第22話「粛正①」※士道

 俺は姉さんから急に呼び出され、ある頼み事をされた。

「対外試合をするから空手道場に渋谷を連れて来て欲しい」と。


 その際に何故か姉さんの存在は渋谷に知られないようにと言われ、“自主練をしたい”という自然な理由で誘うようにと付け加えられた。


 先週の金曜日に顧問の坂本先生から、用事があるから今日は部活は休みにすると言われたはずだった。

 だが何故かこの場に坂本先生は居る。


 用事とはこの事だったのか?

 そしてこの場には他の部員は居ない。


 本当に対外試合が目的であるなら、こんなコソコソする必要はないはず。

 何か聞かれてまずいことでもあるのだろうか。

 俺が聞いてていい話なのか疑問ではあるが、姉さんから出て行くように言われない限りはここに居ようと思う。


「……さぁ?」


 姉さんから呼び出しの理由について訊かれた渋谷は首を傾げて答える。


「あなたよね? 修に変なこと吹き込んだの」


「何のことだ?」


「聞いたわよ? 修から」


 そう言えば修司と弁当を食ってた時、渋谷と中学が同じだとか言ってたな。

 ということはやはり渋谷は修司に何かしたということか。


「あいつの勘違いじゃねぇのか? ほら、あいつあるだろ?」


「何故そのことを知ってるのかしらね」


「いやいや、修司から聞いたんだって」


「私もそこが気掛かりだったわ。あれだけ私が口止めしたのに、修が本当に自分で言ったのかって。でも違うでしょ?」


「……いいや? 違わねぇよ」


「あなたあそこに居たのよね? 


「……」


「そこで私達の会話を聞いて、病気のことを知って利用した。そうよね?」


「……」


 修司が病気?

 俺も今まで気づかなかったことに驚いた。

 修司も言わないし聞かれたくないことなのだろう。


 俺はこの話は修司にも言わず、墓場まで持っていくことを決めた。


 渋谷は姉さんの問いに対して何も言わない。

 もはや沈黙が肯定を語っていた。

 だが渋谷はまだ口では認めようとしない。


「仮に俺が吹き込んだとして、俺に何のメリットがあるんだ? 修司を困らせたいなら病気のことを拡散した方がよっぽど効率的だろ?」


「私も最初は動機が分からなかったわ。何でこんな回りくどいことをするのかって。でもあなた、私に知られるのを懸念して遥にしか噂のことを言わなかったから、すぐに意図が分かったわ」


「どうして掛川にしか噂を流してないって決めつけてんだ? 他にも知ってる奴が居るかもしんねぇだろ?」


「有り得ないわね。当時のクラス全員に確認したわ。遥から直接聞いたのが1人居ただけだった。それと当時、遥に言い寄ってたのは誰かも訊いたわ。すぐにあなたの名前が出て来た。二人の仲違いを目的にこんなことをしたんでしょ?」


 二人の会話を整理するとこんな感じか。

 掛川に想いを寄せていた渋谷が修司と掛川を仲違いさせるため、修司の病気を利用して何か吹き込み、掛川にそれに関する噂を流した。ということか。


 渋谷の顔がだんだんと歪む。

 それは焦りの顔ではない。

 笑いを堪えるのに必死な、そんな顔だった。


「……ぶっ……ぶはははははは!」


 とうとう堪えきれなくなって腹を抱えて噴き出す。

 そんな渋谷を姉さんは冷めた目で見ていた。


 渋谷は開き直って急に饒舌じょうぜつになる。


「は〜、そうだよ、俺だよ。今更こんなこと言われるなんて思ってもみなかったぜ。あいつ今頃気付いたのか? 馬鹿過ぎんだろ」


「最初は笑けたわ。でもあいつ全然気づかねぇでやんの。さすがに俺も飽きてどうでも良くなってすっかり忘れてたわ」


「それで今になってお姉ちゃまがいちゃもんつけてきたと? キモ過ぎんだよ」


「それじゃあ、今は掛川は傷心中ってことか? 何だよ早く言ってくれよ。そしたらすぐにでも俺が慰めに行ってやったのにさぁ」


 俺もダチがこんだけ悪く言われてかなり腹に来ていたが、姉さんの邪魔をしてはいけないと何とか堪えた。


 しかし渋谷は何故こんなに姉さんに強気でいられるのか。

 渋谷も今の姉さんの立場を知らない訳ではないだろう。

 話を聞く限り姉さんを恐れて姑息な事をやっていたのではなかったのか?


