3-4
それから、声が漏れないよう小さい声でお互いの話をした。これまで彼方は希海と話をするどころか、挨拶もろくにしたことが無かっただけに、希海の話を興味深く聞いていた。そして彼方は、その話の中で、希海もN中学を受験していたことを初めて知った。
「希海も、落ちたんだ」
「うん」
彼方にとってそれは不思議な感覚だった。希海は別世界の人間だと思っていたが、自分との共通点があることに、親近感を覚える。
「でも、N高、受けるんだろ?」
しかし、心とは裏腹に、せっかく抱いた親近感を打ち消すような言葉が彼方の口から突いて出た。
「そうみたい、だね」
まるで他人事のように希海が答える。
「希海なら合格するだろ」
そして、住む世界が分かれるのだろう。彼方にはその方が重要だったので、『みたい』という希海の言葉には気を留めなかった。
しかしそこで、希海が黙ってしまう。
「どうした」
彼方が変に思い、声を掛けた。
「行きたく、ないんだ」
たっぷりと時間をかけた後で、希海がそっとつぶやく。その言葉に彼方は、「なんでだよ」と少し大きめの声で反応してしまい、また希海に口を押さえられてしまった。彼方がごめんと一言謝る。この手がずっと自分の口を押えていればいいのに。彼方はふとそう思った。
多分、希海ならN高に合格できるだろうに、なぜそんなことを言うのか、彼方にはその理由が思い当たらない。
希海はしばらく考えた後で「男子校、だから」とつぶやいた。彼方の胸が少し痛む。
「まあ、女の子いないしな」
彼方は、希海も男の子なんだなと妙な納得をしたのだ。ゴシップ好きの正樹は、希海が女の子に興味が無いのではないかという噂話を拾ってきていたが、なんだかんだ言っても希海も女の子がいない環境は嫌なのだろう。
しかし希海はすぐに、「たぶん、彼方くんが思っている理由とは違うと思う」
と返した。
その言葉に、彼方の心はまた混乱し始める。一体それはどういう意味なのか。彼方が訊こうとしたところ、遠くで木の扉が開く音がした。希海が彼方の口に人差し指を当てる。
誰かが板張りの上を歩く音。御簾が動く音。そして、部屋の隅に何かを置く音。音はその後、御簾、板張りと移動し、最後に扉のところで消え失せた。
「能面が様子を見に来たのか?」
彼方の問いかけに、希海は単衣から顔を出したが、すぐに「火桶を持ってきたみたい」と答えた。
「ひおけ?」
「うん。暖房みたいなものかな。そんなに暖かくはないけどね」
希海はそう言ってまた単衣の中に潜る。確かに部屋の空気は冷たく、冷気が中に入ってしまったが、彼方はその分、希海の熱を再び感じることになった。
「こうしてると、暖かいね」
希海が両腕を胸の前に寄せ、彼方に近づく。彼方の胸に、希海の腕が触れた。まるで心臓の音を測られているようで、彼方は少し恥ずかしい。
「そ、そうだな」
「一人で寝ると、寒いから」
希海の声色が妙に淋しく感じられて、彼方の口から思わず、
「もう少し、くっつこうか?」
という言葉が出ていく。言ってから慌てて、
「必要ないか」
と打ち消したのだが、希海はそれには返事をせずに、手を彼方のブレザーに添えた。
「制服じゃ、寝にくくないかな?」
希海が囁く。どういう意図で発せられた言葉なのか、それを考えるのが怖くて、彼方は希海に「寝るのか?」と訊き返した。
「何か、したい?」
「べ、別に、何するか思いつかないなあ」
「じゃあ、寝ようか」
希海は苦笑しながらそう言うと、更に彼方の方へと体を寄せる。まるで希海が彼方の胸の中に納まるような態勢になった。
「ほんと、二人で寝ると暖かいね」
そして希海が、すぅという音を立てて息を吸う。
「それでいいのか?」
彼方が希海にそう尋ねる。希海は他に何かしたかったのではないか。そう思ったのだが、希海は「うん」と返事をしただけで、今度は彼方の左肩に頭を付けた。
立てば背中まで届くくらい長い希海の髪は、束ねることもせず、希海の頭の後ろ側へと伸びている。彼方はそれに触れたいという衝動を抑えるのに必死にならなくてはならず、静かに眠ることができるだろうかと心配になった。
ふと彼方は、希海の服装が気になる。上に着ている単衣は、浴衣に似ているものなのでそれは良いとしても、下にはいている袴は窮屈そうだった。
「いつも、その恰好で寝るのか?」
「そうだよ。袴がじゃまで、脱ぎたいとは思うんだけどね」
「脱げばいいだろ」
「寒いし、中、何も、着てないから」
希海が少し身もだえし、恥ずかし気につぶやく。少しこうして二人で身を寄せ合っていると、彼方は息が苦しくなるのを感じた。意識したせいか、下半身が熱い。
「お、俺は別に、構わない、けど」
彼方は、水か何かを飲みたくなったが、そういうものはありそうにない。希海に頼むと今のこの距離が壊れてしまいそうで、彼方は自分の唾を飲み込んで我慢することにした。ただ、口を閉じていても唾液はなかなか溜まりそうになかった。
「どうしよう。でも、ちょっと、恥ずかしいかな」
希海の声が少し上ずっている。
「そ、そうだな」
なんてことを言ってしまったんだと、彼方は恥ずかしくなった。
「制服じゃ寝にくくない?」
希海がまた彼方に尋ねる。
「あ、ああ、まあ、そうだけど」
「一緒に、脱ぐ?」
そこでようやく彼方は、希海の意図が分かった。
