第18話「喪失と真相」※愛香

★前書き★

セルフレイティングに”残酷描写有り“を追加しました。

以前からフォローして下さってる方はご注意下さい。


また、今話では具体的な病名が出て来ますが、実際の症状とは異なる場合がございます。

フィクションとしてお楽しみ下さい。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 遥から事情を訊いた私は、状況を整理するためにしばらく思考した。


 何かがおかしい。


 遥が言うのだから、修からツンデレが大好きという言葉が出たのは紛れもない事実だろう。


 しかし何故? あの子がツンデレ好き?


 思考の時間を稼ぐように、水の入った小さなグラスをゆっくりと口元へ運ぶ。

 答えが見つからず、ここで一旦考えを打ち切った。


「私の方から修に訊いてみるわ」


「……うん」


 私はこの話を聞いてずっと疑問だったことへの答え合わせをするように、遥に問い掛けた。


「遥、もしかしてそれが知られるのが嫌でずっとうちに遊びに来なかったの?」


「う……うん。だって修ちゃんが内緒って言ってたから。いま言っちゃったけど……」


「はぁ……まったく」


 遥の状況は分かった。

 だからこちらも遥にずっと隠してきたことを伝える。

 

 本当だったらこれは遥に話すつもりはなかった。

 遥は修のこととなると人一倍心を痛めてしまうから。


「遥、あなたが中学1年生の時に私の父が亡くなったのは覚えてるかしら」


「うん……お家に行った時にもよく会ってたから……びっくりした」


「あの時からね……修は病気なのよ」


「え!?」


 事実を知って驚く遥。

 当然だろう。

 見た目では全く分からないのだから。


「ある休日の日だったわ──」


 私は父のことを語った。


 *****


 家のソファでゴロンと寝転がっている父。

 そこに修がやって来て、肩をぐいぐいと引っ張る。


「ねぇお父さん、サッカーしに行こうよ!」


「〜ったくしょうがねぇ〜なぁ〜」


 父は言葉では嫌そうに言うも、その顔は微笑んでいて楽しみを隠すような表情をする。


「父さん、顔がニヤけてて気持ち悪いわ」


「う……うるさいなぁ〜。愛香は反抗期か?」


「違うわよ。修と遊びたいって素直に言えばいいのに」


「そ、そんなんじゃないぞ」


 図星を突かれたのか父は顔を赤くする。

 そんな表情の父を気にする素振りもなく修は父の手を引いた。


「お父さん、早く行こ!」


 修は、不器用だけど強くて優しい父のことを父親としてもしたう一方で、どこか親友のような距離感でいつも仲良くしていた。


 そしていつもの道、いつものように大きな公園へ向かって、父がプレゼントしたサッカーボールを持って歩く修と父。


 雲一つない青空に淡いピンクの花があちこちに咲き誇り、それを見ながら修は最近の出来事を楽しそうに話す。


 父もそんな修を見て、今度は隠し切れないほどの満面の笑みを浮かべて会話をしていた。


 何気ない、けど幸せな風景だった。


 しかし公園に差し掛かる手前、修が歩行者用の信号機を押して青になるのを待っていた時、それは一瞬にして起こる。


「修!!」


「え!?」


 修は突然声を荒げた父に道路側に突き飛ばされる。

 転んで怪我をすることや車が来て危険であるかなんて考えていないかのように、力強く。


 突然の出来事に動揺する暇もない程すぐに『ドッドンッグチャ!!』というけたたましい音と共に赤色の液体が修に飛び散る。


 パラパラとガラス片が崩れ落ち、鉄の焼け焦げた匂いが鼻を刺した。


 修の目の前には肉片となった父の姿。


 運転操作を誤ったトラックが、父をき電柱に押し潰したあと。


 誰が見ても分かる、即死だった。


 修はきっと見ていた。

 

 自分が本来立っていた電柱の側に父が入れ替わり、変わり果てるその瞬間を。


 大好きだった父の顔が潰れていくその様を。


 声すら上げられずに、ただその場に座り込む。

 その肉片から流れ出る赤い海が修を侵食していく。

 修はこの時こう思っていただろう。


『僕がお父さんを連れて来なければ。僕がサッカーに誘わなければ』


 持っていたボールに強い後悔をあらわにした時……修の心は壊れ、意識を失った。


 それは急激なストレスを処理しきれずに、ストレスを遮断しゃだんするために脳がとった防衛反応だった。


 目を覚ましたのは父の葬儀が終わったあと。

 しかし様子がおかしい、何もなかったかのように話し始めたのが。


 しばらく会話をしてあることが発覚する。

 父への感情に関する記憶がなくなっていた。


 事故の記憶は完全に喪失し、その事故にった時に強い結びつきがあったボールには、取り乱すほどの拒絶反応を示した。


 精神科で診てもらった結果、解離性健忘かいりせいけんぼうーー限局性健忘と系統的健忘の併発へいはつであると診断を受ける。


 あれから修は父のことは分かるが、こちらから話題を振らないと一切考えることをせず、父と過ごして楽しかった、嬉しかった、悲しかった、寂しかったなど全ての感情が失われていた。


