第12話 スケープゴート
それから一週間後。その間の校則の効用はというと。エリア侵入禁止は、監視カメラとそこから発せられる警告で、今のところ侵入者はいない。校章の常備はまだ徹底されていない。門限も20時帰宅は厳守されていない。まだ学校側は様子見といったところか。しかし頭髪検査は確実に今日、実施される。
昨日のことだった。放課後、鈴木先生から話があると、誰もいない教室に光を残した。光の席の前の椅子を回転させて、対面すると、右手で黒のスクエアフレームのメガネを軽く調整してから、
「単刀直入に言うな。もちろん俺から聞いたなんて誰にも言うなよ」光は頷く。
「―― 明日の頭髪検査の生贄はお前だ」。
「……」
「生贄?って、なにそれ?」光は目が点になった。
「つまりだ。今の時点で髪の毛を規定の長さに切ってなくて、黒く染めてもいないのは、お前と吉井だけなんだ。だから学校側としては見せしめとして。全校生徒の前で髪の毛を切るつもりでいる」
「マジかよ!」光は憤る。
「本当だ。だからお前は明日学校を休め。出席日数には余裕があるし、お前がいなければ校長も諦めるだろ」
「秀人は?あいつが生贄になることはないの?」
「吉井はお前と違って、成績優秀だからそれはないだろう」
「オイ!」光がつっこむ。
「だけど冗談じゃないぞ。成績が優秀なやつは学校にとっては大切だからな―― 一応芳賀は、職員会議での決定事項だから校長も急変させないだろう」
「そんなことも会議で決定してるのかよ。そんな学校大丈夫なのか?」光は呆れる。
「大丈夫じゃないと思うから、俺もこうやってるんだ」二人で溜息をつく。「それに吉井はお母さんの看護で、出席日数がギリギリだから休めないだろう」秀人も光と同じ母子家庭で、母親は病弱でよく仕事を休んでしまうから、その看護も大変だし、生活費も逼迫している。
「まぁ、そういうことだ」鈴木先生が席を立つ。光も立ち上がって、「ありがとう」と左手を差し出した。「そっか、芳賀は左利きだったな」と鈴木先生も左手を出し、握手をした。「おう」少し恥ずかしそうにまたメガネを上げながら言って、鈴木先生は教室を後にした。光は少し抱いていた嫉妬心を消失し、尊敬の念を増した。
そんな昨日があっての今日の頭髪検査だ。昨日の鈴木先生とのやり取りは、昨晩SNSで秀人、心、綾には伝えておいた。9月も半ばになって、校庭に吹く風は湿気が薄まり、熱も少し冷め、秋の気配を感じさせる。
今日は無理してスーツを着込んでいる校長が、朝礼台に上がる。しかし汗は隠しようがなく、しきりにハンカチで額を拭いている。シャツの襟に汗ジミが出来ている。朝の挨拶を終え、
「今日は頭髪検査の日です。この一週間の間に殆どの生徒が、規定の長さと色に変えてきましたね。それには労をねぎらいます―― しかしまだ何一つ変えていない生徒がいることも確かです。いつもなら二人の金色が目に入るのですが、今日はどうやら一人だけのようですね」。生徒がざわつき、秀人に視線を向ける。「今日の予定では、まだ金髪のもう一人、芳賀光君の断髪式をやるつもりでしたが、いないのなら仕方ありませんね……」
「吉井秀人君、前に」校長が冷笑しながら秀人を見た。まるでメドゥーサに見られたように、秀人は石のように固まった。
「秀人、やばいよ」いつものように隣りにいた心が声をかける。
「どうするの」綾が心配する。
「光が言っていたことと違うじゃんか」心の目が釣り上がる。そこで気を取り直した秀人が、
「嫌です!絶対にこの髪は切りません!」と声を張り上げた。
「そうはいきませんよ、吉井秀人君。君だけが規則を逃れることなど出来ません。規則は平等。そして生徒全員も平等になってもらわなければなりません」。
「断固拒否します」秀人は強く反抗した。
「それは何を意味するかわかりますか?」校長がニヤつきながら続ける、「風紀を乱し、教師に反抗する、非協力的な人間だと内申書に書かなければならなくなりますよ―― そうなるとあなたにとって必需の奨学金はどうなりますかね」校長はニヤついた。