 姉さんは渋谷の挑発に至って冷静な様子で返す。


「それは無駄だと思うわよ?」


「……なに?」


「遥はあなたのこと覚えてすらいなかったわ。あなた、はなから遥の眼中にないのよ。今更あなたが話しかけたところで、急に現れたモブにしか見えないでしょうね」


「〜っ!?」


 渋谷は不快感をあらわにする。

 渋谷とはまだ1年間の付き合いだが、かなりプライドが高い男だ。


 自分が有象無象の存在だと言われて腹を立てないはずがないだろう。


 姉さんもまるでそれを分かってるかのように挑発していた。

 それを受けて、渋谷は何か踏ん切りをつけたような態度を取った。


「はっ! もういいわ。とりあえず俺は病気のことも含めて全部バラすことにするわ。言っとくが、約束を破ったのは修司の方だぜ? ま、どうしても黙ってて欲しいってんなら……分かるだろ?」


 渋谷が不敵な笑みを浮かべる。

 強気でいられたのは、修司の隠している病気をネタに姉さんを脅せるからだったのか。


「まぁ、そう言ってくるでしょうね」


 どうやら姉さんも想定していたらしい。

 しかしこれからどうするのか。


 何も手を出さなくても、土下座して頼み込んだとしても、どうしたって弱みを握られてるこの状況を打開するにはかなり厳しいのではないだろうか。


 最悪このネタで渋谷は付け上がることになり、簡単に立場が逆転することにもなりかねない。


 すると姉さんは懐から三つ折りになった紙を取り出し、渋谷に手渡す。


 渋谷はいぶかしげな表情でその紙を広げ、眉をひそめた。


「……これは一体なんだ?」


「見たまんま、退学届よ。


 姉さんの退学届?

 それを渋谷に? 

 一体姉さんは何を考えているんだ?


「私もあと1年で卒業すると言っても、私みたいなのが学校で顔を利かせているのは気に食わないわよね? あなたが勝ったら今すぐにでも退学してあげるわ」


「……それで? あんたが勝ったら俺は退学しろってか? ふざけんなよ。誰がそんな勝負受けるかよ」


「いいえ? あなたは例え負けても退学しなくていいわ。それどころかあなたにデメリットは一切ないわね」


「じゃあどうしろって?」


「あなたが負けたら修に関して知り得た全ての情報を口外しない。ただそれだけよ」


「……いいぜ? その勝負乗ってやるよ。それで? 勝負の内容は?」


 渋谷は退学届を元通りに折って懐にしまった。

 渋谷みたいにプライドが高く、姉さんを鬱陶うっとうしく思ってる奴は一定数いるだろう。


 そんな姉さんをノーリスクで退学させられるチャンスがあるなら、もはや受けない理由はない。

 そしてこの場、この格好で居るということはおのずと勝負の内容は限られる。

 俺は正直それを聞きたくなかった。


「ルールはフルコンタクトの一本勝負でどうかしら」


 それはあまりにも無謀だと思った。

 より実戦に近く、メンホーなど頭部をガードする防具も装着しない。


 武術において力の差はかなりのアドバンテージを持つ。

 姉さんの体型を見てもその差は歴然だった。


 そして相手は渋谷。

 優勝した早乙女に負けはしたが、空手において天賦の才を持っている。


 姉さんは確実に負ける。

 だから俺は決意した。


 今度は俺が渋谷に勝負を挑んで、姉さんの退学を取り消してもらおうと。

 姉さんには感謝している。

 ここで俺が恩を返す番なのだと思った。


 もしかして、姉さんは俺がそういう行動を取るのが分かっててこの場に呼んだのではないだろうか。


「本当にそれでいいのか? 俺は構わねぇが……ハンデはどうする?」


 そこで渋谷はハンデを付けると言い出した。

 相手は女。

 性別としてどうしても埋められないその差に、ハンデを与えてやらないとフェアじゃないとでも思ったのだろう。

 こういうところからも渋谷の男としてのプライドの高さがうかがえる。


 これならもしかしたら姉さんにもほんの少しは勝ち目があるかもしれない。


「そうね。1分間は攻めないというのはどうかしら」


「いいぜ。ハンデとしては丁度いい」


 姉さんもハンデの提案に同意した。

 もしプライドの高い人がハンデを付けると言われたら、舐められてると思って不快に思うだろう。


 姉さんにそんな素振りは全くなかった。

 修司の秘密を守るため、退学まで掛けて挑むのだ。

 なりふり構ってはいられないのだろう。


 そうして二人は細かいルールの確認をしたあと、マウスピースなど最低限の防具を装着し始める。

 このやり取りに対して一切何も言わない坂本先生を見た。


 顔が青ざめ、震えた手でビデオカメラを持っている。

 形式上は対外試合ということだが、坂本先生は何故止めないのだろうか。


 これで姉さんが退学になったら、坂本先生にも責任の追及がいくことになるかもしれないが、それを自覚して恐怖しているのかもしれない。


「すまん士道……これを頼む」


 俺はビデオカメラを受け取り、坂本先生は審判として二人の間に立つ。


 渋谷は俺の手元をチラッと見てから言った。


「おい士道、ちゃんと俺のカッコいい姿を撮っといてくれよ?」


「……あぁ」


 礼をして坂本先生の合図で試合が始まった。

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