「そ、そうだな。上着とズボン、脱ぐよ」
確かにズボンをはいたまま寝るのは、あまり気持ちのいいものではなさそうだ。しかし彼方はそれ以上に、希海が窮屈な服装を脱いでゆっくり寝たいと思っているのなら付き合ってあげようと思った。希海と二人、薄着で一緒に寝るという行為に少し背徳的な香りを感じ、それを望む自分を懸命に否定する。
二人で単衣から出て、背を向け合いながら脱ぐものを脱いだ。
彼方がここに来てから、ある程度時間がたったように思える。しかし御簾を通して入ってくる光は相変わらず琥珀色をしていて、彼方は外の様子に変化がないことを不思議に思った。帳の外、薄暗い部屋の中にぼんやりとした赤い光が見える。あれが希海の言っていた『ひおけ』なのだろうと彼方には見当がついた。多分、炭でも入っているのだろう。
彼方は制服を脱ぎ、下着姿になった。脱いだ制服を寝台の脇に置き、再び単衣の中に潜る。遅れて、希海が単衣の中に入ってきた。脱いだ袴は、上に掛けたようだ。
「やっぱり、袴が無いと楽だね」
「寒くないか?」
「えっと、ちょっとだけ」
布団代わりに着物を何枚も重ねているとはいえ、そもそも部屋の中が冷たい。『ひおけ』も役にたっているのか分からないくらいだ。
「じゃあ、もうちょっと、くっつこうか」
そう言って彼方は、罪悪感を感じながら少しだけ体を希海の方へと寄せた。
「いいの?」
希海も嫌がっている風ではない。
「風邪をひいたら困るだろ」
「そう、だね」
希海はそう返事をすると、腕を丸めて、彼方の体に自分の体を押し付けた。彼方の言葉は、単なる言い訳に過ぎなかったのだが、まるで希海もその良い訳に乗ったように思え、彼方はそんな自分の都合のいい解釈を心の中で否定する。
希海が身に着けているのは浴衣のような着物一枚だけになっていた。
「彼方くんの体、温かいね」
「そ、そうか?」
「うん」
希海はそう言ったが、彼方にとっては自分が希海から感じる熱の方が強い。それはつまり、希海の体の方が温かいということのはずなのだが、希海が再び彼方の肩に額を付けてじっとしている様子に、希海はもしかしたらこれまでここに一人でいて淋しい思いをしていたのではないだろうかと思った。すると、抑えきれない想いが心の中から湧き出てくる。彼方には、希海が愛おしくてたまらなかった。それを我慢するために、拳をきつく握りしめる。
希海の吐息が彼方の肩にかかっていた。それを彼方はTシャツ越しに感じ、仰向けになっていた体を自分を抑えるために横に向けた。希海の顔が肩から離れる。すると今度は、希海が彼方の胸に顔をうずめた。彼方の手が希海の単衣に押し付けられる。彼方は、布一枚の向こう側に希海の肌を感じた。
「何だか、ドキドキするね」
希海が発する一音一音が、彼方の胸に当たる。
「男同士だろ」
布団代わりの着物の中は、希海が発する、甘く切ない匂いで充満している。
「でも、彼方くんも、ドキドキしてるよ」
「変なこと言うなよ、希海」
彼方はわざと言葉の最後で希海の名前を口にし、そして何度かの躊躇いの後、我慢できなくなり希海の背中に腕を回した。その瞬間、拒否されるのが怖くなり、彼方が身体を固くする。しかし希海は動かない。少し硬い希海の背中の感触が、彼方の手に伝わってくる。彼方が少し力を入れると、希海はそれを待っていたかのように、身体を彼方に預けた。
「そうだね」
希海の手も彼方の背中に回り、そして力が込められる。彼方には、希海を抱く手にそれ以上の力を入れれば、希海が壊れてしまいそうに思えた。希海の熱を感じ、彼方の下半身が熱くなる。彼方は自分のものが硬く大きくなるのを止めることができなかった。
「寒くないか?」
それを誤魔化すために、彼方が声を掛ける。
「うん、温かいよ」
希海がそう答える。と、彼方は自分の硬くなったものに何かが触れるのを感じた。それがさらに強く押し付けられ、上下に動く。希海が一つ、熱い吐息をついた。
刺激されるたびに、背中から頭に掛けて快感が彼方を襲う。すると今度は、希海の唇から「あっ」という言葉が漏れた。
「希海?」
彼方が希海の様子がおかしいことに気付き声を掛ける。まるでその声が合図になったように、希海の手に力が入り、彼方に抱き着いたようになる。彼方は、自分の硬くなったものに触れているのが、希海の硬くなったものだと気が付いた。
そのまま希海が、下半身をゆっくりと動かし始める。
「今だけ。今だけ、僕を許して」
まるで泣きそうな声で、希海が懇願した。そしてしばらくの間、希海の喉から喘ぎ声が、一定の間隔で漏れ続ける。その声の合間合間に、希海は「ごめんね、許して」という言葉を繰り返した。
下着一枚を挟んで、希海の硬いものが彼方に擦り付けられている。自分よりも小さいそれに、彼方は可愛さと愛おしさを感じ、けれどもどうしていいか分からず、何も言わずに希海を抱きしめた。希海が彼方を抱きしめ返す。
それが幾度続いただろうか、気が付くと、希海は軽い寝息を立てて眠っていた。彼方は、これでは自分は眠れそうにないと思ったが、希海の頭に顔を付けると不思議と眠気を感じ出したために、そのまま微睡に身を委ねることにした。
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