第118話 魔王と教主様の日常

 ナターシャ誘拐事件から一夜明けて、朝のロームルス学園に元気いっぱいな声が響いていた。


「学校なのじゃー! 学校なのじゃー!」


 ピョンピョンと飛び跳ねながら、教室塔へ向かうウルリカ様。オリヴィア、シャルロット、ナターシャ、ヘンリー、シャルル、ベッポの六人も後ろから歩いてくる。下級クラス勢揃いの賑やかな登校風景だ。

 そしてこの日はもう一人──。


「ウルリカは朝から騒がしいっすねー」


 しれっと紛れ込む白銀の少女。アルテミア正教会の教主、アンナマリア・アルテミアである。

 なぜか一緒にいるアンナマリアを、不思議に思う下級クラスの生徒達。代表してシャルロットはアンナマリアに問いかける。


「あの……アルテミア様? どうしてワタクシ達と一緒に教室へ向かっていますの?」


「いい質問っすね! ヨグソードの監視ついでに、ウルリカの学園生活を見学にきたっす! それから……」


「それから?」


「暇だからっす!!」


「「「「「暇……」」」」」


 どうやらアンナマリアは暇だからという理由だけで、護衛もつけずに学園へと遊びにきたようだ。なんとも自由奔放な教主様である。


「お一人で歩き回られると危険です! 教会へ戻られてください!」


「大丈夫っすよ、シャルル君は堅苦しいっすね」


「教主様!」


「呼び方まで堅苦しいっす、気軽にアンナマリアと呼んでほしいっす!」


「そんな! 教主様をお名前で呼ぶなど恐れ多い!」


「……」


「あの……教主様?」


「……」


「……アルテミア様?」


「……」


「……アンナマリア様?」


「はいっす!」


 名前を呼ばれたアンナマリアはニパッと笑顔で返事をする、対するシャルルは完全にお手上げ状態だ。するとそこへウルリカ様がやってくる。


「アンナマリアは長いのじゃ! アンナでいいのじゃ!」


「アンナって……それは短すぎるっすよ」


「オリヴィアはリヴィじゃ、シャルロットはロティじゃ、ナターシャはサーシャじゃ、つまりアンナマリアはアンナじゃ!」


「どういう理屈っすか……まあアンナでもいいっすけど……」


「うむ!」


 謎の理屈でアンナマリアの呼び名を決めると、パタパタと走り去ってしまうウルリカ様。アンナマリアを上回る自由奔放な魔王様である。

 そんな下級クラス一行を、他のクラスの生徒達は遠巻きに観察していた。


「下級クラスに変な子供が混じってるぜ?」


「本当だわ、あの小さな女の子は誰かしら?」


「白銀に輝いてるな、妙に神々しい雰囲気を感じる……」


 学園では見慣れないアンナマリアの姿に、生徒達の注目が集まっているのだ。そんな中、一人の男子生徒が顔色を青くしながら口を開く。


「俺の見間違いかな……学園にいるはずのない、非常に尊いお方が見える……」


「尊いお方? もしかして下級クラスと一緒にいる女の子か?」


「あの女の子を知っているの? 知っているなら教えてほしいわ」


「あちらのお方……アルテミア正教会の教主様に見えるんだ……」


「「「「「……教主?」」」」」


 アルテミア正教会の教主といえば、貴族や王族でさえ滅多に会えない超重要人物である。そんな超重要人物が学園内をプラプラ歩いている事実に、誰も理解が追いつかない。

 そして──。


「「「「「教主様!?」」」」」


 響き渡る生徒達の大絶叫、ロームルス学園は朝から大混乱である。

 そんな大混乱を尻目に、教室塔へと向かうアンナマリアなのであった。



 ✡ ✡ ✡ ✡ ✡ ✡



 午前中の授業は終わり、教室塔三階““優雅なるお茶会教室””に下級クラスの女子生徒達が集まっていた。豪華なティーテーブルを囲んで、仲よく昼食をとっているのだ。

 芝の上ではカーミラが日向ぼっこをしている、ゆったり和やかなお昼の時間である。

 そしてもちろん──。


「このパンは私好みの味っすね! こっちの紅茶もいい感じっす!」


 もはや下級クラスの一員のように、しれっと紛れ込むアンナマリア。


「まったくアンナは食いしん坊さんじゃな、サクサク……」


「ウルリカには言われたくないっすよ……むむっ!?」


「うむ? どうしたのじゃ?」


「なんすかそれ! おいしそうなおかしっす!」


「リヴィの手作りラスクなのじゃ! 甘々のサクサクでおいしいのじゃ!」


「ラスク!? 食べたことないっす、食べたいっす!」


「ダメじゃ! これは妾のラスクなのじゃ!」


 ウルリカ様が食べていたラスクに興味津々なアンナマリア。ラスクを見つめる視線はまるで、獲物を狙う猛禽類のように鋭い。


「一つくらい分けてほしいっす!」


「ダメじゃ! 一つも分けたくないのじゃ!」


「むうぅ……こうなったら強硬手段っす!」


