第14話 屈辱
――ここでおちおちしてはいられない。区境に留まっているのは危険だわ。この先の駅まで走ろう――秀人はジョギングをしているように走り始めた。学生服なのが奇妙ではあるが。秀人が目指す駅は、約500メートル先にある。そこは東京で一二を争う乗降者数を誇る駅で、最近の再開発で日進月歩で様変わりしている。地方からの流入、外国人も多く混沌とした区域だ。駅周辺の繁華街から離れると、私立の小、中、高、大学、専門学校が存在する。
――まさか学校に入って様子を見るわけには行かないから、駅の周辺で時間を潰して、下校の様子を見てみようかしら――秀人はなるべく目立たずにいられるように、駅の構内を歩いてやり過ごそうと思った。駅に近づくにつれて賑やかになってくる。飲食店、ファストフード店、大型電気店などが姿を表す。その電気店を過ぎた右手に、東口と西口を結ぶ、歩行者用トンネルがある。秀人はある程度視察したい学校を割り出していた。アッパーエリアの学校はほとんど成績と収入で分かれていたが、その高校は低成績、低収入――低収入と言ってもそれはアッパーエリアでの、ということだが――と高成績、高収入がクラス分けされて、混在している。なのでアッパーエリアの学校の縮図が見られると思っている。その学校がこのトンネルを抜けて、駅前を外れたところにあるのだ。
トンネルはまるでタイムトンネルのようで、コンクリートむき出し、壁面にはシミ、落書き、水漏れがあり、今にも崩れ落ちそうな感がある。そこを抜けるとどこかのアジアの町並みかと見紛う風景が広がる。その街には入らずに右折して、車のための東口へ繋がる高架橋の方向へ歩いていく。その高架橋の登り始めと隣接して今度はホテル街が始まる。さすがにそこへ高校生が単独で入り込むのには気がひけるので、秀人は少し遠回りにはなるが迂回していくことにした。
その先はアジア街とホテル街の狭間で、スラム的な様相を呈したアーケードが続いている。秀人にはまだこっちの方が、ホテル街より抵抗がない。整備されていると思っていたアッパーエリアにも、ローアーエリアのような場所があることに秀人は驚いた、と同時に少し親近感が湧いた。
アーケードに足を踏み入れると、そこからは空気が変わったような気がした。天井の採光窓は汚れで曇っていて、こんな強い日差しが射す時でも薄暗く、所々にある故意に割られたであろう穴隙から漏れた光が内部に射してくるくらいだ。
商店はあるが、虫食い状態でまるで活気がない。独り学生服で歩いていても、素知らぬふりだ。
アーケードの真ん中くらいまで来た時、ごみ集積所がある左側の細い路地から急に人影が現れた。それは学生服を着た男子三人組で、前に立ちふさがり、両端の男子がそれぞれ秀人の両脇を抑え、路地に引き込んだ。
「なにすんだよ!」と声を発した途端にもうひとりの男子が口を抑えた。そのままごみ集積所の奥へ引きずり込まれる。秀人は二人に両腕を捕まれ、引き倒され、地面に押さえつけられた。残った一人、背丈は180cm位の金髪坊主。その金髪がおにぎりの海苔ののように、下膨れの大きな顔の上に乗っかっている。身体は顔の大きさと不釣り合いに細い。そいつが秀人の足元に腕を組んで仁王立ちになり、
「おまえ、下級だろ」と凄んだ。質問をしているが、答えなど必要の無いかの如く、秀人の口を塞いでいる一人の手は外さない。秀人はその手の下で唸ることしか出来ない。「よくもまぁ、こっちまで入ってきたな、えっ、この坊主!」と同時に、両腕を抑えられて、上体だけを起こされて、足を伸ばして座らせている秀人の尻を蹴り上げた。
金髪坊主は膝を折り、尻は地に付けずに両肘を、折り曲げた膝に乗せながら
「俺達がカツアゲするとでも思ってんだろ? ――お気の毒だけどな、俺達はお前なんかより金は持ってんだよ」右手で秀人の顎先をつまんだ。秀人は脚をバタつかせ睨めつける。金髪坊主が今度は秀人の膝の上に座り込んだ。「じゃあ、何のためにこんなことするかって言うとな――いたずらだよ、いじめだよ、ストレス発散だよ――おまえヒエラルキーって分かるか?」つまんでいた秀人の顎を持ち上げる「――どこに行っても、階級があるんだよ。頭の善し悪し、性格の良し悪し、金の有る無し――そして上のやつは下のやつを搾取するんだ――昔から変わらねぇんだよ!」秀人の顎を振り払った。「おい、ポケット探ってみろ」秀人の左腕だけを抑えている、黒髪坊主でレンズの下にフレームのない赤いフチを持ったメガネを掛けている男子に指図する。その男子が空いている左手で、秀人のズボンの左側の前ポケットと後ろポケットに手を突っ込み探って、ハンカチを放り出した。次に右側を探ろうとするが、秀人の腕を抑えながらだとポケットの中まで手を入れられないので、秀人の右腕と口を抑えている、茶髪にくせ毛で髭の濃い、他の二人に比べたら太り気味の男子に目配せをした。その男子が秀人を抑えていた右手を離した刹那、秀人がそいつのみぞおちに肘鉄を食らわせた。
