第6話 ミース高校
波瑠は一人で学校へと向かった。ずっと川に沿って歩き。一つ目の橋で多摩川を渡る。橋の上から見渡す景色が波瑠は好きだ。濃緑を含んだ多摩川、河川敷の緑に茶色いダイヤモンドの野球場、開けた視界。
川を渡り、いくつかの商店街を通り抜け、いつものタクシーだったら15分程で着くところを、小一時間ほど歩いてやっと波瑠の通う高校に着いた。 そこはバウハウスのデッサウ校を模した、今でもモダンなデザインの校舎だ。校名は「ミース高校」。建築家のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエに由来する。なので建築に特化し、絵画、写真、CGなど芸術全般に秀でた高校で偏差値も高い。波瑠も建築士を目指している。
通常の通学時間は学校の前に渋滞が起きる。子供達を送迎する、親達の高級車、運転手付きのハイヤー、タクシーなどで。
さすがに一時間くらい遅れると、校門前には人っ子一人いない。 波瑠は校門のゲート横に設置されてある、認証カメラの前に立ち、赤い校章と自分の顔が映るように微動する。すると「ピー」とビープ音が鳴り「井上 波瑠さん。1時間12分28秒の遅刻です」と女性のAIが告げる。するとゲート脇のスライド式のドアが素早く開く。波瑠が通り抜けると素早く閉まった。
今では上級、下級関係なしに、上級は民間が、下級は自治体などが学校を監視カメラだらけにし、監視している。波瑠の行動も追尾されていることだろう。ここ上級の学校では、生徒一人ひとりの行動が、利益に直結するから。
波瑠は校舎に入り、エレベーター前で待っていると、上部の現在階数を表す、オレンジ色のデジタル数字が、自分のクラスがある「3」から降りてきた。「1」。扉が開く、と同時に真正面に、黒いスーツを身にまとった40代くらいのスキンヘッドに黒縁のメガネを掛けた、ラグビー選手のような体格の男が、
「おはようございます。波瑠様。お待ちしておりました」と慇懃に頭を下げた。そして素早く横にずれ、波瑠を招き入れる。 彼は「スクール・コンシェルジュ」だ。生徒の学校内でのスケジューリング、雑用、ボディガード等を担う。波瑠は何も言わない。嫌いなのだ。
「波瑠様、大層なご遅刻ですね・・・・・・」波瑠を見ずに、操作パネルを見ながらスクール・コンシェルジュがたしなめる。
「・・・・・・」無言の波瑠。
三階に着いた。クラスはこれも少子化の影響で、1クラスしか無い。その1クラスでワンフロアを使用している。エレベーターを降りて右手側が教室だが、廊下と教室の境がない。その代わりに、卵のような白いカプセルが整然と並んでいる。そしてエレベーターの左手には、これも整然と波瑠のスクール・コンシェルジュと同じ、黒のスーツを着た者たちが、椅子に座りタブレットを手にして、それを覗き込んでいる。まるでエイリアンの産卵場のようだ。とてつもなく静寂だ。
「それじゃね、二宮」波瑠のスクール・コンシェルジュの名前だ。「はい」と返事し、二宮はコンシェルジュの席の黒いスーツ達に埋没した。波瑠も自分のカプセルへ行く。
カプセルの前へ着くと、自動的にシールドが上がる。黒い回転式の椅子に腰掛け、反対側へ回す。すると正面手前にキーボードが置かれ、その上にはカプセルの壁面の曲線に沿って、有機EL液晶画面が設置されている。数秒して画面が点いた。その画面の右上には、これもマンツーマンで付く教師が映し出せれ、その下には生徒の現状のレベルなどのデータ類、中央上部にはテキスト、下半分には記述スペース、左端にはいくつかのタブが表出している。
これが学校なのか。塾とも変わらないし、ましてや家に居ても出来うることではないのか。以前の学校は生身の教師が居て、生徒は教室という共通空間でコミュニケーションを学び、友情を育んだ。それが、いじめの加害者、被害者にならないための予防策として、教師からのパワハラ、親からのモラハラなどの防止策が過剰になった。それらの安全を富者が財力で購入するという、資本主義経済の疵瑕と個人主義の疵瑕が学校教育に出現してしまった。 波瑠は勉強が嫌いなわけではない、好きな建築を高いレベルで学べるのは本懐だった。だから今日も、家での出来ことは置いておいて、午前中は集中して授業を受けた。
このような形式だと、常に監視されているので、息が抜けず、どっと疲れてしまう。授業の合間に休憩時間はあるが、その時間はコンシェルジュとのやり取りで潰されてしまうので、本当に休めるのは昼休みだ。この時間は開放される。コンシェルジュにも。
昼食は学食でもいいし、購買でも、弁当でもいい。どこで食べてもいい。この時間が少ない生徒間の交わりだ。しかしやはりエスカレーター式で上がれる一貫校なので、個人主義、個別化が身に滲みてしまって、コミュニケーションを不得手とする生徒が多い。大きなグループは無く、小さなグループ。二人など。意外と多いのがそのままカプセルの中で孤食に徹する生徒たちだ。
