1-6
「そっか」
彼方はそれ以上そのことに触れるのを止め、「よく分からない者同士だな、俺たち」と言いながら、肩をすくめる。
「ごめんね」
希海がそう言って顔を伏せた。希海の前髪が顔の両側から下へと垂れ、横顔を隠す。代わりに、細いうなじが現れた。
思わず見とれていることに気が付いて、彼方が希海から視線を逸らす。そして、それをごまかすように部屋の中を見回してみた。
この場所は、部屋の中でもさらに帳(とばり)で囲われた寝所になっているようだ。重ねた畳がマットレスの代わりになっているのだろう。
「ここで、寝ているのか?」
その硬さを手で確かめながら、希海に聞いてみる。
「うん」
視線だけを彼方に向け、希海はただ一言だけで返事をした。
じゃあ、教室にいた佳月希海は一体誰なのだろうと、彼方が首をかしげる。しかしそれを希海に訊いても、また希海が困った顔をするだけのような気がして、彼方はその疑問を喉の奥へと押し込んだ。
教室での希海は、まるで全てを拒絶するかのような雰囲気を出している。彼方は二年生からの二年間、希海と同じクラスだったが、その間、希海が誰かと仲よくしている様子を見たことが無い。話しかけても、最小限の返事しかしない。これは彼方に限ったことではなく、クラスメイトの誰もが、男女問わずそうである。
しかし、今彼方の横に座っている人物は、姿形こそ同じだが、彼方が教室で目にする希海の様子とは全く異なっていた。優し気で穏やかで、少し恥ずかしがりな雰囲気を身に纏っているのだ。
なぜ。彼方は自分の置かれている状況以上に、そのことに興味を持った。
「ねえ、早瀬くん」
希海が、二人の間に漂うどことなくぎこちない空気を振り払うように、声を出す。
「ん?」
彼方がそっと横を見た。
「お、お願いがあるんだけど」
おずおずと。そのような形容がぴったりな風で、希海が言葉を続ける。
「何?」
「僕を、ここから、その、連れ出してくれないかな」
希海は、顔を伏せがちにしながらも、少し彼方の方へと顔を向け、上目遣いにじっと彼方のことを見つめている。
「屋敷の外に、か」
「うん」
「門があっただろ。そこから出ればいいんじゃないか?」
希海は鍵のかかった部屋に閉じ込められているわけではない。確かに、着ている服は重そうではあったが、屋敷から出るくらいなら簡単なことだろうし、今はそれも脱いでいる。
希海のお願いの内容が、彼方にはよく呑み込めなかった。
「ダメ、なんだ」
「だめ?」
「うん、邪魔をしに来るんだよ」
「誰が」
「命婦(みょうぶ)が」
その音に彼方は聞き覚えがあったのだが、それがここに来たすぐに希海の発した言葉だったのを思い出す。
「ミョウブって、誰?」
「えっとね、ここで僕の世話をしてくれている人。僕が勝手にそう呼んでいるだけなんだけど」
「世話してくれる人がいるのか?」
「うん」
ということは、さっき彼方が感じた何かの気配というのは、その人だったのだろう。希海が声を掛けたのもその人に向けてに違いない。彼方はそう理解する。
「じゃあ、その人に言えばいいんじゃないのか?」
「だから、その人が邪魔をするんだ。僕が外に出ようとするのを」
希海がうつむき、膝の上で手をこねくり始めた。
希海の話を聞いてようやく彼方は、ここに来てからの希海の行動にある程度納得できた。彼方は、先程感じた『気配』に対してかなりの不気味さを感じていたのだが、それは何もバケモノなんかではないようだ。人間なのだと分かり、ほっとする。
「分かった。じゃあ、俺が話をしてくるよ」
彼方が勢い良く立ち上がる。やるべきことが分かったのも大きいが、それ以上に、希海にお願いをされたことが彼方を奮い立たせた。
「ちょ、ちょっと待って、ダメだよ、早瀬くん」
彼方の行動に驚いて、希海が顔を上げる。右手を遠慮がちに彼方の方へと伸ばした。
「大丈夫、任せろって」
彼方はもう随分暗さにも目が慣れていた。止めようとする希海に構わず、寝所を出て、部屋の出入り口を仕切る簾をくぐる。後ろでまた「早瀬くん、戻って」という希海の声がしたが、それに向けて彼方は「大丈夫だって」と答えた。
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