「うっ!」と唸ると同時に秀人の口を抑えていた左手も離れた。
「助けてー!」と秀人は大声を出した、がその直後に金髪坊主に顎を殴られた。秀人は唇を切り、少し頭がふらつき、朦朧とした。その間にみぞおちの痛みが少し緩和した男子が、秀人の右ポケットに手を入れて、スマホを取り出した。
それを金髪坊主に渡し、また秀人の腕と口を抑えた。金髪坊主は秀人のスマホの電源ボタンを押した。もちろんのことロックが掛かっている。それは指紋認証だった。
「よし、じゃあ指を貸してもらおうか」抑えられている右手にスマホを近づける。「多分人差し指だろうな。出せよ」
秀人の右腕を抑えている男子が、二人羽織のように秀人の右腕を持ったまま自分の右腕を上げて差し出した。しかし秀人は右手を強く握り、拳を崩そうとしない。
「開けよ……早く!」金髪坊主が凄み、茶髪くせ毛が秀人の腕を締め上げる。それでも秀人は開かない。「よっしゃ」と金髪坊主はニヤつきながら、ズボンの右ポケットに手を入れて、ライターを取り出した。「しっかり抑えてろよ」と茶髪くせ毛に言うと、硬く握っている秀人の拳の下にライターをもってきた。秀人は右腕を激しく動かす。茶髪くせ毛は抑えきれそうにないので、
「カズキ、お前が口を抑えろ!」と秀人の左腕を抑えていた黒髪坊主の男子に叫んだ。秀人が声を出す前に素早く手を切り替えた。茶髪くせ毛が両手で秀人の右腕を抑えたことで、秀人の腕はほぼ固定されてしまった。金髪坊主は更にニヤつき、秀人の右手の真下でライターを灯した。秀人は反射的に手を開いてしまった。そこを逃さず、金髪坊主は秀人の人差し指を掴み、スマホに押し当てた。認証されたスマホの画面が開き、ホーム画面が現れた。
「さぁーてと、どこから見てくかな」金髪坊主は小躍りした。秀人は絶念して、項垂れた。「まぁ、順当に写真からだな」金髪坊主は「写真」のアイコンにタッチした。
そこには正方形に切り取られた写真群が列挙されていた。金髪坊主は人差し指で画面をスクロールしていく。
「ちぇっ、つまんなぇな。くだらねぇのばかりだぜ」多くの写真は光、綾、心との写真だった。「何か面白れぇのねぇのかよ」
「トキ、それのアルバムっていうところに、非表示っていうのがあるから、ちょっと見てみ」と黒髪坊主が教えた。一瞬秀人がビクッとしたように見える。
「ふぅーん。これか……あっ!」金髪坊主が驚き、すぐにニヤリとほくそ笑んだ。「ははぁーん、そういうことか、見てみ」と他の二人と秀人の方へ画面を向けた
そこにはゲイのAVが保存されていた。
「マジか!こいつ、気持ち悪」と秀人を抑えていた両脇の二人が飛び退いた。
「返せ!」と秀人が金髪坊主のトキに飛びかかる、がしかし、ひらりとかわされてしまい、慌ててまた金髪坊主と茶髪くせ毛に取り押さえられてしまった。その間に金髪坊主はAVを再生していた。再生スライドを素早く早送りすると、男たちの卑猥な声や映像が出てきた。秀人はもがきながらも赤面した。
「うわぁー、キモいな。だけどお前のあそこはウズウズしてんじゃねぇのか」と秀人の股間に足の裏を当ててきた。「おい、気持ちいいか」と言いながら押し付けてくる。秀人の両足は黒髪坊主と茶髪くせ毛の脚で開かれた状態で抑えられている。「手のほうがいいか、あん」とファスナーを下ろそうとし始める。金髪坊主は秀人のスマホを黒髪坊主へ渡し、もっとボリュームを上げさせた。両側をビルで挟まれた路地で、男たちの喘ぎ声が反響する。「よし、下半身脱がせて放置するか」金髪坊主が秀人のベルトに手をかけた、その時。
「やめな!」路地の入口に、男二人を後ろに控えさせたセーラー服にポニーテールの女子がいた。波瑠とデヴィット&オルティスだ。