波瑠も一人っ子という家庭環境の影響もあるのか、コミュニケーションは得意ではないし、本来の勝ち気な性格と自我の強さで、一年生の頃はよく他生徒と衝突した。そのせいか怖がられているようで友人は少ない。しかしそんな一年生の時の波瑠と妙に気が合う生徒が二人だけいる。
「波瑠~」購買でパンを買って、中庭を歩いていたら後ろから呼び止める馴染みの二つの声を聞いた。波瑠はからかうように無視をして、あえてゆっくりと歩き、五歩先にあるベンチで振り向き腰を下ろした。 その目線の先には、紺のスラックスに白のワイシャツ、そのボタンをきっちりと締め、紺のネクタイもきつく締めている左側の男子。シャツのボタンを上から三つくらい開けた前に、ゆるめた紺のネクタイを垂らしている、右側の男子。そんな二人の学生がこちらへ向かってくる。二人で腕を絡ませながら。
左はデヴィッド。ドイツ系アメリカ人、身長190cm、金髪、性格は貴公子のような白人だ。右はオルティス。プエルトリコの父と日本人の母のハーフ、身長170cm、黒のカーリーヘア、性格は陽気でユーモアがあり、褐色の肌を持つ。そんな容姿、性格ともに正反対な二人は、ゲイだ。 二人共ネイティブ並みに日本語が上手い。デヴィッドは英語を話せるが、オルティスは話せない。
「今日の波瑠のお昼は――サンドイッチですね」デヴィッドが気品のある微笑みを添えて言う。
「おっ!俺達と一緒だね――もしかして波瑠もゲイ?」と言うなりオルティスは一人で爆笑した。 二人は波瑠を挟んでベンチに座った。
この三人は学校内でも外でも一緒だ。デヴィッドは波瑠に嫌味のない細やかな気を使い、オルティスはどんな時でも楽天的な言動をして、温かい雰囲気で包む。二人がゲイだからなのか、今のようにべったりとくっつかれてもいやらしく感じないどころか、心身ともに温かさが伝わってくる。同級生だが兄のような存在に一人っ子の波瑠は感じる。
そんな束の間の安堵を感じた矢先にスマートフォンでSNSの通知音が鳴った。その音は”波瑠”というキーワードが流れた時に鳴るように設定してある音なので無視できない。多分学校全体の匿名で投稿できるオープンチャットからだろう。波瑠はたまごサンドを頬張りながら、スカートの右ポケットからスマートフォンを取り出して、ロック画面に出ている通知をタップした。それは公式のものではなく、生徒が秘密裏に作ったオープンチャットだった。いわばストレス発散と裏情報などのやり取りが行われる場所だ。誹謗中傷も多いので、書き込みは数分経つと消えるようにはなっている。それでも気弱な者は耐えられないだろう。波瑠はあえて参加している。以前もここで散々叩かれたが、無視した。そこに、
「またあの波瑠が遅刻」「どこかの男や女と橋の下でヤッてきたんだろう」「マジ、ウザい」「臭い」など。一つの発言が出てくると、堰を切ったように参加してくる。そんなくだらない言葉は気にならないが、
「またオカマ二人と一緒だよ、これから3Pでもやるんじゃね」 波瑠はたまごサンドの咀嚼を止めて、周りを鋭い目つきで見渡す。
「どうしたの、波瑠」デヴィッドが気に止める。波瑠はスマホを素早くポケットにしまい、たまごサンドを強引に飲み込み、立ち上がって、
「だれだ今の投稿したやつは!」と大声で怒鳴った。 ざわついていた中庭が静まり返った。視界にいる生徒は全員波瑠を見る。
「いい、私をけなすのはいいけど、友達を馬鹿にしたら許さないからね!」波瑠はどこにいるかは分からないが、きっとどこかで見ているであろう投稿者に向けて言い放った。途端に脱力し、椅子に崩れ落ちるように座って、「バカらしい・・・・・・帰ろかな」とデヴィッドとオルティスに力のない微笑を送って立ち上がった。
「バカな連中に振り回されないでね」デヴィッドも立ち上がって波瑠の肩に手をおいて声をかける。「そんなんじゃないよ――なんか今日は疲れた」。「まぁ、そんなときもあるさ。抜け出して遊んできな」オルティスが波瑠の尻を叩く。「行ってきまーす!」波瑠はすたすたと校門へと歩いていった。 しかし決められている時間外の外出をしようとしても、ゲートは開かないようになっている。
波瑠はゆっくりとゲートに近づいていく。そうしている間にもコンシェルジュからスマホに連絡が入ってきている。もう少しでゲートもロックされてしまうだろう。しかし波瑠は時間を見計らっていた。 そこへゲート前に一台のワンボックスカーが来た。監視カメラが素早くナンバーを照合してゲートが開いた刹那に波瑠は走り、車と入れ替わるように学校から飛び出した。購買の車が回収と補充に来る時間だったのだ。 波瑠はしばらく走った。そして立ち止まりスマホを見る。
「親御様にご連絡させていただきます」。と二宮からメッセージが入っていた。
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