第20話「決意」※愛香

 4年前──父が亡くなり葬儀が終わったあと。


 修が目を覚ました。

 そう母から聞いた私は、学校を早退して急いで病院に向かう。


 病院に到着し、面会受付で名前を書いたがいつもより雑な字。

 すぐにエレベーターに乗り込み、3階のボタンを押してから閉ボタンを押す。


 閉ボタンを押してから3階のボタンを押した方が良かったんじゃないのか。

 そんな数秒の時間さえ惜しく感じた。


 上部の階ランプを見つめる。

 たった2階分あがるのはこんなに遅かっただろうか。

 階段の方が早かったんじゃないのか。

 後悔してももう遅い。


 エレベーターを降り、焦る気持ちを抑えながら廊下を早足で歩く。


 修の病室が見えた。

 扉には何やら張り紙がされているが、書かれている内容は全く頭に入って来ない。

 ノックもせず扉に手をかけて横に引いた。


 ガラガラガンッ!


 気持ちを落ち着かせてから扉を開くんだっ

 た。

『ブレーキ故障中。ゆっくりと扉の開け閉めをお願いします』

 張り紙にはそう書かれていた。


 気付いた時には後の祭り。

 縦枠に扉が当たり、その音は病室に響いた。


「大きな音を立ててすみません。それとこれから面会で少し騒がしくなるかも知れません」


「あっ、はい。全然大丈夫ですよ」


 相部屋で同室の人に謝罪と了承を得て、ゆっくりと扉を閉めてから奥のベッドに居る修のところに向かう。

 奥に近づくに連れて胸の高鳴りが大きくなる。


 カーテンで仕切られててまだその表情は見えない。

 その手前には母の影があり、修と話をしているようだった。


 カーテンを通り過ぎて、修の姿が見える。


 心音はすっと鳴りを潜めた。

 生きている。


「あっ、お姉ちゃん」


「修……」


 奥側の空いてる椅子に座り、修の手を握る。


「良かった……」


 生きている。


「うん、ごめんね。でも体はなんともないから明日には退院出来るって」


「そう……」


 生きている。


 このまま目を覚まさないんじゃないかと思ってた。

 あの時の父のように。


 父は死んでしまった。


 私の目の前で。


 私はあの時、見ていた。

 父が修を護ったその背中を。


 父の隣で、ただ見ていた。

 見ていることしか出来なかった。


 悔しかった。

 あの時、私にも何か出来たんじゃないか。

 もし私が父を引っ張っていたら、助かったんじゃないのか。


 もっと周囲に気を配っていたら、事故を回避出来たんじゃないのか。


 日々募るのは後悔の念。

 そんな父が命がけで護った修も居なくなってしまうんじゃないか。

 恐怖でしかなかった。


 でも修は生きている。


 手に伝わる温もりを噛みしめる。

 父の護ったものはここにある。

 そう安堵あんどしてすぐだった。


 修が記憶喪失になったと分かったのは。


 いろいろと複雑だった。

 修にとってあの事故の光景は一生トラウマになってもおかしくない。


 側で見ていた私には痛いほど分かった。

 それを思い出さなくていいのは、良かったのではないかと思ってしまう。


 でも修が父のことをちゃんと思い出せない、父のことを共有できないのは、私と母にとって辛くなってくるだろう。


 そして今後のこと。

 修の壊れてしまった心は元に戻るのだろうか。


 もしまたショックなことが起こった時、また忘れてしまうのだろうか。


 母のことも私のことも、分からなくなってしまうのだろうか。


 そうして修はいずれ、何も分からなくなってしまうのだろうか。


 怖かった。

 ただただ怖かった。


 じゃあ私に出来ることはなに?

 必死に考えた。

 まだ中学2年生になったばかりの非力な女。


 父と母の教育を受けてると言ってもまだまだひよっこだ。

 何もできない、無力だ。


 修が誰かに暴力を受けたら?

 学校でイジメられたら?

 この間の事故と同じようなことが目の前で起きたら?


 今後、修を護っていくにはどうしたらいい?