アーケードの天井の間隙から漏れる天使の梯子が、まるでスポットライトのように波瑠に降り注いでいる。
「なんだよ、お前ら」金髪坊主が威嚇する。
「何だよじゃないわよ。それが慈善活動に見えるとでも言うの」
「うるせぇ!楽しんでるところを邪魔すんじゃねぇよ!」
「喜んで邪魔するわよ。さぁ、その子を離しなさいよ」波瑠は冷静に言い放つ。
「何いってんだヨ!抑えてろよ」秀人を抑えている二人に指図してから波瑠の前まで金髪坊主が歩いていく。もちろん波瑠の前へデヴィッドかオルティスが躍り出る。二人は目配せをして、オルティスが前へ出た。
「おおーっと、ちっちゃい方が相手かよ――なめられたもんだな」
「って、こっちもなめられたもんだな、ワハハ」オルティスが屈託なく笑う。
「ワハハじゃねぇんだよ!」と言いながら金髪坊主が右手を振りかざしてきた。それをオルティスが左手で受ける。そしてすかさず相手の右腕を右手で掴み、左手を添えて、得意の背負投げへともっていき、金髪坊主を地面に叩きつつけ抑え込んだ。上級の連中は喧嘩慣れしている者がいないのか、いつもこんな調子でかたが付いてしまう。
「ハァーイ、そちらも退散してねぇ、ワハハ」秀人を抑えながらも青ざめている二人に呼びかける。それと同時に、
「こらぁー!何してる、そこの学生!」とアーケードの駅方面から制服の警察官が三人走ってやってきた。騒ぎを聞いた住民が通報したのだろう。よく見ると警察官たちの後ろから、三人の学生らしき人影も走ってくる。
「ちょっとやばいですよ波瑠」いつものように冷静にデヴィッドが波瑠の背中へ囁く。
「そうね。行きましょ」このごみ集積所がある路地は行き止まりだと思い、波瑠たちはこの路地にもう少しでたどり着く警察官たちと反対方向のアーケードメイン通りを走り抜けることにした。
光は見てしまった。アーケードの天井に随所空いた穴から漏れ来る光に照らされた、少女と女の間を行き来するような表情を。まるでパラパラ漫画をゆっくりとめくっているように、差し込む光、陰、差し込む光、陰、の下を走り去りながら、光の下に炙り出る少女の顔は、強く光の目に焼き付いた。そして彼女が最後に振り向いた時、彼女も光に目を留めた、と同時に彼女の体から何かが落ちた。その落としたモノも、自分への贈り物と思えるほど克明に認識していた。
綾と心はそのまま警察官の後へ続き路地へと入り、光は波瑠が落としたモノだけを凝視しながら、路地を通り過ぎて行った。金髪坊主達三人は地元で、このごみ集積所がある路地が行き止まりではないことを知っていたので、集積所を乗り越えて逃げていった。
「大丈夫?秀人」真っ先に綾が駆け寄り声をかけた。
「うん、大丈夫よ」照れくさそうに仰向けになりながら、視線だけは綾を捉えて、秀人が応える。
「何だよ、そのざま」と心が安堵の表情を添えながら言葉を投げる。
「はいはい、どいて」そこへ警察官が割って入ってきた。「何か取られた?」煩わしそうな口調で秀人に問う。
「いえ」
「怪我は?」
「いえ」
「じゃあ、被害届は出さないね――はい、終わり」警察官は秀人の返事を聞くまでもなく、勝手に合点し去っていった。そこへ警察官と入れ替わりに光が心ここにあらずのように、手に取った波瑠の落とし物を見つめながらやってきた。
「ちょっとー!どこ見てんのよ!」光が来たことを察して、急いで寝たふりをしながら薄目を開けて、光の行動を追っていた秀人が上半身を起こして怒鳴った。
「えっ!あっ、ごめん」光が慌てて手に持っていたものをポケットに仕舞い、敢えて無理やり視線を秀人の目線に合わせた。
「ちょっと、光!私が心配じゃないの!」秀人は立ち上がり、心と綾を押しのけて光るに迫った。
「心配、心配、心配だよ……」取ってつけたように光は言ってしまった。
「何それ!あーやだ。心はどっか行っちゃってるね!」秀人は嫉妬を抑えられない。
「おい、おい、秀人、ごめん。大丈夫か?」
「そんな、慌てて、取ってつけたように言わなくてもいいわよ!」それを横目に心と綾は笑いを必死で抑えている。二人にとってはちょっとしたいつもの痴話喧嘩に見えている。しかし秀人の目尻には本物の水模様の水滴が傳っていた。
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