「それは脅迫ですか?」秀人が食い下がる。
「それは聞こえが悪いですね。指導です。教育者としての」
「断固拒否します」校長を睨めつける。
「それでは仕方ありませんね」校長は左手を上げた。するとまた、朝礼時は常時屋上にいる、監視教育専門教師の柳沢がスタンガンを構える。生徒がざわつく。赤いレーザーが秀人に迫ってくる。秀人は微動だにしない。
その時鈴木先生が「ちょっと待ってください。私が彼と話します」校長のもとへ駆け寄った。そしてそのまま生徒の間を縫って秀人の所へ歩み寄る。
「吉井ごめん。俺の読み違いだった」周りの生徒に聞こえないように囁く。心と綾が寄ってくる。「ここは素直に従ってくれないか―― あの校長は、やると言ったらやる人間だ。ここで抵抗して悶着を起こしたら、確実に内申に響いてしまう」
「そうよ秀人。今まで何のために勉強してきたの、お母様を助けるためでしょ」綾が訴える。
「今はプライドを捨てるときだよシュー」心が迫る。秀人は両拳を固く握りしめ、苦虫を噛み潰したような表情で聞いている。
―― 母さんのためだ。俺を身ごもった時に、他に女を作って出ていった父親と別れてから、女手一つで育ててくれた。小さい会社の事務員で、薄給の中、おしゃれだけにはお金をかけた。女の子が欲しかったのか、それとも私が女の子のような顔立ちだったからなのか、髪を伸ばさせスカートを履かしていたりもしてたっけ。そうだ、そういえば小学生の時に今のように長く伸びた髪を、がん患者のために寄付する「ヘアドネーション」をしたんだ。いつも弱者に温かい視線と手を差し伸べてた母だから。よし――。
「分かったよ先生。切られてやるよ。その代わり切った毛はそのまま私に下さい」。意を決した表情で鈴木先生に伝えた。「分かった」鈴木先生はそう言うと振り返り、校長の所へ歩いていった。その後を秀人が続く。
鈴木先生が朝礼台に上がり、校長の耳元に囁いた。校長は目線を秀人に向けて頷いた。
「えー、それでは吉井くんが承諾してくれたので、これから断髪式を行います――」校長が薄ら笑いをする。「それでは椅子をここへ」教頭が壇上へ椅子を上げる。渋々秀人が朝礼台に上がり、椅子に座った。
「それでは、規定の長さ以下に切りたいと思います――」
―― 規定の長さ以下?――秀人は疑問に思った。その時校長に台の下にいる教頭からバリカンが手渡された。
「ちょっと待って下さい校長!バリカンはやめて下さい!」秀人が後ろを振り返り訴える。台下からも鈴木先生が
「それはやりすぎだと思います!」校長は後ろに並んでいる教員に目配せした。すると二人の教員が台へ上がって秀人を両側から抑えた。
「やめろー!」秀人が叫ぶ。生徒たちも呆気にとられていて、校庭は水を打ったように静かになった。「やめてくれ!」秀人は頭を振り続けている。その時、秀人の頭に赤いレーザーの照準が合った。それが左肩の辺りまで下がっていき、スパーク音が鳴った。秀人の身体は硬直し、スパーク音が止むのと同時にガクッと脱力した。それを機に校長がすかさずバリカンを前頭部の中央から入れた。
「あー」と生徒の間から嘆息が漏れた。秀人の顔は歪み、泣いているように見えたが、多分それは汗だろう。
「やめてー!」「やめろ!」綾と心が叫びながら前へ走り出てきた。が、教員たちに阻まれた。バリカンの軌跡は黒くなり、切られた長い金髪が風に舞った。それからは髪を束ねて刈られていき、秀人の足元に稲束のように並べられた。すっかり黒く丸坊主になった秀人は別人のようだ。恥ずかしくて顔を上げない。ワナワナと震えているように見える。異様なオーラが秀人を包んだ。そのオーラに弾け飛ばされるように秀人は俯いたまま立ち上がり、走り出した。校門を目指して、そして外の世界へ。
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