 事故当時持っていたボールに拒絶反応を示していた症状は、1ヶ月経った時に治まったものの、父からプレゼントされたという記憶は戻ることはなかった。


 主治医と今後について相談した結果、幸いにも修には日常生活に支障をきたすことはなかったことから、今後は修に精神的な負担がかからないように、家族がサポートしていくことで治療方針が決まった。


 *****


「これが修に起こった出来事よ」


父の死因の詳細は極力伏せて遥に伝えた。


「……」


 遥は黙ったままうつむいてしまった。

 きっとこう思っているのだろう。

 そんな修にまた同じ傷を負わせてしまったと。


 父の時と症状が同じならば、修はあのホワイトデーに起こった記憶を喪失し、関係性が強かったプレゼントに対しては拒絶反応と記憶を喪失している。


 もしかしたらプレゼント以外にもあるかも知れない。


 そして遥のことは話題を振れば思い出せるが、自らの意思で遥のことを考えること、遥への感情に関する記憶を喪失してしまっているだろう。


 だけど今回のことは遥に全て原因があった訳じゃない。


 いくら酷いことを言われたとは言っても、父の死がなければ記憶喪失になるなんてことは普通起こらないのだから。


 それがなければあのまま修に追いついて、すぐに誤解を解いて仲直りしていただろう。


「ねぇ遥? あれは持ってきたかしら?」


「……うん」


 うなずいて遥がバッグから取り出したのは、あの日、修が捨てた遥へのプレゼント。


「開けてないのね」


「……うん。修ちゃんにちゃんと貰いたい」


「そうね。私から今日修に返すわ。症状が出ないようなら連絡するから」


 そう言ってそれを私はバッグにしまう。

 すると遥は不安な様子でこちらを見つめてきた。


「修ちゃん……私のこと考えられるようになるかな……」


「……難しい質問ね」


 父が亡くなったのはもう4年も前のことだが、未だに回復の兆しは見えない。

 しかし、今回はまだ希望があることを告げる。


「父の件と遥の件で、少し条件が違うのよ」


「条件?」


「遥が生きていることよ。だから父の時よりは、回復する可能性が高いのは間違いないわ。遥に1ヶ月も接触を禁じたのは、そういった父との条件が違っていて、どんなことになるのか私にも分からなかったからよ」


 もし遥にボールの時と同じような拒絶反応が起こった時、遥を身も心も傷付けてしまう恐れがあった。


 もしかしたら1ヶ月も待つ必要はなかったのかも知れないが、絶対に取り乱した修を遥に見せる訳には行かなかったし、私も確認のためとは言えもうあんな修は見たくない。


 だから前回症状が治った時と同じ期間をしっかりと設けた。


 逆にまだ症状が治まったという保証もない訳だから、その場合は遥にはまだ我慢してもらう必要があるのだけれど。


 修の症状のことをもっと前に話していたら、遥は修に会えないこの1ヶ月間をもっと苦しく過ごしていただろう。

 だから私は今まで遥には何も言わなかった。


「遥のことだから問題ないだろうけど、一応言っておくわ。このことは誰にも……そうね。美里にはいいけど、それ以外には誰にも言わないようにね。遥が意図しなくても悪意がある人に知られたら面倒事になるから」


 身近に話を共有できる相手がいないのは辛いだろう。

 美里なら遥を支えてくれるし、信頼が置けるから問題ない。


「うん、分かった」


 修の心は壊れている。

 どんなことが症状を発症するトリガーとなるのかは誰にも分からない。


 だからもしも修に変なことをするのが現れた時には……。


「ねぇ愛香ちゃん……私は明日からどうやって修ちゃんに接したらいいのかな……」


「なるべくいつも通りでいなさい。ただし、ツンデレは禁止よ」


「うん……」


 遥は少しやつれている。

 1ヶ月間も思い悩んで食欲も湧かなかったのだろう。

 店に入ってからも水にすら手をつけていない。


 私はテーブルの左横に立て掛けられたメニュー表を取り出して遥に渡した。

 

「遥、最近ちゃんとご飯食べてないでしょ? 好きな物いくらでも頼んでいいから、しっかりと食べて明日から頑張りなさい」


「うん……愛香ちゃん。ありがとう」


 そうして遥と食事をして店を後にした。

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