就活

渋谷楽

第1話 就活

                 就活


                渋谷 楽


 鏡に映ったスーツ姿の自分を見つめると、思わず苦笑いが零れた。その苦笑いにすらも気色悪さを感じてしまうのだから、首を締め付ける青色のネクタイを破り捨ててしまいたくなる。


「就活、かぁ」


 ため息が出るのも当然のことだろう。「高田時憲たかたときのり」はまだ大学生だ。地方の無名の大学で約四年間、必死に勉強に打ち込んできたが、まだ社会に出る気にはなれなかった。出来れば大学院に行き、経済学への知識を深めたかったが、家にはそんな余裕は無かった。気が付けばスーツ屋に行き、スーツはチェック柄が良いか、無地が良いかで悩んでいたのだった。


「ブラック企業だけは嫌だなあ」


 社会経験の全く無い時憲でも、そこは、そこはかとなく理不尽で、辛いことの多い職場だということはわかっていた。もう一つついたため息は決意の表れだ。一瞬目を鋭くし、短く切った髪に違和感が無いか確かめ、母の方を振り返った。


「母さん、じゃあ、そろそろ行ってくるよ」


 笑顔でそう言うと、母は、口元を抑え、えずくようにしながら答える。


「時憲、ごめんね。ごめんね……」


 そして終いには、そんなことを言いながら泣き出してしまう。きっと自分を大学院に行かせられなかったことを未だに気に病んでいるのだ。時憲は、母の優しさに目を細め、その今にも折れそうな肩に手を置いた。


「何で泣くんだよ、母さん。大学院に行けなかったこと、全然後悔してないよ。寧ろ、女手一つでここまで育ててくれたこと、感謝してるよ。ちゃんとした所に就職して、いつか母さんを楽させるから」


「……ごめんね。こんな母さんを、どうか許して」


 母には、昔からこういうところがあった。自分が会話のキャッチボールを試みても、一向に会話が成立しないのだ。まるで自分の後方目掛けて投げるように、ボールは彼方に飛んでいく……時憲は、いつか母を検診に連れていくつもりだった。少子高齢化の波によって、今では誰でも簡単に医療を受けられる時代ではなくなってしまった。


 自分がやらなければならないのだ。


 決意を新たにすると、母から手を離し、ドアノブに手をかけた。


「それじゃ、行ってきます」


「……」


 返事も無いか、苦笑いをすると、すぐに街の喧騒が耳に飛び込んでくる。


 昔も高かったビルはさらに高度を上げ、ぼろぼろだった建物は今にも崩れ落ちそうである。そんな建物の陰で、数人の若者が葉巻を持ちながらこちらを睨みつけている。彼らの頭上に表示された文字は「放浪者」だ。お似合いだ、と笑みを返してやる。


 今から何十年も前、少なくなっていく人口で生産力を保つために政府が考案した政策が、「身分表示制度」だ。自身の現在の職業や社会的地位を「身分」として頭上に表示させ、その人の将来に希望を感じたならば円やドルで「投資」をすることができる。つまり、成功している人間はさらに成功し、落ちこぼれはさらなる底辺へと落ちていく「格差強化政策」が施行されていた。


 もちろん、当初は反対の声も多くあったが、事実今の日本はそうして育てられたエリートによって支えられていると言っても過言ではない。通りすがりの「会社員」や「清掃員」を見ると、鼻で笑った。自分はもっと、上へ行くのだ。


 人混みをかき分け、何とか池袋駅前に辿り着くと、見ていると首を痛めてしまいそうな程の高層ビルが目の前に現れる。中に入ると、その背格好だけで就活生だと分かったのだろう。受付の女性に面接会場の場所を教えられた。


 ここ、O社は日本最大の投資会社だ。急速に先鋭化していく日本の思想に合わせ、柔軟に経営方針を変えてきた。生き残るのは、強い者ではなく、変化に適応できる者。岡島社長のスピーチが思い出される。


 面接の順番を迎え、ドアを叩き、少し待つと、中から「どうぞ」と声が聞こえてきた。


「失礼します!」


 お辞儀をし、顔を上げ、ドアを閉めると、ハキハキとした足取りで椅子の横に向かった。


「高田時憲です。本日は……」


 言葉が詰まってしまった。何故なら、今自分の目の前に座り手を組んでいるのは、他ならぬこの大企業のトップである岡島社長だったのだから。


「待ってたよ。高田君。さ、座ってくれたまえ」


「し、失礼します」


 開いた口が塞がらない。そんな顔だったからか、岡島社長は少し笑い、唐突に、言った。


「単刀直入に言おう。君、採用だ」


「……へ?」


 ど、どういうことですか。言い終わる前に言葉を続けられる。


「君の大学生活を書いた資料、読ませてもらった。非常に真面目で、信頼のおける人物だと確信した。向上心もある。正に理想の人材だ。是非うちに欲しい」


「……ほ、本当ですか!」


「ああ、もちろん」


 そう微笑まれた後の記憶は、時憲は持っていなかった。気分が舞い上がり、会話どころではなかったのだ。気が付くと、ドアの前に立ちお辞儀をしていた。


「失礼しました!」


「また今度ね」


 時憲がドアを閉めると、岡島は、どかっ、と背もたれに身体を預けた。


「あーあ、釣れた釣れた。この分だと大量だな」


 岡島の隣に座っている禿げ頭の男が、補足するように続ける。


「でも、驚きましたね。高田さん、まさか、親の方から実の息子を売るなんて」


 その言葉を聞くと、岡島は、ニマァ、といやらしい笑みを浮かべた。


「まあ、こんな時代だからなあ。保身に走るのもわかるよ。それに、手間暇かけて育ててきた子供が、低IQの出来損ないだと知ったら、売りたくなる気持ちもわかる。こちらとしても使い勝手のいい奴隷は何人でも欲しい。良い取引をしたよ」


「くっくっくっ、社長も悪いお人だ」


「ああ、そうだ。俺は悪い奴だ。そうしないと、この世の中では生き残れないからな」


 左手の薬指にはめた金の指輪を室内灯に照らすと、恍惚とした表情を浮かべた。


「俺は常々言っているじゃないか。最後に生き残るのは、変化に適応出来る人間だと」






 自宅に向かう時憲の足取りは軽い。今日は母に、とびっきりの良い報告が出来るからだ。


「大学生・経済学部」と表示されていた文字が、「奴隷」に切り替わった。家のドアを元気よく開けた。


「母さん! 内定もらえたよ!」


 それを聞いた母は、これまでにない程、嬉しそうに笑ったのだった。

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