 そう言うとアンナマリアは、パッとその場から姿を消してしまい──。


「そうはさせぬのじゃ!」


「ぐぇっ!?」


 なんと次の瞬間、ウルリカ様までパッと姿を消してしまったではないか。

 かと思いきや、少し離れた場所に二人まとめて姿を現す。いつの間にやらウルリカ様は、馬乗りになってアンナマリアを押さえつけている。


「ふふんっ、妾に時空間魔法は通用せんのじゃ!」


「くうぅ……っ」


 どうやらアンナマリアは時空間魔法を使い、ウルリカ様からラスクを奪い取ろうとしたようだ。アルテミア正教会でナターシャやカーミラを相手に使った、時空を操る魔法の力である。

 しかしアンナマリアと同じく時空間魔法を使えるウルリカ様に、時空間魔法は通用しなかったようだ。


「ニャウゥ……」


 ウルリカ様とアンナマリアの攻防を見て、プルプルと震えあがるカーミラ。アルテミア正教会でアンナマリアに撃退されたことを思い出しているのだろう、すっかり怯えてしまっている。


「すぐに追加のラスクを作ります! お二人ともケンカしないでくださいー!」


「はぁ……ラスクのために時空間魔法なんて使わないでほしいですわ……」


「はい……まったくです……」


 大慌てで飛び出していくオリヴィア。そして残ったシャルロットとナターシャの、呆れた声が響くのだった。



 ✡ ✡ ✡ ✡ ✡ ✡



「今日も楽しかったのじゃ! やはり学校は楽しいのじゃ!」


 夕暮れ時、授業を終えた下級クラスの生徒達は寮へ帰ろうとしていた。ブンブンと両手を振り回しながら、先頭を歩くウルリカ様。相変わらず元気いっぱいである。

 一方ウルリカ様とは対照的に、暗い表情を浮かべている者がいる。


「困った……どうすればいいのだ……」


 元気のない声で呟いたのはシャルルだ。暗い表情で頭を抱え、トボトボと歩いている。


「シャルル? どうしましたの?」


「はぁ……アンナマリア様をどうしたものかと思いまして……」


 そう言うとシャルルは前方を指差す。そこにはウルリカ様と並んで歩く、アンナマリアの姿があった。

 結局この日アンナマリアは、一日中ロームルス学園に入り浸っていたのである。


「アンナマリア様には一刻も早く、アルテミア正教国へお戻りいただきたい。多くの信者がアンナマリア様の帰りを待っているはずだ。それに一人で出歩かれると、どんな危険な目にあうか分からない……」


「アルテミア正教国へ戻るよう、説得してみてはどうですの?」


「何度も説得してみました、しかしまったく聞き入れてくださらない……」


「どうしてアンナマリア様は聞き入れてくださらないのかしら?」


「『もうしばらく遊んでいたいっす!』と言われてしまいました……」


「「「「「……」」」」」


 どうやらアンナマリアは、遊びたいという理由だけでアルテミア正教国への帰国を拒否しているようだ。まったくもって自由奔放な教主様である。

 呆れてなにも言えない下級クラスの生徒達。そんな中──。


「シャルル君ー!」


 唐突に振り返り、大声をあげるアンナマリア。急に名前を呼ばれたシャルルは、ビクンッとバネのように背筋を正す。


「はい! なんでしょうかアンナマリア様!」


「シャルル君の実家はアルテミアの教会っすよね? 今日からシャルル君の実家に泊めてほしいっす!」


「はい! 分かりました!」


「ありがとうっす!」


 勢いよく頭を下げたシャルルは、そのままピタリと動きを止めてしまう。そして数秒後、勢いよくガバッと顔をあげる。


「びうぇっ!?」


 普段のシャルルからは想像もつかない、素っ頓狂な悲鳴である。反射的に返事をしてしまったシャルルは、数秒経ってようやくアンナマリアの言葉の意味を理解したのだ。


「自分の実家は小さな教会です! アンナマリア様に相応しくありません! もっと大きな教会に……いやそもそも、アルテミア正教国へ戻られるべきです!」


「大きな教会もアルテミア正教国も、神官達でいっぱいじゃないっすか。ワラワラと群がってきて息が詰まるんすよ。シャルル君の実家は小さな教会っすよね、のんびり出来そうっすでいいっすね!」


「待ってください! 待ってください!」


 ドタンッと尻もちをつき、カサカサと虫のように這い回り、アンナマリアの足元にすがりつく。錯乱したシャルルの動きは奇妙なことこの上ない。

 しかしアンナマリアはどこ吹く風といった様子である。シャルルの頭をポンポンと撫でると、ビシッと校門の方を指差す。


「さあシャルル君! 実家まで案内よろしくっす!」


「ぴえぇーっ!!」


 夕暮れに染まるロームルス学園に、シャルルの素っ頓狂な悲鳴が響き渡るのだった。

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