第7話 GOOUA

 歩き始める。行き先は決まっている。ミース高校からも見える、徒歩15分位の高台にある、通称「GOOUA」――「グーウァ」――「Government Office Of Upper Area」の略で、「アッパーエリア役所」だ。70階建てで、役所の他にオフィス、ショップ、レストラン、シネマコンプレックス、アミューズメントなどが入っている複合施設だ。そこの屋上が波瑠のお気に入りだ。

 ――それにしてもくだらない。少しでも人と違ったことをすると、すぐに嗅ぎつけて、叩く、貶す、辱める。匿名だから、ネット空間だからって、やりたい放題。何が楽しいんだろう。病んでるよな……窮屈なんだろうな、私も連中も。これが正義だと、個人主義、能力主義を標榜して突き進んできて、気がつけば孤立し、疎外し、行き詰まっていく。連中も心身ともに一杯になっているのかな。だから私みたいなのが、はち切れそうな彼らの被膜を突いて、少しでも穴をあけると、そこから鬱憤が噴出してくるのかな…… 波瑠は路地裏を歩きながら、物思いに耽る。

 ――鬱憤の噴出かぁ。うちのあの男もそうなのかな。財力や地位は獲得したけど、何かが心の中で燻っているんだろうな。ふん、いい迷惑だよ、クソ野郎!――。


 夏の晴天に、白い入道雲が、いたずらした綿あめのように浮かび、そこへ突き刺さるように聳え立つGOOUAの麓に来ると、鬱蒼と茂る樹木が裾を隠していた。元は公営の森林公園を、これまた資本力で民間が買取、GOOUAを建てたのだ。 まだなんとなく森林公園の名残がある入口を入り、陵丘に作られた舗装路に導かれGOOUAの中へと吸い込まれた。 

 エントランスは高い吹き抜けになっていて、柱という柱には電子公告版が埋め込まれ、広告の合間にグラフィカルなインスタレーションが入る。 波瑠はもう勝手知ったるもので、足早にまっすぐと反対側まで突き進む。突き当りが70階までの直通エレベーターだ。一般人は有料でチケットを購入しなければならないが、波瑠は文字通り、顔パスで、認証カメラを通り過ぎることができる。何故ならば波瑠の父親はこのGOOUAへの出資者の一人だからだ。その代わり搭乗した日時は父に露見してしまうだろうが。 

 高層エレベーターによくある作りで、ガラス張りになっており、屋外が見える。乗り込むとドアの右上に、階数、高度、速度などが表示されるパネルがあり、その下には、無人運転だが操作パネルがある。AIの挨拶から始まり、エレベーターの概略を簡単に説明して、AIらしく搭乗者に合わせて発言する。

「お一人様ですね。あなたはとてもラッキーです。このエレベーターと私を独り占めできますよ。何なりとお声掛けくださいませ」 波瑠は話す気など毛頭ない。上昇が始まる。最初はゆっくりと、徐々に加速していく。 そして10階から今までにない変化が窓外に起きた。いや、これは窓外なのか、内なのかは分からない。これもインスタレーションの一つなのだろう。まるで水の中に絵の具を注ぎ入れたように何色もの液体らしきものが街に降り注ぎ、街の姿はそのままに、それを覆うフィルターのように液体が混ざり合う。それが10階から一階ずつ上昇する度に変化していく。マーブル模様が刻々と変化していく。青が主役になり、黄色になり、赤になり。ペイズリー模様になり、毛細血管のようにもなり、断層、亀裂に変化して、曖昧な印象派的なタッチから、徐々に輪郭がはっきりしていき、ポップアートのようになっていった。そして中央辺りに太いニシキヘビが蛇行して、その軌跡に境界線が現れ、それを土台として壁が迫り上がってきた。70階に着くと、壁の手前側は鮮やかな色彩の街並みになり、向こう側は灰色一色に染まった。今までは気が付かなかったが、エレベーターから見えた景色の遠方はローアーエリアだったのだ。このインスタレーションは搭乗者に優越感と差別意識を脳裏に刻み込む、サブリミナル・メッセージだったのだ。 

 最上階に着くと画面は元の街の景色に戻り、ドアが開いた。しかしまだ残像が残っていて、それが実景と重なり、インスタレーションを延長させる。これがいつから始まったのかは知らないが、人によっては気分が悪くなるだろう。表現の自由は保証されるべきだが、それは鑑賞者に選択する余地があってのことで、このように強制的に見せるのは、鑑賞者の自由の剥奪だ。

 目が慣れるまで、残像を振り払うように視点を漂わせる。暫くして完全に澄んだ視界に、透明なドームが二つ入ってきた。それはSFの戦闘機のレーザー砲でも操縦するような席があり、砲身ではなく望遠鏡が付いている。波瑠は慣れた仕草でそこへ乗り込む。そして望遠鏡のファインダーに顔を当て、それの両側にあるハンドルで上下を合わせ、足元のペダルで左右を微調整し、標的を捉えた。それはムーンラダーだった。波瑠はこれを見るためにここに来ていると言っても過言ではない。忘れないために。亡くなった父のことを。

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