 私はその時、決意した。

 力をつけよう。


 修を護れるように力をつけようと。

 父が護ってきた家族を護ろうと。

 父の想いを背負って生きていこうと。


 勉強もスポーツも死ぬ気でやろう。

 修を護れるように鍛えよう。

 影響力のある地位を手に入れよう。

 得た人脈は最大限に活用しよう。

 得られる有益な情報は全て頭に叩き込もう。


 父の指導を忘れないようにしよう。


 だけどいつも私が側に居てあげられる訳じゃない。

 だから『修の後ろには私が居る』そう周りに思い知らせる必要がある。

 それで私がどう思われようが構わない。


 *****


 そうしてあの日から、私は自分の体に鞭を打ち、血の滲むような努力をしてきた。


 もう大丈夫だろう。

 これで家族を護れるだろう。


 そう思っていた矢先のことだった。


 修にまた同じことが起きたのは。

 どこかで油断したのかも知れない。


 やったのはどこの誰が。


 そこに居たのは遥だった。

 信じられなかった。

 どうして遥が。


 すぐに事情を訊こうと思った。

 でも遥にはずっと隠してきたことがある。

 一方的に事情を訊いておいて、修と1ヶ月間も会うなというのは虫が良すぎるだろう。


 自分なりに仮説を立ててみた。

 修には家庭の事情は詳しく話してはいないが、うちは貧しい家庭ではない。

 修は片親であるという先入観から勘違いしてるかも知れないが。


 だから修が欲しい物があるからアルバイトをしたいと言ってきた時、どうしようかと思ったが、母と相談した結果、修の社会性を身に付けるために許可を出した。


 そうしてアルバイトをして購入したのが、あのプレゼントだろう。

 そしてホワイトデーに遥にそのプレゼントを渡す時に、何かが起きた。


 遥が何かしたと言ってたから、遥に酷い振られ方でもしたのかと一瞬考えたが、あの遥の様子からしてそんな素振りは微塵みじんもなく、結局答えが見つからないまま保留となった。


 *****


 修には事情を伝えた場合、何かの拍子に遥に近づくことになり発作が起きる可能性もあったから、何も言わないようにした。


 その代わり修に精神的負担が掛からないよう、いつも以上にサポートしていこうと決めた。


 そんな時、修にちょっかいを出すのが現れた。

 どうしてこんな時に。

 何か起きたらどう責任を取るつもりなのか。


 本来だったら修自身の力で問題を解決するのが望ましいところだが、今はそんなことを言っていられる状況じゃない。


 同じクラスで常にストレスに晒され、遥のことも重なり症状が悪化してしまうのではないのか。


 ただ相手にも言い分はあるだろうし、修の状況なんて知らない。

 一言謝罪ができる人間性を持ってるなら許そうと思う。


 ただ私もまだまだ舐められてるのかしらね。

 修に手を出したらどうなるか、はっきり言っておくとしよう。


 *****


 そうして1ヶ月が経ち、遥から事情を訊く。

 遥の口からは想像だにしない答えが返ってきた。


 意味が分からない。思考が追いつかない。


 私はあくまでも修の後ろに立ち護ること。

 もしも修が危険な目にい、修が自分の力でどうしようもなくなった時だけ私が前に出る。


 だから必要以上に干渉しないし、ましてや相手は遥。

 全く問題になると思ってもいなかった。


 それがいつの間にそんなおかしなことになっていたのか。


 修から事情を訊く。

 修は何故そんな勘違いをしているのか。

 隠し事をしていたから全て吐かせる。


 隠したかった気持ちも勘違いした経緯も分かった。

 だが動機が分からない。

 そして本当に修は自分で言ってしまったのだろうか。


 美里にスマホで質問を送る。

 その回答が返って来た時、それはほぼ確信に変わる。


 追加で確認の依頼をして、母と話して今までの状況を整理してようやく一つの答えに辿りついた。


 許さない。

 絶対に許さない。


 私達の思い出を土足で踏みにじったあいつは。


 ここで少し冷静になり考える。

 責任の一端が自分にもあることを自覚して消去することを踏みとどまった。


 だが知ってしまった以上は感づかれる前に早急に処理しなければならない。


 方向性はさだまった。


 それじゃあ、粛正しゅくせいしましょうか。

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