
よし、やっぱり
ここからはオーバーリアクションで行こうか。
「え? お前……そんなことも知らないのか!?」
「う……うん」
ここで俺はあたかも事実かのように嘘っぱちを吹き込む。
「いいか? 修司、ツンデレってのはな? 強くて優しいって意味なんだぜ? お前、親父や姉ちゃんみたいに強くて優しいの好きだろ?」
「うん。そういう意味だったんだ。強くて優しいのは大好きだよ」
「だろ? お前の母ちゃんも親父のことそんな風に言ってただろ?」
「確かに言ってたような……あれ? どうしてお母さんが言ってたって知ってるの?」
俺が怪我して入院してた時、たまたま相部屋でお前たちの会話を聞いてたからな。
こいつはちっとも気付いてないようだったが。
「はぁ?? お前が自分で言ってたんじゃねぇか。まぁ〜仕方ねぇか、親父のこと記憶喪失しちまうくらいだからな」
「え!? ど、どうしてそのこと知ってるの!?」
修司が動揺の表情を浮かべた。
まるで自分の性癖が他人に知られていたかのように。
ここで俺は畳み掛ける。
「だ・か・ら!!
もちろん修司からそんな話聞いてねーけどな。
こいつ、また記憶喪失したって言えば自分で言ったって何でも信じるんじゃねぇか?
こりゃおもしれーな。
ただやり過ぎはダメだ。
姉ちゃんにバレたら終わるからな。
これっきりだ。
「ど、どうしよう……病気のことは絶対誰にも言わないようにってお姉ちゃんに口酸っぱく言われてたのに……怒られちゃうよ……」
だろうな。
こんなおもしれー話を誰も話題にしねーから、そういうことだと思ったぜ。
修司は顔が青ざめて身震いしている。
ここで俺は悪魔のささやきをする。
「そんなん言わなきゃバレねーって。俺が黙っててやるよ」
「ホント!? ありがとう!」
あぁ、黙っててやるよ。
「あぁ、その代わりっつったら何だが……この話、ツンデレの話は絶対に姉ちゃんには言うなよ? いいか? 絶対だからな?」
この話をお前が姉ちゃんに言わない限りはな。
「う……うん!」
完璧だ。
姉ちゃんに怒られることに意識が行ってるあまり、秘密にする理由すら聞いて来なかったな。
正直ここまでうまくいくとは思ってなかったぜ。
あとは掛川だが、あっちは軽く噂を聞いたって言うだけで問題ない。
修司の話なら簡単に食いつくからな。
こうして渋谷は修司にツンデレの意味を誤解させ、遥に「修司はツンデレが好き」という噂を聞いたと吹き込むのだった。
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